メモしておいた用語

・メサイアコンプレックス

・チートデイ







ん?



もっと取っておいたはずなんだけど、いつの間にか、記事にアップでもしたのか、消えていた。

防衛機制に関する言葉を、つくづく、スピーディーに使っていなくなってる。

野良レモンは、状況や指示や役割が解らないことがあり過ぎるので、人と自分の距離感はなによりも素早く測り、ゆっくりゆっくりこだわらなければ、教えてもらっていい人と良くない人の見分けはつかない。それどころか社会的な所属集団(仕事場ね。)のだれにでも質問しないと生きていけない。

人と野良レモンの距離に付いても、定義を確認し、結論を出さなければ、次の疑問を聞けなくなる。

野良レモンの住む都道府県に言いふらされるにしても、何を言いふらされるかまでを問い、
反応を分析し、相手がつながっている人間関係を推測し、
相手の過去の経験や経緯から、価値観を推測し、
言いふらされる時の言い方や表現方法、
言いふらされを聞く側の人間の“質”、全部をきっちり聞く人間か、適当に「ウェ~イ!」と聞いて、勘違いや妄想も混じったり、聞き流したりしながら、伝言ゲーム状態にして覚え、さらに間違った噂を製造し続けられるのかも、野良レモンは推測したい。

“確認”は、死活問題だ。逃げられるかもしれないことを前提に、私は、大っ嫌いな、“駆け引き”めいたことも、過去に、しようとしたこともあった。

本当は、“勝負”“駆け引き”“賭け”どれもみんなみんな、見通しが立たないことだから、大っ嫌いだ



この“確認”が、ネット以外のリアルの現実でする場合、『自己満足』に分類されることが出てきた。

野良レモンだって、決して快適ではない。

二次障害が一向に治らない。


テニスやバトミントンのシングル勝負では、広いコートの中、玉や羽根を打ったら、通常は一度、コートの中央へ戻る。

相手の打ってくる、次の一手を判断したら、その玉や羽根を打てる、一番ベストなポジションへ、速攻移動する。

そういう打ち合いを、もっと向上させなければならないのに、鈍っているのが分かる。

世の中には、『具体的な話をする必要性を感じていない』人たちもいれば、『具体性』ってなんなのか、『野良レモンにも分かる具体的』ってなんなのかが、何年たっても何年経っても、全然分かっていない人たちもいる。

具体的な指示内容が、得られていない当事者は、丸腰、どころか一歩も動けない。

今の野良レモンの立ち位置も、スタートから進めていないのか、ゴールまでの距離が判明したのか、の判断材料も得にくくなる。



『正論』は野良レモンも大好きだ。

『正論』は何十分聞いても、正しいものは正しいんだから、混乱する理由は無いし、混乱する根拠にもならないから、いくらでも語られていい。

ただ、抽象的に語ったものは、具体的な、いつ、だれが、だれと、どこで、なにを、どういうものなのか、具体的に置き換えてもらわなくてはならない。

遠まわしな解雇通告だったとしても、野良レモンに正確に伝わるわけが無いのだ。

そしてそういう解雇通告もどきは、周囲で聞いている人たちの耳から入り、口から、360度に、適当に、拡散されていくのだ。

何年も月日が経ってから、その噂が根拠に化け、野良レモンの「分からないことを聞ける人間関係」が、破壊され罪人認定される危険性がある。

野良レモンがただのゴ―マンな生き物だったら、お灸にくらいはなるかもしれない。

でも、野良レモンは『言葉』の車椅子や補聴器が必要な生き物なのである。


だから、質問したい。

質問したい。

質問したい。

質問したい!

質問したい!!



それでも“確認”しちゃいけないなら、つまりは働いちゃいけないんでしょう? さ、ころせばいいわ。





メサイアコンプレックス


解説を、読めば読むほど、複雑怪奇な症候群だ。

“偽装”されているものは、野良レモンは、見破るとかがとても苦手だ。


こういうメンヘラ系の症状を説明するために、「マッチポンプ」という言い方があるそうだ。

聞いたことはあったけど、正確な意味は初めて集中して読んだ。

マッチで火を付けて、ポンプの水で自分で消火する、ね………


ターゲットにされやすいのが、優しい人、真面目な人、純粋な人、お人好しな人、ですって。


いたたたた


野良レモンが、『これから私はこう歳を取っていかねばならない!!』と、ますます自分に向けて、こだわって、吉永小百合さんのクラスになれなくても、山登りのように目標として登って行こうと見据えていた、理想の品格じゃあないっすか




たぶん、かなり狙われやすいであろう当事者。

ネットのページによると、世話型依存、という呼ばれ方もしているらしい。


じゃあなぜ狙われっぱなしじゃいけないのであろうか。

世話を受けると言うことは、『親子』の例が代表するように、そこに子の成長が無ければならないのだ。

成長をすることは、人権の予定に入っていることであり、成長をすることを前提に、計画が立てられなければならない。ペットでは無いのだから。

成長しなさい!と命令されることもまた違うが、

めでたく成長したら、親には受け入れられ、親からの世話を縮小する余地が無ければならない。

成長、が、世話をする側から見て好ましいことだけでなく、反論されたり、面白くない思いをすることであっても、成長のひとつの側面であるかもしれないのだ。

ただし、それが親子では無く他人同士だった場合、反論、ふてくされる、すねる、ぐれる、だと、

社会的なトラブルも起こして、迷惑を掛ける人数を増やして、両者だけでは責任が取り切れなくなる。

親子なら解決できるのかと言うとそうでもない例もあるが、少なくとも乳幼児からの“観察”はしているから、検討材料がいっぱいある。

だから、友人関係であれ、恋愛関係であれ、他人同士が、親密である場合、相手は、親子よりも難しく、リスクが高いことを請け負っていることが、暗黙であるが、前提になる。


世話をする側の、相手への人格の尊重はもちろん、される側も、世話の価値を的確に言語化し、

ありがたかったことであるか、改善の余地が必要なことであるか、それはなぜか、なにが根拠か、などを伝えられる実力を兼ね備えていなくてはならないと思う。

でないと、フィーリングや気分だけですれ違いは解決しないと思うからだ。



野良レモンは経験無いよ。

大変面倒くさそうだもの。



世話型依存の人たちが抱える物って、「感謝されていたい」気持。

無能感が常にあって、感謝されて価値を確保して安心していたい。

感謝 = 人として生きていて合格  金貨ピコ―ン!ゲット!出来て当然!当然!出す結果出す結果合格圏内の余裕の優等生!!ピコ―ン!ピコ―ン

「感謝される人」という役名でお芝居するようなものだ。

お芝居することで、自分が疎外されていないことを確認するのだ。



なにを隠そう、隠せないけど、野良レモンもおちいりがちな罠なのだ。

ただ、野良レモンはこのとおりなので、ヒューマンミスをしたり、とろくて言語化や状況の整理、認識が間に合わなかったりする。失敗する。

だから人生の中でそんな依存になっている余裕が無かっただけなのだ。

しっかり自己を持っているわけでもなんでもない。



自分に対する理想が高い人へ、相手の役柄を了解して、自分もお芝居して合わせてあげる、この大変さ。

大変だからって、単純化してルーティンワークにおとそうものなら、自分に自由は無くなりそうじゃない?

たとえば歳を取るとお手洗いもアホみたいに近くなる日がある。気圧や、カフェインなどの利尿の物質にとっとと反応してしまう。
それは受動の野良レモンだって仕方なく動く。うんざりして表情もブスになる。

それら、“お芝居”を完璧にできなくしてしまう、生活上の雑事に、にいちいち言い訳や弁解や取り繕いをして、背中に汗をかき、もっと尽くさなければならないのにっ!優しくしなければならないのにっ!て、心因症を増やしてしまうのかい?



中途診断二次障害野良当事者団に、できるかなー。


中途診断二次障害野良当事者団には、支援を受けていないので、普段から自己確認は足りない。慢性的に不足している。


だからって、メサイアコンプレックスの人のお守は、やるもんじゃない気がする。