家の中に再現される、教室

なんで児童虐待が無くならないのか。


ネットでよく言われていることとして、むかしは地域社会の親切として結婚のお世話があった。

だから今の団塊世代などに、適性が無いのに結婚して、不幸になって熟年離婚などして、

若い世代が夢を無くす原因を作った、という説がある。

なら、なら、そういう不幸が減っているのか、と言うと、

婚姻数は減ってるはずなのに、児童虐待件数が、とんでもなく増えてしまっているのだ。

数少ない、既婚家庭や事実婚家庭の中で、虐待の割合が上がってしまってる。

いくら体罰を禁止しても、

全国各地域にいる、マイルドヤンキーのような人たち、その中でもネット用語で言う、ドキュンと言われる謎の人たち、メンヘラ(この端くれに私たちも入っているんだと思う。)、

コミュニケーションに、知性や、分析、共感とか、そんな難しいことを使えない、必要としない文化の人たち、

今はそんな層が、危険をはらむようだ。


ネットの打ち明け話は所詮ネットなので、話半分に読むことにしているが、悲惨さを割り引いたとしても余りある機能不全家庭の悲劇が、ある場所にはある。

そんな話に出てくる、虐待加害者である親は、

一日の中でローテーションのように機嫌、果ては人格まで変わると言うしか説明のしようが無い様子になる場合がある。

二面性とか、演技性とか、ネットではよく叩かれている。
しかし場所がネットなだけに、弱者を虐待している当人は痛くもかゆくも無く、非難は当然届くわけがない。

当人の立ち回りがうまければ、発見した善良でまともな教師の立場が危うくなったり、

児童相談所職員を長期にわたって騙したり、近づけなくしたりできる場合もある。

動作性指数が高いのかもしれない。

もし、児童福祉に関わる職員の中に、正論の理屈を順々に積み上げて物を考えたい、野良レモンのようなタイプがいたら、ものすごくきついお相手になるのかもしれない。っていうか、対応は不可能だ。


ここからは想像だ……

学校生活で、強い者が威張れる人間関係ヒエラルキーに、過剰適応し過ぎて、

大人に一度も、きちんと徹底的に、正してもらった経験の無い人、が、そんなんなるのではないかと想像する。

過剰適応し過ぎるのは、男でも、女でも、強い勝者だけでなく、回りの傍観者も、いじめられっ子の敗者も含まれる。

モンゴルの世論の方式のように「やーめーてー 喧嘩はもーう終―わーりー 」で、物理的に抑え込む方法はあるだろう。

しかし、そこできちんととっ捕まえられて、教育者や保護者や警察や、時には病院や教護院から個別指導を喰らわされて、

“人間関係”なるものの認知の歪みを、指導されて矯正される機会が無ければ……

男子も、女子も、いつもつるむお友達たちに流されて、購買の甘い物を飲んで、糖分を食べて、糖の麻薬作用で思考を麻痺させていけば、それでいくらでも卒業まで時間を潰すことは出来るんだと考える。

この間に食生活も偏ると、精神の麻痺は進み、メンヘラな病状が悪化する可能性は大いにある。

学生時代に、弱虫はいくら見下しても黙認された経験。

女子同士、男子同士でつるんで、自分たちを正当化して、大人を黙らせ、のし上がっていく経験。

間違いは正されないんだ、正してくる人は反抗してシカトすればいいんだ、という経験。

そんな経験とメンヘラ悪化が積み重なり、特に女子は、やがて妊娠し、出産。女の子を持つとする。

最近の、大きく話題になった虐待事件は、女児だったよね。いや、男児も見逃せない被害に遭うけど……。


ここで、野良レモンも、それおかしいんじゃない? と思う説が出てくる。

母親が、娘を同性として見る現象が起こる。

学校での、ヒエラルキーの弱肉強食の椅子取り合戦の血がよみがえるかもしれないじゃないか。おかしいでしょ。産まれたばかりの子はまず新生児って、言うでしょ。

かくして、子供の父親も性格や気質や知性、社会性の不足、成育環境の特徴、などで共通項を持っていたりすると、

母親になった元女子は、彼氏の言うことを聞き、依存しながら、いじめられっ子女子をいじめていたあの時代に、

頭がタイムスリップして帰ってしまうのではないか。

愛の巣であるはず、大人二人が管理するはず、の家の中中学や高校の教室の中に化けるのである。

こうなると自分を守るすべの無い乳幼児は、もうだれからも守られず、正当な“養育”がされなくなる、のではないか。

虐待加害者である母親の中に一日の中でローテーションのように機嫌、果ては人格まで変わる現象があるタイプがいるのは、

第三者に構ってもらう時にだけ、母に戻るのではと想像している。

9か月間体内で育てていて、ホルモンとか、全身の機能総動員で育てながら、産婦人科の指導など(出席していればね。)で〆られて身に付いた、反射的反応がよみがえるのではと考えると、辻褄が合う気がしてくる。

まるで野生動物だ。

娘や、性格が合わない息子に対する時だけケダモノになって、

第三者に接すると、か弱い一般庶民の母に戻れる。

いや、野生動物も、命懸けで我が子を育てられる動物は山のようにいるので、たとえたら野生動物にも失礼かもしれないね。


脳神経系の病気の用語で、引き金が働いてしまうことでいつまでもけいれん発作などが続いてしまう、重積という言葉があるそうだ。脳の細胞は電気刺激で機能しているが、この流れがスムーズにうまく行かないと、衝突事故を起こし、まるで車で渋滞や多重衝突になるような状態をシナプスに引き起こすという。

ショートした脳細胞が『衝突事故発生!救助求む!』『渋滞発生!仕事が出来ない!でも急に止まれない!』と一斉にパニックを叫ぶことで、意識消失、けいれんを起こす体質の人たちがいるそうだ。大変だ。

頭の中で理性で解消できない事故とパニックが起こるという点では、怒り狂う人たちもまるで”重積”状態だと思った。


仮説ですよ。ただの。




人は、”マウントが取れる”方法を学んでしまうと、バイトテロのように、どこまでも理性が飛んで頭がおかしくなってしまうので、

どこか、だれかだけの権限だけを強くするのは危険が伴うかもしれない。


第三者的視点で見ると、疑問や理不尽を感じるだろう。

なぜ普通に回っている社会へ出て、普通の人たちの中で生きて、そこまで狂わなきゃならないんだ

かたや児童虐待、かたやバイトテロ、

面倒くさくて我が侭な人たちがいるもんだよね

そうだよ。なぜかいる。




もし診断されていないHPS/HSS気質を持っていれば、脳に余分なアクセルとブレーキが付いている。
悪いことではなく、ただの特徴なんだろうけれど、使いこなせないアクセルとブレーキを踏むことそのものが、脳の余計な刺激になる。

だから、ただの特徴であっても、自分でなり、病院なりが調べて、自覚することは大切になる。

脳の刺激も、負担も、重積も、自己管理しきれなければ周囲にとって迷惑にしかならない。
自分の日常の一部だからみんなも受け入れろ と、回りの人たちに向かって脅して自己正当化が許されるものではないと思うのだ。



話がだんだん逸れていくので、戻す。

ようは、弱者が『逃げなきゃ 』と確信するほど、命の危険を感じた時に、確実に姿、形を消せる方法が進化するしかないんじゃないかということを野良レモンは考えている。


なんかすごいデータとかを元に、調べたわけでは無いよ。

考えている、だけの段階だよ。


『逃げなきゃ 』と確信する。

逃げ先を見つける。

逃げた先での自分の身の振り方をシュミレーションする、

警察など協力者を探してお願いする内容、自分が置かれている状況の言語化を、あわあわしないようにあらかじめ頭の中で作文する。

逃げ先の地理や移動方法を調べ、法律を調べ、捻出可能な資金を算段する……。


これらの思索や行動は、自分で自分を守る、という確固たる意志が基礎に無いと、始められないものだと考える。

だから、成育してくる中で、確固たる意志を持てるような自尊意識や能力を、基本として身に着けてくる必要がある。

それを、学校教育で身に付けられればいいんだけど………

だけど………



私は、二次障害を負った当事者たちという893集団に、約二十年前から数年間と、約五年前に時間無制限のシゴキを受けてきてしまったようなものなので、自分を守ることや、自分を弁護することに不潔さや、卑しさ、堕落とか穢れや屈辱を感じるような反射的反応が身に付いてしまった。

しかし

正しくないからね

こうであってはならないからね

だれも治してくれないけれど、
駄目なんだからね

そこは反面教師にしなさいよ



反射的反応、別名 強迫観念は、軽度ASD当事者集団にとっては、オモチャだ。

観念、というものも時に病的に膨らむことがあり、
運転中に車道の中央分離帯に吸い寄せられる妄想が湧いてきたり、列車のホームに立つとレールに向かって吸い寄せられる感覚がある、とネットに書きこむ当事者は多い。

しかし、そんな妄想や感覚が湧くからと言って、

もし 「どうして欲求を実行に移さないんですか インターネットに書いたからには、実行したい欲求があると理解しました。書くからにはしなければ人として整合性が取れず、コミュニティで今後信用されていくか、相手にされなくなるかが掛かってくるのでしょうが、実行もしないで思いが叶わないと嘆く人間は、コミュニティで有意義な会話をしている他の利用者をどうしたいのでしょうか 教えてください。」……と煽られたら、
実行に移さないとならないですか

そうなんですか

実行するんですか

違いますよね

違いますよね


集まる人間たちの中にももしHSP/HSSを含有する者が多くを占めてしまうと、いいこと無い。

承認欲求の満たし方として、接する相手にもブレーキとアクセルを踏ませずにはいられない衝動が湧くかもしれない。

「レモンむしぱんがルールを守りたければ勝手にすればいいじゃないですか 感情を書きたければ書けばいいじゃないですか ルールを破ることは破る人の自己責任で周囲の人たちから無視されるかもしれません。自分の感情を肯定して伝えてこない人間は認められません 関わることを自分で決めた相手には殴られても関り続けてください。無限に関りを求められても自己責任をとるものです 殴られる責任を取りなさいと言われていると感じるかもしれませんが、そういうつもりでもありませんが、レモンむしぱんがしたくてした理解ならそれでいいです。勝手にしてください。謝罪をしたら普通は許すものですよルールは守るためにありますよね今は書けないルールですよ感情を書きなさい普通の感覚ならつながり合っている相手に分かって欲しいことがあれば読んでもらえなくても書くのが人というものですが自分は人ではないと表明するのですかレスしろメールしろ一度疎外された者は挑発されたら乗りなさい野良レモンには理性を持つ人権も自己判断する頭脳も使わせません身の程を知りなさいオモチャの分際でー 」

ネットに集まる二次障害を負った軽度当事者893集団は、上下関係は大好き。

対等な関係の相手を肯定するのは大っ嫌い 。

他者の意見なんて、自分のアドレナリンを出してラりるための注射器扱いに格下げされますね。

しかし

正しくないからね

こうであってはならないからね

だれも治してくれないけれど、
駄目なんだからね

そこは反面教師にしなさいよ




話を戻す。

弱者が『逃げなきゃ 』と確信するほど、命の危険を感じた時に、確実に姿、形を消せる方法が進化するしかないんじゃないか。

考えるだけで、具体的方法を示せないまま思考停止する人々は、SNSに山のようにいるだろう。

なんで具体的方法を、私もだれも示せないのか。

組み合わせる材料が無いから。


弱者を助けたいNPO法人などがこれから増えてきそうだ。

お役所としての児童相談所はもちろん、草の根の善意ある団体も、

個人情報を守る作戦とか、追い掛けてくる家族からいちゃもん付けられた場合の対処法とか、泣き落してくる場合の対処法とか、ノウハウを吸収して、底上げして欲しい。

そして保護した弱者が、身を隠しながら自立したり、学業を続ける方法も、確立されて欲しい。

自立の中には、自立の手段として、必要に応じて通院や、発達障害支援センターに付き添って行くことも入ってる。

特性を知ることで、せっかくの保護された安全な環境をぶち壊しにする可能性は、格段に減ると考えるのだ。


なんでぶち壊すのかって、自分を大切にすることを知らない者は、口の上手い者にうわべで大切にされたっぽい思いをすると、理性が簡単に飛んでしまうからだ。

ブラス、たとえば短期記憶に難があるとか、軽いLDとか、動作指数が低くて、やっていいことといけないことが分からないけどしゃべって構ってくれる人になんでも信じて付いて行ってしまう(ゾっ とする。地方住みで良かった。)などが分かれば、
気を付けることがもの凄く具体的に分かってくるからだ。

しゃべってくれるだけで素性の分からない人に付いて行って、それが詐欺師で、せっかく逃げてきた加害者の個人情報までペラペラしゃべらされて、詐欺をそこへ仕掛けに行こうとしてこっちの居場所がばれて、なんてなったら目を覆いたくなる。

世の中、物を斜めから見るタイプなどには、外見や収入だけでなく、知性のある人に惹かれてキャーキャー追い掛け回す好みの者もいる。(いや野良レモンも若い時はこういう痛いタイプになり掛けてるから、穴に籠りたい。)

知性だけ、なんて絶対面倒くさいから

社会性とお金も最低限無いと話にならないでしょう。

ちなみに、野良レモンも、知性も社会性もお金も、たしなむ程度にも持っていないよー。微々たるもので恥ずかしゅうございます。

そして

逆に言語指数が低いと、そういう人の病み方は、誘惑も自己紹介を受けることも無しにナンパされたら付いていっちゃう、出会い系で申し込みがあったらたぶん会っちゃう。


どっちの指数とかたぶん関係ない。愛着障害があると、
動作が低ければしゃべってくれる人に、
言語が低ければ引っ張っていってくれる人に、
同性異性関係なく、依存するんだと考える。

そして、望むお世話を叶えてもらえない時に、憎しみは爆発する。犯罪や虐待の連鎖を生み出す危険をはらむと考える。

これらの危険もひっくるめて避けて、失敗を繰り返さないために学んで、知性は自分のために付けて。

知性を付けるために、働いて資金を稼いだら学校へ行けるよう、NPO法人など保護機関の場所から助言と支援を得ること、

これが自立に向かっていくことだと、私は考える。




話を戻す。


私たちの哀しい特性は、時に個性、個性、個性と定義づけられて、悩んでいるのに、議論を終わりにされそうになる。

しかし、危険から身を守ることが下手なのに、危険が追いかけてくる場合、

逃げるために、戦略を作るために、助けを上手に得るために、

診断を受けて特性を知っておくことは、欠かせないことではないかと考える。

エイズ検査のように、匿名で身分を隠して、発達障害検査が、受けられたらいいのにね。