『好き放題にしたいから』その二

その一から続き。





乳幼児は、憎しみの感情も習得しながら、一方で天使のように愛くるしい成長をしていく。

していくんだけど、次は第一次反抗期で、世話をしてくれる人に反抗が始まる。

反抗をしながら、憎しみの伝え方、憎しみながらも従うこと、我慢、自分のふがいなさ、なども経験して覚えていく。

しかし、この頃は好奇心もものすごく湧いて出てくるので、裸足で外へ冒険しに行きたくなる。鍵の開け方も覚えたくなる。

でも、寂しくなるので、適当に飛び出した出先で、世話をしてくれる人に、保護してほしくなる。安心させて欲しくなる。

自分で飛び出しておいて、自分が寂しくなったらすぐ側に居て守って欲しいんである。

うーん、デモデモシカシ、逆、逆、逆、ばっかし、矛盾ばっかしの生態になっていくねえー


すぐ側に居て守ってくれない、すぐ側にいて世話をしてくれない、してほしいことをしてくれない。

ここで、古今東西の保護者たちがやってきたように、ほどよく、失敗と学習と安心を積ませ続けることで、大抵は“自分が悪かったこと”“自分が我慢すればいいこと”“でも頑張り過ぎたから甘えたいこと”“世話をしてくれる人が大好きなこと”を、自覚して行く、はず。

自他の区別、を学習していく、はず。



ここで、世話をしてくれるはずの人に、過剰に束縛されたり、意思疎通を拒否されたり、世話をしてくれる人がひんぱんに変わったり、居なくなったりすると、つまづきが発生するらしい。

笑顔で甘えを受け入れてくれる人に変わって欲しいと言う欲求と、待たされたから憎い、殴ってやりたい、という欲求が共存することになる。

下の妹弟やペット、人形に向かって、無意識に表出させる場合もあるらしい。(人形に向かっている時は止めない方がいいんだって。それよりも原因にフォーカスするのが大切らしいよ。)

自分以外の人に向かって、変わって欲しい、という、不健康な欲求を持ち始めてしまう。

だれか知識のある大人が発見して、保護者に知らせ、解消する取り組みをしなければ、解消されないまま、

マイナスの貯蓄額のように、精神の通帳に残っていく危険がある。



教育を受ける学生時代というのは、知的成長に合わせてルールを学ぶ場所である。

教育者に貯蓄額マイナスを発見してもらえる幸運と、

もらえたチャンスで貯蓄額を回復していける認識力と学習力を持ち合わせていなければ、

ルールだけ身についても、貯蓄額はマイナスから回復しない。

ルールさえクリアすれば、マイナスから回復しないまま、成人してしまうことが可能なんである。



暴力と愛着が一人の人間の中に共存してしまう状態が不幸にして、ひとまず完成してしまうのではないだろうか。



保護者が生活と自分の都合に追われ、子供の不満が爆発するたびに、一時的に報酬体験をさせるかのような、そんな経験をさせることで、

一番に暴力衝動を爆発させてから、次に安心して満足する順番で、脳内物質が放出されるような人間、

または、支配しやすい他人に自分の代理や伝播で精神を二面性に分裂させる性癖を持った人間、

『わたしが自分の感情を爆発したい時に好きなだけ垂れ流ししたいから、あなたはなんも自分の感情とか持たないでね。わたしがあなたを殴っても共感してわたしを優しく保護して服従してわたしの都合だけを守りなさい。』

のような、

感情サイクルを間違って学習して育ってしまった人間ができあがる。



ここからは野良レモンの障害の内情になるけれど、

野良レモンは、『あすぺ』な認知構造のため、こういう“間違って学習してしまった人間”とは、意思の疎通がほとんどできない。

『わたしが自分の感情を爆発したい時に好きなだけ垂れ流ししたいから、あなたはなんも自分の感情とか持たないでね。共感してわたしに服従してわたしの都合だけを守りなさい。』

と暗黙に察することを求める人とは、同情はしても、コミニュケーションは不可能になるのだ。

野良レモンは生きていくために、他の人よりも多くの言葉で情報を教わらなくてはいけない。

そのためには、聞いたことをだれにでも答えてもらうため、無視されず、説明を省かれてもいけないため、

周囲の人全員に、“良く”思われていないといけない。

だって、社会適応に困っているって言ってきたのに、ずっとなにもルール化されないでしょう。

個人の裁量や努力の問題に言い換えられて放置することに決まっているから、だから何を具体的な努力内容にするかったら、業務の習得と遅れの挽回は当たり前の範囲として、あとは“現場で人にどう思われているか”問題の克服でしょう

だからこだわってるだけだよ?“良く”思われていないといけない。

“良く”思われていないといけない。

そう。“良く”思われていないといけない、じゃない?

可能か不可能かの次元じゃない気がする。不可能だったら、言葉にされていない業務説明を、当事者は、今更、気合いとかだけで分かるようになれますか?

または感情的圧力を掛けられることで、私たちは使い物になりましたか?
年間通して現実的な戦力になった事例はあるのでしょうか?

動作IQは自動的に上がりますか?
計算や言語理解のLD持ちの人が、急に正確に机上書類を処理できるようになりますか?



脳の回線速度も遅いので、解雇をされたら死活問題になる。だから、周囲に居る人は、野良レモンの生殺与奪権を握る、という、迷惑なほどに重い物を持たされることになる。

コミニュケーションを取って、すぐに『正解』か『不正解』かを出されることで、野良レモンの価値にジャッジが降りる。

だから、すぐに正確なジャッジ、意思表示を出せない人間とは、一応少々のバリエーションは用意してあるが、

融通のきくコミニュケーションは野良レモンはほとんど困難になるのだ。

困難を困り、耐えているザマは、見る人から見ると、刺激的であり、面白くて、ブザマで、腹立たしくて、火に油を注ぎたくてたまらなくなる衝動を起こすものになるらしい。

かくして野良レモンの周囲には、非常に鎮火が難しい火災の火の手がよくあがる。



リアルの現実だけでなく、もちろんネットでも十年以上、時々火災を経験してきた。

“間違って学習してしまった人間”とは、たぶん、両手の指を使って数えるくらいの人数は、お会いしているかもしれない。

貯蓄額がマイナスの通帳を持っている人たちは、なにかの本能が作用するのかどうなのか、時々、利息を払い続けることがある。

共依存関係の人間に、マイナスのまま利息を払い続けることを、肯定してもらって安心したいのではないだろうか。

あらゆる敵意ある攻撃的、挑発的言動と、幼児を可愛がるような優しさと、野良レモンの肯定と、お世辞と、機嫌取りと、試し言動としがみつきや、脅迫。

野良レモンは、これが利息じゃないかと考える。

利息を払い続ける者は、利息を払い続ける同類を見つけると、まるで善人を見つけたかのように、あからさまに、

野良レモンたち、かしましいオバサンたちを押しのけて、同類を憐れみ合う会話を始めようとする。


話は脱線するけれど、これがリアルの現実の、お金持ちな都会の人たちだったら、違法薬物依存とかになっていくのかな。

浮気とセットの薬物逮捕が多過ぎる。

だれかが提唱するように、有名人一斉薬物検査でもしたほうがいい。健康診断のように定期的にしたらいい。


話を戻す。

利息を払い続ける者は、同類が、環境を変えようと葛藤し始めると、怒り出す。見捨てられ不安を感じ、プライドが傷つき始める。

一貫性を保っていない同類は、きっと裏切り者のように感じるんだろう。

しかし、『変わりたい。』という気持がひしひしと伝わってくる文章を書ける当事者には、野良レモンはついつい応援してしまうことがあった。

いつまでも、いつまでも“愛着の間違い”という部屋に引き籠っている同類を求めていた当事者にとっては、こんなうざいはいなかったんでしょうね。

………いつまでも、いつまでも、利息払い仲間でいればいいよ………
……人間をありのまま受容して尊重しないレモンむしぱんが間違っているんだから、必ず分からせてやるからね………
……変わらなくていい、反省しなくていいよ、掲示板では可愛そうな犯罪被害経験者に正当性があることを、必ず分からせてやるから………
……余計でおせっかいな言語化をした罰として集団でレモンむしぱんは潰してやるから………
……守ってあげるからね………変化しないでね………
……いつまでも変わったらダメだから、変わろうとしたら見せしめに仲間を一人ずつ吊るしあげ続けてあげるからね………
……ずっと利息を払い続ける“同志”でいようねーーーー………

野良レモンを共通の敵に仕立て上げながら、いつまでもいつまでも、投影の平手打ちを打ち、罪悪感と強迫観念で逃げられなくして周囲にも根回ししながら脅しをしたがった。
野良レモンには、リンチされながら流血の惨事にされながら、笑顔で優しく加害者を肯定し許し、過剰に受け止め甘やかし続け、依存的に献身的にパソコンを開き続けるよう、洗脳をしたがった。

野良レモンを共通の攻撃対象にしながら、利息払い仲間である愛する同類と親密に確実につながり合う媒介に使用したかったのに、野良レモンは身分をわきまえず、まな板から逃げやがった、生意気な逃亡者。
利息を払う人たちが平和を保って快適に払い続けるための、奉仕の心も、建設的話し合いをする能力も、謙虚さも、助け合いの心も、罪悪感も義務感も犠牲心も、なにも持ち合わせていない最低の


かくしてネットの野良レモンの周囲にも、非常に鎮火が難しい火災の火の手がよくあがってきた。


リアルの現実だけでなく、ネットでも十年以上、時々火災を経験してきた。





オリンピックを見るたびたしかに思う。

人間の可能性は無限らしい。

記録は日々進化している。


しかし


人類過半数の平凡なキャパシティは有限である。

過半数の一般の普通の人たちで24時間にこなせることには、昔も今もそう変わらない限界量がある。

スマートフォンとか道具が便利になっただけ。


人はその場の思いつきとか、その場の気分と言う、とてもとても幅の狭い部分から他人の評価や噂話を発する。

情報量が狭くて少ないキーワードを、食べ物やアルコールや嗜好品の力を借りながら、ドーパミンがほどよく出るまで、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返ししたいだけなのである。

そこに伝達力は機能していない。

マイノリティの抑圧が救済されるだけの情報量は、十分量流れることは無い。

そこに善意や、善良な気質の人たちがいたとしても、“空気を変える”という、負荷やリスクが発生するような機能は極力発動しない。

品位、恥ずかしい、という言葉に隠されるかのように、事を荒立てる愚行は、発動しない。

マイノリティは、多数の一般の普通の人たちの背中から、暗黙で「シーッ!」と命じられる。面倒くさいから自己を抑圧して伝えて来ないように、圧力と支配を受ける。



野良レモンたち、軽度の発達障害のような少数人種にも、普通の人たちに掛かる“迷惑”だけが存在し、

“自尊心の傷”は存在を無視することが、世間一般の常識として決定されている。

特に中途診断二次障害野良当事者団は存在もしないことになっている。

私たちは愛想と言う仮面をかぶって、一般の普通の人たちとの、足りなさ過ぎるコミニュケーションに餓えつつ、衣食住を恵んでもらっている。