爆弾を包んだスライム その2

お医者は相変わらず、近隣の当事者たちや、二次障害やスペクトラムが重い位置の人達ばかりを診て過労しているようだ。

私のような地域の当事者に手の届く場所に、ケアを受けられる場所は湧いて出てこない。各種病院は今、コロナ問題に追われている。

働いていけない、収入の無い人は、生活保護。手帳がある人は、企業の障害者枠就労か、障害者支援の事業所で就ける種の職種。

無い人は、放置で、一般の普通の就労。

都会で、オフ会のようにつながり合っている人たちも、おそらく片付けを付き合うとか、引っ越しの荷造りの相談に乗るとか、子どもを安全に見てるとか、家の中にも入ってきてくれる支援をできる場合は、ものすごく少ないのではないかと想像する。

ネットは頼っても、多くても三行でしか答えてもらえず、具体的な救済に全然ならない場所や、

自己投影の爆撃が飛んできて、時間無制限勝負で自他の境界線をいかに派手に破壊して、自分の領地を拡大して植民地化していくかの戦闘地帯の場所しか、機能してない。

自己紹介でつながりあうのが、せいぜいの限界であり、
負担が楽になることを待って、待って、待って、待ってすがろうと、清水の舞台から飛び降りる勇気で決心しても、
結局は軽度当事者の大多数が、子どもが家にいない時間の合間を縫い、よそ行きの服を引っ張り出し、身だしなみを一生懸命整え、スマホと睨めっこしながら公共交通機関に乗り、道を悩み、悩み、たどり、初めて着く場所に汗だくで、緊張してたどり着くんだろうな。

むかしの私のように。(独身だけど。)


私たちは要するに晴らせない不満を、各種大量に抱えて、日々老いていっている。


具体的な治療効果が出るような支援が出来る、優しさと能力と余裕のある『優しい人』の在庫は、もう世の中には無いんですよ。

そこが、稀少な”在庫”を探し続けるメンヘラや、たぶん私の親も含めて、病んでる軽度当事者の我が子が一発逆転をしないものか、幸せになれないものか、
なんとなく社会に押し付けて、夢が叶うのを待って、待って、待って、待ち続けているような、
軽度当事者と関係があって、具体的に迷惑をこうむっている一般の普通の人たちとの、
認識の温度差が生じている場所なんだと私は考える。

もう❝在庫無し前提❞で、そこからスタートして、各種の問題をどうするか、

私は、ネットの軽度当事者が集まる議論の場では、それが話し合われて欲しいと、ずっと待ってきた。のに………。




ネットでは一説として、晴らし切れない自己主張は創作して世に出せ、という説があるが、

自分で遊びでやってみても、これも甘くないですぜぇ

遊びだから、自己責任でやってますけれど。

これこそ自己責任ですね。

自己責任ってやつを意識してますよ。


自己責任説、過去にもかの場所で注目を集めたようですよね。

自己責任の取り扱い方、

自己責任論の持ち込み場所、

掲示板に書き込んだ自己責任、

人を な じ っ た 、と評価を受けた文に後付けされたかのように発生した自己責任、

それで、自己責任説は結局どうなったのか、結論は出ないまま、

自己責任をテーマにした議論は打ち切りになってしまった経験を、

私たち、あの掲示板の参加者は経験しました。

「この場合の自己責任の線引きはここだ 」
「いや違う、あなたの認識は誤認知だ、自己責任はここからここまでだ 」
「あなたもあなたも違う、何人もの人が誤認知を起こしている、自己責任の線引きはこうあるべきだ 」
「誤認知誤認知
「誤認知誤認知誤認知誤認知誤認知

………などなどの議論を、日常生活の間を縫いながら、睡眠時間を削りながら、

参加者たちの興味関心、結論への探求心が満たされるまで、

書いて、書いて、書いて、書いて、書き合う日々を期待していた人たちはいらっしゃったのかもしれません。


元の文
「ネットの自己責任って、自分で『書きたい』って自己決定して書いたものに発生する、でいいんじゃないの」

主語決めつけ型
「『書きたい』って自己決定した時だけでは取れない責任があることがある。掲示板の人たちの総意のように言うな。」

自分語り型
「いつもこの掲示板に書く時は、ロムの人たちに身を挺して犠牲になり誠心誠意尽くすつもりで書いてます。自分の感情で『書きたい』と思って書いたことはありません。」

家庭事情申告型
「むかしから親には『自己決定なんて我が侭で生意気なことをするな』と暴力を振るわれてきました。そういう発想を出来ることがうらやましいです。」

斜め上から型
「世の中には思うことがあっても言語化できない人もいるんですが。」

独り言型
「うーん、『自己決定して書く』というのは一理あるけど、つれづれなるままに書かれた清少納言が好きなのはわたしだけ

一概には言えない型
「ネットのカキコにもいろいろあり、人に通じるコミュニケーションはなんでも言語化、だけじゃなく技量があればポエムで匂わせる非言語な伝達もある。一概には言えないかと。」

クオリティ追求型
「『自己責任』を取るカキコが『自由な自己決定による』というなら、比較対象としてビジネスのメールの責任論にも言及すべき。」

〇カ「『自己責任』取らないの ならネットを全部やめてしまえばいい。」



………疲れた。ここまで書き出せる自分が結構アホだと再認識した。


もうあるらしいですが、こんなリツイートを考えてしてくれる機能のアプリを使えば、自分の代わりに8個のリツイートを投下して、エンジョウ起こせそうですね。ツイートってもう果てしなく戦闘地域じゃないですか。

あの掲示板のように、軽度当事者が集まっているツイッターのハッシュタグの中って、どうなってるんでしょうね。

やってなくて良かった。私は寝る。


これからの時代で、ネットで、『癒される』まで、なにか書くって、可能なんだろうか

『癒し』と『情報収集』のつもりでインターネットを買った軽度当事者は、きっと野良レモンだけじゃないと想像する。『癒し』機能が無くなったら私たちどうなるの もっと二次障害で病むの

正義に反するものは集団ヒステリーでいくらでも叩き潰していけるという精神状態が、ますますネットの中の人たちに加速するんじゃないのかな。



たぶんそう遠くない時代に、

たぶん未来の、野良レモンがまだ生きているであろう時期には、

ちゃんと心療内科などのお医者たちが、

精神が病んでいる人たちが、創作物を書くのを待たないで、

空想や、不満や、自己顕示欲などの『不燃ごみ』のような思いを、

ちゃんと向かい合って聞き出してあげなければならない時代が来るような気がする。

今までは、私に対応したお医者の一部のように、投薬や犯罪に該当しない症状は、ひたすら、沈黙して、反応なしで聞き続け無言で、私が罪悪感で立ち去るまで待つ、という『無視』が、『傾聴』という名称で、いくらでも使われていたと思われる。

もしなにか書いている、造る、歌う、踊るなどで表現している患者がいたのなら、たとえ食うや食わずでも、家族を泣かせてまで依存していても、
制止せずに、医療やカウンセラーは、引きつった笑いで傍観し続け、応援する振りして、距離を詰めずに眺めていただけだったろう。


しかし、無料のネットサイトを見て回るだけでも、

表現の欲求がある人たちの、表現した物って山のようにあるじゃないですか。

私は、回線接続料だけの無料の場所しか見ない。怖いから。

フェイスブックも、インスタグラムも、ラインも、表現の場らしいけど、見ない。IDやパスワードを増やすのが怖い。お金が掛かるのか掛からないのか、分からない場所が怖い。

表現の場所として、IDやパスワードがあって、申し込んだ人が見られる場所っていうのも、他にもきっといろいろあるんだろう。

そんな場所で、大量の創作物が、披露されて「イイネ」をもらっているんだろう。

私はまだニュースでしか見たことが無い、コミケという場所。何万人が来ると言う場所。逆三角形のガラスの建築物が象徴的な場所。運営スタッフは世界的に見ても優秀な人たちだといわれている場所。

そこでも、この日のために命を懸けてきた人たちが、表現している。

そこまで、漕ぎつけろと

精神疾患を取り扱った本によっては、

公募に応募しました  賞を取りました  回復へ向かいました、

の事例が載ってるものもありますが、何千人に一人しか当たらない❝当たり❞をだれもかれもが当てに出来るわけないですよね~。

いや、サクセスストーリーとしては、「わーお、スリリングー、ハッピーエンドー、良かったねー 」って楽しめますけどさ。

病人が ❝当たり❞ を待っているうちに、意識の乖離とかで、正気じゃ無い時にとんでもない危険行為をやって、目が覚めたらもう天国にいた、ご先祖様たち怒り心頭、「うっかりミスにもほどがある 注意散漫もいい加減にしろ 」天国なのに大叱責を受けるなんてことも無いことは無いかもしれません。

精神疾患によっては、夜寝て朝起きただけでも、気分が全く変わってしまう場合がある人たちにですよ

一食、物を食べただけで、気分のベクトルがどこかへ向かって飛んでいくかもしれない、一寸先が分からない症状の人たちにですよ

医療は、病んだ人たちがなんか頑張って、世間から、注目をされるところまで、果たして待てるのでしょうか。

やっと表現する創作物を書いて送ったと思ったら、被害妄想が暴走して応募先を襲いに行ってしまうなら、元も子もないじゃないですか。



ネットで、マイナスの自己開示をしやすい時代に、すでになってると思います。

未婚の人たちが増えることで、問題を抱えていても解決しないまま、誤魔化し誤魔化し、好き勝手、気ままに生きる独身者はますます増えます。

メンヘラは、これからますます増えるってことでしょう。

アダルトチルドレン、ASD、HSP、HSS、HSE、教養が無い私が知り得ただけでも、いくつもいくつも言葉が出てきました。

癒されるためには、衣食住とお友達と家族と薬の他にも、過剰に過激にチヤホヤされる場がないと飢えてもの足りないことを多くのメンヘラが自覚し始めています。

これからの時代、そんなメンヘラはもっと増える気がします。

自制、を、方法は間違ってることがあったとしてもそれなりに教えられていた 昭和 は、終わったのです。

医療は、なーんも、手を打たず、自制と正気を失った患者たちが運ばれてくるのを、いつまでも待ってる、でいいんでしょうかね。これから、それじゃ済まない時代になって行くような気がします。根拠は無いけど。





ロッピィの募金先、九州も入れて欲しいよ。

私の募金手段で、一番手軽でやりやすいのが今のところロッピィなんだよね。

毎年、だいたい3カ所以上は、国内のどっかこっかで、もんのすごい自然災害で都市機能がやられちゃうでしょ。

春、こんな感じでひどい。秋の台風もひどい。真夏や冬の爆弾低気圧もひどい。

それが国内のどっかこっかで、とっかえひっかえでしょう。

そのたびに口座の数字とか、振込先とかネットでテレビで見て書きとめたり、郵便局の窓口で「すいません、〇〇県豪雨災害の募金やってますか……」と、モジモジ頼むのもねぇ、……ここまで生きてくると少々の経験は積んだけれど、……気持ちのスタミナを年々消耗しやすくなった。
窓口行くの、気を張るんだよ。

1カ所に気持ちを送らせていただいた後、2カ所目、3カ所目が出た時に、同じ動きが出来るかっていうと、私たちは難しいし、でも一方で気持ちはお気の毒で心配なんだよね。

私も地震で全国の人たちの優しさを目の当たりにした被災経験者の端くれだから。

ロッピィ、小額から選べる。

上限額が一万円だけれど、もっと出したければもう一回手続きする、という方法もある。ただ、恥ずかしいけどね。

あと、ローソンのウェブサイトでも募金先を見れる。「募金受け付けサービス」というページがある。(リンク貼らないよ。簡単だからね。)……増えてないなあ。





やっと今週は、市販薬無しで、身体に余計な物つぎ込まないで、眠れた

起きた後も、ちょっと眠たい。

暇が出来ると、眠たい。

食事の後は、眠い。


わーい いつもの私の体調だぁー嬉しいぞーう

まだ、全回復とはいってないけれど、私の神経系というか、自律神経が、戻りつつある。

そうだよ。寝るんだよ


アップが遅くなる原因も考えた。

身体が寝落ちしやすくなったこともあるが、

町内と、近隣の町の使い方もだんだん覚えてきたから。

地方の町は、店も病院も公共機関も、営業するものなんでも、早く閉まるんだよね。だから早く動き出さないと、したいことが片付かない。

前の町と、引き続き同んなじだなあ。思い出してくる。安心要素だよ。同じ暮らしが出来つつある。ごめんね。


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