『伝わる文』『使える文』

一般の普通の人たちが使う時間の使い方は、

・疲れたから普通に寝る時間。働き盛りの間はこれで疲れが取れる。

・癒されるために近い人たちとリラックスしてコミュニケーションする時間。趣味する時間。

・本気モードで職業で働く時間。家庭のために本気でやらないと生きて行けないこと(料理、掃除、雪かき、泣きぐずる子をなんとかする、昔はこれに洗濯も入っていた。歴史で習いましたよね。機械の無い昔は冷水で手洗いして物干しに干して乾いたら取り込んで畳んで木のタンスに収納、しないと暮らしが成り立たなかったんです。)をする時間。


私たち軽度当事者の時間は、

・趣味、ネットの遊び、人に気を遣いながら話せる交流、職業の仕事、家庭の運営(料理、掃除、雪かき、泣きぐずる子をなんとかする、洗濯、書類記入)が 出 来 る 時間。

・危険領域。頭と身体がフリーズしかかってるから手を抜いてダラダラ、せいぜいユーチューブ見るなどしかしないことにしないと再起動も 出 来 な い かもしれない危険な疲労した時間。

・完全に虚脱して頭も体も信号が繋がらなくなり使いものにならないから暴れる前に自分を隔離して布団に籠って寝ていなければならない時間。


という時間にざーっくり分けられて し ま う 気がする。

体の科学的な疲労にも振り回されるから計画的に行かないのである。

これを、

一般の普通の人たち、軽度当事者たち、ともに、

お互いがお互いを気持ちよく受け入れ合い、「お互いさま」と助け合える時代には、
まだ来ていない


私たちの時間の分かれ方があることを、一般の普通の人たちは、『悪意』に取る。

それが悔しかった軽度当事者の一部も、恨みを晴らしたくて、軽度当事者に防衛機制もしてくる。

それが私たちの『不利』なことであると考える。


それに女性の調子には、過去の記事でも触れたように、一か月で4つに別れてしまう。

更年期の年代になると、不調の時期はもっと増えてしまうそうだ。

これが、軽度当事者としての3つの調子のサイクルにぐちゃぐちゃに絡んできてしまう。


これらの『不利』は、

学歴の高くない野良がこうして書けてしまうので、

野良よりも頭のいい人たちがとっくに調べ上げていてもいいはずだ。

しかし、世の中に出てきてもいない。

解消方法を研究されてもいない



楽しいこと、だけじゃなく、

しなきゃならないこと、を、いかにして生きて行くかは、

上記の時間をいかに計算して組み立てるかが賭かっている気がしている。

ADHD/ASDにとって夢のフリー生活は、

・楽しい遊びだけを毎日する。

かもしれないけれど、

実際の私たちの生活は、

・楽しい、頑張れる時間  
 ・失敗する前、倒れる前に休む時間  
 ・寝る時間 
 ・そしてまた楽しい、頑張れる時間………… 

がローテーションで来る。

なら倒れることを予防するためには、

・遊ぶ  ・休む  ・遊ぶ  ・休む  ………

のようにすればいいんであろうが、

実際の、無職フリー自由人のADHD/ASDたちは、遊び相手がいれば連日遊んで、食べる物も食べないで倒れるんだろうなぁ……。

想像だけど。

現実は、

・働く

・良識や判断力や意識や体力が保てるので、寝る。

・働く

・寝る

以下、約5日間繰り返す。

・たまに出掛けたり病院へ行く。

・寝る

・寝る

・寝る

・流し台など片付ける。

・寝る

・働く

…………以下繰り返し。

をやるんだよなぁ。



手帳の無い軽度当事者の多くは、SNSですることといえば、

反応を求めてさ迷って、いつの間にか他の、関係が遠い精神疾患の人の話や、視聴覚障害や、病気の人たちと接してばかりになるかもしれない。

一致しない悩みばかりに長時間囲まれて、返信を考え、

自分の問題を語る順番がはるか後でになっているのではないだろうか。


当事者の優れた先輩たちが約20年間やってきたように、

啓蒙、世間一般に広めることの言語化 を思い付いて書いても書いても、

手帳のある当事者の人たちを診る支援者の方たちだけが覚えていくばっかりで、

一般の普通の人たちは無視。

軽度の当事者たちはネットに書くばっかり。

新しく発見されたこともスペクトラム重めな当事者の医療ばかりに反映されて、そのほかにはなにも降りて来ない。


十年ほど前、正確な施行の時は忘れたが、『発達障害』の定義の中にとうとう、特別支援学校に通う子たちのような知的障害も含まれてしまったから、

簡単に「あんたってほら、あそこの学校のあの子たちと同じなんでしょ 」同一視する人たち、同一視に怯える当事者や近くにいる人たち、避ける人たち、

現実では当事者に近いところに居る人で、関わったことで憎悪や被害妄想や防衛機制を持たされて威圧する人たち、

ばかりが増えてきたじゃないか

で、知的障害と同一視に走らず、その人個人をよく見てくれる人たちは、待っても、待っても増えない。出て来ないことになっている。

とても必要なのにね。出て来ないことになってる。

(同一視もなにも、知的障害の子だって大人だって、家族も教育者もすごく頑張ってる。世の中の、作業所と呼ばれてる場所は、この子たちにはフィットしてて、つらくてもちゃんとマスクも出来るようになってるそうだ。末永く結果を出しながら、十分準備して旅行などにも行けて、自己実現しているそうだよ。まだまだ恵まれてはいないけど悲惨そうな認識をする必要は無い。)

お医者などでそういう公平な人はいないでもないけど、どこかに籠らされている。

支援受けている当事者たちの親や支援者が、一般の普通の社会へ戻れるのか見通しが見えなくてビクビクしてストレス抱えて、時には見限って、当事者の意志から離れていくばっかり。

受容と傾聴ばかりの医療や、角度違いの支援で、どこからもも伸びるスイッチを押してくれる手が来ないつらさは、野良も分からないではない。

話し掛けて欲しい時に話し掛けられ、説明して欲しいところを長時間説明してくれ、成功しても失敗しても動揺しないように長時間評価を話してくれて、頼まない限りはワーク(学業・仕事)のレベルを下げないでプライドを守ってくれて、動揺したら動揺やパニックが治まり、納得して、自己否定を自己肯定に変更してくれるまで話し続けてくれる、いくら言うことを聞き続けても許されて、横取りされない、❝神様❞ に何人もで囲まれて働ける日は、まだ来ない。



軽度当事者のことを世の中へ知らせる、啓蒙をする人、のことについてまだ考えてしまう。

なぜ啓蒙をする人は、ネットでこそこそとしたり、ワケ―モンのようにアウトローを自称したりする人ばかりなのだろうか


基本、世間と喧嘩する姿勢の人ばかりが目立ってる。

前回の記事でも書いた。

なぜ、軽度当事者について親やお医者と共有できる分かりやすいことを啓蒙できるリーダーがいないのか、

軽度当事者の苦労について、清廉潔白で学校にも持ち込めそうな存在のリーダーがいないのか、という疑問を悩んだ。

でも書き進めて行くうちに、

私も、約20年前に世界中が分からなくて、世界中が疑わしくて、それでも働いて生きなければならないと信じて病んでいた時があり、

私が休むために働かないことを認めてくれるか、社宅から出して住居と失業保険まで世話してくれるか、回復後の仕事と支援と体面まで確保して世話してくれるかというと、

そこまですることをどこかに書いたり、言ったりするリーダーはエンジョウしてしまう、ことに私の考察は至った。


手帳は出ないよ、年金も生活保護も出ないよ、作業所に行く水準じゃないよ、

でも一般の普通の企業でも嫌われて解雇されてしまうよ、そもそも部屋が狭いと視界に収まるように生活物資を並べきれないから溢れるよ、

でも賃貸が広い地方都市に住むと病院が一個も無いよ、お医者が断ってくるか、傾聴して黙り込んでくるしかして来ないよ、

の苦労がある時、

どうしてもお金は必要なので、選択肢としては、軽度当事者特性を伏せたまま雇用に臨み、自己努力して就職するしか無くなる。

リーダーがステージの教壇から講義のように話してしまうと、これもたちまちエンジョウしてしまうだろう。


野良個人は教壇から講義してくれるお偉い学者先生の話を聞くのは苦じゃないし、リモートでも受ける気はある。が、

一般の普通の立場の健常の人たちは怒るだろうし、特性があっても健常のつもりで未診断で自覚もまだな人も怒るし、

伏せて自己努力して雇用に反対の軽度当事者も何年嘘を付かせる気かと怒るし、

荒れる軽度当事者をなだめるのに疲れた家族も怒る

我が子に嘘を付かせることをプライドが許さない親も怒る、かもしれない。
そういうお高い親なら、嘘をつく必要が無くなるために、我が子の社会に不都合な特性を全部無くす方法を作るよう迫るかもしれないし、
我が子に合わせ、覚えなくてもさぼっても不貞腐れても加害しても生産性を破壊してもお世話を続けるように社会を変えろと迫るかもしれないですね。

怒る先は、壇上のリーダーじゃないのよ。
それは違うの。


でも、エンジョウは静まらなくなるかもしれない。

ならやる気無くすよね。

賢くて難しいことをしゃべれる秀才な人たちも、多数の人たちから拍手を受け、賛同を受け、褒められることを言いたいのが人情だよね。

それなら私たちから離れて、違う障害者の人たちを構うだろうね。

ゴールが、作業所やグループホームにほぼ決まる、手帳のあるスペクトラムの重い当事者たちばかりの、人生の見通しを作っていくようになるものだよね。

やる気のある親や、やる気のある支援者、やる気のある学校の先生たち、看護師さんたちなども「教えてください。」って頭下げてきて、ちゃんと予算付けて、お金払って、出迎えられるもん。
相互コミュニケーション成立するもんね。

ネットにかじりついて、文句言って、社会には黙って、でもふんぞり返って偉そうにしか待てないのか、私たちなのかもね。


軽度当事者が一時的にでも不適応に陥って、休まなければならない時、

主導して、指示出して、介入できるのはお医者だけ。


病的じゃない不適応は、お医者じゃない違う人の言うことを聞きたい。

でも、抽象的で空想的な理想的なことだけを言うリーダーは、私は不安定になり過ぎるので認めなくなったし、

具体的な指示を出し、介入できる権限を持ったリーダーはどこからも出て来ない。


私たちは、悪いことはしていない。

ただし、稼げなくて生きられなければ、家族や周囲から「働かなくて悪い」人扱いされる。

「働かなくちゃ」と焦ってガッツくと、自分の思考機能のヒューズも当然飛んでしまうが、

そこで適切な共感と知識の学習と指導がどこかの善意の人から入るのではない。

いるかいないか知らない善意の人、を必要としていた当事者が約20年前インターネットに集まった。

お互いに励まし合ったはずなんだが、

約20年の時を経て、軽度当事者お仲間からの助言は洗練されるどころか、

不適応を感じている感覚は正当化されないので自分自身に罪悪感を持てよ、という脅迫が優勢になりつつある。

働けなくても自己否定は重罪なので、
オモチャ奴隷は自己肯定しながらお仲間のだれよりも自分は劣ってると強迫観念を持ってご機嫌取りとお世話に集中してネットに書き続け、
仲間好き 他人好き 自分好き 憎い 好き
ばっかりに焦点を当てて暮らさなければならず、
現実ではライフラインも断ち切って、扉の向こうに誰か来ても怒鳴りつけて拒否していたとしても、
現実ではネット接続料金を家族から脅し取って書いたとしても、DV犯罪しても関係無くて、
ネットのお仲間たちを大好きで自分大好きで、

なんなら苦痛も悩みも共感も経験も学習も無しに現実もネットのお仲間のお世話も全部喜んで引き受けて楽しくこなせと。
社会にフィットしない動き方や認知の仕方しか出来なければ憎まれて当然。自分を憎むのは他人を憎んでるから。無意味だから禁止。
自分も他人も好きでいなさい、普通です。他人からは憎まれます、普通です。レモンむしパン憎い、みんなに防衛機制が必要です。普通のことです。防衛機制を求めてます。普通です。向けるのは実験動物モルモットレモンむしパンです。他人を好きなままちゃんと傷ついて取り乱しなさい。普通のことです。レス続けなさい。さあレスが禁止されましたルールを破りなさい。もっとレス、もっとレス、もっとレスしなさい 普通ですよ。レモンむしパンの依存は普通です。普通ですよ。防衛機制されるターゲット役をこなしなさい。普通ですよ。罰し足りなくてみんなが可哀想じゃないですか 普通のことですよ。出来ないのは努力が足りないんじやないですか。と。
実験動物モルモットは普通の八つ当たりなので感情を発信するのは禁止だから無しで全部やれ、ブザマになれ、リンチされろ、謝れ、やらなきゃそれもリンチだと。
ネットは共感し合いじゃなくて防衛機制する場所なのが普通ですよ、と。

普通の人のように普通のことをするのが苦痛なのに、ネットでその苦痛の感覚を撤回しろと。

苦しまず普通のことをやれるなら『発達障害』という病名は存在しなくなりますね

ただの優秀な優しいボランティアを喜んでやって奉仕しろと。
一方的に防衛機制されて罪悪感を持つという奉仕を、言語能力の高い人にでなく、あえて能無しのレモンむしパンに命じて脅すことで、出来ない無様なザマをさらさせ楽しみオモチャにしました。

ネットで『発達障害』の人たちが集まる場所にご自分から来て、

生きる苦しさの感覚を否定するよう命じるんだから、

ご自分の『発達障害』感覚も無いものとして、ご自分を否定している言動とも言えるんですが、

したかったことは、ご自分の『発達障害』感覚や周囲の人たちが証明してくる『発達障害』症状を無かったことにしなさいと、ずっとしなさいと、

自由に命じられる召し使いと家来が必要だったのかもしれません。世界が思い通りになれば良かったですね。

なりませんでしたね。

でも、『発達障害』症状は、世界に確実にあったので、世界中のそういう医療の人たちが、当事者とコンタクトして生かす方法を考えてきたんですよ。

世界は思い通りにならないけれど、まず『療育』という場を作って、なにか戦いたくなったり思い通りにしたくなる材料を排除して、集中できるようにして、

人の話を聞くところから始め、褒め、数字と文字を教え、暴れないとか脱がないとかマナーを教え、褒めて評価し、

話を聞く訓練をさせ、要求を自覚させ、要求の抑圧じゃ決して無くて、伝え方を教え、他人がいる世界を教えようとしてきたんですよ。

ということが約20年間で、野良でもこのくらいは書けるくらいは分かってきました。

『発達障害』情報は、日本に持ち込まれ、日本のお医者たちもリタリン出しながら研究を始めました。


20年以上経ちました。

今ココです。

好き 憎い 嫌い 好き ばっかりが評価されて議論になって、
憎い嫌いのハードルを越えて好きにならねば怖がられることにエンジョウするほど注目されて、
お金が降って湧いてこないし、玄関の扉の向こうにだれかが来続けるかもしれないのに、
一日中好き 憎い 嫌い 好き のネット書き中毒生活になって、
受容と共感でヘラヘラ受けとめ書き続けなさい、
モルモットに希望を欲しがらせてから挑発して孤立させて罪人にして狂わせるプロセスをみんなに楽しませなさい、
使用済みオモチャは勝手にすればいいじゃないですか、共感中毒で現実でセルフネグレクトして倒れて早く〇んじまえ、が、

非共感と興味とロックオンでモルモットを遊びで楽しく追い込んだ行き先の答えでした。

私たちは使用済みオモチャになることを望まれています。


ネットの発言は、攻撃的であればあるほど注目されるから、まるで感染のようにいくつものSNSが残酷になりつつある。

注目されることで構ってもらえたかのような、承認を得たかのような錯覚をする人が増えて、『強化』されてしまうものだそうだよね。

ネットの軽度当事者仲間とは、今や「〇んじまえ」と軽度当事者に望んでくる存在になったんだね。


仕事として軽度当事者を救ってくれる役職の人が現れて、私たちが聞き取れるようにきっぱりと必要な言葉を言ってくれなければならなかったのに、

いつの間にか、待ってたはずの、ネットの中の軽度当事者が、勘違いして正義の味方になり切って「普通」を煽ったり、

かと思うとネットの中で「〇んじまえ」を言いながら数を増やして詰め寄ってくるモンスターに、なり果ててしまった。



ASDは極端に言うと、生まれた時から世界とは協調できない。

言うこと聞きたい、だれもがパパママかな、神様かな、でもうるさいな、でも言うこと聞きたいな、うるさいだけなのに身体を清潔にされるあらゆることをされるし、好きなだけ時間を掛けて飛び跳ねていたら時間が無くなると言われてやめさせられるし、買い物や病院や祖父母の家へ行かされて、靴を履かされるし、服を汚さないように着させられるし、すぐ買ってもらえないし、壊したら壊れそうな物があっても壊させてもらえないし、でもうるさいな、でも言うこと聞きたいな、知らないうちにイライラしたら『疲れたね』って捕まえられるし、だれかのせいにさせてくれないし、八つ当たりしたら気がまぎれそうなのにやめさせられるし、弱いから仕返しされないから自分は大丈夫なのにやめさせられて、やめる理由が分からない、楽しいこと欲しいな、言うこと聞きたいな、構って欲しいな、…………

………という内面文句がたぶんあるんでしょうねぇ。整理されないまんま区別付かないまんま混在。

世界と戦う。勝手に地球が回って勝手に月と太陽が昇り、気に入らないのに春夏秋冬がある。
でも言うこと聞きたい。構って欲しい。でもうるさい。

………という矛盾した内面文句がたぶんしゃべる前からあるんでしょうねぇ。整理されないまんま区別付かないまんま混在。オモチャを散らかしたリビングみたいに文句が混在。
暑いのも冷えるのも嫌ですもんね。台風も豪雪も嫌ですもんね。衣替えも嫌ですよね。身体の動かし方も分からないし、すぐアレルギーなど反応してしまうから体の守り方も分からないですよね。大人から「自分に甘い」と言われたりしますよね。身体を甘やかしてるの 分かんないですよね。


そこで、解消されない『嫌悪』は、漠然と溜まるでしょう。一般の普通の子よりもとても多く。

この『嫌悪』が、人生の長い時間を掛けて、たらい回しされるんですよ。


周囲からの指導を理解できた子は、『自己』嫌悪として抱えるでしょう。

もしADHD傾向やLD傾向、HSPも入っていたら、もっと失敗するので、もっともっと自己嫌悪抱えるでしょう。


周囲からの指導を理解できない、納得できない、受け入れられない子は。

そこでやっと『他者』嫌悪の芽 が出るんですよ。

生まれた時からたぶん抱えるわけじゃない。

「なぜ 」の結論が『他者』に行くケースなんでしょう。選択した結論なのかもしれない。

自分に危険が無い物体への攻撃を、なんでやめなきゃならないんだ

それを許容しない他人に問題があるんじゃないか

だって他人の役割は許容じゃないか 弱いくせに身の程をわきまえろ

自分は安全なんだから正当で、安全で強いことは承認されて賛同を集めて可愛がられることじゃないのか

そこで、周囲にそういう正当性の主張を受け入れてしまう、溺愛の大人がいたり、放置してネグレクトする大人がいたり、または弱くて子の攻撃性をコントロールしきれないし嘘を言っても信じてくれる、子にとって使いやすく都合がいい大人やきょうだいがいたり、学校で家来を作ってしまえたりする才能があると、

やっと『他者嫌悪』や『他者の憎悪』になるんですよきっと。

だって許されるんですもの。

許されたら正しいことだと、学習してしまえるじゃないですか。

学業から逃げても、労働から逃げても、なんなら借金して返済から逃げても、自分の責任と向き合うことが嫌なことなら、

他者を嫌悪して攻撃して、他者たちをコントロールしたら、よしよしと機嫌を取ってくれて、コントロールされてくれるかもしれないですよねっ。


ADHD/ASDは、そもそもが出来ないことがいっぱい。

「出来ません」の言い方も知らず、その次へのステップの進み方も知らなければ、

そういう言葉を言わずに生きるしか無いから、

だからとても言葉の量は少なくなるかもしれないし、言葉を言う相手も少なく、狭くなるかもしれない。

『自己嫌悪』も、『他者嫌悪』も、言葉を覚え、言えるようになりながら社会を学習するしかないんですよ。

『嫌悪』感情そのものだけを抑圧できるわけないじゃないですか。

5080問題の引きこもりの人たちの一部は、ふくれあがる感情と感覚を抱えながら、どうにも出来ない、言えない、分からなくなった人たちなんですよきっと。

一般の普通の人たちが見たくないだけ、治療ってなにしていいか分かんないだけ、という理由で私たちの『嫌悪』感情や感覚を無いものにしないでいただきたい。

「言うな」「考えるな」と否定しないでいただきたい。投薬だけなんて言語道断だよ。

私たちは世界を憎むために生まれてきていない。

放置して自然に変身するのを待っていたり、当事者同士でネットの隅で喧嘩してるのを見物して「ネットでガス抜き出来て良かったね。支援は要らないね。〇んだら自己努力不足だから自己責任ということでまだまだ大丈夫。」と勝手に空想して結論にして済ませてバ〇にしないでいただきたい。

あるものはあるんだ。いっぱい溜まってるんだ。


こんな思いは私たちしかしない。一般の普通の他の人たちはしない。


『自己嫌悪』『他者嫌悪』、同一じゃないですよ。同じじゃないですよ。

自他は一緒じゃないですよ。

少なくとも三次元世界の地球上に居る限りは、自他は同一じゃないですよ。



私よりも優れた言語化 力の軽度当事者がネットにいくら言葉を選んで

「社会が自分たちにこうする、ああする、こんな扱いをする。」

などと書いても、

インターネットに住んでいる顔も見えない人たちが、

「本当はお前が他人にこうしたいと思っているんだろう。ああしたいと思っているんだろう。こんな扱いを上から目線でしてやりたいと思っているんだろう。」

と、防衛機制を利かせて挑発を書いて来る。

始めに真面目に書いた人が、一番加害者、犯人、悪人、に書き換えられればな~んでも ❝言葉遊び❞ に使えてしまう。

そこで議論は終わってしまうばかり、になっていくだろう。

インターネットで会える人たちは、発達障害軽度当事者の苦悩を本当に知っているなの人かというとそれも分からず、それもますます調べる方法も無く不可能、になっていく気がする。

ただの不満を募らせた学生や、引き籠り、精神疾患の重い乖離か躁か(もともと不注意が無くお察しの能力も学歴もあり一般就労をしてADHD/ASDじゃなくっても、精神疾患に掛かる例は当然ありますからね。症状さえ出ていなければ一般の普通の男女と普通にお友達交流を出来て、私たちADHD/ASDがそこそこ病んでなくてもシーン…はある。)なにかでご自分がADHD/ASDだと本気で妄想してしまった方たちなどが、匿名で返信してくる可能性もある。

ネットにあるあるの例はアスペの極端な事例でしかない。
大人になってもマウントに依存しているとか、各種問題行動して衛生観念が無いうえに他者の仕事の足を引っ張ってさらに開き直って自己正当化するとか、学歴自慢するとか男尊女卑するとか偏見や差別をあからさまにするとか、ついにストーカーするとか、警察沙汰になって逆切れしてどっかを罵って暴れて解雇、入院とか、
そういうのをするのか しないのか どっちなのか、だけで
世間様に障害の有無を測られるのもとても危険である。
この危険さは、だれよりも私たち軽度当事者がよーく知っている。

するのか しないのか どっちなのか だけの視点は、

他者たちの迷惑や不快感の有無などの感覚だけ、他者の都合でしか、語られていないでしょ。

ネットから自然に出てくるものだけのままだと、私たち側のQOLの都合は丸無視にされているのですよ。

存在しないとは言わないけど人格無し って扱われているのも同然です。
放置するといつまでもこの構造変わりませんよ。

私たちには確実に、生きる困難をともない、社会的立場や人生を失うハンディがあったはずなのに、
「困っている」事実を共有できる先が無い。
あげくにネットの軽度当事者お仲間に、まるでアスペの極端な事例の言動をしたかのように防衛機制されて、モルモットとして遊ばれ、犯罪者扱いされる八つ当たりを受ける。

…………

………だと、なにか書きたい人がいたとしても、どの返信からデータを取ればいいのか、さっぱり分からなくなり、極端な話は取り除くことになったとしても、ちゃんと当事者たちを調べられず、

賢い人が啓蒙のためになにか書いたとしても、

主観が強い、根拠の無い抽象的で、ふわっとした主張の内容になるかもしれない。


そんなの啓蒙の使いものになりません。

仮に野良が、そんなふわっとした主張の文章を持って見せて回り、

「お父さん、お母さん、軽度当事者の苦悩は実在するんだよ。私は自己主張の仕方が分からなかったから昔こういう率直な言い方は出来なかったけど、私たちの言いたかったことはこれなんだよ。」
「私は若い時は伝わりやすい言い方ができませんでしたが、先生にはこの文章に書いてある問題の相談に乗っていただきたかったんです。」

などと、仮に親や医師に訴えたとしましょう。

伝わりません 残念。「はぁ」と怒られるでしょう。何年でも。

「すごいね。新しい視点だね。見え方が変わったよ。」
「支援をしないわけにはいかない状態だよね。こう言ってくれないと分からなかったよ。やっと見えてきたよ。そんなに深刻だったんだね。」
などの、
待って、待って、待って、待っていた返事と共感は聞けるのでしょうか。聞けません。

聞けません。

だいたいこうして失敗し、私たちの不満は受容すらされないままグルグルと回り続けてきました。

欲しいのは『伝わる文』『使える文』です。

助けを求める時に、他者に持って行ったら、具体的にちゃんと助けてもらえる文です。

暮らす環境(人、物、お金、薬、情報)を変更できる文です。

それにたどり着かないまま、私たちの不満はグルグルと回り続けてきました。



こういう無駄に循環する構造がなぜか解決できないから、

約20年前から多くの優れた当事者の先輩たちが勇気を出して社会に発信してきたことが自然消滅、

または限られた地域の当事者たちだけで、ネットからは見えない場所に隠れて消えて行きました。

野良みたいなのはパソコンの前から立てなくなり、

脚の関節を壊し(ほとんど回復)、食欲の感覚が狂い(回復)、腕や指にシップを貼りまくり(回復・改善)、運転しながらも当事者お仲間からレスのやり直しをするよう脅された内容とレス文章の限りない添削の強迫観念と自己否定が爆音で頭の中に鳴り響く幻聴一歩手前(約20年前に回復)などの症状を引き起こしてきたのです。

だから黙った……

………はずないじゃないですか。

だから、寝食を忘れて手当たり次第に書きまくるのではなく、なんとか取捨選択して書けないかを探ってきて、長い月日が経ってオババになったじゃないですか。

でも、野良が老いさらばえて終わり、じゃないでしょう。

軽度当事者の悩みや問題は解決しましたか。

若い軽度当事者や、今はまだ子どもの軽度当事者が社会へ出てくる時に、なにを知っていれば苦しまなくて済むのか、前提になる知識、具体的な知識は取り揃えられ終わりましたか。

だれかが揃えてくれるだろうと待ってきましたか。

待って、待って、どうでしたか。

待っても待っても、ネットの中で情報がぐちゃぐちゃに混ざって混乱する ❝言葉遊び❞ ゲームに巻き込まれるばかりだったじゃないですか。

・温厚に静かに擬態して生きづらさに耐えて耐えてる当事者たちと、
・耐えて限界を超えて二次障害を起こした当事者たちと、
・すでに精神疾患や家庭の機能不全の被害などで問題行動や不適応が重くて医療や福祉や警察の介入が避けられない人たち、の

言いたいことがネットにはずっと、年中、ごっちゃに混在し続けるじゃないですか。

喧嘩は、新しい観念を創り出したり、生きるに困難な人を救済する研究の場ではなくなりました。

喧嘩ではだれも助からなくなりました。

インターネットは利用する人が助かるために使われるもの、という前提がこれからも世界で通用する限り、

共感力の無さを根拠や言い訳のようにして、ネットにいる当事者を挑発する正当性は成立しなくなりました。

共感力が不足する人が一方的に、ネットのとろい当事者が挑発に乗せられて取り乱して感情的に問題行動を起こして見せてくれて、
興味を満たしてくれるオモチャになる義務があってもいいはずだと感じていたとしても、

だれにも、ネットの当事者を一方的に実験動物モルモットや道具として無償でこき使って良い資格、は存在しないとされ、
一般の人類の自動的な動きとして、

自動的に制止されるように働くからです。

歴史の中でも、どんな権力者が、どんな目的をもって、どれだけの人気と信任と動機を得てしたとしても、

抵抗して来れない弱者への理不尽な虐殺は国際社会では評価されず、今でもタブーとしています。

人類の中に、

いくら一定数、オモチャが欲しくて、欲しくて、欲しくて、たまらない人たちが存在したとしても、
オモチャとして狙われるボサッとした者が一定数いても、

人類に自動的に制止される動きが発生してくるようになりました。

共感力の不足などなどで特殊なプロセスの方法でしか満たされない承認欲求が存在したとしても、

欲求そのままではなく従来とは違う行動、言動で解決を図らなければならなくなってきています。

解決は図らなければならないと考えます。放置はされてはいけません。

これからも一定数は現れて育ってくるからです。

だから解決方法が研究され、開発されて、教育されなければ、

特殊な承認欲求を持った人たちが世代交代してリニューアルされることは無理になります。

抑圧して見えないところへ潜伏させるのではなく、世代交代してリニューアルさせることこそ、

頭の柔軟な賢い若者たちが先頭に立ってやって欲しい。

野良たちの思い付かなかったことを、ぜひ思い付いて欲しい。


今までとは違う書き方、違う言葉を並べていかなければならないんです。



気持ち玉をまたどなたさまからか、いただいた。

ありがとうございました。

こんなにダラダラしたブログなのに。気持ちが動いていただいた、というのがありがたい。



私の癖、

しゃがんで右の膝を抱えて座ると言語化 に集中しやすいわけが、少し分かった。

右足を抱えると、右腕が寄りかかれる。腕を持ち上げてパソコンの操作を長くできる。

しゃがむことで、腹の内臓が上へ持ち上げられる。横隔膜も持ち上げられる。

たぶん肺も持ち上がり、背中の筋肉の力が抜けて、心臓も持ち上がり、心肺が楽になっているのではないか。

両膝を抱える、ということをすると、お手洗いへ行きたくなる。

うわあ、なんかなぁ、なんかなぁ、デ〇の身体みたいだなあ。


むかーしのお年寄りたちは、たまに道路をとても腰を曲げて歩いていることがある。

こうなるのはたぶん農作業なのでは無いだろうかと、野良は子どものときから見当を付けてきた。

野良はどんな体になって歳を取っていくんだろうな



健康や老化予防にケアとして毎日やることが勧められていることっていろいろあるよね。

毎日塗ったり、脚や顎、エラ回りをゴロゴロしたり、目のたるみ予防体操、

顔のたるみ予防体操、肩の体操、腹筋引き上げる体操、お通じ促し体操、体幹の体操、

体の歪みを直す体操、痩せる物質が出やすくなるように肩甲骨をはがす体操、

機械でブルブルさせるものもある。デパートでなにげに通っただけなのに、新しい機械がいくつも売られてる。

ともかく山のようにある。体操含めたら100種類はあるんじゃないだろうか。

アラフィフまで生きると、子どもの頃に新聞などで紹介されてる体操などから目にしてきた。

出来てない。

軽度当事者あるあるですよね。


取扱説明書や体操の解説など『理解』は出来る。

継続実行が出来ない。

だから効果がたいして出て来ない人生だった。

たまーに書くけど、野良にだって欲しい効果はある。

だから2~3のケアはしよう、しようとこだわってはいるのだ。


若い時は連休があると、二日間も寝そべって休めば、三日目からは出来ることがあった。

頭がそちらへ回り出すのだ。

そんな継続で、雀の涙ほどの成果も出るだろうか。無理。


昨年は、コロナ禍もあり、仕事も制限されてて、消毒など労働もあったけど、なにか生産的なことを求めてたのかもしれない。

出来た日は多かった。

今年はみるみる出来なくなった。


ここの記事も、先週書いたように、土日が空いたら、先に休日らしいことをしないと、

言語化 に頭が回らなくなってきている。



地球は回っている。

時が経って、私も年相応の変化をしているところなのだろう。

むかしの同級生や部活の人たちなどはどうしているんだろう、と暇になると思うつもりもなく思う。

こんな時代なので、何割か独身はいるだろう。

でも、ごく普通の庶民の人たちなので、

子どもを育てて、そろそろ終わりそうで、

大学生の仕送りなど悩んで、人によっては夫婦関係と仕事のキャリアと親の老化のバランスが取れないことにも悩んで、

閉経の変化の真っ最中の人もいるのかもしれない。
※閉経にはステップがあるらしいよ。私も詳しくは知らないから必要な人は調べましょう。不調があればお医者に聞いたらいいそうです。

野良はこんなだから。

アスペの二次障害的に、価値観が固いから人との間の取り方とか、バランスなんて下手だし、

お察しできない部分は代わりに動いて挽回しようとか、そういうことはADHD面が足を引っ張って、出来ないから。



食事時は、決まったお盆、100均の持ち手付きお盆に全部乗せてテーブルへ持ってくる習慣にしている。

便利だ。

前の町では、二年目にお盆ごと日焼け劣化でヒビが入って壊れて、接着しても壊れて使うのをやめた。

なぜかそのまま、たしかお盆無しで何年か暮らしてから、今度は持ち手無しお盆で暮らした。

100均へ行くと買い過ぎてしまうからとか何とかそんな理由だったと思う。

今、二年目が終わりかけている。

今の町へ来てから、結局また100均へ行って、持ち手付きを買ってしまった。便利だ。

とても便利だけど、またなにかやらかしてしまうのだろうか。

なにかトラブルが起きて、続けられなくなるのだろうか。


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