雑談2つ

目覚め前に見た夢


入院していた。

なんでも頭蓋骨と脳みその間に空気が入って危険だから、とかで。

なにをやらかしたんだ私。

前の日に、職場に、入院して休むことを謝って謝って、謝ってたらしい。そんな記憶を夢の中で思い返していた。

いったいどんな治療をされるのか、不安がっていた。

院内は、現代的というか、未来的なデザインの設備だった。

未来的デザイン、好きなんだな私。

院内を見回る好奇心も、余裕も無い自分を感じているうちに、目が覚めた。




目が覚めてから、私は頭蓋骨をどうかしたわけでもなんでも無い当然のことを、徐々に思い出した。

よほど深く  を見ていたと思われる。


理由は外を見て分かった。全国的に、天気が悪かったんだ。

昨夜から、空腹を感じない、という、感覚神経がストライキを起こす体調になっていた。

だから先の記事にも書いたように、食事を抜いたり、消化のいい物にしたり、早めに食事を済ませて、今、お腹が空いていたり、

思考が回らなかったり、頭痛薬を飲んだり、耳鳴りひどかったり、ヒーヒー言う思いをした一日だった。




先週の記事で、愚痴った文で、とにかく楽しい脳内物質が足りない、つまんない、みたいなことを書いたはずだ。

で、仕方が無いから立ち読みをした。

たまたま、統合失調症のことが取り扱われていた。

発達障害の二次障害としておなじみの有名なものだ。

しかし、重い二次障害としての代表選手であるだけであり、決して当事者全員が掛かるわけではない。


ものすごく難しい病気だ。


人間関係の作り方として、基本は、赤ん坊と養育者の関係の作り方から、人間は学び始める。

赤ん坊は、欲求がある時に泣くと、伝わって、欲求を解消してもらう経験をする。

欲求を解消してもらった後に、満足すると、養育者がニコニコしてくれる顔を見て、満足感を、養育者が代弁するように言葉にして話しかけてくる、声を聴く経験をする。

内臓がコチョコチョ(なのかどうかは知らない。動くんだってさ。)動く時に、赤ん坊の顔が二ーッと動くと、笑ったように見えるので、養育者が同じ笑顔をして返し、話し掛けてくる。見て、聴く経験をする。

泣く → 原因解消 → 満足 → 笑顔の共有

が基本になり、

泣く の後に → 笑顔の共有 が来たり、

泣く の後に → 間違った原因解消 が来ると、

健康な人間は「違う」と、不快感を持ったり、関係を解消して離れて行こうとする。

そういう、一連のシステムとか、感情に対する感情の反応とか、そういうものを赤ん坊は、赤ん坊なりの学習能力で覚えていくんだそうだ。

言葉を覚えてくると、もっと複雑化する。

しまいに、第一次反抗期なんか来ると、もっと複雑になり、

「じぶんで(する)」 → (できない) → 泣く なんていう無茶振りにまで成長してしまう。

でも、泣く → 原因解消 → 満足 → 笑顔の共有

この基本を、自分にしてくれる人のことはちゃんと認識して、信頼して、甘えて、従うようになっていく。人間てすごい。

脳が、安心させてくれる人に対して、相応しい脳内物質を出すように、設定されて、機能するからだ。

そして、いずれは自分と別個の人間にも、同じことが出来るようになる。きょうだいが出来ると、あやせるようになる。成人して、自立した後は、養育者にも同じことをして返せるようになる。

友達とも関係を作れるようになる。能力として恋愛関係も持てるようになる。(チャンスがあるかどうかは別。)

しかし、この機能を病んでしまう。

4つの順で回っていた機能が、ぐしゃぐしゃになる。

他人が 泣く → ことで、途中をすっ飛ばして 満足 を求めたくなったり、

自分が 泣く → ことで、他人が 原因解消 を試みてくれても、攻撃性が湧いてしまったり、

笑顔の共有 に、どうしてもたどりつけなくなり、迷路の中で迷子になって、疑心暗鬼やら、攻撃性やら、自己卑下やら、内面が大変なことになっていく。

一方で、自分と同じ感情のシステムを、他人にも持っていて欲しくなる。同じ機能の人を求める。寂しいから。

迷路のゴールとして、一流企業に勤めて、一流の結果を出す、過剰な誇大な自己像を想像してしまう危険もある。

今朝のに真面目にはまっていた私のように、本気の思い込みで想像してしまうものなのだろうか

それを認知の歪み、と呼ぶので合ってるのだろうか


そういうメカニズムなのだろうか と、野良レモンは想像した。

どこまで合っているだろうか

それなら、薬だけ飲んでも回復するわけないし、

精神分析や行動分析をしてくれるプロに、矯正してもらいさえすれば回復するわけでもないよね。

両方が必要なんだろうね。


たぶん、

迷子の人が、迷路の中で迷子のままでいるように、攻撃性が湧いたら沸かせるままに、殴られて、損害を受けたままでいて責めないで共依存してあげるって、ますます病人本人を、追い詰める行為になるんだろうねぇ。

迷路から出たいって、欲求はある、んだそうなのに、それなのにね。

いつまでも迷路の中で迷ったままでいていいよ、って、優しい牢獄。

そんな牢獄に住んでいる住人、軽めの人、一般社会にきっといっぱいいるんだけど、

私たちは社会でそんな人たちと渡り合ったり、ヘラヘラ愛想笑いしたり、頭下げたり、"うまく"関わり合ったり、認めてもらえる努力を強いられたりを残酷にさせられていくんだけども、

そんな行為がお仲間によって推奨されていたネット掲示板までも、過去にもどこかにありましたよねぇ。





小学生が家庭の不満を訴えてきたら大人がすべきことはなにか。

その答えからマスコミが広めてくれればいいのにと思う。

「SNSは危ないって教えなくてはねぇ……」「SNSの危険を学校で……」

今のところ、テレビはこればっかりしか聞こえてこないので、飽きてしまったので、ユーチューブの勉強になりそうな話を流している。

SNS、SNS、SNSしか視聴者の耳には入らないではないか。

だから実家の親のように、インターネットで変な会話をしてはいけないよとか、SNSに依存しちゃいけないよ、もうしてないかいとか、そんな不安、しか庶民に煽られなくなるし、広まらなくなるのだ。

子どもがSNSの人にふらふらついて行った背景は、まだ不明だけど、ただの日常に不満や、耐えがたい部分があったのなら、

そういう不満や、耐えがたい部分を持っている子を、次にどうするのかから社会で議論されないと、

結局はSNSにしか戻って行けないでしょ。

逃げていけないでしょ。隠れてしまうでしょ。

SNSへの反感ばっかり盛り上がれば、この問題解決するんですか

犯人は、正しいことをした、って、正当化している。そこが悔しい。脅迫したじゃないか。人権奪って、逃げ出さなくちゃならない状態まで追い詰めたでしょうが。

SNSに書き込むことしかできない子が、どこからも助けられないことで、

人権の「じ」の字も知らなそうな素人が、『自分がさらって行ってもいいんだ』って、ドヤって正当化してしまったんだよ


もしも虐待を受けている子で、SNSに書き込むしかできることが無い状態だったら、

『ほら、社会でだれも助けないんだから、ボクがさらっていってあげるしか無いじゃないか。SNSに頼っちゃいけないからって、ころされるまで虐待を受け続けていることが正しいことなの だからSNSで優しい人と知り合って付いて行ってもいいんだよ 』

と、開き直られてしまうだろう。

社会側は、『いいわけないだろう 許されないんだよ犯罪者め 』と、正論に戻り、否定する根拠を急いで作らなきゃならないんじゃないのかい

たとえば、児童相談所で、子ども本人が逃げてくる窓口を整備するとか、

児童相談所に駆け込むために、そして証拠不十分で家庭に戻されないために、揃えるべき証拠と証拠を取る方法とか、子どもが出来ることのノウハウを、

“変態” じゃないまともな人がサイトにまとめて情報発信するとか、
(この場合、氏名住所明らかにしちゃ駄目。コメント欄も開かない方がいいと思う。"変態"が模倣してしまうから。)

ノウハウが犯罪に使われないように、それを研究して検証してあげるプロ……お医者とか、弁護士とか、人権派探偵とか、児童相談所のOBとか、のプロたちが、いいものにしてあげるだとか、

たぶん、そんな手立て。

「困った。」と思っている子が、次になにをするかが、分かりやすいように、大人の手で手立てを用意してあげるんじゃないのかい。

子どもの努力でなんとかやれって、つまりはそんな放任をするから、SNSが間違ったほうに元気になっているんじゃないか

「大事なことだけ忘れなきゃいいじゃないですか!」

お腹が空いているので、適当なグルメのレビューを読む。

世の中にはなんかすごい美味な食事がまだまだあるんだ。

しかし、野良レモンはほぼ常時、謎の疲労感に悩まされやすいので、

副交感神経がいっぱい入っている内臓系を休ませることを試す。

内臓がうまく回らないと、体内の分泌物とか、ホルモンとかも働かなくなって、体力が無くなって、

カロリーも消費できなくて、デブっていって、自律神経にもスイッチが入りづらくなる……

……と、たぶんそんなとこだろうと、ネットのお勉強で見当を付けているからだ。

合っているかどうかは分かんないよ。

昨夜はほぼ一食抜いて寝て、今日は二食だけど、とりあえず消化が良さそうな物にした。

お腹空いた




食べ物屋さんの職人魂ってすごい。

人が毎日食べられる物を作るのが食べ物やさんの基本の業務なんだろうとは思うけど、

毎日って、すごいよ。

しかも、気温や、食材の旬、湿気、まで計算する才能を持った人たちって。

パン屋さんはパンを作る。最善を尽くす。

おにぎり屋さんは米を炊いておにぎりを作る。最善を尽くす。

スイーツ屋さん、ハンバーガー屋さん、お弁当屋さん、パスタ店のシェフ、

そこへ食材を降ろす、野菜、果物、肉、魚の市場の人たち。

市場に食材を運ぶために、収穫をする、野菜農家、果物農家、畜産農家、漁業の人たち。

プロがプロの働きをしている。野良レモンたちお客が食べる。世の中が回っている。

プロがプロの働きをすること、プロにとって、きっと一番大事なこと。


物を流通させるために、車を運転する人たち。

その車を作っている工業の人たち。

労働者の人たちが働いている間に、子どもを育てる保育園、学校、学童の人たち。

生活ゴミを持って行ってくれる、ゴミ回収の人たち。

病気を診る病院の人たち。働いたら楽しく遊ぶために、娯楽を用意する、テーマパークの人たち。

働いて人生が終わり掛けたら、助けてくれる、高齢者サービスや老人ホームの人たち。

プロがプロの働きをしている。野良レモンたち庶民が使う。世の中が回っている。

プロがプロの働きをすること、プロにとって、きっと一番大事なこと。

大事なこと。

とても大事なこと。

大事なこと。




大事なことだけ忘れない。

大事なことだけ ”覚えて” いればいい。

“覚えて” いさえすれば、ドンくさくて気にくわない野良レモンをリンチもハラスメントもなんでもしたっていいじゃない


言葉のパズルとはそういう使い方も出来るんですよ。

軽度当事者が一般の普通の学校や仕事場の現場で揉めても揉めても、

うざったくなれば、『大事なことさえ忘れなければいいじゃないですか』の理屈で、話し合いでもなんでも、打ち切り、終了させてしまえることが出来る。

『大事なこと』さえ忘れないで覚えていることで、軽度当事者の名誉は自動的に回復させますか

好感度が自動回復してお茶や食事に誘われますか

連絡事項の内容が分からなくなったら、自動的にだれかに補足説明や解説を分かるまでしてもらえますか

暗黙の了解で片付けられても、私たちは爪の先ほども空気の変化を分かりませんよ

『大事なこと』さえ忘れないで覚えていることで、私たち相手に揉めた一般の普通の人たちは、自動的に私たちに、抽象的じゃなくて具体的な指示を出せるようになりますか

『大事なこと』さえ忘れないで覚えていることで、私たち相手に揉めた一般の普通の人たちは、自動的に私たちに、いくら感情的に責めても、私たちの理解の経路がなにも改善できないことを悟っていただけますか

理解の経路の持ち方から、私たちへの名誉棄損にならない言葉を選びながら、具体的に解説してくれて、構築していただかないと、私たちが認識のズレから一般の普通の人たち相手に起こすトラブルは減少しませんよ


指示理解、実行力の、初期設定から修正していただいて、一般の普通の都合や気分で設定変えない。

設定の変更を暗黙の了解で了解するように要求するなんて論外。

臨機応変な変更の必要があるなら、変更が必要な場面の事例をあげて、変更のやり方と変更の理由を、事例一つ一つに付けて、事前にルール化。

それなら「始めから何も言うなと言うようなものじゃないですか。」と極論を突っ込みたくなるかもしれません。

が、言われなくても、言われても、分からないまま生育してしまったのが当事者たちです。

だから社会生活に支障が出るから、世界の医学者たちが、『発達障害』を研究、支援方法を開発してきたじゃないですか。

言うななんて言いませんよ。

逆に、言って欲しいのです。言われて、社会適応したいんです。言ってください。

言ってください。

言われながら、解説されて、合格を出されて、肯定されながら社会参加することが、私たちのアイディンティティに、もう組み込まれました。

言われたくて、待って、待って、待っているのに、今の社会に、言ってくれる人が圧倒的に不足しているのです。


『 大 事 な こ と 』

商売ならお客の喜ぶ物を売ること、警察なら庶民が安心して生活するためのベストを尽くすこと、老人ホームなら利用者が余生を可能な限り健康に安全に暮らすこと、etcetc

書き出してみれば、とても平凡で、問題の無い、普通なこと『大事なこと』


これを言い掛かりにして、

寝ずに仕上げるように任せた仕事、みんなで反対意見を突き上げて無視してもまとめさせた仕事、

まるで、人の話を聞き入れないメンヘラに聞き入れてもらえるようなレスポンスを書けとプレッシャーを与えて脅迫して書かせたかのような、

無理難題を吹っ掛けておいて仕上がってから、仕上がりを全部無視して破り捨てるような仕打ちをしても、

私たちの混乱を、煽っても、煽っても、自己有用感を壊しても、壊しても、

『大事なことさえ忘れなければいいじゃないですか』で、

建前が全部成り立ってしまったことに出来る。


疲れた私たちを置いてけぼりに、いくらでも出来るんだ。

私たちは、陥れやすい。


社会人は押し付けられた仕事でも、最後までやめてはいけないからだ。

そしてやめないで続けると、私たちは過集中して周囲が見えなくなるからだ。

だから陥れやすい。騙しやすい。


『大事なこと』を、印籠のように差し出せば、ASD相手の議論を終了させられると思わないでもらいたい。

私たちは諦めない。

弱者は黙らない。

生産を上げられなくても、遅れを取り返せなくても、優秀になって見返せなくても、

私たちは諦めない。

諦めても次に行くところは無いからだ。

陥れられたシチュエーション、騙された背景を、調べて分析して言語化することは出来る。

いくら、一般の普通の人たちが、「ここに執着しないで辞めても実家へ帰ればなんとかなるかもしれないでしょ………」と、

面倒くさく無い、適当な妄想をして片付けようとしても、

私たちには次の逃げ場は無いんだ。

20年前から逃げ場を「ください」と言ってもくれないどころか、国が私たちを『いない存在』扱いまでしただろうが



まれにASDを静かにさせて、終了できる一般の普通の人はいるが、

私たちはタダで黙る動物じゃないよ。

日常から、非言語的なコミュニケーションも含めて、それだけの結果を出せる働き掛けをする、ありがたい、ありがたい努力をしてくれているんである。

それか、

お金の力をテコのように使う能力があるか。の、どちらかだろう。

そういう環境に住まわしてもらえないなら、私たちには黙らない人権がある。


私たちは、黙らない。

『大事なこと』は、大事にする。

職人魂の素晴らしい人たちのことは、尊敬しよう。

そして、並行して、

私たちがしゃべるために、通じることを言えるようになるために、

全国で、私たち全員で、言語化の修行、まだまだしなければならない。