争点てなんだろう? 「可愛い?」

「争点」…論争の重要な論点で、解決させなければならないこと。

ネットで調べた言葉の意味だ。


はいこんにちは依存薬物役ふぜいの野良レモンです。


一般の普通の庶民たちは、望むと望まざるに関わらず、年がら年中争っている。


あの人の方がアテクシよりもチヤホヤされてる

この人の学歴なんて、世間から相手にされるほどのものじゃない

そんな業績なんてなんの意味も無い たいしたこと無い
etcetc………


でも、争って手に入れないと私たちが困るものってなんだろう

私たちがだれかより劣ってても仕方が無い。でも私たちがなにかで優れたとしても、表向きは平等に働く一般社会では、劣ったところを引き上げるように、まだまだ自動的にプレッシャーが掛けられることが多い。

まんべんなく合格点を取り、宴会では気を利かせ、休日もゴルフなど趣味へのお付き合いに出掛けて行くのが、日本のよくある労働者。

でも、軽度当事者の私たちは、休日は動けない。

休日に動いて名誉挽回とか、日ごろのお詫びとか、そういう行動は取れないのだ。

だからそういう取られたら取り返すような争い方をして、リアルの現実で衝突した人を見返すのは不可能だし、

ネットの中で衝突した人を見返すのも違うし、不可能だ。


国内に、発達障害の言葉が入ってきた、約20年前は、人より遅れを取っているなら人の倍努力をして遅れを詫びて、許されるような態度を取る、

という『頑張れ』の考え方も全国的に強かった。

『頑張れ』だけではどうにもならないので、そう考えた当事者たちは、ネットに書いてきた。

子どもたちについては、分かってるお医者が多くて、本でも、テレビでもしゃべっていた。

野良レモンたち大人たちは、ありがたがり、次は自分たちが理解される番、が来るのを今日か明日かと待ち続けた、

ら、『いない存在』にされる屈辱がブッ込まれてきた。


でも、こうして時代が進んで、さすがに『ちゃんと実在する存在』になっても、

人と争っても無駄なので、争いを好まない考え方になっても、

逆に刺激が足りなくて争いが欲しい欲求を持ったとしても、

優等生をやめても、人気者をやめても、トラブルメーカーをやめられても、

適応から逃げたくて逃げたくて、結婚なりして依存先を作ったとしても、

いい病院とお医者に肯定してもらい、味方になってもらったとしても、

『一番』とか『優秀』だから、解らないことを教えてもらえるかと言うと、それは変な話だ。


優秀でなくても、争うのをやめても、過剰な保身も適量な保身もやめても、

どうしたら、障害者手帳を持っていない軽度当事者が不利にならないように、一般の普通の人たちが手を差し伸べる気分になれるかというと、

『可愛い』と思えるかどうかなんだと思う。


ただ、字のままに外見、容姿が可愛らしいと扱われるだけなら、
BMIが高い人は不利、アイドルのように健康な歯を抜いてブリッヂにしてでもPTSDっぽくなってでも引き籠りになってでも審美歯科は強制、
値段が高い服を着ていなければ不利、摂食障害になってでも痩せなければ不利、
野良レモンのように歳を取ったら使い捨て、社会参加終了、という、
時代がバブルに逆戻りしたかのような極端な世界を強いられなければならなくなる。
一人でも多くの他人から言葉で可愛いと言われる人、ということに偏っていき、
美少女美少年でなければ親が舅姑から責められるのか 
我が子よりも可愛いと言われる回数が多い子は敵認定されるのか 

今さらそんな展開には絶対ならない。

そうじゃない。

今の発達障害の支援現場でそんな指導するかというと、たぶんするわけない。

ただの自意識過剰な人、真実の鏡に『世界一美しいのはだれか』を聞いて自分以外の姫を言われたらころしに行っちゃう魔女と同じレベルになってしまう。

人権、というものは、まんべんなく優秀な一般の普通の人たちと、手帳をもらえた認定済みの障害者、にだけ認められるのかというと、そうではない。

まんべんなくないアンバランスな人たちにも認めていますよー認めてあげますから認めてあげられるメニューの中から申告を自己責任でしてくださいね身体障害ですか身体障害ですか身体障害ですかあとこの窓口で対応可能なメニュー無いですから身体障害ですか

違うメインはそこじゃないしかしだからと言って、指示理解、実行力の不便の責任が、自分たちに自業自得で返ってくるべきなのかというと、それも違う。

違うことを証明するために、世界中の医療の学者先生たちが、今現在も発達障害の研究はしているのである。



一般の普通の人たちの平和のために二次障害で潰れてあげる義務は私たちに無い。

親は当然、先にいなくなる。

いてもなにかを求めることは不可能になり、逆に福祉に支えられて細々と生きる高齢者になる。


じゃあこれから戦って確保するものはなんなのか。


20年前からある、 (平成生まれは知らないだろう~ ) むかしのベストセラー本『片付けられない女たち』の一説、

[侮辱と抱き合わせのサポート いやな言葉だけははっきりと拒絶する ]

などが指す内容を、社会常識として、一般の普通の社会に押し上げて行くことなのではないか。
だって軽度当事者同士は成立しないもの。軽度当事者が集まると当事者はありもしない妄想の言動をしたことになり要求をしたことになって弁明と謝罪と変更・修正を求められて自動的に脅迫し合うんだもんね。

で、日本風にどう表現するかと言うと、『可愛い』かどうか、なのではないかと表現したい。

障害者枠雇用じゃないから相応の配置配慮をしない軽度当事者でも、

自身の努力は前提で、周囲には、

『一回で分かんないって聞き直してきても、可愛いから怒る気になれない。』とか
『なんとなく可愛いから、誤字脱字も仕方ないと思える。』くらいに、思われて、

許されて行かないと、私たちの生き残るすべは確保できないと思う。

許されて行かないと、私たちの人権が確保されるが来ないのだ。


そのためには回りの人たちもイライラしない環境が整う必要がある。

有給休暇は取って当たり前、病気休暇も介護休暇、看護休暇、男女とも育児休暇、など取っても当たり前になり、殺伐としない、十分な雇用者数とお金が回らなければ、回り回って、私たちが困る

まるでぼんやり座ってるだけ、のような就労形態でもなんでも、70歳まで働かされないと生きられないことを前提に、人生設計させられるなら、そういうことになるのだ。

私たちは偏ってるけどたぶん真面目で素直ですよ。

働けと言われたら、60過ぎても外へはのこのこ出て行くとしましょう。

ただし、指示理解力がさらに落ちて、HSPなどの特性のコントロールも出来なくなれば、分からないことを聞けなくて、聞いてもやっぱり分からなければ、その場から動けなくなりますよ。

結果、生産しませんよ。

でも出て来いと言うなら出て行きますけどね。

鍛え方が半端ない理想のハイパーなお年寄り労働者を求められても、そうでない者はそうでないですからね。

きっとものすごく多いですよ。

独身者が多いですから、子どもには頼れませんからね。

国に言いたい。

どうしますか

発達障害は親に頼れ、と壊れたスピーカーのように、暗に、陰険に、繰り返しますか

でも親はお墓の中ですよ。

だーかーらー60歳できれいに就労を終わらせて十分な年金を出せば、とりあえずはお金で収まるのに。

働きたくない軽度当事者は自分だけの合理的な生活、好きな趣味の世界に入って生きるし、日程調整しなくても病院に通えるし、昼夜逆転でも好きにできるから情緒安定する確率は上がるし、

世間様のみんなと同じ年まで働けたということで、自尊心もそれなりに納得して、自己肯定感もあげられるかもしれないじゃないですか。


ガタガタ理由つけて歳を吊り上げて働かそうとするから。

乗っからなくてはならなくなるじゃないですか。

つられるじゃないですか。

催眠術のように引っ張られる者は引っ張られますよ。

ノーなんて言葉、辞書にはあっても、24時間経たないと思い出せないかもよ。

煽られたら素直に乗っかってグチャグチャワアワア引っ掻き回す特性ですよ、私たち。

パニックになったら身体もお口も止まらない多動ありの当事者は、走り出しますよ。

一人付き添いが付かなくてはならなくなりますよ。

知りませんよ。自己責任取りませんからね。

60歳過ぎの軽度当事者たちが、全国でパニックになって生産を止め出しますよ。

国が仕組んだんですよ。

生産が必要なら、未来で、私たちに お金を保障しなさい。



LGBTの人たちは、昔のむかし、昭和の頃は、まるで社会規律に反した変態のように誤解されてきた。

今でも差別偏見が解消されたとは言えず、家出して、家族が所在を知らないままに倒れて危篤になって……という事例もまだあると聞く。

それでも、法を動かして市民権を得たり、パートナーの婚姻証明ができたり、
子どもがいつまでも結婚しない親同士の間で、「実は同性が……ってうタイプなら怒らないから正直に言いなさい 」という冗談に使われるネタ(いやこれも実際どうなのかと……)になったりするところまで、社会認知を上げに上げてアゲアゲにした。

すごい。



話を戻す。

仕方ないから、私たちが今、努力もしながら手に入れるものって、まず『快く許されること』からじゃないかと思う。

そんなふんわりしたもの、戦いたくないと思う人もいるかもしれない。

でも結局そこからな気がしている。

なんで戦うのかも分からないという軽度当事者もいるかもしれない。

でも、正論が通用しづらい時代に、もうすでになっている。



理由は個々さまざまにあれど、暴れたい衝動の抑制をしづらい人たちが増えている。

ポ〇モンゴーやインスタ映え中毒の人たちは、立入禁止区域にも我慢できずに、または我慢しないで入るし、

煽り運転からの恐喝中毒も、連れ子虐待中毒も、そもそも辞書に我慢の字が無いし、のうのうと許されるつもりだし、


残念ながら教育機関のいじめまで発生した。弱肉強食で強い者が自己正当化を勝ち取った環境で、やめる理由の無い暴力はもう中毒症状になるので、

本音は今でも、被害者の先生たちを骨を砕くまで殴り潰したい衝動が沸き立っているかもしれないね。

一人ころしたら次、二人目、三人目……外国の怪談の青髭男爵のように、承認欲求をかなえた勲章を、積み上げたい欲求で、
(訴えぐらい取り下げろよな 口先で謝罪してやるから許せよな 職業上の経験者に逆らってただで済むと思うなよ ああこれからも虐待続けたい 気に入らないやつ全部に虐待してリンチしたいリンチしたい 警察にも教育委員会にも生徒にも正当化して全員逆らえなくしてやりたい イライラする耐えられないリンチしたいリンチしたい )などの妄想が、グラグラ煮えたぎっているかもしれませんねえー。

禁断症状あるある。

タバコタバコタバコタバコタバコ………

なんでも大人に言い付ければいい子になれると思ってんじゃねえぞ


お酒お酒お酒お酒お酒………

ひとくち飲んだら終わりって言ってるでしょ


リンチリンチリンチリンチリンチ………

生存できないほどの暴力だと言うのならどうしてそんな現場に自分の意志で通ったんですか
暴力の認識は個人のただの感覚によって勝手に成立するはずですが暴力と感じた感覚がだれにとっても正しいと本当に言えるのでしょうか 粘着されてもイヤではないですが感覚を変更して修正するべきとは考えないのですか

個人には個人の意思で動く権利があります。だから動きました。それだけです。
被害者が暴力を受けた感覚を勝手に感じたのも個人の勝手でしょう。振るったのは暴力だって、決めつけてませんか。
出勤を繰り返した自己責任についてはどう考えているのか詳細に説明するべきではないでしょうか

出勤しないと生計が立たない被害者の自己都合にはなんとも感じませんしどうでもいいことですね。聖職と言われる職業の現場が自己保存欲求の塊によって汚されたという客観的な事実が明らかになりましたがそういう姿勢で働いていたのならそのまま我を通して働き続ければいいじゃないですか。勝手に暴力だと感じて反抗が空振りに終わったからと言って、難癖をつけるのはおかしいですよ。こまったもんですねぇ。




反省、なり、反省のようなものを、しているとは限りませんよぉー。

自身は波長の合う人たちと要領良く繋がり合いながら、一方で弱者は弱者のままでいさせ、抑圧し、挑発し、煽り続けることくらい片手間で、教養と、反倫理的な才覚、発想力、知恵などがあれば、応用しながらいくらでもかなえられます。

今まで当たり前にかなえられたことを、急に制止されたゴジラの衝動が、一晩で静まるわけが無いじゃないですか。

なにを考えているんだろう。
ほとぼりが冷めたら〇春にブチ撒けて、虐待の正当化を手伝ってくれなかった人間全員に報復テロする作戦でも立ててるのでしょうか。

ブチ撒け報復テロはいったい何週間後なんでしょうね。全国の弱者たちが指を折り曲げていく、カウントダウン


そんなのの似たような相手と、きっと似たようなシチュエーションで、勝てない勝負を仕掛けられる思いをしてきた軽度当事者は多いはず。

君臨して見おろしている弱者どもの間で、助け助けられ合いが発生したら、ロックオンしたスケープゴートをだれもが見棄てるしか無いところまで、関係した弱者どもを追い詰めていき、味方になりそうな弱者仲間が離れていくことで、スケープゴートを孤立させる過程が、さぞかし充実して楽しくてたまらないでしょう。

スケープゴートに人間としての価値、人格としての価値を、いったん感じさせて、守らせてから、奪って崩していく、そして弱者ども同士が”共感”し合うことに無力感や敗北感のようなトラウマを感じ合うまで煽り、お互いにわだかまりを感じ、疑い合いが止まらなくなっていくザマは、
文字通りのザマァ見ろ、ヒエラルキーの下層民ども身の程を思い知れ という気分でしょうねぇ

協力し合う共同体の機能をブッ壊すのは、支配欲が刺激されて、お好きな人には最高なんでしょうねぇ。

“共感”の巣の出入り口を塞がれた働きアリどもが、パニックになって入り乱れるザマを見おろす気分を、きっと日常生活でおしやべりしていく口先でコントロールして、作っていけるんです。コントロールして展開する世界はさぞかし圧巻の眺めでしょうねぇ。

安易で無意味な”共感”に溺れた働きアリたちめ、弱者で醜い女王アリを一度でも庇ったことを後悔させてやる そしてアリの分際で「空振り」で「大損だ」と喚いた口を2度と開けなくしてやる 感覚を言葉にして言って人々に受け入れられると思っていたら大間違いだ と思ったら、出来ちゃう人は楽しく出来ちゃうんですよねっ

ゲームで、遊びでやっているという意識や認識が無くても、呼吸のように日常会話として自然体で出来ちゃうんですよね。

中毒になったらもっともっともっと、やめられないはずですよ。



私たちは、昭和、いやもっと過去の歴史から、暴力衝動の強い人たちにナメられ、狙われ、陥れられ、とろくさく逃げ遅れてきました。

私たちは、とっくに我慢ならないはずです。

自分たちの交流場所すら自分たちでブチ壊すほど、解決しないフラストレーションが収まらないはずです。

平穏な生活、

「ください。」と手を出したらすぐ、適正な薬と支援と分からないことが分かるようになる指導がもらえる生活。

必要なのに、要求して来たのに、

なにか聞き返されたり、苦痛感覚そのものを否定されたり、質問を丸ごとこちらに聞き返されたり、答えが無いわけではないのに、あることも、ある場所も、もらえる条件も、もらえる日時もずっと教えてもらえない。

危険からの逃げ方も分からない。

暴力や虐待被害に遭う、という業務に就いた覚えは無い。メンタル壊す前提で、生計を立てに社会へ出てきた覚えは無い。そんな仕事はしない。


私たちに「障害でもなんでもない。自己努力で解決しなければ許さない。」と命ずる人間には、

命じた内容の筋を通すためにも、暴力中毒の人間から、精神と体面と身柄を警護してもらう法整備をすればいい。

暴力中毒の人間と警護義務をおこたった人間には、罰則も作られればいい。

それなら私たちは、とろくさい努力を続けよう。

だって、それが全速力だから。



当事者が発達障害当事者仲間を罰する、という仲間の無駄遣いは、永遠にゴールが来ない回り道しか来ない。

アンガーマネジメント(必要ですけどね。これから人類が戦争を止めていくためには大事な研究ですよ。)を自分に強いても、永遠にゴールが来ない、自己の抑圧しか繰り返さない。

中毒のゴジラに抵抗する方法が分からない20年間には、私たちはもう、我慢ならないはずじゃないんですか


本当は60まで、そうして私たちにとっては全力疾走、

一般の普通の人たち目線ではゆるゆるふんわり好かれながら働いてから、

60でスパっと引退できれば、まずはハッピーエンドなはずなんである。

マイペースな隠居生活で、

世間様からも「勇退した人」と承認してもらえて、

自己肯定感が満たされて、

家の中を片付けて、慌てないで病院にも行って、支援受けて、当事者会などでは年下の人たちの役に立って、

自然災害には意固地にならないで避難して、行政サービスはもらえるものはもらって、

体力が有り余れば指示理解可能なボランティアして、

そこまで出来て、飽きた頃に終了できれば、もっとハッピーエンドなのである。

私はこれに、親戚たちも構ってくれれば、という希望が付く。

自動運転自動車も欲しい。ドラえもんも見たい。

夢は尽きないね。


夢を夢で終わらせて諦める展開になる人生を、前提にした覚えは無い。

ただ、学力が高くないから、考えても考えても方法が分からない。



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