リンクについて勉強した。

かの面白い曲 『江南スタイル』がユーチューブに初めてあがった後、

ロビンウィリアムスがリンクを貼ったんだそうな。

あら素敵な話。私も好き。ロビンウィリアムス

それで、私もこの際「リンク」について調べてみた。

私はコメント機能を使っていない。が、マナーの意識が高い人なら、ちゃんとコメントやメールフォームからおことわりしてからリンクを貼るものらしい。

なら、このブログは不便だ。すみません。

でも、昨今のネットの戦場化で、リンクされたらされたで、悪いことに使われるのかな、とか心配だった。

私は想像力が浅いし、ゆるい。私の想定外の角度から、悪いことが湧いて出てきたら、対応しきれない、と思って、やっぱり安易なことは表示しなくていいか、と思ってきた。


リンクとは、

商売している人のサイトにとっては、苦労して作った物をタダで使用されたくないから、リンクしたければ連絡をしなさい、というものらしかった。

私のようにただで書きたいことを書いている場所の人にとっては、断り無く勝手にしなさい、と表明されていたものもあった。
コメント欄をいちいち確認しに来る時間が無いし、返事をするのも困難な忙しさだからということらしかった。

インターネットの全てが、公開前提で作成されている、という文も読んだ。そうなんだー。




私は「リンクフリーでどうぞ― 」と、きっぱり表明は、まだしない。 「してー 」とは言わない。

でも、「リンク駄目です。」とも言わない。「お断り」もしない


世の中に必要とされれば、必要だと思ってくれた人が、その人なりの根拠を踏まえて、考えて、するんだろうし、

必要とされなければ、まだされないんだろうさ。


自分でも自分の過去記事を、たまに読み返す。

読者の皆様が来てくださったアクセス記録からたどって、ごくたまに読んでみる。

うわ、分かりづらい……。

これ、分かりづらいわー……。

反省点多々。

冷却期間を置いて読んでみると、自分でも分かりづらい文が随所にある。

皆さん、よく読んでくださって……ありがとうございました。すみません。

だから、リンクどうぞーって言えるくらい、自信を持てる文はまだ私は書けていないのだ。





人から『自分は承認されている』と認識できる状態とはなんだ。


年中常時複数人数でキャッキャウフフしゃべっていられる状態じゃないと、

『人から承認されていない』のではないか、と感じて不安にさいなまれなくてはならない。

そうじゃなくて、成長を促されるためにチョされる可能性もあるのかもしれない。見分け付かない。けれど、

特にASDミックスは決められた狭い場面に決められた感情を持つしかできない。ので、

年中、賞讃か謝罪を受けるか以外の場面では、

自分が承認されているかどうかなんて、分かるわけが無いのだ。

リアルで現実の人達なんて、私たちが想定しているよりも、もっともっと、言葉数が少ない。聞き取れないほどに。


でも人から承認されないと、業務連絡や関係する機関や企業の連絡事項など、分からないことを聞けなくなる。

聞けなければ私たち『空気の見えない障害』はたちまち困ってしまい、生きて行けなくなるのだ。


だから、

一般的になんとなく好かれないキャラの私たちは、

生きていく人権が無いわけでは無いけれど、

さらに、追い打ちのハンディ、

たとえば特殊な皮膚疾患とか、人工肛門とか、義歯とか、ウィッグとか、

あるとバレたら取り繕いがかなり難しい物、

失ったキャラを取り返すのが困難な物、

一般の、特別な困難を抱えていない人には想像が難しい物、

が、あるとバレたら、私たちにとっては立ち直れないほどの痛手でしかない。



世の中の人達で、困難を抱えても立ち直っている人たちはいるにはいるんだろうが、

近くの人に頼ってもいいほど承認されている状態、という『特殊な空気』が見えない私たちは、

いつなら頼って良くて、いつなら頼っちゃダメで身を引かなければならない状態なのかが、まったく判別できない。

だから、時にはアイドルのように、好感を浴びて、浴びて、回りに隙間なく配置できている状態じゃないと、

『空気の視覚障害』だから、正解がぜんぜん見えなくなるのだ。

遊ぶことばっかり考えているわけじゃない。

自意識過剰で業務や学業に身を入れる気が無いわけでも無いのだ。

ただ、

そこらへんの人より早く力尽きるため、誠意すらもなかなか証明できない。



「えっと、世間知らずでぇ、若いから全然分かんないんですぅ…」を、ずーっと使うわけにはいかない。

もうとっくの昔に、若いから分からない振りが通用しない時代は、来ているんである。

だから困ってる、とずっと言ってる。

「デモで世の中は変わらないんじゃないか 」とどこかの言論が言っていたが、

デモでもなんでもいいから、世の中に声が上がって行かないと、私たちは困ってる、とずっと言ってる。


突き放されたからといって、見えない視覚障害が、見えるようにはならないからだ。

突き放されたからといって、赤信号の横断歩道を、私たちは見えないまま踏み出してはいけないからだ。

一般の普通の人たちにも、私たちをどうしたらいいのか分かんないんだろうが、

私たちにもどうしたらいいか分かんないんである。



だからといって、

モルモット役のターゲットを引き受けろと言われて断って拗れて分裂して無くなってを繰り返す引き籠りを、軽度当事者同士で延々と中毒する時代は、終わらなければ、具体的に何も変わって行かない。


世界にさまざまな理由で不幸な人たちはいる。



だから野良レモンは暴力を受けてあげ続けなければならない

許せても許せなくても相手をなじってはいけないし逃げてはいけないし優しくオモチャを続けなければならない




という極論を、軽度当事者たちの一部から過去に、こしらえられた。


「えっと、えーっと、分かんないんです……。私、変じゃありませんか 不快じゃ、ありませんか 怖いです……いえ、だれかが、じゃなくって、……なにか、考えて、言わなきゃ、なんて、……私が言うなんてキモくないですか えっと、あのー、これでいいのかな いいんですか ん ん 聞こえません……すみません……えーっと、よく、分かんないです……言えないです……あの、どうぞ、他のみなさんの、お話、聞いてます……私 あのー、あのぅ……無いです……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、えーと、えーと、えーと……ごめんなさい……」

………たとえ地平線の向こうまで、果てしなく、私たちはまどろっこしくても、

私たちは付け込まれてはいけない。

付け込まれたくない。

だから付け込んで来ない社会に変わってもらわなければならない。でないと税金払わない。

私は、少々しゃべれるようになってしまったけれど、出来るならば、まどろっこしいまんま、生きたかった時もあった。そのくらい、自分を防衛するのは、しんどい。警戒する角度が沢山ある。負担。

まどろっこしいまんまでも、自己肯定感さえ獲得すれば、人は過剰には病まないで生きて行ける。

そのためには、幼少時からの診断と支援は、不可欠と考える。

学校の先生や同級生たちとは違う、別の特性の出身者でも、

家族とも違う生き物として生まれてしまっても、

出身の特性を肯定してくれて、同郷の先輩が成功例を見せてくれて、悩みには具体的になにをしたらいいかを相談に乗ってくれる、一貫した通訳が業務として待機して居る場所が、一つあるだけでも、私たちは救われるはずなのだ。

目指すは、業務として頼める役職の人が出来ることなのだ。そのへんの親切な人のボランティアな人に偶然に出会えることをを当てにすると、そんなスキルの高い人は、横からかっさらわれてしまう。

そういう独占の上手な特性を持った人たちが、自分の側近扱いにして、私たちに順番が回って来なくされてしまう。



思い出すねえ。『嵐は日本と中国で活躍するんだからねっ 香港のデモ活動リーダーの娘っ子なんかにさわらせてやらないんだからねっ ほらファンなんでしょ 感情的になったらいいじゃないですか早く悔しがればあ 』権力を持つ側が、弱者にした仕打ちだ。権力者とはこういうことを、しれっ としてやるのだ。

だから、社会集団のなんとなくの親切、ではなくて、業務として確立されなければならない。一般社会の地域のなんとなくの親切なんて、権力を持つ側は、瞬殺で潰せるのだ。業務として確立されなければ、いざ不利益を受けた時に裁判に持ち込めない。手帳も取れない軽度の私たちが既得権は失わないまま支援されて助かることを、法で承認されなければならない。


一般の普通の先生、個人個人の性格や事情が違う同級生たち、独立した人格の家族たち、みんなみんなに、いい顔が出来る。嫌われない具体的な行動が出来る。

時と場合と空気に応じた、適応的な、仮面を被った顔が出来る。高慢ではなく生きるための”ぶりっ子”に徹することが出来るのだ。(ぶりっ子知らない人は昭和生まれの人に聞いてね。)

悩みは一人で抱えなくて済むから。支援者が頭脳を分担してくれるから。悩みの悩み方をインストールして、拡張機能を使えるようにしてくれるから。過剰に苦しまないことを分かっているから。

幼少時から支援を受けるということは、そういうふうに生きられるようになるはずなのだ。


野良レモンたち、熟年軽度当事者たちには、それが無かった。国から侮辱も受けた。一般の普通の社会からも侮辱を受け、原因を引き受けさせられ、罪悪感を持たされた。

その罪悪感を、軽度当事者お仲間の一部の遊びにも利用された。

喧嘩が、言い合いが、リンチが、当事者たちの言論力を高め、意識を高める人体実験にも利用されてしまったが、言論力と意識は、

「こうこう、こういうこと、これこれが、正解ですよ 」「はい。分かりました。」と、きちんとした支援の役職の人からしか学べないことが全国で分かっただろう。


あの掲示板に溢れた言葉を、具体的に応用して社会適応している参加者が、どれだけいるだろうか

社会が何か変わっただろうか  国が何かキャッチして、具体的に何かくれただろうか

それでも人恋しい参加者はいっぱいいた。ちょっと書くだけ。見るだけ。管理人さんの善意と良識とは別に、参加者は強迫症状に駆られていった。



受容だけじゃない。傾聴だけじゃない。暴力は、断らなければ、加害者は暴力を振るう中毒になる。依存を呼ぶ。

三食の食事のようにどこかのサンドバックを日課にして殴り続けなければ、自身が正当化された強烈な感触を得られなくなるのかもしれない。

私は私を攻撃してきた人たちを40年以上観察してきて、そう感じている。



私たちには心理の構造をきちんと講義される機会が必要なのだ。自尊心や自己肯定感の存在を説かれ、保ったまま、間違った情報や過剰な反応を判別して、回避することを、卓上で知識として学ぶ機会が必要なのだ。

勉強しなければならないことは、当事者にはいっぱいある。

一般の普通の人たちへの対処、

軽度当事者たちへの対処、

不安定な自分への対処。

適当に、深く考え過ぎないでてきとうに、なんてやっていたら、ASDミックスはものすごく沢山のことを間違う。

だから、まだまだ足りない。


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