雑談みっつ。

ネタバレ、たぶんしない予定だ。

ジョーカー まだ見ない。

そんなの知らん勝手にせい、と言われることかもしれないが、

テーマが、ムテキの人の出来上がり方、みたいなストーリーらしい。


ムテキの人、は、表現方法として、非常に目立つ、非倫理的な方法を取るだけである、結局は、社会的弱者。

野良レモンは、少なくともここのブログで、メインで取り扱いたいつもりではない。

ただし、今までの国内の事例を振り返ってみても、そういう犯人たちは非倫理的なことをやらかしているため、当然ニュースに大々的に取り上げられてしまい、狙い通り、社会的影響をこさえてしまうため、

国内でも私たち軽度当事者たちは、動揺をしてネットで話題にしてしまう。

ネットに書かれたものをロムする側も当然いるため、ネットから情報を得て、ネットから心身の影響を受けてしまうため、

各、ネットユーザーが、ネットから受けたい収穫、以上の、心身の損害を、わざわざ与え合う必要は無いから、

不要だから、そして損害から上手に逃げられない若年層や病人は、可哀想だから、

表現に気を遣い、自主的に調整するのである。

いたいけな少年少女、が読んでくれてるとは思いたくない……過去記事を思い返してR18にしてもいい気持ちになることもあるが、

そんなアダルト……な文のつもりも無いため、していないけれど、オバサン心配なのだ。




ムテキの人、つくづく迷惑だ。

野良レモンは不満がたまっている。

リアルの現実とは区別がつく程度に、そこそこに、ではあるが、

そもそもインターネットが、リアルの現実の息抜き、ガス抜き、あと勉強…に、使う目的で約20年前に購入したものであるため、

インターネットで憂さが晴れていない今は、私が回線に接続する目的が果たせているとは言えない。

私たち弱者は、コミュニケーションでマウントを取りたい人たちのスケープゴートになるために、生産を生まなくてもインターネット回線を繋いでいるのではない。

“マウントを取りたい人たち”のために、優しくただで弱ってあげるボランティア、ではない。


『えんじょう』の漢字表現も、イラスト文字も、京都アニメの事件以来、まだ使うのをためらって、遠慮してしまう。

表現は自由にしていいものなんだけど、傷つく人がいるかもしれない、と考えると可哀想だ。

いつまでためらうのか。

それも正解は無く、野良レモンの自由なんだろうけど。

そういう事件が起きるたびに、のどかなことを書くのは遠慮しなくては、という気持ちが働き、

後回しにした映画の感想記事もある。アベンジャーズエンドゲームだって……、自分の利益にならなくても守る誇りを描いたグリーンブックだって、ワードの中で、下書きで、出番を待っている。


ムテキの人たちは、基本に反している。

『社会への不満は、言論の自由で表現された言論や、選挙で法に乗っ取った投票をすることで主張すること。損害は裁判で審議に掛けて法的に解消すること。』といった、義務教育で教えられる基本に反している。

基本に乗っ取っても、耐えがたい不幸、満たされない欲求、かなわない人権があったのだろうから反したわけだけどもね。


しかし、邪道なのである。


私が、過去には掲示板などのネットコミュニティ、今はこのブログなりで扱いたいのは、

医療支援や福祉の隙間に落とされて、かつ、無視されている、

社会的立場を持ちながら、軽度当事者としてのケアを十分に受けられない当事者たちなのだ。

私の造語(最近あまり使ってなかったけど)中途診断二次障害野良当事者団 も、教育支援適用済み当事者団 も、HSP/HSSの人たちも、

前提に、

社会的立場がある。

主婦、親、労働者、失業者、療養している人……

社会に、はまって生きる、意志がある。うまくいかないだけ。


不幸の主張は、する人権はある、と野良レモンは考える。

だって、私たち国民、人間全員には、当然、人権があるから。

でも、手当たり次第に主張、攻撃をやっていい、とは違う。

助けを求めても伝わらない不幸は、まず言論、とか、デモ、とか、ユーチューブ、ニコ生、なりで伝達をするしかないと考える。

しようと思ってすぐ出来るものではないから、掲示板なり、当事者会なりで、伝達のトレーニングをするんだと考えてきた。

でも、トレーニングの場は、そう使われずに当事者たち自身の手でブッ壊されるようになった。

ムテキに走る前に、努力して試すことは山のようにあるはずなのに、力量を付ける場所が無い。

ムテキ行為に走るくらいなら、書け と、何度言いたくなったか。

でも、野良レモンの文には、ムテキ素質のある人に伝わる説得力や、響く伝達力が、無い。

無いものは書けないので書けなかった。



邪道な方法に注目して邪道な方法の分析や歴史の言語化 ばっかり、を、膨大な時間を使って伝わりやすく気を遣って書くのは、

もう、マニアの領域だと思う。

野良レモンは、そうじゃないんだよね。

食べログやタピオカやユーチューブやジャニーズやコンカツやスクープを、見物人として、無責任な立ち位置から好き勝手書く、という、マニアのお遊びは、自分に息抜き以上の収穫がなにも無い。自分の分析にも自分の理解にも至らない。学びが無い。

自分を粗末にする時間の使い方だと考える。

ムテキの人もそう。そこ頑張りたくないんだよ。



ブログ、インスタ、SNS、お金が入るものでなければ、結論は自己満足のツールでしかないんだよ。

ただし、ツールを使ってコミュニケーションしたい、というニーズは、ものすごく多くの人たちにあるんだよ。

そのニーズをほじくった時に、社会まるごとのニーズも見えてきそうになって、野良レモンの狭い視界が、見聞が、広がりそうな気配を感じることがある。

見えない世界、経験できない世界は、調べる。情報を集めて、察して、接し方を組み立てる。多くの障碍者が取り組んでいる努力項目に、スピードが遅いながらも、野良レモンも取り組む。その時に、今は私には言語化 が一番前へ進める方法であるのだ。

自己満足、という使い古された言い方では括れない。





ほんとにごくたまに、すし飯が食べたくなる。

寿司はすぐには手が届かない。

退勤後のコンビニにもそもそもあまり行かないし、身体がバキバキなら帰宅してしまうし、

コンビニに行っても売り切れていることもある。

近くのコンビニは、助六寿司も売り切れていることがある。

刺身の買い置きなんて、危ないこと、いくら私が常識外れでもするわけが無い。

でも、あまりに休みのお出掛けをしないでいると、外食がしたくて、すし飯のイメージがおでこの斜め上あたりをチラチラするんである。たぶん魚介のたんぱく質を身体が欲しがってしまうのだろうか


でも手近に無いものは仕方が無い。

と思ったら、冷蔵庫に小瓶があった。

実家からおすそ分けをもらった、梅干しだ。

なにかの冠婚葬祭に出したもののお返しに、カタログをもらって、それでとってもいい はちみつ梅干を取り寄せたんだそう。

量があったので野良レモンにもおすそ分け。

その梅干しはもう残り少なくなっている。取っておく癖が発動すると果てしなく冷蔵庫の中で残ってるので、

もったいながらずに食べていた。

その小瓶の中に、梅干しを漬けていた、甘酸っぱいタレが………


これたぶん美味しいやつだ………


炊き立ての米。しゃもじで約二杯。一合強はあるだろう。タッパーにぷっこむ。

タレはたぶん大匙二杯ぐらい。


ネットによるすし飯のレシピ。酢、砂糖、塩。

タレにも酸味も甘味もしょっぱさも入ってる。イケるわー


しゃもじに沿わせて入れるのは知らなかった。

切るようにしゃくしゃく、しゃくしゃく混ぜた。

わー、これお寿司っぽい味だー


実家にバレたら呆れられるやつですね。

他人には食べさせちゃいけないやつ。

ネットの言葉で言う、マズメシ、を作るオバサンです。


すし飯はタッパーに入って、冷ましてある。

たぶん海苔の上に広げて、きゅうりや卵焼きを乗せて、巻いたら、立派な海苔巻きになるのよね。

いや、立派じゃあない。





野良レモンだってぽっちゃりなので、ダイエットのマッサージグッズぐらい持っている。

しかし、あの猛暑のタイミングで、やらなくなってしまった。

「マッサージグッズをゴロゴロする時間が無い 」って、ここに書きたくて、思考の斜め上にはいつもチラチラしてたんだ。

でも、あの猛暑で、毎日のルーティン全部をこなせなくて、優先順位の低いルーティンから落とされていったらしい。

電源が切れるように、野良レモンの思考から消えて、触らなくなってしまった。


実際、やることが尽きないのだ。

残業が終わって帰宅してから、痛む場所にシップを貼ったり、薬を飲んだり、水筒を空にしたり、お仕事で服にシミが付いたら、洗剤に漬けおきしたり、流し台を空にしたり、資源ごみを分けたり、たまったら出す曜日の前夜に出したり、そんなことをチョビチョビする。

楽しいテンションの時に楽しくできることばかりして、家の中は保っていけない。

家の中に持ち込んだ物は自分でなんとかしないといつまでも、持ち込んだ位置のままそこにある宿命は分かっているけど、

なんとかする方法を必ず思い付くとは限らないし、思い付いてもできるとは限らない。

太った身体も太ったまま、それは分かっている。でも頭の電源が落ちたら、睡眠も取らないと生計に関わる。


このブログの文にありがちな、矛盾

偉くて、怖い、分かりやすいお姉さんの話を聞いていて、あることに気付いた。


偉くて、怖い、分かりやすいお姉さんとは、久しぶりに出したから解説すると、

ユーチューブで見つけたコンカツ会社の偉い役職の、やり手のお姉さんの講義である。
コンカツしに来た男女たちに、同じような指導を何人にも、何人にもするのが大変で、もう動画で言っちゃうことにしたんだそうな。
分かりやすく伝わってくる言い方がすごいので、野良レモンもそのへんを勉強しているつもり。


お姉さんが力強く語り、野良レモンに伝わってきたこと。

●平成から令和に進み、『結婚』という行動に夢を見られる時代ではますます無くなった、とのこと。

●片方が年収が多い『結婚』も、共働きして家計が成り立つ『結婚』も、どちらも戦って生きていくのが前提、とのこと。

たぶん、他にもいっぱい言ってるけど、重要な要点としてはここ二つが記憶に残った。


自立、自律、人との距離の取り方、男女お互いへの理解の仕方、自他の区別の付け方、子離れの仕方、育て方、尊重の仕方、貯め方、使い方、………

そんな常識や知識を、職場なりでもまれ、鍛え、男女とも一人前に身に着け、備えた成熟した大人同士が、

毎日、何年も何年も、相手を大切にするためにモニター能力を使って察しながら、話し合いながら、

家計を潰さないように、共同生活を破綻させないように、男女とも戦って作っていくもの、と野良レモンは理解した。

そこにふんわりゆるゆるした”夢”が入るから、進行がぐっちゃぐちゃになっていくものなのだ、と野良レモンは理解した。


いやー、自分がしなくても勉強になりますね。イヤだイヤだ。

軍隊の規律の圧迫感で過呼吸気味になりそうです。

コミュニケーションで”ハズレくじ”を引いても、引かせてしまっても、大らかに赦し合って、話し合って現実問題を解決して次へ進む 軍規 がある限り、承認欲求の迷子の私たち軽度当事者は、PTSDをまぬがれないじゃないですか

どんなに不可能なことか、具体的に、知れる。

二人でも戦う。一人でも戦う。男女ともそういう時代なんですって。イヤだイヤだ。

なら、戦って休み、戦って虚脱して休み、また戦ったらまとまった時間をやりくりして、いろいろを後回しにしたりキャンセルしたりして作って休む必要がある野良レモンは、一人で戦って休むしか生きて行けないです。

やりくりして作った時間に、だれかがなにかブッ込んじゃいけないんですもん。夫婦の協力って、結局時間が潰されっ放しじゃないですか。キャパオーバーしても。イヤだイヤだ。不可能だ。


ありがたいですね。野良レモンの仮説に、根拠が付けられて行って、肯定されていく思いがする。安心感が違います。




話を戻す。

私がしょっちゅう書いていること。

私は、自分を過大評価することにみっとも無さを感じる。

私は自己肯定感は、考えた結果、私にそぐわないからまだ持てないこととする。

でも、世の中の軽度当事者、特に若い軽度当事者は寂しさの埋め方として、自分を安売りすることはあってはならない、という”反対”意見も私は持っている。

生活上の不便と、自分の尊厳、という別物が、ごっちゃになるのは、社会が悪いのであり、SNSや出会い系機能のある場所で出会った見ず知らずの他人に当たったりすがったりするのは筋違い、それでキープする人を作ったり、キープされたりすることに慣れるのは、自分や人を粗末にする”ぬるま湯”に浸ることであり、危ないことである。それなら相手にされなくても生活上の不便はお医者に訴えることであり………

その昔、リタリンが必要だった成人軽度当事者は、社会から『いない存在』に扱われた屈辱を忘れてはいけなくて、QOLの向上を諦め、文句の口を閉じることは、れっきとした障害者を軽視した国家権力の勝手気ままを認めて、屈することであり………

私がしょっちゅう書いていること。

私が主張していることは、自己を持っている人間が言うと、説得力があることなんだよね。

自己肯定なんて、突き詰めると自分視点ではあるんだけど、

自分視点をちゃんと持ってこそ、ロムしてくれるお相手の自分視点に、訴えかけて、響いて、共感を得ることが出来る。

なのに主張と、主張の間に、矛盾があるから、たぶん、読者の人たちの中には、読みづらさを感じる人がいるかもしれない。


偉くて、怖い分かりやすいお姉さんの講義には、さすが、矛盾が無いんだよね。

さすがだなぁと、思い返していて、

私の文の特徴に気が付いた。

辻褄が、微妙に合っていない。

自己肯定感を持つことは遠慮してるのに、自分の意見は持ってる。ここに説得力が伸びない原因があるのだろうか


生活上の不便と、自分の尊厳、の二つがごっちゃになって整理されないまま、

たとえば「他人に優しく接すると優しさで返ってくるものなのです」とかって指導されて、「他人の厚意も優しさも信じましょう」って言われても、

その「優しい」言葉に具体性がなにも無かったら、私たちの生活は恐ろしいことになる。

たとえば、視覚に障害がある人に優しく「信号は、交通整理のために作られたものですよ。信じて従っていれば、車にはねられることはありませんからね」と何時間言い聞かせても、たとえ滝のような汗をかいて言い聞かせても、信号のある横断歩道のその場で、人なり、訓練された盲導犬なりが教えてあげないと、優しさは機能しない。そのような恐ろしいことになるのだ。

私たちが、ゴジラが日本列島に上陸することも許可する勢いで、従順に人に従い続けても、私たちの問題も、私たちを社会に住まわせる一般の普通の人たちの問題も、解決するわけないのである。

だからといって ジョーカー (ムテキの人?)になるのも答えじゃないんである。

答えを求めよう。無くても求めよう。それが人間としてのプライドではないのか。

そこをもっと分かりやすく説明して、伝え切れないと、辻褄は、合わないんだろう。

うわあ難しい。


辻褄合わせるのもいいんだけどさあ、これ以上なにか頑張るっていうところ、私には見つからないのよ

ASDだからさ、辻褄、合っていないところが見付かったら、辻褄合わせたいんだけどさ、

これ以上、なにを頑張って辻褄合わせるのかなって。

いったいなにを頑張るのかなって。


もっと細かく、面倒くさく書くと、自己肯定感を持っているポーズを取って社会へ出て行くと、

私たちが不便なのよね。

「一般の人達よりも仕事、勉強、コミュニケーション、できないくせに、なに自分を認めているんだよ」っていう意味で、他人様たちからは、反感を買う。

だから、解らないことを教えてもらえなくなる。主語を付けて話せない人とは共存できない。こちらが目と手を動かして作業している時に降ろされた連絡は私には機能しない。

でも分かっていないことは教えていただかないと次へ進めない。

でも教えてもらえなくなる。

でも自己肯定感だけでは進めない。フリーズする。

でも教えてもらえなくなる。

でも進まないと許されないのに。

でも教えてもらえなくなる。

言葉だけで分からないことの、見本を見せてもらえなくなる。

そしたら、不便だ。先へ進めない。生産できない。


「何回も教えたのになんで信号に従わない だから車にはねられたじゃないか 車のドライバーも可哀想じゃないですか そんなに意固地で反抗的で性格悪いまま生きたいならもう回りは一切助けません 自己責任を取って勝手に生きなさい 」

と言われたとしても、私たちが謝罪しても、実際に事故に何回も遭っても、人間関係や生産作業の交通量や風向きを察する認知力が無ければ、教えてもらわないと、危険は見えない。

つまりは私たちははねられて自己責任でしんでしまえ、と言われているのが現在の現状なのである。

一般の普通の人たちはそんなこととだれも向き合いたくない。だから黙る。逃げる。

そんな人々に救助を期待して待って、待って、待ってもたしかに無意味なんだろう。だからって私たちも逃げることが正解なのですか

逃げれば承認されて生かしてもらえますか


私たちは生活の全部を助けてとは言ってない。ピンポイントで助けて欲しい。そのポイントを、察してとは無理は言えないから、私たちから言いやすくして欲しい。

だから助けてもらうためなら、低い態度もする。謙虚にする。謙遜する。お気遣いする。

自己顕示欲とかメンヘラじゃなくて、生産するために、学ぶために、不便だからする。

だから、もしも仮免許のように仮の肯定感や、保留中の肯定感を隠し持っていたとしても、

外面としては、自己肯定感を持っていない体裁にしないと、私たちは不便で食べていけないのである。


しかし、人間の存在の仕方として、自分の意思も、主体性も持っていないと病むし、他人に頼ってばかりの生き方になるよ、と、私たちの多くが、病院などで指導されてきた。

二次障害をしょってしまうと、どうしても自力回復は不可能なので、どこかに教えを請わなくてはならない。

そこで、自己肯定感を持つように指導されて、でも持ったら、持ったで、社会の現場で嫌われるんである。

そんな現実が、軽度当事者、一般の普通の人たち、多くの人たちの間で、もみ消されてきていた。

面倒くさいからだ。


だから、〇 カ に す る な ぁ  と、言語化 に挑んでいるのが野良レモンだ。

まるごともみ消して、鎮火して、無かったことにするんではなく、整理したいのだ。

その、整理力が、野良レモンにはまだまだなのだ。

人に読み取ってもらえる、伝わる、印象に残ってもらえて、問題意識を持ってもらえる表現が、まだまだなのだ。


無かったことにされても、解決、しないもん。

社会の中で、たらい回しにされて、新しい環境に移っても、移っても、目を付けられて攻撃されてきた軽度当事者は数えきれないほどいる。

目を付けられる私たちには私たちの理由が、反省材料があるけれど、

目を付けて、目障りに感じて、怒りに点火する人たちの存在を、どこも炙り出してくれないもん。もみ消しぐらいで消えていなくなるわけが無いでしょう。


私たちの苦手、認知力の不足、視野狭窄、それらが『悪意』に認定されると、私たちは魔女狩りに合う。

だから、結果的に警戒し過ぎが、自意識過剰の言動になったとしても、私たちは、360度まわりの人物たちの思想を、察知し続け、見張るかのように観察し続けなければ、危険を防げない。

私たちは、やめない。


接する相手あって、私たちの不便はあらわになる。

だから、表現しづらい。

読んでくれる側の多くが、ネットを扱える軽度当事者だと察しているが、

軽度当事者自身も、当事者の苦労をする主役だったり、お世話をするわき役だったり、攻撃を受けた被害経験者だったり、支援や治療を受けて立ち直った人、適応した人寄りの人だったり、さまざまだから、

何人分もの視点から、感情移入が可能なのだ。

指摘、批判できるのだ。

一人で何人分もの視点を持つ当事者もいる。そんな訪問者の人数分、頭数分、当事者の視点が集まる。

何人分もの立場の人たちに対して、「ブログ主の野良レモンに共感されたいです あの視点に対してもこの視点に対してもいくつでも共感されたいです さあ共感してください 」と迫られても、

頭が追い付かない。

まだまだなのだ。


偉くて、怖い分かりやすいお姉さんのように矛盾なくビシッ とまとめられれば、読み手は安心して読めるだろう。


でもそれがうまくできないのだ。

野良レモンより学力の高い賢い軽度当事者はたくさんいると思われる。

分かりやすく表現して欲しい。