雑談2つ

良家の子女らしい軽度当事者たちとの当事者会なら、野良レモンは出る気になるかもしれない。

ぜいたくな話だ。

軽度当事者たちの特徴として、人と接したい欲求があっても、どう適切な形にすればいいか、分からない人たちがいる。

結果、目標も持てないまま興奮だけしてしまうとか、異性を探して追い掛けてしまうとか、

自分独特の解釈で周囲に影響されたり、こだわってみたり、承認欲求を丸出しにしたり、

メールやラインの文では書けるのに、対面でうまく話せない自分の特性に打ちのめされてしまったり、疲れてしまったり、

ついに野良レモンのように、求めていた影響がもらえなくていじけて委縮してしまったり、

という現象がある。

これらを操縦し切れないと、そういう当事者会集団は、自然消滅する。


そもそも影響されたい目標があるのなら、

始めから染料を満タンに浸した場所に、私からズブズブ入って行けばいいんだろうな。

でも、染まることが目的になったら、それはそれで私の本体を向上させてもらえないことに不満を感じ出すのかもしれない。

もしかするとそれって面倒くさい人なのかもしれない


具体的にするなら、良家の子女風で、

教養が高くて、

軽度当事者としての生き方に意識も高く持っている人たちに囲まれて、

チヤホヤ構われたい、というシナリオが出来てくるけど、それはそれでホラーにならないだろうか

エルメスとか、カルバンクラインとか、グッチとか、雑誌やユーチューブの広告で見たような、

そんな物を身に着け、髪を内巻きカールさせた人たちに囲まれた、しまむらの私……。


そうじゃなくて、意識の問題なんだけど。


勘違いしてしまうと、同じ外見や同じ学歴、同じ収入を得ることに中毒になってしまい、

そこから妬み、嫉妬、堕とし合い、マウント取り合いなどの、一般の普通の人たちと同じ展開になる可能性がある。

自分で、中毒を避けながら、現実の展開の波を乗りこなす自信がまだ無い。

だから、まだ要らない、で、いいのかもしれない。





バンクシーが、作品を売り始めた。

お、面白そう……。

欲しい、と一瞬だけ思った。

バンクシー、天才で変人だ。

ああいう奇行を、間違いなく、計画的にやり遂げられるのは、やはり注意欠陥なんて無い、天才なんだろう。そして変人なんだろう。

私たちの仲間ではない。でも、賛同したい気持ちにさせる、変な人だ。

「芸術」に関して、面白い定義付けをした人、に買う権利をあげるんだっただろうか

結局、そういう評価か……。

世界のコレクターと争えるほどの、表現力を身に着けられる学校に入れる、経済力を持ったお家で育った人、に絞られていくんだろうな。

『芸術はお金持ちがコレクションするものではない』っつったってね。


日本にも作品が出没している。

しかし、偽物の可能性もある気がする。

たぶん相当ブライドがお高いであろうバンクシーさん、偽物が注目されていたら、腹が立たないのだろうか


作品にメッセージを込める主義だとお見受けしたが、メッセージを考えて読み取ろうともしないで、ボケーっと見て、インスタにあげる人ばっかりだったら、がっかりしないんだろうか

考えて、推測するの、楽しそうなんだけどな。うちのご近所に出てきたら、やりたいなー。ワクワクしそうだ。

正確に推測できるかは分からないけれど。あーだこーだ考えるのが楽しそうじゃないの。私ならそれからメールで実家の親に送る。

でも、残念ながら、ここらへんの壁は、絵の具を塗るのに適していないと思うけど。



もしも、野良レモンの偽物が現れて、ブログで「わたしはこう思う みんな付いて来い」って旗を振っていたら、私は心配で心配であわわわわ……と慌ててしまうかもしれない。

まず、社会を良く知らない、自分自身の心身もこれからどう成長していくか知らない、少年少女が、ピュアに影響されていたらどうしようと心配する。

もしも、そんなことになったら、私がここに偽物のURLを貼って、これ違いますからねーと言えばいいだけのことなんだけども。

でも、バンクシーは、そのへんも煙に巻いていそう。

さすがだ。

自分が戦う相手を、ちゃんと見据えているから出来ることなんだろうな。だから面白い。

バンクシーのニュースが入ると、自分の脳をもっと動かしたくなる。未知の領域に答えがありそうな気がして、そこへ向かって冒険の旅に行きたくなる。

でも難しくて行けないけど。


一部は私たちを良く思ってくれないかもしれない人たち 更年期とは

全員とは言いません。

それに、私たちを良く思ってくれないかもしれない人たちは、高齢の更年期の人達にだけいるのではなく、

みなさんご存知の通り、老若男女にいます。


老若男女全員、一般の普通の人たち集団は危険なのですが、

なんで更年期、に注目したい気分になったのかと言うと、自分もそんな歳だからです。

更年期は、症状を伴うものだそうです。出方は個人差がありますが。忙しくて充実して集中している人には、全然出ない例もあります。

でも、私たち軽度当事者の多くは、繊細で弱りやすいので、症状が出る可能性があります。

その時に、「更年期だ」と分かると、納得しやすい、自己完結しやすい自分がいます。


野良レモンもそうです。そんな自分に、引っ掛かりを感じていました。

他人様からされた差別、置かれた距離、そんな危険な物を、見えなかったことにしそうな。

自己完結、簡単なんです。

疲れるから、出歩かなくなるから、外が見えなくなるんです。それは当たり前だろうと。


でも私たちは、自分を取り巻く周囲の状況が見えません。

今までも書いてきた通り、結果として "構ってちゃん" に近いメンタルになってでも、その都度、その時に、多めの言葉で他人様から説明していただかないと、社会適応は出来ない。

過去の記事に触れてる通り、

もしも視覚に障害のある人が外へ出なければならなくなったとして、だれかが「信号に従うことの大切さ」を、大汗をかいて長時間説明したとしても、

信号のあるその現地で、か、かを、人か、訓練された犬などが教えてあげない限り、絶対分からない。

私たちにはそんな不便がある。人間関係の信号が見えない。

だから幼少時から数えきれないほど人間関係の衝突事故で、車にはねられる目に会ってきた。

はねられた被害者なのに、叱られるのは私たちだった。

だから、説明してもらい、教えてもらう強迫に陥ってでも、人様のガイドを求め続ける、二次障害に陥っている。

リアルの現実で自分を抑圧しながらお気遣いをして、謙遜して、神経質になって、ラインをして、スマホが手離せなくなる人もいる。求めて求めてネットに来てでも言葉を求め続ける人もいる。


なのに、「更年期になりました」で、ポンッと離脱できるのは、変な話だと思う。


蓋を開けたら、人に無関心になるあまり、周囲の人たちに、

ご飯に誘われなくなり、体調に異常をきたしても心配もされなくなり、なにかの過剰な刺激や緊張に圧倒されて口を利けなくなった時、疑われた時、助け舟も出してあげなくていい人、に暗黙で認定されていたらどうするのだ

生き残れないではないか

私たちは、働いている限り、基本、お行儀の良い"構ってちゃん"は、やめ切れない運命なのではないかと思っている。

でも、私たちが、私たちの自己都合で、一方的に"構ってちゃん"をし続けていたとしても、受け止めてもらえなければ元も子も無い。

受け止め切れない人たちには、いろいろな事情を持った人たちがいるが、その代表例の一つが、更年期なのではと考える。

「自分も更年期、野良レモンたちも更年期、条件は同じじゃないか、なぜもっと頑張れない」という理屈で来られたら、

そして、私たちを察する感性の力が落ちたら、太刀打ちできないではありませんか。(なんも勝負しませんよ。そんなつもり無いですよ。)

なにを言っても分かってもらえなくなるじゃないですか。

言いたくもないですけど、いやいや言わなきゃならない時って、どっかで出てくるじゃないですか。

困りますよ。


更年期障害とは

女性は、エストロゲンというホルモンが下がり、

男性は、テストステロンというホルモンが下がる、んだそうだ。

男女とも、加齢によって、ホルモンの元気が無くなる時期が来て、物理的にホルモンが変化することにより、

身体に具体的な症状が出て来てしまう。生活に支障が出るものを、障害、付きで呼ぶ。



歳を取るから、抵抗のしようが無い。

地球は回っているから、時間はどうしても経ってしまう。時間が経ったら、加齢の症状はいやおう無くきちゃうもの、ということなのかな。


女 性

女性の症状は多いです。もううんざりするぐらい。

更年期と言う考え方も、女性の症状から始まって、研究されて、発展してきたらしいです。

不定愁訴、ホットフラッシュなどの熱くなる症状、動悸、目眩、高血圧、情緒不安、抑うつ症状のあるあるな症状、頭痛や不眠など、関節痛、食欲不振、肌がかゆい、頻尿、などなど。

閉経の診断は、検査で、特定成分の濃度が下がったら、正式におりるそう。

更年期障害の苦痛な症状は、主に閉経の前後から始まる。甲状腺、骨密度にも影響が出る。

ホルモン補充療法が効くらしい。

ただし、婦人科系の腫瘍が大きくなる場合や、血液凝固系疾患になりやすくなるかもしれない可能性も付いてくる。



婦人科系ガンも出てくる頃じゃないですか。子宮筋腫も出るお年頃じゃないですか。

ホルモンで大きくなる話は、野良レモンも読んだり聞いたりしていた。

大きくしたくないですがな

減らせって言われたり、補充しれって言われたり、むちゃくちゃ言われる時期なんですか

それとも、これにもお医者は「うーん……」と黙ってしまって、答えをもらえなくなるんですか

逃げられるんですか


男 性

LOH症候群。テストステロンが減って起きる。長らく「治療の必要無し。老化現象ですよ。」で終わらされてきた症状だそう。

メタボになりやすくなる。糖によって満足の信号を出してくれるインスリンが落ちてくる。そしたら満足しづらくなる。つい食べる。内臓脂肪が付きやすくなる。メタボへの階段をのぼる。

骨粗しょう症(なんで女性側のなりやすい病気だよ)、高脂血症にもなりやすい。早朝に目覚める。

男性もエストロゲンが作られる体内の仕組みを持っている。女性よりも長く濃度を保っているらしい。

しかし、テストステロンの減少と一緒に、エストロゲンも下がると、女性同様の作用が体に出て来てしまう。でも認知度は低い。



どちらも、調べたら、働けなくなるとは、書いていなかった。

女性側には、介護問題や、子どもが巣立って、心に穴が空く変化が起きる年頃、とは書いてあった。

だから、高齢者生活に向けて、男女で、話し合って、理解し合って、準備しましょう、みたいなことは書いてあった。




私たちは、働けるんだろうか


私たちは、生産力で、勝てない。自分の身を自分で守れない。

出過ぎず、大人しく、品良く、好感を持たれて、可愛がられていないと、ますます働けなくなる。


野良レモンだって、もともとの特性は受け身の受動なのだ。

『下出に出るのが苦手』どころか、能動的な言動をしたり、意志表示をすることすら、もともと私の辞書には載せていなかったつもりだ。

ゴジラにも曖昧な返事をする。「ノー」が載っていなかった辞書で生きてきた。後から、成育中に、教え諭されて仕方なく載せてきた。


もし、「ノー」無しに戻れと言われたら、私には戻る能力がある。

日本の大陸にゴジラを上陸させて、人間社会をぐっちゃぐちゃに踏み荒らされる。それでも、一度叩き込まれれば「えーと……えーっと……よく分か……らない……です……」戻れるのが受動のASD自然体だ。


でも、更年期の私たちが、更年期の同年代が多くいる集団で働けと言われたら、

私たちは、可愛がられるために、お気遣いをしなければならなくなる。お世話をする必要がある人たちなのだ。

更年期は、理解とお手伝いを必要としている。


私たちが欲しいのに


そうそうあげられないよ 上手にできないよ 私たちが欲しいんだそれ


たとえいくら美人になっても、好感度が補えないじゃないかそれ (なれないけど。)

更年期の特徴を理解しないまま「わたし美人 ねえ本当に美人 」
パカッ
「ギャー ポマード 」の勢いで執着しても、

欲しいものはもらえないってことじゃないか

(昭和のネタ。知らない人は知らないままでいいですよ。あまり教養にはなりません。)


雑談二つ

先週の記事を投稿し終わった、

台風の夜

悪夢を見た。



台風で墜落した飛行機が、よりによって私の職場に落ちてきた。

ギャアアアー

社宅の窓から身を乗り出して、アババババ ってうろたえてたよ。

中は無人。人の被害は無い。大丈夫。火事を心配するべきなのかな。通報するのかな。

私がしなくてもこれから消防車も自衛隊もマスコミもごっそり来るのかな

気圧の変化で、私の体調の中の、セルフモニタリングできない深層のなにかが修羅場だったらしい。

ちなみに社宅と職場の配置は、むかし勤めていた職場の並びになっていた。

深夜の夢だった。



先週から、毎日のどの痛みの市販薬を飲む体調だった。

痛くてやってられなくて。

連休なのに、絶えず眠気が来ていて、

ぐだぐだ、ぐだぐだの時間が過ぎて、ある時、悟った。

私、安静を必要とする風邪をひいてるじゃん


だあれも突っ込んでくれない、アラフィフ軽度当事者の一人暮らし





神経の過敏さは変化していくのか

毛抜きと顏剃りで、最近気づいた。

若い頃は、まゆげ周辺のムダ毛は、顔剃り道具で剃っていた。毛抜きで抜くなんて、痛さをビリビリ感じて、皮膚ごともげそうな気がして、怖かった。

しかし去年ぐらいから、眉毛周辺は、怖くなくなった。

毛抜きが使える。

唇回りはまだ痛い。

顔面の神経系って、年齢と共に変化するものなんだろうか

老化なんだろうか

老化って、鈍くなるものなんだろうか

これから、どんな変化をするんだろう

そこそこ高齢なのに整形手術に抵抗が無い人っているけど、慣れるものなんだろうか。

野良レモンはしないけど。



争点てなんだろう? 「可愛い?」

「争点」…論争の重要な論点で、解決させなければならないこと。

ネットで調べた言葉の意味だ。


はいこんにちは依存薬物役ふぜいの野良レモンです。


一般の普通の庶民たちは、望むと望まざるに関わらず、年がら年中争っている。


あの人の方がアテクシよりもチヤホヤされてる

この人の学歴なんて、世間から相手にされるほどのものじゃない

そんな業績なんてなんの意味も無い たいしたこと無い
etcetc………


でも、争って手に入れないと私たちが困るものってなんだろう

私たちがだれかより劣ってても仕方が無い。でも私たちがなにかで優れたとしても、表向きは平等に働く一般社会では、劣ったところを引き上げるように、まだまだ自動的にプレッシャーが掛けられることが多い。

まんべんなく合格点を取り、宴会では気を利かせ、休日もゴルフなど趣味へのお付き合いに出掛けて行くのが、日本のよくある労働者。

でも、軽度当事者の私たちは、休日は動けない。

休日に動いて名誉挽回とか、日ごろのお詫びとか、そういう行動は取れないのだ。

だからそういう取られたら取り返すような争い方をして、リアルの現実で衝突した人を見返すのは不可能だし、

ネットの中で衝突した人を見返すのも違うし、不可能だ。


国内に、発達障害の言葉が入ってきた、約20年前は、人より遅れを取っているなら人の倍努力をして遅れを詫びて、許されるような態度を取る、

という『頑張れ』の考え方も全国的に強かった。

『頑張れ』だけではどうにもならないので、そう考えた当事者たちは、ネットに書いてきた。

子どもたちについては、分かってるお医者が多くて、本でも、テレビでもしゃべっていた。

野良レモンたち大人たちは、ありがたがり、次は自分たちが理解される番、が来るのを今日か明日かと待ち続けた、

ら、『いない存在』にされる屈辱がブッ込まれてきた。


でも、こうして時代が進んで、さすがに『ちゃんと実在する存在』になっても、

人と争っても無駄なので、争いを好まない考え方になっても、

逆に刺激が足りなくて争いが欲しい欲求を持ったとしても、

優等生をやめても、人気者をやめても、トラブルメーカーをやめられても、

適応から逃げたくて逃げたくて、結婚なりして依存先を作ったとしても、

いい病院とお医者に肯定してもらい、味方になってもらったとしても、

『一番』とか『優秀』だから、解らないことを教えてもらえるかと言うと、それは変な話だ。


優秀でなくても、争うのをやめても、過剰な保身も適量な保身もやめても、

どうしたら、障害者手帳を持っていない軽度当事者が不利にならないように、一般の普通の人たちが手を差し伸べる気分になれるかというと、

『可愛い』と思えるかどうかなんだと思う。


ただ、字のままに外見、容姿が可愛らしいと扱われるだけなら、
BMIが高い人は不利、アイドルのように健康な歯を抜いてブリッヂにしてでもPTSDっぽくなってでも引き籠りになってでも審美歯科は強制、
値段が高い服を着ていなければ不利、摂食障害になってでも痩せなければ不利、
野良レモンのように歳を取ったら使い捨て、社会参加終了、という、
時代がバブルに逆戻りしたかのような極端な世界を強いられなければならなくなる。
一人でも多くの他人から言葉で可愛いと言われる人、ということに偏っていき、
美少女美少年でなければ親が舅姑から責められるのか 
我が子よりも可愛いと言われる回数が多い子は敵認定されるのか 

今さらそんな展開には絶対ならない。

そうじゃない。

今の発達障害の支援現場でそんな指導するかというと、たぶんするわけない。

ただの自意識過剰な人、真実の鏡に『世界一美しいのはだれか』を聞いて自分以外の姫を言われたらころしに行っちゃう魔女と同じレベルになってしまう。

人権、というものは、まんべんなく優秀な一般の普通の人たちと、手帳をもらえた認定済みの障害者、にだけ認められるのかというと、そうではない。

まんべんなくないアンバランスな人たちにも認めていますよー認めてあげますから認めてあげられるメニューの中から申告を自己責任でしてくださいね身体障害ですか身体障害ですか身体障害ですかあとこの窓口で対応可能なメニュー無いですから身体障害ですか

違うメインはそこじゃないしかしだからと言って、指示理解、実行力の不便の責任が、自分たちに自業自得で返ってくるべきなのかというと、それも違う。

違うことを証明するために、世界中の医療の学者先生たちが、今現在も発達障害の研究はしているのである。



一般の普通の人たちの平和のために二次障害で潰れてあげる義務は私たちに無い。

親は当然、先にいなくなる。

いてもなにかを求めることは不可能になり、逆に福祉に支えられて細々と生きる高齢者になる。


じゃあこれから戦って確保するものはなんなのか。


20年前からある、 (平成生まれは知らないだろう~ ) むかしのベストセラー本『片付けられない女たち』の一説、

[侮辱と抱き合わせのサポート いやな言葉だけははっきりと拒絶する ]

などが指す内容を、社会常識として、一般の普通の社会に押し上げて行くことなのではないか。
だって軽度当事者同士は成立しないもの。軽度当事者が集まると当事者はありもしない妄想の言動をしたことになり要求をしたことになって弁明と謝罪と変更・修正を求められて自動的に脅迫し合うんだもんね。

で、日本風にどう表現するかと言うと、『可愛い』かどうか、なのではないかと表現したい。

障害者枠雇用じゃないから相応の配置配慮をしない軽度当事者でも、

自身の努力は前提で、周囲には、

『一回で分かんないって聞き直してきても、可愛いから怒る気になれない。』とか
『なんとなく可愛いから、誤字脱字も仕方ないと思える。』くらいに、思われて、

許されて行かないと、私たちの生き残るすべは確保できないと思う。

許されて行かないと、私たちの人権が確保されるが来ないのだ。


そのためには回りの人たちもイライラしない環境が整う必要がある。

有給休暇は取って当たり前、病気休暇も介護休暇、看護休暇、男女とも育児休暇、など取っても当たり前になり、殺伐としない、十分な雇用者数とお金が回らなければ、回り回って、私たちが困る

まるでぼんやり座ってるだけ、のような就労形態でもなんでも、70歳まで働かされないと生きられないことを前提に、人生設計させられるなら、そういうことになるのだ。

私たちは偏ってるけどたぶん真面目で素直ですよ。

働けと言われたら、60過ぎても外へはのこのこ出て行くとしましょう。

ただし、指示理解力がさらに落ちて、HSPなどの特性のコントロールも出来なくなれば、分からないことを聞けなくて、聞いてもやっぱり分からなければ、その場から動けなくなりますよ。

結果、生産しませんよ。

でも出て来いと言うなら出て行きますけどね。

鍛え方が半端ない理想のハイパーなお年寄り労働者を求められても、そうでない者はそうでないですからね。

きっとものすごく多いですよ。

独身者が多いですから、子どもには頼れませんからね。

国に言いたい。

どうしますか

発達障害は親に頼れ、と壊れたスピーカーのように、暗に、陰険に、繰り返しますか

でも親はお墓の中ですよ。

だーかーらー60歳できれいに就労を終わらせて十分な年金を出せば、とりあえずはお金で収まるのに。

働きたくない軽度当事者は自分だけの合理的な生活、好きな趣味の世界に入って生きるし、日程調整しなくても病院に通えるし、昼夜逆転でも好きにできるから情緒安定する確率は上がるし、

世間様のみんなと同じ年まで働けたということで、自尊心もそれなりに納得して、自己肯定感もあげられるかもしれないじゃないですか。


ガタガタ理由つけて歳を吊り上げて働かそうとするから。

乗っからなくてはならなくなるじゃないですか。

つられるじゃないですか。

催眠術のように引っ張られる者は引っ張られますよ。

ノーなんて言葉、辞書にはあっても、24時間経たないと思い出せないかもよ。

煽られたら素直に乗っかってグチャグチャワアワア引っ掻き回す特性ですよ、私たち。

パニックになったら身体もお口も止まらない多動ありの当事者は、走り出しますよ。

一人付き添いが付かなくてはならなくなりますよ。

知りませんよ。自己責任取りませんからね。

60歳過ぎの軽度当事者たちが、全国でパニックになって生産を止め出しますよ。

国が仕組んだんですよ。

生産が必要なら、未来で、私たちに お金を保障しなさい。



LGBTの人たちは、昔のむかし、昭和の頃は、まるで社会規律に反した変態のように誤解されてきた。

今でも差別偏見が解消されたとは言えず、家出して、家族が所在を知らないままに倒れて危篤になって……という事例もまだあると聞く。

それでも、法を動かして市民権を得たり、パートナーの婚姻証明ができたり、
子どもがいつまでも結婚しない親同士の間で、「実は同性が……ってうタイプなら怒らないから正直に言いなさい 」という冗談に使われるネタ(いやこれも実際どうなのかと……)になったりするところまで、社会認知を上げに上げてアゲアゲにした。

すごい。



話を戻す。

仕方ないから、私たちが今、努力もしながら手に入れるものって、まず『快く許されること』からじゃないかと思う。

そんなふんわりしたもの、戦いたくないと思う人もいるかもしれない。

でも結局そこからな気がしている。

なんで戦うのかも分からないという軽度当事者もいるかもしれない。

でも、正論が通用しづらい時代に、もうすでになっている。



理由は個々さまざまにあれど、暴れたい衝動の抑制をしづらい人たちが増えている。

ポ〇モンゴーやインスタ映え中毒の人たちは、立入禁止区域にも我慢できずに、または我慢しないで入るし、

煽り運転からの恐喝中毒も、連れ子虐待中毒も、そもそも辞書に我慢の字が無いし、のうのうと許されるつもりだし、


残念ながら教育機関のいじめまで発生した。弱肉強食で強い者が自己正当化を勝ち取った環境で、やめる理由の無い暴力はもう中毒症状になるので、

本音は今でも、被害者の先生たちを骨を砕くまで殴り潰したい衝動が沸き立っているかもしれないね。

一人ころしたら次、二人目、三人目……外国の怪談の青髭男爵のように、承認欲求をかなえた勲章を、積み上げたい欲求で、
(訴えぐらい取り下げろよな 口先で謝罪してやるから許せよな 職業上の経験者に逆らってただで済むと思うなよ ああこれからも虐待続けたい 気に入らないやつ全部に虐待してリンチしたいリンチしたい 警察にも教育委員会にも生徒にも正当化して全員逆らえなくしてやりたい イライラする耐えられないリンチしたいリンチしたい )などの妄想が、グラグラ煮えたぎっているかもしれませんねえー。

禁断症状あるある。

タバコタバコタバコタバコタバコ………

なんでも大人に言い付ければいい子になれると思ってんじゃねえぞ


お酒お酒お酒お酒お酒………

ひとくち飲んだら終わりって言ってるでしょ


リンチリンチリンチリンチリンチ………

生存できないほどの暴力だと言うのならどうしてそんな現場に自分の意志で通ったんですか
暴力の認識は個人のただの感覚によって勝手に成立するはずですが暴力と感じた感覚がだれにとっても正しいと本当に言えるのでしょうか 粘着されてもイヤではないですが感覚を変更して修正するべきとは考えないのですか

個人には個人の意思で動く権利があります。だから動きました。それだけです。
被害者が暴力を受けた感覚を勝手に感じたのも個人の勝手でしょう。振るったのは暴力だって、決めつけてませんか。
出勤を繰り返した自己責任についてはどう考えているのか詳細に説明するべきではないでしょうか

出勤しないと生計が立たない被害者の自己都合にはなんとも感じませんしどうでもいいことですね。聖職と言われる職業の現場が自己保存欲求の塊によって汚されたという客観的な事実が明らかになりましたがそういう姿勢で働いていたのならそのまま我を通して働き続ければいいじゃないですか。勝手に暴力だと感じて反抗が空振りに終わったからと言って、難癖をつけるのはおかしいですよ。こまったもんですねぇ。




反省、なり、反省のようなものを、しているとは限りませんよぉー。

自身は波長の合う人たちと要領良く繋がり合いながら、一方で弱者は弱者のままでいさせ、抑圧し、挑発し、煽り続けることくらい片手間で、教養と、反倫理的な才覚、発想力、知恵などがあれば、応用しながらいくらでもかなえられます。

今まで当たり前にかなえられたことを、急に制止されたゴジラの衝動が、一晩で静まるわけが無いじゃないですか。

なにを考えているんだろう。
ほとぼりが冷めたら〇春にブチ撒けて、虐待の正当化を手伝ってくれなかった人間全員に報復テロする作戦でも立ててるのでしょうか。

ブチ撒け報復テロはいったい何週間後なんでしょうね。全国の弱者たちが指を折り曲げていく、カウントダウン


そんなのの似たような相手と、きっと似たようなシチュエーションで、勝てない勝負を仕掛けられる思いをしてきた軽度当事者は多いはず。

君臨して見おろしている弱者どもの間で、助け助けられ合いが発生したら、ロックオンしたスケープゴートをだれもが見棄てるしか無いところまで、関係した弱者どもを追い詰めていき、味方になりそうな弱者仲間が離れていくことで、スケープゴートを孤立させる過程が、さぞかし充実して楽しくてたまらないでしょう。

スケープゴートに人間としての価値、人格としての価値を、いったん感じさせて、守らせてから、奪って崩していく、そして弱者ども同士が”共感”し合うことに無力感や敗北感のようなトラウマを感じ合うまで煽り、お互いにわだかまりを感じ、疑い合いが止まらなくなっていくザマは、
文字通りのザマァ見ろ、ヒエラルキーの下層民ども身の程を思い知れ という気分でしょうねぇ

協力し合う共同体の機能をブッ壊すのは、支配欲が刺激されて、お好きな人には最高なんでしょうねぇ。

“共感”の巣の出入り口を塞がれた働きアリどもが、パニックになって入り乱れるザマを見おろす気分を、きっと日常生活でおしやべりしていく口先でコントロールして、作っていけるんです。コントロールして展開する世界はさぞかし圧巻の眺めでしょうねぇ。

安易で無意味な”共感”に溺れた働きアリたちめ、弱者で醜い女王アリを一度でも庇ったことを後悔させてやる そしてアリの分際で「空振り」で「大損だ」と喚いた口を2度と開けなくしてやる 感覚を言葉にして言って人々に受け入れられると思っていたら大間違いだ と思ったら、出来ちゃう人は楽しく出来ちゃうんですよねっ

ゲームで、遊びでやっているという意識や認識が無くても、呼吸のように日常会話として自然体で出来ちゃうんですよね。

中毒になったらもっともっともっと、やめられないはずですよ。



私たちは、昭和、いやもっと過去の歴史から、暴力衝動の強い人たちにナメられ、狙われ、陥れられ、とろくさく逃げ遅れてきました。

私たちは、とっくに我慢ならないはずです。

自分たちの交流場所すら自分たちでブチ壊すほど、解決しないフラストレーションが収まらないはずです。

平穏な生活、

「ください。」と手を出したらすぐ、適正な薬と支援と分からないことが分かるようになる指導がもらえる生活。

必要なのに、要求して来たのに、

なにか聞き返されたり、苦痛感覚そのものを否定されたり、質問を丸ごとこちらに聞き返されたり、答えが無いわけではないのに、あることも、ある場所も、もらえる条件も、もらえる日時もずっと教えてもらえない。

危険からの逃げ方も分からない。

暴力や虐待被害に遭う、という業務に就いた覚えは無い。メンタル壊す前提で、生計を立てに社会へ出てきた覚えは無い。そんな仕事はしない。


私たちに「障害でもなんでもない。自己努力で解決しなければ許さない。」と命ずる人間には、

命じた内容の筋を通すためにも、暴力中毒の人間から、精神と体面と身柄を警護してもらう法整備をすればいい。

暴力中毒の人間と警護義務をおこたった人間には、罰則も作られればいい。

それなら私たちは、とろくさい努力を続けよう。

だって、それが全速力だから。



当事者が発達障害当事者仲間を罰する、という仲間の無駄遣いは、永遠にゴールが来ない回り道しか来ない。

アンガーマネジメント(必要ですけどね。これから人類が戦争を止めていくためには大事な研究ですよ。)を自分に強いても、永遠にゴールが来ない、自己の抑圧しか繰り返さない。

中毒のゴジラに抵抗する方法が分からない20年間には、私たちはもう、我慢ならないはずじゃないんですか


本当は60まで、そうして私たちにとっては全力疾走、

一般の普通の人たち目線ではゆるゆるふんわり好かれながら働いてから、

60でスパっと引退できれば、まずはハッピーエンドなはずなんである。

マイペースな隠居生活で、

世間様からも「勇退した人」と承認してもらえて、

自己肯定感が満たされて、

家の中を片付けて、慌てないで病院にも行って、支援受けて、当事者会などでは年下の人たちの役に立って、

自然災害には意固地にならないで避難して、行政サービスはもらえるものはもらって、

体力が有り余れば指示理解可能なボランティアして、

そこまで出来て、飽きた頃に終了できれば、もっとハッピーエンドなのである。

私はこれに、親戚たちも構ってくれれば、という希望が付く。

自動運転自動車も欲しい。ドラえもんも見たい。

夢は尽きないね。


夢を夢で終わらせて諦める展開になる人生を、前提にした覚えは無い。

ただ、学力が高くないから、考えても考えても方法が分からない。



雑談みっつ。

ネタバレ、たぶんしない予定だ。

ジョーカー まだ見ない。

そんなの知らん勝手にせい、と言われることかもしれないが、

テーマが、ムテキの人の出来上がり方、みたいなストーリーらしい。


ムテキの人、は、表現方法として、非常に目立つ、非倫理的な方法を取るだけである、結局は、社会的弱者。

野良レモンは、少なくともここのブログで、メインで取り扱いたいつもりではない。

ただし、今までの国内の事例を振り返ってみても、そういう犯人たちは非倫理的なことをやらかしているため、当然ニュースに大々的に取り上げられてしまい、狙い通り、社会的影響をこさえてしまうため、

国内でも私たち軽度当事者たちは、動揺をしてネットで話題にしてしまう。

ネットに書かれたものをロムする側も当然いるため、ネットから情報を得て、ネットから心身の影響を受けてしまうため、

各、ネットユーザーが、ネットから受けたい収穫、以上の、心身の損害を、わざわざ与え合う必要は無いから、

不要だから、そして損害から上手に逃げられない若年層や病人は、可哀想だから、

表現に気を遣い、自主的に調整するのである。

いたいけな少年少女、が読んでくれてるとは思いたくない……過去記事を思い返してR18にしてもいい気持ちになることもあるが、

そんなアダルト……な文のつもりも無いため、していないけれど、オバサン心配なのだ。




ムテキの人、つくづく迷惑だ。

野良レモンは不満がたまっている。

リアルの現実とは区別がつく程度に、そこそこに、ではあるが、

そもそもインターネットが、リアルの現実の息抜き、ガス抜き、あと勉強…に、使う目的で約20年前に購入したものであるため、

インターネットで憂さが晴れていない今は、私が回線に接続する目的が果たせているとは言えない。

私たち弱者は、コミュニケーションでマウントを取りたい人たちのスケープゴートになるために、生産を生まなくてもインターネット回線を繋いでいるのではない。

“マウントを取りたい人たち”のために、優しくただで弱ってあげるボランティア、ではない。


『えんじょう』の漢字表現も、イラスト文字も、京都アニメの事件以来、まだ使うのをためらって、遠慮してしまう。

表現は自由にしていいものなんだけど、傷つく人がいるかもしれない、と考えると可哀想だ。

いつまでためらうのか。

それも正解は無く、野良レモンの自由なんだろうけど。

そういう事件が起きるたびに、のどかなことを書くのは遠慮しなくては、という気持ちが働き、

後回しにした映画の感想記事もある。アベンジャーズエンドゲームだって……、自分の利益にならなくても守る誇りを描いたグリーンブックだって、ワードの中で、下書きで、出番を待っている。


ムテキの人たちは、基本に反している。

『社会への不満は、言論の自由で表現された言論や、選挙で法に乗っ取った投票をすることで主張すること。損害は裁判で審議に掛けて法的に解消すること。』といった、義務教育で教えられる基本に反している。

基本に乗っ取っても、耐えがたい不幸、満たされない欲求、かなわない人権があったのだろうから反したわけだけどもね。


しかし、邪道なのである。


私が、過去には掲示板などのネットコミュニティ、今はこのブログなりで扱いたいのは、

医療支援や福祉の隙間に落とされて、かつ、無視されている、

社会的立場を持ちながら、軽度当事者としてのケアを十分に受けられない当事者たちなのだ。

私の造語(最近あまり使ってなかったけど)中途診断二次障害野良当事者団 も、教育支援適用済み当事者団 も、HSP/HSSの人たちも、

前提に、

社会的立場がある。

主婦、親、労働者、失業者、療養している人……

社会に、はまって生きる、意志がある。うまくいかないだけ。


不幸の主張は、する人権はある、と野良レモンは考える。

だって、私たち国民、人間全員には、当然、人権があるから。

でも、手当たり次第に主張、攻撃をやっていい、とは違う。

助けを求めても伝わらない不幸は、まず言論、とか、デモ、とか、ユーチューブ、ニコ生、なりで伝達をするしかないと考える。

しようと思ってすぐ出来るものではないから、掲示板なり、当事者会なりで、伝達のトレーニングをするんだと考えてきた。

でも、トレーニングの場は、そう使われずに当事者たち自身の手でブッ壊されるようになった。

ムテキに走る前に、努力して試すことは山のようにあるはずなのに、力量を付ける場所が無い。

ムテキ行為に走るくらいなら、書け と、何度言いたくなったか。

でも、野良レモンの文には、ムテキ素質のある人に伝わる説得力や、響く伝達力が、無い。

無いものは書けないので書けなかった。



邪道な方法に注目して邪道な方法の分析や歴史の言語化 ばっかり、を、膨大な時間を使って伝わりやすく気を遣って書くのは、

もう、マニアの領域だと思う。

野良レモンは、そうじゃないんだよね。

食べログやタピオカやユーチューブやジャニーズやコンカツやスクープを、見物人として、無責任な立ち位置から好き勝手書く、という、マニアのお遊びは、自分に息抜き以上の収穫がなにも無い。自分の分析にも自分の理解にも至らない。学びが無い。

自分を粗末にする時間の使い方だと考える。

ムテキの人もそう。そこ頑張りたくないんだよ。



ブログ、インスタ、SNS、お金が入るものでなければ、結論は自己満足のツールでしかないんだよ。

ただし、ツールを使ってコミュニケーションしたい、というニーズは、ものすごく多くの人たちにあるんだよ。

そのニーズをほじくった時に、社会まるごとのニーズも見えてきそうになって、野良レモンの狭い視界が、見聞が、広がりそうな気配を感じることがある。

見えない世界、経験できない世界は、調べる。情報を集めて、察して、接し方を組み立てる。多くの障碍者が取り組んでいる努力項目に、スピードが遅いながらも、野良レモンも取り組む。その時に、今は私には言語化 が一番前へ進める方法であるのだ。

自己満足、という使い古された言い方では括れない。





ほんとにごくたまに、すし飯が食べたくなる。

寿司はすぐには手が届かない。

退勤後のコンビニにもそもそもあまり行かないし、身体がバキバキなら帰宅してしまうし、

コンビニに行っても売り切れていることもある。

近くのコンビニは、助六寿司も売り切れていることがある。

刺身の買い置きなんて、危ないこと、いくら私が常識外れでもするわけが無い。

でも、あまりに休みのお出掛けをしないでいると、外食がしたくて、すし飯のイメージがおでこの斜め上あたりをチラチラするんである。たぶん魚介のたんぱく質を身体が欲しがってしまうのだろうか


でも手近に無いものは仕方が無い。

と思ったら、冷蔵庫に小瓶があった。

実家からおすそ分けをもらった、梅干しだ。

なにかの冠婚葬祭に出したもののお返しに、カタログをもらって、それでとってもいい はちみつ梅干を取り寄せたんだそう。

量があったので野良レモンにもおすそ分け。

その梅干しはもう残り少なくなっている。取っておく癖が発動すると果てしなく冷蔵庫の中で残ってるので、

もったいながらずに食べていた。

その小瓶の中に、梅干しを漬けていた、甘酸っぱいタレが………


これたぶん美味しいやつだ………


炊き立ての米。しゃもじで約二杯。一合強はあるだろう。タッパーにぷっこむ。

タレはたぶん大匙二杯ぐらい。


ネットによるすし飯のレシピ。酢、砂糖、塩。

タレにも酸味も甘味もしょっぱさも入ってる。イケるわー


しゃもじに沿わせて入れるのは知らなかった。

切るようにしゃくしゃく、しゃくしゃく混ぜた。

わー、これお寿司っぽい味だー


実家にバレたら呆れられるやつですね。

他人には食べさせちゃいけないやつ。

ネットの言葉で言う、マズメシ、を作るオバサンです。


すし飯はタッパーに入って、冷ましてある。

たぶん海苔の上に広げて、きゅうりや卵焼きを乗せて、巻いたら、立派な海苔巻きになるのよね。

いや、立派じゃあない。





野良レモンだってぽっちゃりなので、ダイエットのマッサージグッズぐらい持っている。

しかし、あの猛暑のタイミングで、やらなくなってしまった。

「マッサージグッズをゴロゴロする時間が無い 」って、ここに書きたくて、思考の斜め上にはいつもチラチラしてたんだ。

でも、あの猛暑で、毎日のルーティン全部をこなせなくて、優先順位の低いルーティンから落とされていったらしい。

電源が切れるように、野良レモンの思考から消えて、触らなくなってしまった。


実際、やることが尽きないのだ。

残業が終わって帰宅してから、痛む場所にシップを貼ったり、薬を飲んだり、水筒を空にしたり、お仕事で服にシミが付いたら、洗剤に漬けおきしたり、流し台を空にしたり、資源ごみを分けたり、たまったら出す曜日の前夜に出したり、そんなことをチョビチョビする。

楽しいテンションの時に楽しくできることばかりして、家の中は保っていけない。

家の中に持ち込んだ物は自分でなんとかしないといつまでも、持ち込んだ位置のままそこにある宿命は分かっているけど、

なんとかする方法を必ず思い付くとは限らないし、思い付いてもできるとは限らない。

太った身体も太ったまま、それは分かっている。でも頭の電源が落ちたら、睡眠も取らないと生計に関わる。


このブログの文にありがちな、矛盾

偉くて、怖い、分かりやすいお姉さんの話を聞いていて、あることに気付いた。


偉くて、怖い、分かりやすいお姉さんとは、久しぶりに出したから解説すると、

ユーチューブで見つけたコンカツ会社の偉い役職の、やり手のお姉さんの講義である。
コンカツしに来た男女たちに、同じような指導を何人にも、何人にもするのが大変で、もう動画で言っちゃうことにしたんだそうな。
分かりやすく伝わってくる言い方がすごいので、野良レモンもそのへんを勉強しているつもり。


お姉さんが力強く語り、野良レモンに伝わってきたこと。

●平成から令和に進み、『結婚』という行動に夢を見られる時代ではますます無くなった、とのこと。

●片方が年収が多い『結婚』も、共働きして家計が成り立つ『結婚』も、どちらも戦って生きていくのが前提、とのこと。

たぶん、他にもいっぱい言ってるけど、重要な要点としてはここ二つが記憶に残った。


自立、自律、人との距離の取り方、男女お互いへの理解の仕方、自他の区別の付け方、子離れの仕方、育て方、尊重の仕方、貯め方、使い方、………

そんな常識や知識を、職場なりでもまれ、鍛え、男女とも一人前に身に着け、備えた成熟した大人同士が、

毎日、何年も何年も、相手を大切にするためにモニター能力を使って察しながら、話し合いながら、

家計を潰さないように、共同生活を破綻させないように、男女とも戦って作っていくもの、と野良レモンは理解した。

そこにふんわりゆるゆるした”夢”が入るから、進行がぐっちゃぐちゃになっていくものなのだ、と野良レモンは理解した。


いやー、自分がしなくても勉強になりますね。イヤだイヤだ。

軍隊の規律の圧迫感で過呼吸気味になりそうです。

コミュニケーションで”ハズレくじ”を引いても、引かせてしまっても、大らかに赦し合って、話し合って現実問題を解決して次へ進む 軍規 がある限り、承認欲求の迷子の私たち軽度当事者は、PTSDをまぬがれないじゃないですか

どんなに不可能なことか、具体的に、知れる。

二人でも戦う。一人でも戦う。男女ともそういう時代なんですって。イヤだイヤだ。

なら、戦って休み、戦って虚脱して休み、また戦ったらまとまった時間をやりくりして、いろいろを後回しにしたりキャンセルしたりして作って休む必要がある野良レモンは、一人で戦って休むしか生きて行けないです。

やりくりして作った時間に、だれかがなにかブッ込んじゃいけないんですもん。夫婦の協力って、結局時間が潰されっ放しじゃないですか。キャパオーバーしても。イヤだイヤだ。不可能だ。


ありがたいですね。野良レモンの仮説に、根拠が付けられて行って、肯定されていく思いがする。安心感が違います。




話を戻す。

私がしょっちゅう書いていること。

私は、自分を過大評価することにみっとも無さを感じる。

私は自己肯定感は、考えた結果、私にそぐわないからまだ持てないこととする。

でも、世の中の軽度当事者、特に若い軽度当事者は寂しさの埋め方として、自分を安売りすることはあってはならない、という”反対”意見も私は持っている。

生活上の不便と、自分の尊厳、という別物が、ごっちゃになるのは、社会が悪いのであり、SNSや出会い系機能のある場所で出会った見ず知らずの他人に当たったりすがったりするのは筋違い、それでキープする人を作ったり、キープされたりすることに慣れるのは、自分や人を粗末にする”ぬるま湯”に浸ることであり、危ないことである。それなら相手にされなくても生活上の不便はお医者に訴えることであり………

その昔、リタリンが必要だった成人軽度当事者は、社会から『いない存在』に扱われた屈辱を忘れてはいけなくて、QOLの向上を諦め、文句の口を閉じることは、れっきとした障害者を軽視した国家権力の勝手気ままを認めて、屈することであり………

私がしょっちゅう書いていること。

私が主張していることは、自己を持っている人間が言うと、説得力があることなんだよね。

自己肯定なんて、突き詰めると自分視点ではあるんだけど、

自分視点をちゃんと持ってこそ、ロムしてくれるお相手の自分視点に、訴えかけて、響いて、共感を得ることが出来る。

なのに主張と、主張の間に、矛盾があるから、たぶん、読者の人たちの中には、読みづらさを感じる人がいるかもしれない。


偉くて、怖い分かりやすいお姉さんの講義には、さすが、矛盾が無いんだよね。

さすがだなぁと、思い返していて、

私の文の特徴に気が付いた。

辻褄が、微妙に合っていない。

自己肯定感を持つことは遠慮してるのに、自分の意見は持ってる。ここに説得力が伸びない原因があるのだろうか


生活上の不便と、自分の尊厳、の二つがごっちゃになって整理されないまま、

たとえば「他人に優しく接すると優しさで返ってくるものなのです」とかって指導されて、「他人の厚意も優しさも信じましょう」って言われても、

その「優しい」言葉に具体性がなにも無かったら、私たちの生活は恐ろしいことになる。

たとえば、視覚に障害がある人に優しく「信号は、交通整理のために作られたものですよ。信じて従っていれば、車にはねられることはありませんからね」と何時間言い聞かせても、たとえ滝のような汗をかいて言い聞かせても、信号のある横断歩道のその場で、人なり、訓練された盲導犬なりが教えてあげないと、優しさは機能しない。そのような恐ろしいことになるのだ。

私たちが、ゴジラが日本列島に上陸することも許可する勢いで、従順に人に従い続けても、私たちの問題も、私たちを社会に住まわせる一般の普通の人たちの問題も、解決するわけないのである。

だからといって ジョーカー (ムテキの人?)になるのも答えじゃないんである。

答えを求めよう。無くても求めよう。それが人間としてのプライドではないのか。

そこをもっと分かりやすく説明して、伝え切れないと、辻褄は、合わないんだろう。

うわあ難しい。


辻褄合わせるのもいいんだけどさあ、これ以上なにか頑張るっていうところ、私には見つからないのよ

ASDだからさ、辻褄、合っていないところが見付かったら、辻褄合わせたいんだけどさ、

これ以上、なにを頑張って辻褄合わせるのかなって。

いったいなにを頑張るのかなって。


もっと細かく、面倒くさく書くと、自己肯定感を持っているポーズを取って社会へ出て行くと、

私たちが不便なのよね。

「一般の人達よりも仕事、勉強、コミュニケーション、できないくせに、なに自分を認めているんだよ」っていう意味で、他人様たちからは、反感を買う。

だから、解らないことを教えてもらえなくなる。主語を付けて話せない人とは共存できない。こちらが目と手を動かして作業している時に降ろされた連絡は私には機能しない。

でも分かっていないことは教えていただかないと次へ進めない。

でも教えてもらえなくなる。

でも自己肯定感だけでは進めない。フリーズする。

でも教えてもらえなくなる。

でも進まないと許されないのに。

でも教えてもらえなくなる。

言葉だけで分からないことの、見本を見せてもらえなくなる。

そしたら、不便だ。先へ進めない。生産できない。


「何回も教えたのになんで信号に従わない だから車にはねられたじゃないか 車のドライバーも可哀想じゃないですか そんなに意固地で反抗的で性格悪いまま生きたいならもう回りは一切助けません 自己責任を取って勝手に生きなさい 」

と言われたとしても、私たちが謝罪しても、実際に事故に何回も遭っても、人間関係や生産作業の交通量や風向きを察する認知力が無ければ、教えてもらわないと、危険は見えない。

つまりは私たちははねられて自己責任でしんでしまえ、と言われているのが現在の現状なのである。

一般の普通の人たちはそんなこととだれも向き合いたくない。だから黙る。逃げる。

そんな人々に救助を期待して待って、待って、待ってもたしかに無意味なんだろう。だからって私たちも逃げることが正解なのですか

逃げれば承認されて生かしてもらえますか


私たちは生活の全部を助けてとは言ってない。ピンポイントで助けて欲しい。そのポイントを、察してとは無理は言えないから、私たちから言いやすくして欲しい。

だから助けてもらうためなら、低い態度もする。謙虚にする。謙遜する。お気遣いする。

自己顕示欲とかメンヘラじゃなくて、生産するために、学ぶために、不便だからする。

だから、もしも仮免許のように仮の肯定感や、保留中の肯定感を隠し持っていたとしても、

外面としては、自己肯定感を持っていない体裁にしないと、私たちは不便で食べていけないのである。


しかし、人間の存在の仕方として、自分の意思も、主体性も持っていないと病むし、他人に頼ってばかりの生き方になるよ、と、私たちの多くが、病院などで指導されてきた。

二次障害をしょってしまうと、どうしても自力回復は不可能なので、どこかに教えを請わなくてはならない。

そこで、自己肯定感を持つように指導されて、でも持ったら、持ったで、社会の現場で嫌われるんである。

そんな現実が、軽度当事者、一般の普通の人たち、多くの人たちの間で、もみ消されてきていた。

面倒くさいからだ。


だから、〇 カ に す る な ぁ  と、言語化 に挑んでいるのが野良レモンだ。

まるごともみ消して、鎮火して、無かったことにするんではなく、整理したいのだ。

その、整理力が、野良レモンにはまだまだなのだ。

人に読み取ってもらえる、伝わる、印象に残ってもらえて、問題意識を持ってもらえる表現が、まだまだなのだ。


無かったことにされても、解決、しないもん。

社会の中で、たらい回しにされて、新しい環境に移っても、移っても、目を付けられて攻撃されてきた軽度当事者は数えきれないほどいる。

目を付けられる私たちには私たちの理由が、反省材料があるけれど、

目を付けて、目障りに感じて、怒りに点火する人たちの存在を、どこも炙り出してくれないもん。もみ消しぐらいで消えていなくなるわけが無いでしょう。


私たちの苦手、認知力の不足、視野狭窄、それらが『悪意』に認定されると、私たちは魔女狩りに合う。

だから、結果的に警戒し過ぎが、自意識過剰の言動になったとしても、私たちは、360度まわりの人物たちの思想を、察知し続け、見張るかのように観察し続けなければ、危険を防げない。

私たちは、やめない。


接する相手あって、私たちの不便はあらわになる。

だから、表現しづらい。

読んでくれる側の多くが、ネットを扱える軽度当事者だと察しているが、

軽度当事者自身も、当事者の苦労をする主役だったり、お世話をするわき役だったり、攻撃を受けた被害経験者だったり、支援や治療を受けて立ち直った人、適応した人寄りの人だったり、さまざまだから、

何人分もの視点から、感情移入が可能なのだ。

指摘、批判できるのだ。

一人で何人分もの視点を持つ当事者もいる。そんな訪問者の人数分、頭数分、当事者の視点が集まる。

何人分もの立場の人たちに対して、「ブログ主の野良レモンに共感されたいです あの視点に対してもこの視点に対してもいくつでも共感されたいです さあ共感してください 」と迫られても、

頭が追い付かない。

まだまだなのだ。


偉くて、怖い分かりやすいお姉さんのように矛盾なくビシッ とまとめられれば、読み手は安心して読めるだろう。


でもそれがうまくできないのだ。

野良レモンより学力の高い賢い軽度当事者はたくさんいると思われる。

分かりやすく表現して欲しい。


雑談、3つ

まだ記事書きますよ

ワクワクイベントで休むのはまだ先の、雪が降った頃の話。

でも、当事者として、「記事書かない。」という言葉が目に入ったら、今すぐなのかなって、頭にインプットされてしまう気持ちも分かります。なんかゴメン。



最近、便利な場所にあったので小さなスパ温浴に行った。

自分の道具、着替え、ほか持たなくてはならない物二つ、持った結果、タオルを忘れた。

その前から、自分の立てた計画に破綻が無いかどうかを、考えを順繰り順繰り循じゅんさせてしつこくぐるぐるさせていた。

決して気を抜いていたつもりではない。

過集中したつもりも無いし、キリキリ殺伐とした自覚も無かった。

まだ眠くなるタイミングではなかったし、初めて踏む手順でも無かった。

若い頃から、世の中のわけが分からないながらも自分探しの旅をコツコツしていた経験はまだ生きている、つもりだった。

だからショックだった。

だから、あがった後は仕方なく、洗濯物にするつもりだったTシャツをバスタオル代わりにして使ってから、用意した着替えをなにくわぬ顔で着てしまった。

ほかのお客さんたちも、自分たちの会話に一生懸命で。醜態を見られていないと信じたい。


次は、ヘアアクセサリーが無くなっていた。

探したさー。

盗まれた可能性は、ある程度社会を知った大人なら考えるだろう。でも、勘だけど、そうではないと思う。

そこですれ違った人たちは、みなさん他人だけど、元気はつらつそうで、心が病んでいそうな人の気配は感じなかった……って言っても、ものすごく根拠は無いよね。野良レモンの勘は、穴の開いたザルのように抜けていくので当てにはならないね。

惜しくは、無い。三個セットで100円くらいのだったうちの、一つだ。

ショックなのは、せっかく気を張っても張っても、自分の神経が、一時的にボロボロになっている気配を感じたからだ。

こういう時に、対処不可能な決定的な災難に遭ったらどうするんだと、不安になってしまう。


その次は、自分の荷物を預けたコインロッカーを無意識に通り過ぎて一定距離まで離れてしまったことだ。

忘れたわけではないつもりなのに、目的と動きが一致しなかった。

神経系が対応する世界が、予定以上に狭くなってしまったのかもしれない。

自分でさらにショックだった。

時間が空いたときに、大切な荷物は腕に巻き付けて、目を閉じて、眠らないようにして休憩を自分に強制した。

ブチ瞑想。

こんな常識的な計画と行動で、もう神経系の疲労と限界が来るなんて


キッチンのガスコンロの穴の回りを覆うアルミフードを買ったつもりで、ガスコンロ回りを覆って壁を作るレンジパネルを買ってしまった。

こういう時に、一歩も外へ出たくなくなる。

間違う物なんて始めから買いたくなくなる。

でも、火を通して自炊しないと、あらゆる栄養素は足りなくなる。

もやしや雑草で生き延びられる、若くて貧しいアーティストのような生活を、軽度当事者のオバサンがしてはいけないのだ。


日ごろから軽度当事者のブログを読ませてもらっていて、計画の失敗のエピソードに当たると、ショック状態を思い出して、ソワソワする。

ASDスペクトラム持ちとして、こだわって詳細に立てた計画が破綻する哀しさが、伝わってくるのだ。

ただし、自分の限界や傾向を理解しないで計画を立てて、満足して過信しているらしいエピソードに当たると、じれったくなる。コメントなんて喧嘩しそうな危険なもの書かない。

ブログ会社のアカウントを持つ人しかコメントを受け付けない人もよくお見受けする。みなさんASD族の特性で、したくないご経験をいろいろしていらっしゃるのかもしれませんね。

したくないものはしたくない。だから避ける手立てに全力を出す。

それでも失敗するのが、どれだけ弱ってからするのかの基準線みたいなものが、年々下がっている気がしてならない。

神経系を稼働させて警戒できる世界が狭くなっても、警戒を手伝ってくれる人間が側に付き添ってくれると楽なのは、わたしたちの多くが経験している。

しかし、私たちは人間とは衝突してしまう。どこまでも普通に見えるがために、衝突の前には存在を覚えてももらえずに立ち去られてしまう。

これから歳を取り、人生の冬休みを迎えていく時期なのに、この不便を、どう一般の普通の他人に伝えるか、経験談も、成功談も、見本も、見つからない。

自分で頭をひねって試作品を作って試して、試すよりも、見本を置いてもらってそれを使い倒す方がどれだけ楽なことか。

日常には、働いて休んで生活を回していく、という苦労がまだまだ居座っているのだ。

優雅で遊びのような研究に、かまけてはいられないのに。





『人間失格』ふんわりネタバレ

綺麗だよね。なんというか、にながわさんの映画は、この、目にガツンを期待して、覚悟して、行ってしまう。



リアルの小説を読んだ人たちは、学生から大人まで疑問を持つ。『なにこの自己嫌悪だらけの。』

私の学生時代、読書感想文で校内入賞したものが印刷されて、配布された。それにも載ってた。感想文にするのは難しいだろうに、よく選んだな、と、私は書き手に感心した。

オバサンになって、こうして万華鏡のような、目にガツンとくる色彩の映画の中に再現されて思った。

これ、障害者だわ。

どこの精神障害に分類されるのか、野良レモンは学に通じていないので、分からない。

物心付いたころからなぜか干渉されたエピソードがあったはずだから、人に干渉してもらえる才能がもともとあったようだ。

躁鬱でもなし、統合失調でもなし、自閉にしてはモテ過ぎる、ADHDにしてはちゃんと書きあげる。

でも、身の破綻する行動をやめられない、そして自宅には戻ってきちゃうあたり、

アル中のように、脳を乗っ取られた行為の異常、衝動の異常がある。


現代なら、治療の計画は、立つ。


きれいな設備、カメラも充実した入院環境、さまざまな用途の薬

思考停止させるお医者だけじゃなく、寛解に向かってモチベーションを上げる説得が出来て、適切に使えるお医者も、いるとこにはいるらしい(野良レモンにはネットの向こうの世界にしか思えませんけどね。いいねー)。

医療の発展は、病気にいどみ、病気は降伏に至る事例を増やし、追い上げている。

問題なのは、インターネットの普及で、食える芸術を生み出しもしないのに、病人がいつまでも病気のまま浸っていられる事例が後を絶たないので、

降伏させてもさせても、治療環境が病人の頭数に足りないことだろうか。


すっごい明るく軽く表現されていて、私は小説よりもこっちが好きだが、

実際には、当人は、楽しくなかっただろう。たぶん。

映画のファンタジーじゃなくてリアルの太宰先生は、楽しくは無かっただろう。

それか、楽しいと楽しくないを、常時シーソーしていたか、両方同時進行していて、芸術のために中毒になってやめらんなかったとかそんなところだろうか。

だって依存している嗜癖依存の行動を「やらなきゃ やらなきゃ 」って、欲求に追っかけられるだけの時間が大半てことでしょ。

追っかけられるか、書くか、で生きるんでしょ。やだよ私は。病んだ脳みそのただの奴隷ですよ。

私たちは休ませて、動かして、休ませて、動かして、で、脳の正気を保っている。

アーティストはノイローゼになった。

しかし凡人の私たちは、ノイローゼから逃げる権利はある。権利は使おう。





ネットを読んでいると、親の終末期に対応できないASD当事者がいる。

たぶん野良レモンもそうだ。

軽度だと、福祉の世話にもなれない。

一般の普通の成人として、高額医療の保険のこととか、銀行口座が凍結されないうちに少しずつ降ろすとか、携帯電話の解約の仕方とか、車検をしませんか、自動車保険の更新をしませんか、と電話で聞かれたらこう答えるとか、

そんなことがこなせるかというと、それも出来ない。

お医者に掛かろうにも、まず親の病院へ看病しに通わなければならない。果たして自分の病院に掛かろうと思えるものなのだろうか。

掛かったとして、なにから助けを求める話をすればいいのか。

お医者っていうのは、自分のところで治療可能なメニューがあって、そのメニューどおりの病み方をしていない患者は嫌がるんでしょう
野良レモンはすでにグレてるので、こういう解釈をしている。


周囲の人間たちのテンションが通常時と違うと、つられて不安定になる当事者もいる。

みんながいつも通りの機嫌で、いつも通りの日常で、いつも通りの体調じゃないと、受け付けられなくて、

人生を終わりゆく親、本人、を最優先できない事態が発生するケースもあるらしい。

たぶん乖離したり暴れたりなんだろう。

親が先に逝くのは自然の摂理で、仕方ない。しかしその準備や、対応の仕方が、さっぱり分からない。

なんだかすごくきちっとしなきゃならないらしい、イメージは湧く。野良レモンも湧く。一生懸命しなきゃならないらしい。

なにを


野良レモンの頼りない昔の記憶だが、身内が入院した時と言うのは、病院の食堂で食事を摂ることが増える。車で移動しながらコンビニの食べ物を食べることもある。

なにが起こるか。炭水化物が増えるんである。

太る。礼服を持っていても、入らなくなっている可能性がある。

礼服を買いに行けと。

一日休みを使えと。もしそこでお仕事場の同僚と鉢合わせしたらどうするのよ。疲労困憊で礼服を買って、帰ったらたぶん寝たいだろうに、遊んでショッピングしている誤解をされるかもしれない。

今や野良レモンの身体は一日寝ても足りないぐらい、老けているんだぞ。

たぶん、礼服買うのに一日。親の看病に一日。親から指示をされた保険の書き物や、銀行にお遣いに行ってくるのに一日。

一日使ってはそのまま寝て、でも絶対足りない。

軽度当事者の一日は、ルーティンで組み立てないと、飛び込みの用事を入れながらでは絶対回らない。

無意識では回らない。あらゆる日常動作は、自己嫌悪とか想念の再燃とセットで、過敏さを忍耐させられながらイヤイヤ回っていく。

一般の普通の人たちの想像以上に、非日常の状態への対応は、疲労して、困難を極めるだろう。

あらゆる知らない人たちと会い、いやいや会話をして、なんだか決めさせられて、それを違う人たちにも説明させられ、意見が返ってきて、調整させられる。

私たちには不可能だろうな。

親が元気で判断力があるうちから、私たちにはこの終末の対応は能力の限界であることを悟っていただかなくてはならないだろうし、

私たちも自分でも悟っておく必要がある。

きょうだいなり、身内に、主導してもらえるなら主導を渡して、約束しておくのが無難だろう。

主導を渡す人間が気に食わない、というケースもあるかもしれないが、少数派だと思いたい。


中には、軽度当事者が、親の危篤からお葬式までの流れに乗れず、他の身内に任せて、別生活をしたり、

親自身が、身内を看病に来させず、自分で自分を隔離したケースもあるようだ。

共感、いつできるのか。情感を使う時は、いつ来るのか。

極端から極端のジェットコースターから、いつ降りられるのか。

嫌だなー

私なら、と想像してしまう。私なら、人生の最後は、構って欲しい

自分がして欲しいことは、基本、近い人間にもできるだけしようと努めるものだと考えている。

でも、実際、毎日のルーティンがあって、それを崩されながら、事前の指示も見守りももらえないで頑張れと言われたら、

実際、どれだけ実行できるものなのか。

共感、いつできるのか。情感を使う時は、いつ来るのか。

極端から極端のジェットコースターから、いつ降りられるのか。


分からないものは、分からないし、いつか来るものは備えるしか無いでしょう、と野良レモンは考える。

あったらいいのにな。

お葬式のプロや、共感の仕方を説明できるカウンセラーや、親を見送ったことがある軽度当事者が、

こういう場合が来るからこうしなさいとか、こういう気分になるよとか、こういう場所では饒舌にならなくていいよとか、解説してくれたら。

あったらいいのにな。

親の週末、じゃなくて終末期対応講座、みたいなのが。