『怖がるな俺を撃て!俺はただの男だ!』 byチェ・ゲバラ

「革命」ってなんなのか、

現行の社会の形態から何かを変えるよう、実力行使をすることってどんな現実的困難が待ち受けるものなのか、

を調べたくて、難しいことを勉強しようとしたんだよ。数年前から。時々。

したんだけどね。

世界的に有名な革命家、で出てきたのが、チェ・ゲバラなんですけど。

医師資格も持って、いい家庭の出で、だから品格も知っていて、すごいのよ。

でもね、難しくてね。ユーチューブで解説を聞いているうちに、手が空いているわけだから、資源ゴミとか、まとめ始めていて………

野良レモンの教養レベルはこんなものなのか、と。

難しい話を受け付けられないレベル。



アフリカそうなのか。

協調と結束が出来ない特性、アフリカ。さすが野生と隣り合わせだ。

チェ・ゲバラは、合計三か所の国で革命の指揮を取った。そのうちの一つがアフリカ。

紳士で、人の幸せに奉仕しようという姿勢を持とうと、革命軍兵士たちに働きかけても、聞いちゃぁいなかったんだそうな。アフリカの方の人たちの国民性として、理解できなかったのかもしれない。

まるっきり文化が違う人たちに、そうと知らずに理想を語ってしまった時の、あのショック。あの疎外感。

いたたまれなかっただろうな。


アフリカの革命の指揮を降りて、最後に入った革命軍のある国、

そこでの最後の言葉が「俺は英雄ではないただの男だ!」という言葉だそうだ。

最後まで、若い者に革命をする者としての模範を見せていた。教えよう、教えよう、どんな場面も逃さず、たとえ自分を撃ってこようとする反対勢力の兵士がひるんでいても、未来を見据えて教えようという行動をやめなかった。

キューバで政治家に落ち着くことなく、革命をライフワークにしてしまってでもしたかったこと。

ただの、人間が、一般庶民が、幸せに暮らせる国、医療も教育も受けながら安心して暮らせる国、

そんな国を作ることが基本で、最後まで忘れないで目指していた。

子育ては個人の稼ぎでなく、国が面倒を見るものだという前提を信じていたためなのか、

子供はたくさんの数を作ったらしい。(個人的には数打っても世話をする配偶者の疲労はどうなのかと聞きたいけど。)

ショックを受けたり、方向性の共有や、チームワークで上手くいかないことがあっても、一人でも基本から絶対動かなかった姿勢は、英雄にふさわしい。


   

発達障害の35歳限界説という言葉は知っている。

35過ぎたら、

毎年、社会をつまみ食いのように齧って生きて、それでも疲れて、生産を上げなくても燃え尽きて、

私たちは一年一年が経っていく。

そもそも一般の普通の社会から、自分を正当化する資格が無いと認定された時点で、

自分を肯定する人権なんて無くなってしまうしかなくて。

たとえばお酒の場でも、そういう落伍者は“自分語り”をする資格は無くて、したら引かれるから、空気を読んで謙虚に聞き役とお礼と謝罪をしていなくてはならなくて。 (野良レモンはご馳走が食べられれば基本、出ますけどね。観察と勉強の場だと認識すれば収穫も多いし。)

でも自己肯定っていうプロセスを踏まないと、社会と自己を分けて考えたりする力が付かない。

客観視とか、俯瞰とか、自他の区別とか、自分のペルソナ?っていうの?自分の複数の側面とか、分析が必要なことを取り扱う力は全然付かなくなる。

付かなくなると、他人様から言われたことがさっぱり分からなくなる。理解不能になる。それは困ると責められる。

自分を肯定しないままに、自分と自分の周囲を分析する分析力を付けるにはどうしたらいいか、という難題に手を出したがために、

私はゲンゴカー妖怪を生活に呼び寄せることになったのだ。

それでも他人様から言われたことは、全部は分かってないよ。全部正確になんて、分かってるって評価されたこと無い。

だから「分かってなくてすみません。」とよく言うよ。



当たり前のことをしても鼻もち高く、待ちながら、賞賛を受け付けられる人に「適応行動をありがとうございます。とても正しい適応ですよね。自己正当化を遠慮して控えめに謙虚に徹しています。優秀です。今までに前例が無い素晴らしい模範例です。すみませんがこれからも社会適応をお願いします。すみません。すみません。ありがとうございます。」 ……

最近の記事にも書いた、野良レモンが最高に喜べるむらむらする賞賛だ。キモい。

………言われて、ぺこぺこ頭を下げられることで、

いろんなことがゴールに達したことになるんだと思う。軽度当事者である等身大も尊重され、等身大でやってきたことが評価され、合格だと言わて、また言ってもらえる、言われていれば衣食住足りて生きていける、と信頼に足る相手であればなおさら、

もうなにも言い返すことは無くなるはずだ。


一部のASDスペクトラムが褒められたい、と望む内容はだいたいそういうことだと思う。私もだけど。

セクシーとか、美人とか、デートしたいとか、

もうそういう地球人の次元で望んでないんだよね。私たち。

セクハラが断固、絶対嫌なのは人間だからその通り。

でも、個人の好感度の評価が、『話し掛けられる』とか『遊びやお茶や食事に誘われる』とか『行動や身に着けているものを褒められる』という現象でしか出されていない限り、

私たちはそこに向かってビリビリ緊張し、自意識を張り巡らし、自分に怒り

時には所有する条件が近い者へ嫉妬を持ち、抱え込み、ネットで当たり散らし、

二次障害で薬を飲んで追い詰められる運命にしか進めない。

優しさには優しさが返ってくる世界で生きたがっている。

メルヘンで可愛い自分のまま、可愛い自分を回りからも承認されたいなっ、ていう。

感情も、感覚も、いったん自分の中に溜めておいて審査してから出す、なんて無邪気で天真爛漫なボクアタシが汚れてしまうから、しないもーん、ていう。

ご飯なんて食べなくても、お薬とジュースしか飲めなくても、理想の世界から出たくないな、っていう。

それはそれで境地に行ってしまって、炭水化物と手を切れた人たちがいたら、

野良レモンの行けないところに居る人たちということで感嘆、しますけどね~。

 し か し

社会にしかお金 が無くて、取りに行かないと、手に入らなくて、手に入らなければ、生きられないのなら………



社会に喰いつきに行く子が育つのか、

二次障害を避けて、心の素直な綺麗なままメルヘンに住む子が育つのか、

これからの時代はどっちがたくさん育ってくるのか、分からない。

どちらにしろ、”ガス抜き” (別名 “う〇こ”処理)をしないと、軽度当事者若者たちはストレスに耐えられないし、

親御さんがその役はいつまでも出来ない。

国が整備しないとなにも解決しない、と繰り返して書きたい。


だから、私、個人的にはかなり早くから、親御さんは解る人たちに相談したら良いのではと考えている。

どっちにしても、(相談先に定期的に預ける、など)環境を作るのは親御さんだけどね。