『好き放題にしたいから』その一

『わたしが自分の感情を爆発したい時に好きなだけ垂れ流ししたいから、あなたはなんも自分の感情とか持たないでね。共感してわたしに服従してわたしの都合だけを守りなさい。』

野良レモンだから言語化したけれど、こういうハラスメントはたいてい加害者が被害者に暗黙の了解を求めながら、追いつめながら、周囲の人間たちもうまく巻き込んで罠にはめながらやる。

大人社会でよくあるトラブルであろう。

幼児期に発芽して、学生時代に病気は培われるが、学生時代は教育機関、という、倫理を守らなきゃいけない集団組織の建前が働いているので、少々の縛りはある。

心理学的に許されるのが、たぶん乳幼児期なのだ。

理性も言語思考能力もまだ発達していない乳幼児は、生きるために身体の欲求を訴えなければならないし、察してもらわなければならない。

近くの大人には、だれであれ、察する義務が発生する。



乳幼児がミルクを飲んだ後に、縦抱きをして背中を軽くトントン叩く、という世話を、

野良レモンは若い時にお手伝いで一回だけ体験したことがあるが、

乳幼児の胃の中に空気が溜まっているなんて教わるまでは野良レモンも思いもしなかったし、

乳幼児当人も、もう空腹が満たされて違うことに興味が行っているので、私になんのサインもそぶりも出せない。

胃の中に空気が溜まっているなんて、当人も夢にも思っちゃいないし、知らないのだ。

でも、胃の中の空気を出さないと、詳しい危険さの説明は省くけど、とにかく危ない、という現実がある。



そのくらい、乳幼児には、一方的に“察して”もらう正当性がある。

近くの人の感情なり尊厳なり都合なりもスルーして、察してもらう、審議抜きの権利がある。



その正当性だけを、保育が始まっても学生時代にも完全には克服できず、大人になってもまだ持ち続けてしまう場合がある。

ただし、保育や教育で、知的能力に応じた理屈を教えられるので、精神抜きで、知的理解だけ進んでしまった場合は、損をする場面では、理性的な言動を取らざるを得なくなる。

そこで、言動や意志の分裂状態が開始する。



ASDは、そういう分裂や二面性が上手に発揮できないので、不器用なので、周囲にある程度ばれてしまうことがある。

ばれないようにできる、器用な自己愛に、野良レモンたちを始め、不器用な弱者たちが利用されてしまうことがある。


器用な自己愛は【オレ様】【お姫様】【女王様】系の人たちであろうと考える。

前の記事で、この人たちと野良レモンはなにが違うんだろうという、言語化できていないことを見つけた。



ASDスペクトラムの多くは、乳幼児の自己中心性を隠すものだと理解してたとしても、隠しきれない。

ボロを出す、という不便や、特徴がある。

胃の中の空気のように、溜まった危険物が、自分も知らない内にゲップになって出て、大地雷を踏む。
この不便は、昇進を妨げたり、雇用も危うくしたり、人間関係が円滑にいかなかったり、非常に自分の人生を傷つけてくる。

大迷惑だけれど、ASDスペクトラムの認知が回らない部分のゲップが出るたびに、周囲の人から指摘を受ける、という段階を踏みながら生きることになる。

その指摘が、うまいこと、分かりやすいものであったなら、ASDスペクトラムは、次から気を付けることが出来る。

分かりやすい指摘をもらえるかどうか。

その運が、作用したのかもしれない。

指摘を受けても、さっぱり分からなければ、精神的圧力だけが作用して、二次障害が悪化するだけ。

野良レモンは二次障害も抱えてきたけれど、指摘をそこそこ吸収もしてきたため、どうやら“赤ちゃんまんま”の人間とは違う、という認識を、近くの人たちにはしてもらっているらしい。



しかし、一般の普通の人たちとはやっぱり違う。

そして、噂と言うものは、時にラインとか、お酒と一緒に広まることが多いため、

野良レモンの面倒くさい偏り、バラつき、が正確に言語化されて広まるとは、とてもとてもとてもとても、

考えづらいんである。




話を乳幼児の特性に戻す。

乳幼児の認知、について、乳幼児は一般には可愛いものとして扱われるため、偉い学者の人たちが発見するまで、歴史の中ではあまり、重要視されてこなかったらしい。

それでも育って来れて、世代交代出来ているから、事足りた、ということなのだろう。

当然だ。人間以外の動物だって、本能で十分次世代を育てているんだから、多数派にとっては、理屈は重要ではない。



乳幼児は、脳細胞が日々更新している。成人の想像を超える速さで増殖している。

だからすぐ忘れる。

腹が満たされたら機嫌が良くなり、眠り、出る物が出たら泣く。

だから、古代の人類には、乳幼児には人格が無いとしてぞんざいに扱う人たちもいたという。

もし暴力を振るい、悪意のある言動を叩きつけても、同じ人間が、空腹を満たしてやり、身体を清潔にしてやれば、乳幼児も本能として、世話を待ち望むようになっていく。

日数が経てば経つほど、世話をしてくれる特定の人間を認識し、本能で、世話を待ち望むようになっていく。

例え、世話と憎しみを二面、セットで向けられてしまったとしても。



なぜそういう現象が起こるのか。

古代の人類は、無知ゆえに、いわゆる、乳幼児の人権を“ナメて”掛かってしまった。

ナメられた理由は単純、乳幼児は弱者であるからだ。



しかし乳幼児にも、認知が育ち、記憶持続時間が延び、自我の芽が発芽するころが来る。

目がよく見えるようになって来る。“人”が見えやすくなる。

新鮮な脳細胞は、感情物質も豊富に生産し続ける。

生まれて初めての、感情。使い方も、制御の仕方も知らない、感情



使われる所は、もちろん空腹の場面から、である。

空腹を感じた時に、口と腹を満たしてくれない人間に対しては、とりあえず泣く。

泣かれた人間は、慌てて母親のところへ連れていくなり、哺乳瓶に粉とお湯を入れてミルクを作り始めるなりの行動をする。

要求に対して、正しく的を得た行動をしてあげることで、乳幼児の機嫌は格段に治ってしまうので、

世話をする人間は達成感を得られ、また世話をしようという、責任感を感じ、心理的にも愛情が出る状態を継続する。


ここで野良レモンの憶測だけれど、乳幼児は、空腹の瞬間、憎しみや怒りになる感情も芽生えてくる。

世話をする人間と、乳幼児のギブアンドテイクが成立するので、あまり目立たないだけ。

憶測するきっかけとして、特に強く感じたのは、“人見知り”の様子である。



目が見えてくる。日々見えている人と、始めて見る“分からない人”の区別が付いてくる。

“分からない人”は、乳幼児にとって、心底、なにをされるか分からないんだと思う。

世話をする人間から遠ざけられてしまうかもしれない、世話をする人間を取られてしまうかもしれない、満たして欲しい時にすぐ満たしてもらえなくなるかもしれない、なんて恐ろしいことをしてくるんだろう、ひどい!

こちらはまだなにも悪いことをしていなくても、対面するだけで、乳幼児にはどうしようもない恐怖が湧きあがってくるのではないだろうか。

“分からない人”。たぶん、こんな憎い、恐い人間はいないだろう。

その瞬間は、大迷惑であるんだろう。






その二へ続く。