自分の気持ちの想像力

カレー屋で食べたターメリックライスが美味しかった

帰ってきて、社宅と仕事場の往復をしながら、ふと気づいた。うちの中に、ウコンのサプリメントが残っていたではないか。

そこに風景と同化してある物は、見えない物。あるのを忘れていた物。

さっそくスマホでレシピを読みながら、研いだ米の上から、おろし器で、ウコンを粉にして入れたわよ。米2合に5錠ね。

炊いた出来上がりに、私はとーっても満足している。冷蔵庫から1食分ずつ取り出して食べている。

いくら美味しいからって、ドラックストアで買った古い古いサプリメントを粉にしてご飯を炊くなんて、家庭を持っていたら家族にはできないんだろうな。実家の親には怒られ、サプリメントは捨てさせられるんだろうな。

こういうささやかな自由や、あんな自由、こんな自由と引き換えに、私は『人並みの幸せ』を持っていない。





当事者の人たちのブログを読ませてもらって

そういえばそもそも承認欲求ってどうやって満たすんだったっけな、と考え込まされた。


ハードなのもある。暴れてしまったり、〇〇未遂するのも。

でも高齢の親御さんから離れられないんだそうな。

やめられないのはどっちだよ。

親御さんに密着し続けることですか、○○未遂ですか。

好きなだけ親御さんに構ってもらっても、○○未遂はやめられなかったじゃないかい。

〇〇未遂は、親御さんの寿命も縮める勢いで負担を掛けるから、やめる気はあってもやめられないのなら、

客観的に自分を見て、やめられないのなら、

自分の身を親御さんから離す選択をまだ考えないのかーい。

あらゆる人を動員して時間と配慮と支援と言葉をいっぱい積み上げて、もはやここまで来たら分離不安は当事者自身の自己都合、でしょ。

〇〇未遂を抑止する方法も、手に入れていない。周囲がしてくれる、気分の誘導や切り替えには限界がある。これは10代から20代で気付く人が多い、はず。

親御さんがむかし、むかしに自分にした処置が間違ってしまったことをフラッシュバックしてしまう、のなら、

身体暴力におよぶ前に、言葉で蒸し返して話すべきだし、別居して電話で蒸し返す、もありだと思うし。○○未遂実行よりはね。

むかし、むかしの当時にした対処や、話し合いで納得したことや、病院や支援者から言われて理解できた話も寄せ集めて、このフラッシュバックは正しかったのかどうか、ASDの私ならそこまで話し合いながら追及するぞ。

メンヘラさんの中には、話し合いの中毒になって、日常生活が成り立たないくらい長時間、連続で話し合いしていないと情緒不安定が止まらなくなる人たちもいるけど、

日常生活が成り立たないことで『困る』って経験して、実感したら、その次は って段階なんだよね。別居なり、休息入院なり。でも○○未遂や自傷他傷の振り出しに戻る……って。

たしかに処置をされる時や、動員された人たちが集合して認知の治療になる言葉をいっぱい掛けてくれる時って、

救われた安心感とか、注目されて出る脳内物質は出ると思う。

でも、それに頼らないと生きて行けないって、おかしい。

では、類似した物質を、どこでどうやって調達しようかとか、

調達するためには、こんな勉強しないととか、こんな準備しないととか、いくらまでお金を貯めないととか、

そこへ進まないの って思わされてしまうし、病院も、専門知識のあるプロも、そこへ向かって支援、叱咤するんじゃないかと思う。きっと……しているんだよね

SNSで見たステキなグルメだから行かなきゃ、じゃなくて、欲しい脳内物質を調達できるかどうか、に立ち戻るんじゃないのかい と、おいおいと思わされる。課題を解かないの

気分転換、に抑止の努力が感じられない、伝わってこなければ、リアルの人たちも、ネットの人たちも、応援の気持ちは湧かないよ。自己中心だな、って感じるわそりゃ。

〇〇未遂や自傷、に、周囲は大きな反応をしないことが望ましいそうだ。反応も、叱責も、周囲は我慢する。

やったぁ 怒られなかった。良かったぁ またやろーっと。やっていいんだよね。好きなだけやっていいんだよ の認識になる人は、ネットの読み過ぎなのだろうか。許されている人がすごく多いから、注目を浴びて、周囲って振り回していいんだ という理解をしているのだろうか。

なぜ、ゆるく、優しく、許容されているのでしょうか。私だったらそれを推察するだけでもう、薄ら寒くなりそうですよ。

そこに目的は、あるんですけどね。やっぱりネットの読み過ぎで、歪みが入っているのなら、歪みを正す治療も必要なのではと、思うんだけどなあ。許容の理由を悟る前に、振り回しの心労で倒れた関係者たちの、山を作るんですか

課題は、解かないの

課題が分かったら、決まったら、解ける糸口が分かるまで追及して、喰い下がって、突進しないの

こんな感覚の私だから、妖怪 に取り憑かれた今の現状があるのかもしれないけれどさ。


中にはまったく別の刺激を入れて、完全に注意を他へ向けて、○○未遂も自他傷も強烈に忘れさせる方法もある。

救助してくれる側の、片手間じゃない時間と体力の拘束がある。刺激の準備もコストが掛かる。準備できる物に限界もある。夜に悪化しやすい当事者が相手の場合、夜にできる行動はもっと限られる。

それを、いかにも簡単に手軽に面白くしてもらったかのような、軽~い書き方はしていただきたくないものですね。

その手法は主に、認知療法がまだ全然通用しない段階の乳幼児に、保育士さんが取る方法だと思う。

乳幼児扱いってなによ 私なら、そう感づいた時から、ささやかなプライドが黙っていないだろう。

乳幼児は、のちのち成長する。発達する。

私たちは 適切な努力の方法を取った場合に、"発達障害も発達する" んだよ。適切なことを、だれが提示してくれるの そして、めでたく提示されたら、努力して取り組むのはだれがすること



自分の身体だって、思考だって、部品、部品が相互協調で動いている。

故障しているところがあったら、治さないとまた操縦不能になるじゃない 私はそれが暴れたいほど嫌


抑止は合った方法を個人個人が見つけるんじゃないかと思うんだけど。見つけていない。それはまだ、ブログ主の人たちが、〇〇未遂の引き金になる怒りの原因を分析して明らかにさせていないから、何年も対策が取れてないんじゃないの


親御さんの考えてることも、解らないなぁ。

私は親になったことが無い、という未経験もあるけれど、解らない。

親御さん自身がきっかけを作っていることを自覚していたり、もしもご自身がロクデナシだった場合、もっと難しい。

自身を棚に上げて、やめて欲しいものなのかなぁ。……そうなんだろうけど。

だったら、棚に上げたいんだったら、上げて、子は健全に生かしてあげるために、次にどうするの ってことだと思うんだけどな。

デモデモダッテダッテそうもいかないんだもの、で終わっていいのかな


特性が基本、治らない軽度当事者は、基本は目の前に提示された勉強や仕事をやればいいんだと私は思ってきた。

多くの人がたぶんそういう認識でいるだろう。

しかし、二次障害で歪んだ軽度当事者の一部の中には、

提示そのものが引き金になって、自己嫌悪を再燃させる癖が付く人もいる。

自己嫌悪は、抑うつも、文字通りの自己嫌悪も、怒り も、引き出すことがある。

「ぼくより優秀な成績を出している人がいるじゃない。褒められてる。辞めさせられてしまえ。」
「もっとお金が稼げる役職を早くさせなさいよ。いつさせてくれるの どうして今させてくれないの 理由はなんですか どうしてわたしがそのお金を稼いじゃいけないんですか不公平じゃないですか 」

他人が目に入る。コロッと影響される。

昇給や評価の段階別の階段が目に入る。

今、自分に提示されたもの以外が目に入る。コロッと影響される。

自分の知らない世界。

自分がすぐにもらえない承認がある世界。コロッと影響される。

他人が生きてる世界。

他人が得られている世界。コロッと影響される。

気に障る。目障り。怒りに点火


そして、自分の知らない世界の現実を知らされる。理解できない水準の学問。

理解できない仕事。基礎も、終着点も、難しくて見えてこない仕事。

説明を次々飲み込んで、納得していく周囲の人たち。

そして説明が終わったことになりそうな場にできあがる”空気様”。

まだわたし理解していない、ぼく解っていない。恐怖の”置いて行かれた感”。

説明の次に始まることが分からない。

なにすればいいのか分からない。

もう一回なんて聞けない。自分はそんな無能とは違う。

“空気様”に逆らうような、要領の悪い、仲間にも〇カにされそうな、ネットでも笑われそうな、

わたし、ぼく、そんな劣等生ではない。

でも分からない。

周囲がなにを始めているのか、自分はなにがどこまで進めばいいのか、分からない。

いつ威張れるんだ

いつ上からこいつらを見おろせるんだ

いつこいつらはオレ様を尊敬しなければならないことを知らされるんだよ

こんなはずじゃない


………といったところだろうか 言語化すると。


勉強や仕事を提示されても「うるせー 」
昇給する業務を提示されても「うるせー 」
業務が分からないことに向き合う支援「うるせー 」
お金を貯める目標が高すぎることを理解する支援「うるせー 」
違う仲間への支援「だまれ 」


提示をされなければ分からないけれど、提示をしてくる者は次から次、全員が”対戦相手”になってしまうのだろうか。

他人と自分の区別が分からないとは、そういう認知になってしまう危険をはらんでしまうのだろうか

自分の頭の中の思想の世界を分かってくれなきゃ嫌、実現してくれなきゃ嫌

注目の喚起を爆発させる期間と、周囲の拒否を理由に被害者意識で引き籠る期間、が、交互に来ながら、

ものすごく長い年月が経ってしまう。若者と呼ばれる時期は終わり、やり残したことを全部やり残しながら、健康診断では異常値が増えて行き、加齢特有の病気を発症して、枯れて、色褪せて、しなびていく。


そんな、承認欲求不満の軽度当事者たちは、社会で扱いづらいから、

根本原因を無視した悪循環コミニュケーションの過食嘔吐、を好きなだけして、

時間を潰して、勝手に歳を取っていけば ということなのだろうか


ものすごく非合理的な、精神力の無駄遣い、忍耐力の無駄遣いをやっているということを、

認知療法のように、話し合って、根本原因を悟らせてくれる、

そんな乗り越え方が必要なんじゃないかと、何年も前の過去には私もコメ欄で話しかけたこともあった。

もし、野良レモンがそんなチャンスに恵まれたら、喜んで喰いつくのになー。



都会のネット中毒の人達で、

「年収1000万円企業就労、待ってても女の子が吸い寄せられてくる、彼女ができる。」

まるでお経のような、決まりきった記号で、理想の幸せを定義している人達がいる。

企業に吸い寄せられてくる女の子なんて、企業、という記号にしか興味が無い。

女の子は奢ってもらったり、お金をもらえたら、「嬉しい 」と喜びながら、

「終電だからさようならー 」と立ち去っていく。女の子の友達とのラインには「今日の"パパ"つまんなかった」とでも書かれるんだろうか 

女の子から認められる人間的魅力が無ければ、女の子からは、人格を軽視された扱いを受ける危険がある。

自分、という人間の承認が、いつまで待ってももらえないとか、自分の価値観や希望するコミュニケーションを、いつまで待っても伝えられないし、聞かれないし、ついには癒されない最期を迎えてしまうかもしれない、という危険を察知する想像力が、なぜ働かないんだろう。

つまり、自分がなんの恩恵を受けられれば満たされるのか、そこから分かっていないんだろうか

自分の気持ちを、想像できないんだろうか

自分はどんな順番でなにが欲しいのか、想像して察知できないんだろうか

たしかに、人から教えてもらうものでは、ないんだろうなあ。


  

喧嘩を済ませると、感想を「スッキリした 」と表現する種の人たちがいる。

「スッキリ」する人が、一般の普通の人なら、その人はただの恐いもの知らずだよ。真似できないよ。

「スッキリ」する人が軽度当事者だと、違ってくるような気がしている。

過去記事でいう「解決していないことを、解決したことに強引に結論付けようとして」の、認識の修正の命令であったなら、

その喧嘩は、非常に自己都合中心な主張をしてしまう危険がある。そりゃ、スッキリするさ。後ろ向きな考え事を打ち切って、ケリ付けて、次の欲求に向かって進み、健康になれるんだ。いいなあ、健康


だから、もしも私が、抑圧していたことをぶちまけて発散した言動を取ったとしても、

「スッキリした 」という表現は使わない。

怖くて怖くて怖くて 使えない。

通常、私たちは、弱点を突かれて、侮辱を受けたり、損をさせられても、言い分を抑圧して溜め込むことが多い。

ただし、弱点を持っていること自体が、集団で生産する際に、犯罪に認定されてしまうことがあるので、

『弱点を持って社会参加 = 犯罪』 を償うために、解雇されることにならないように、

前もって常日頃から低姿勢で社会へ出る。

それでも生産にとってとても損なことや、整合性が無いことがまかり通りそうになったら、

それが私の弱点も、生産性低下に加担していたとしても、これ以上生産を失わないために、

話し合いを試みることはある。

ぶちまけて発散。見掛けとしてはそう見える言動を、きっと私はしてしまうんだろう。恥ずかしいことだ。

やることは、生産に向けて、阻害していたものを修正することだ。しかも私も所属しながらだ。

危険な橋を渡ることではある。それでも言いたいことを全部は言わず、飲み込みながらだ。

私たちの苦手とする種の対話だ。

自分の気が済むことに焦点を置かず、生産をより確実に確保できるための方法を優先して発言し、返されたことには極力共感を交えながら、返答する。

並行して、私が解雇されないことも前提にして対話する。

しかし、解雇されるのかされないのか、白黒つけるよう迫る言い方は使わない。

こーんなにストレス溜まる話し合い方は、ない。平常時の日常会話ではとてもしたくない。できない。

こーんな対話の仕方は、たまに集中してするだけでもう手いっぱいだ

だから、爽快感とか、スッキリ感は、基本、私は無い。


もしも、こんな平々凡々なサラリーマンで、太めでぬるいキャラの私に向けて、

明らかに悪意を持って意図的に陥れようとする人間がいたならば、

方法は分からないけれど、

やったことを、白日の下にさらしてやるとか、やり込めてやるならば、

スッキリもするかもしれないけどねえ。私が生息しているのは、そんな喧嘩が成立する場所でもないのよ~。

なんというか、

なにが成立しているのか、なんの成立が足りないのかも、判明したのかどうかも、時々分からなくなって、

私の認識が迷子になるの……。

足りないものも足りないこともいっぱいあるんだけどね、足りないものは、だれが、いつ、どう補うんですか……。

だから、ライン、しない。

情報の力が強力すぎて、迷子が迷子のままでも、なんだかみんなでとても充足したことになったかのような”空気様”ができあがりそうだから。それに私が耐えられないかもしれないから。

こういうところが、私のHSP/HSSチックなところなのかもしれないねぇ。

迷子は、辛いね。


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