マスコミさんが片付いていないお部屋に来たければ

私のテーブルの上には、箱ティッシュはもちろん、塩、サプリメント、立ち上がって取りに行きたくない物がたくさん置いてある。最近、フリカケも加わった。

視界に入っていない物は、存在しない物。それが度が過ぎてしまうと、有用な物なのに、収納されたままはるかな時間が経ってしまうだろう。

存在を思い出せても、立ち上がったとたんに忘れることがあるし、体力に限界が来たから帰宅しているのであるから、限界の身体はそもそも立てないんである。

たぶん、ここを読みに来てくださっている人で、ASD/ADHD傾向を持つ多くの人は、自室を自分が使いやすいように、極力鍵などの忘れ物を減らして、社会生活ができるように、やむを得ず工夫していると思う。


20年近くも軽度当事者生活をしていると、テレビで当事者のお部屋を拝見することが何回かあった。

その時なにを見たかったかと言うと、物がそこにある理由、だ。

ゴミ箱、パソコン、出勤鞄、本、裁縫箱etcetc……。そこに無いと、ものすごく使いづらい、個々の事情があるんだろうが、ネットの文だけだと、あまり伝わってこない。

そして、テレビの解説でも、あまり伝わってこなかった。

伝わってきた記憶が無い。

それに私は、テレビの当事者のお部屋VTRからどんな情報が欲しいのかも、あまり自覚していなかった。

ただ、ふんわりと、『まだなんか違うんだよね。えーとえーと、整理したら困ることって、ある気がなんとなくするんだけど……。私が学ばなければならないものが、きっとこれから出てくると思うんだけど、えーとえーと、私が自分から学びに行かなければならないとも思うんだけど、んー、ここじゃないんだよね。』と、

漠然ともんもんと考えて、ぐったりしてた。

どうしてこんな思いをさせられるんだろう。

努力が足りないのかな

思考は『努力』へ戻っていく。

課題やテーマを出されていない軽度当事者の考え事のバリエーションは、こんなのでしかないのよ。

だから、学びたいよ、学びたいから学ばせてって、社会に頼んできたよね



あの掲示板にも愚痴ったことがあるけど、

昔むかし、お部屋の撮影を前提にマスコミの人が軽度当事者に接触を持ち掛けてきたことがあった。

結論はお断りしたけど、

やりたいことが “撮影” 以外、なにも見えてこなかったんだよね。

なんてこんなお部屋になるのか、そこから私たちの生活と、自己管理の限界点の解説も入れていただけるのかと言うと、そうでもない。

家庭をお持ちの主婦の人たちは、自分だけじゃなくて、子どもたちや家族も散らかすお部屋をどう、人並みに管理するかで、うつになるほど悩む。

望みは、片付けたい、片付けて欲しい、なんだろうけど、そこへ誘導して欲しい。記者さんにはどんなレールを敷いていただけるの

そこが見えなかった。さらすだけ

一般の普通の視聴者さんたちに、ペロンとお部屋を見せて、「わー汚―い こんなの許せない 」と、不快感を煽って、そこからなにを、視聴者感情に対してフォローしていただけるのか。

お年頃の息子さんを持つお年寄りが「もしもこんなお嫁さんが来たらたまったものではないわ 息子が女の子を連れてきたら発達障害が無いかどうか、わたしたちが精査してやらなくちゃいけないのね 」と、息子さんがどんなお嬢さんを連れて来ても虐待する間違った方向へ、煽り立ててしまう危険も無いではない

片付いていない部屋で、物がそこらある理由を、もしも野良レモンが説明したとして、放映していただけるのかしら。

野良レモンの希望に、「はいはい」と返事されて、編集されて、ぶち切られてしまうのかもしれない。

「汚いですね みんなで大人の発達障害を嫌いましょう 厳しく見張りましょう いじめましょう 」と、呼びかけたことになっちゃった、つもりが無くても、呼びかけたかのような結果になっちゃった としたら、そこから次にどこへつなげていくの

私たちの体面はどう回復していただけるの

私以外に、本気で結婚したい人がいたら、メンツや名誉をどう回復してくれるの

コンカツをしながらなんか哀れそうな人を見つけて、「わたしは軽度発達障害だから、このへんで妥協しても仕方が無いよね 」って自分を安売りする考え方は、野良レモンは反対だ。自傷行為だ

自傷行為するために血の涙を流して診断をもらって私たちは社会適応したのか

私たちで慰め合いを自給自足しろって、不可能ですからね。軽度当事者は、具体的な支援は外から得てきて、お仲間には報告して、褒めてもらうだけ、の役割にしないと、喧嘩になりますから。

他人がやってることって、自分の理想のプロセスとぴったり重なり合いませんもん。当事者同士でもピンとこなくて承認し合いづらい場合がよくあるんですよ。

ASD強めの人なんて、報告をする人でも受ける人でも、ぴったり一致しないストレスで目眩しそうなんじゃないですか

でも承認されたい。承認を満たされたい。でもなんだか突き放されたみたい。ねえどうして

喧嘩が嫌いな人は、シャットアウトして接触を断って、引き籠りますから。

接触を断たれたほうは、気 分 悪 い ですよ~ 野良レモンも何度逃げられたことか。

私たちに喧嘩だけさせて、損害だけ与えて、モグモグ沈黙して建前を言い添えて、私たちの自己責任っぽくして、

逃げるつもりじゃあないでしょうね



私の連想は、たぶんくどい。当時もだいたいこんな連想をざっくりしていたけれど、言語化 をだれにも手伝ってもらえなかったため、言葉に出てこなかった。

たぶん、そのマスコミの人も、考えていることが言葉にまだ出せなかったんじゃないかな。

なら全国を飛び回って、たくさんのお医者に教えを乞うて、言葉に起こしてから軽度当事者に接触していただきたい。

本にする勢いで、山のような具体的な言葉を積み上げて、準備してきてください。



自己肯定が、成立する、条件 他うすめネタバレ1つ

うっすいネタバレです。不要な人は、一区切りの後の、レモンのイラストの後からお読みください。

ロケットマン

主人公のお母ちゃんのお肉の付き方ったら ぽっちゃり、の見本のよう。存在感ある 迫力ある 人さまから見たら、きっと野良レモンも胸以外はこう見えているのかなと想像した。

イライラがいつまでも解消されないと、身体はいつまでも待っていられないから無意識に食べちゃうもの、そうして補給しないと抑うつになるしか無いから……という私の仮説を思い出した。ふくよかで、見かけは哀れさの薄いカサンドラ症候群予備軍。

ああごめんなさい……私、お母ちゃんじゃないけどごめんなさい………って、なんかふと謝りたくなった。


メンタルごと、どうしようも無く落ちて、落ちて行って、病んでしまう人って、こういう経緯をたどってなるのかなって、主人公は一つのサンプルだと感じた。

傷付いても、傷ついても、それを受け止めてちゃんと整理する時間が取れない。そしてさらに煽られる。

整理し切れない、消化し切れない、受容し切れないダメージがどこまでも溜まり続ける。

でも逆にハイにならないと本業がこなせない。心を吐露できるチャンスが無い。場所が無い。

家族も受けとめる用意が無い。覚悟も無い。承認をやる気も無い。必要を感じてない。予定も無い。心を通じ合わせ受け止める対象として見ていない。知らない。どうでもいい。

そうしたら、自己破壊へ自動的に向かっていくように、人の精神はできているものなのかな。

最後は、正しい選択をする……





私たちの自己肯定が、なんで難しいか。

ネットの中では、全国の軽度当事者が悩んでる。

なんでかというと、自己肯定するには、条件がついてくるから。


前記事でも例に出した通り、自分のキャパシティのために人を修正し続けることで、やっと自己肯定ができるなら、それは卑怯なことだ。

ネットで読んでいると、承認欲求を満たす試みをしようとする軽度当事者の日常には、だれかしら、肯定に足るだけのお膳立てをしてくれる、苦労しているお世話人がいる。

そして、この事実は、他人さまたちが、私たちを不当にハラスメントするときの、恰好の材料になる。弱みになる。

自分のために人さまを修正する欲求を指摘されるんだよ。

反論のしようが無いではないか。

たとえゴジラでも日本列島上陸を受け入れるほどの努力をして、我がまま、なんて絶対に言われないように周囲に従い続けても、

一般の普通の人たちが作る”空気様”は、私たちを魔女裁判に掛けたくて掛けたくてたまらなくなり、暴走が止まらなくなる現象が起こる。


だから野良レモンは自己肯定に、今でも躊躇をし続ける。

人を修正することに罪悪感を感じるなら依存して服従していればいいじゃないか、とも脅されてきた。

じゃあ服従ってなんだい

対象にする人の言うとおりにすることじゃないか。

私たちは言われたとおりに実行する能力はあったっけ


月日がたてば、自動的にキッチンの油汚れが溜まっていくだろう。

窓のある住宅に住んでいれば網戸も汚れていくだろう。

エアコンも汚れていくだろう。

草も伸び、北日本なら雪も積もるだろうね。

私たちは対処できたっけ

お掃除業者を家に入れられるほど、片付けができましたっけ

まさか言われるとは思ってもいなかった仕事が、後出し、後出しで出されてくる恐怖にどう対処しろと


『言われたとおり』って、ものすごく難しいんだよ 

日常の何気ない一言にも、なんの指示が含まれているか分かったものじゃないんだよ

だから、『言われたとおり』がどこまでなのか、

自分の捉え方と、お相手の捉え方、それと世間一般さまの他人様の捉え方を日々、確認したくなる。

でも確認してもしても、私たちにはこなせない結果しか出なくて、私たちは泣かされるんである。


『軽度当事者は、一般の普通の人たちに言われたとおりにしなければならない。』

もしも、こんなルールが、詳細も、根拠も、条件も無く、世間様になんとなく広められてしまったらどうなるのか

大人たちがやってることは、子どもたちにもなんとなく真似されてしまう。

特別支援の教室の対象にならない、でも特性強めの子が普通学校で狙われたらどうするんだ

特性と一緒にもしも食物アレルギーでも持っていたら

「みんながやってることは同じようにやる 悪いの自分でしょ? 努力はして当たり前なんだよー」と、正義感と思い込みを発動した回りの普通の子に、力尽くで食べさせられて命落とす間違いとか起こすのかい

『軽度当事者はこう扱って欲しい。』と、意志を持って発信する責任は、私たち、大人側にもあると思う。

ぼんやりと、なんとなく黙って 教育が悪いもんねぇ~ と、離れたところから触らないで傍観するだけだと、

一般の普通の”空気様”勢力にいつまでもいいようにされるだけでしょう。



今日の自分を自己肯定できないと、思考が飛んで、病んでしまう。でも今日、生きるためのサバイバルをしなければならない。

今日の自己肯定をするためには、過去の自分も未来の自分も、一貫して肯定の条件をクリアする必要がある。

過去に関わったあの人、この人に、事実の修正でも迫りに行きますか

未来の条件のクリアも確保するために、未来に会う人を脅しに行きますか

なにをする

自己肯定を成立させるために、私たちはなにをする


自分の気持ちの想像力

カレー屋で食べたターメリックライスが美味しかった

帰ってきて、社宅と仕事場の往復をしながら、ふと気づいた。うちの中に、ウコンのサプリメントが残っていたではないか。

そこに風景と同化してある物は、見えない物。あるのを忘れていた物。

さっそくスマホでレシピを読みながら、研いだ米の上から、おろし器で、ウコンを粉にして入れたわよ。米2合に5錠ね。

炊いた出来上がりに、私はとーっても満足している。冷蔵庫から1食分ずつ取り出して食べている。

いくら美味しいからって、ドラックストアで買った古い古いサプリメントを粉にしてご飯を炊くなんて、家庭を持っていたら家族にはできないんだろうな。実家の親には怒られ、サプリメントは捨てさせられるんだろうな。

こういうささやかな自由や、あんな自由、こんな自由と引き換えに、私は『人並みの幸せ』を持っていない。





当事者の人たちのブログを読ませてもらって

そういえばそもそも承認欲求ってどうやって満たすんだったっけな、と考え込まされた。


ハードなのもある。暴れてしまったり、〇〇未遂するのも。

でも高齢の親御さんから離れられないんだそうな。

やめられないのはどっちだよ。

親御さんに密着し続けることですか、○○未遂ですか。

好きなだけ親御さんに構ってもらっても、○○未遂はやめられなかったじゃないかい。

〇〇未遂は、親御さんの寿命も縮める勢いで負担を掛けるから、やめる気はあってもやめられないのなら、

客観的に自分を見て、やめられないのなら、

自分の身を親御さんから離す選択をまだ考えないのかーい。

あらゆる人を動員して時間と配慮と支援と言葉をいっぱい積み上げて、もはやここまで来たら分離不安は当事者自身の自己都合、でしょ。

〇〇未遂を抑止する方法も、手に入れていない。周囲がしてくれる、気分の誘導や切り替えには限界がある。これは10代から20代で気付く人が多い、はず。

親御さんがむかし、むかしに自分にした処置が間違ってしまったことをフラッシュバックしてしまう、のなら、

身体暴力におよぶ前に、言葉で蒸し返して話すべきだし、別居して電話で蒸し返す、もありだと思うし。○○未遂実行よりはね。

むかし、むかしの当時にした対処や、話し合いで納得したことや、病院や支援者から言われて理解できた話も寄せ集めて、このフラッシュバックは正しかったのかどうか、ASDの私ならそこまで話し合いながら追及するぞ。

メンヘラさんの中には、話し合いの中毒になって、日常生活が成り立たないくらい長時間、連続で話し合いしていないと情緒不安定が止まらなくなる人たちもいるけど、

日常生活が成り立たないことで『困る』って経験して、実感したら、その次は って段階なんだよね。別居なり、休息入院なり。でも○○未遂や自傷他傷の振り出しに戻る……って。

たしかに処置をされる時や、動員された人たちが集合して認知の治療になる言葉をいっぱい掛けてくれる時って、

救われた安心感とか、注目されて出る脳内物質は出ると思う。

でも、それに頼らないと生きて行けないって、おかしい。

では、類似した物質を、どこでどうやって調達しようかとか、

調達するためには、こんな勉強しないととか、こんな準備しないととか、いくらまでお金を貯めないととか、

そこへ進まないの って思わされてしまうし、病院も、専門知識のあるプロも、そこへ向かって支援、叱咤するんじゃないかと思う。きっと……しているんだよね

SNSで見たステキなグルメだから行かなきゃ、じゃなくて、欲しい脳内物質を調達できるかどうか、に立ち戻るんじゃないのかい と、おいおいと思わされる。課題を解かないの

気分転換、に抑止の努力が感じられない、伝わってこなければ、リアルの人たちも、ネットの人たちも、応援の気持ちは湧かないよ。自己中心だな、って感じるわそりゃ。

〇〇未遂や自傷、に、周囲は大きな反応をしないことが望ましいそうだ。反応も、叱責も、周囲は我慢する。

やったぁ 怒られなかった。良かったぁ またやろーっと。やっていいんだよね。好きなだけやっていいんだよ の認識になる人は、ネットの読み過ぎなのだろうか。許されている人がすごく多いから、注目を浴びて、周囲って振り回していいんだ という理解をしているのだろうか。

なぜ、ゆるく、優しく、許容されているのでしょうか。私だったらそれを推察するだけでもう、薄ら寒くなりそうですよ。

そこに目的は、あるんですけどね。やっぱりネットの読み過ぎで、歪みが入っているのなら、歪みを正す治療も必要なのではと、思うんだけどなあ。許容の理由を悟る前に、振り回しの心労で倒れた関係者たちの、山を作るんですか

課題は、解かないの

課題が分かったら、決まったら、解ける糸口が分かるまで追及して、喰い下がって、突進しないの

こんな感覚の私だから、妖怪 に取り憑かれた今の現状があるのかもしれないけれどさ。


中にはまったく別の刺激を入れて、完全に注意を他へ向けて、○○未遂も自他傷も強烈に忘れさせる方法もある。

救助してくれる側の、片手間じゃない時間と体力の拘束がある。刺激の準備もコストが掛かる。準備できる物に限界もある。夜に悪化しやすい当事者が相手の場合、夜にできる行動はもっと限られる。

それを、いかにも簡単に手軽に面白くしてもらったかのような、軽~い書き方はしていただきたくないものですね。

その手法は主に、認知療法がまだ全然通用しない段階の乳幼児に、保育士さんが取る方法だと思う。

乳幼児扱いってなによ 私なら、そう感づいた時から、ささやかなプライドが黙っていないだろう。

乳幼児は、のちのち成長する。発達する。

私たちは 適切な努力の方法を取った場合に、"発達障害も発達する" んだよ。適切なことを、だれが提示してくれるの そして、めでたく提示されたら、努力して取り組むのはだれがすること



自分の身体だって、思考だって、部品、部品が相互協調で動いている。

故障しているところがあったら、治さないとまた操縦不能になるじゃない 私はそれが暴れたいほど嫌


抑止は合った方法を個人個人が見つけるんじゃないかと思うんだけど。見つけていない。それはまだ、ブログ主の人たちが、〇〇未遂の引き金になる怒りの原因を分析して明らかにさせていないから、何年も対策が取れてないんじゃないの


親御さんの考えてることも、解らないなぁ。

私は親になったことが無い、という未経験もあるけれど、解らない。

親御さん自身がきっかけを作っていることを自覚していたり、もしもご自身がロクデナシだった場合、もっと難しい。

自身を棚に上げて、やめて欲しいものなのかなぁ。……そうなんだろうけど。

だったら、棚に上げたいんだったら、上げて、子は健全に生かしてあげるために、次にどうするの ってことだと思うんだけどな。

デモデモダッテダッテそうもいかないんだもの、で終わっていいのかな


特性が基本、治らない軽度当事者は、基本は目の前に提示された勉強や仕事をやればいいんだと私は思ってきた。

多くの人がたぶんそういう認識でいるだろう。

しかし、二次障害で歪んだ軽度当事者の一部の中には、

提示そのものが引き金になって、自己嫌悪を再燃させる癖が付く人もいる。

自己嫌悪は、抑うつも、文字通りの自己嫌悪も、怒り も、引き出すことがある。

「ぼくより優秀な成績を出している人がいるじゃない。褒められてる。辞めさせられてしまえ。」
「もっとお金が稼げる役職を早くさせなさいよ。いつさせてくれるの どうして今させてくれないの 理由はなんですか どうしてわたしがそのお金を稼いじゃいけないんですか不公平じゃないですか 」

他人が目に入る。コロッと影響される。

昇給や評価の段階別の階段が目に入る。

今、自分に提示されたもの以外が目に入る。コロッと影響される。

自分の知らない世界。

自分がすぐにもらえない承認がある世界。コロッと影響される。

他人が生きてる世界。

他人が得られている世界。コロッと影響される。

気に障る。目障り。怒りに点火


そして、自分の知らない世界の現実を知らされる。理解できない水準の学問。

理解できない仕事。基礎も、終着点も、難しくて見えてこない仕事。

説明を次々飲み込んで、納得していく周囲の人たち。

そして説明が終わったことになりそうな場にできあがる”空気様”。

まだわたし理解していない、ぼく解っていない。恐怖の”置いて行かれた感”。

説明の次に始まることが分からない。

なにすればいいのか分からない。

もう一回なんて聞けない。自分はそんな無能とは違う。

“空気様”に逆らうような、要領の悪い、仲間にも〇カにされそうな、ネットでも笑われそうな、

わたし、ぼく、そんな劣等生ではない。

でも分からない。

周囲がなにを始めているのか、自分はなにがどこまで進めばいいのか、分からない。

いつ威張れるんだ

いつ上からこいつらを見おろせるんだ

いつこいつらはオレ様を尊敬しなければならないことを知らされるんだよ

こんなはずじゃない


………といったところだろうか 言語化すると。


勉強や仕事を提示されても「うるせー 」
昇給する業務を提示されても「うるせー 」
業務が分からないことに向き合う支援「うるせー 」
お金を貯める目標が高すぎることを理解する支援「うるせー 」
違う仲間への支援「だまれ 」


提示をされなければ分からないけれど、提示をしてくる者は次から次、全員が”対戦相手”になってしまうのだろうか。

他人と自分の区別が分からないとは、そういう認知になってしまう危険をはらんでしまうのだろうか

自分の頭の中の思想の世界を分かってくれなきゃ嫌、実現してくれなきゃ嫌

注目の喚起を爆発させる期間と、周囲の拒否を理由に被害者意識で引き籠る期間、が、交互に来ながら、

ものすごく長い年月が経ってしまう。若者と呼ばれる時期は終わり、やり残したことを全部やり残しながら、健康診断では異常値が増えて行き、加齢特有の病気を発症して、枯れて、色褪せて、しなびていく。


そんな、承認欲求不満の軽度当事者たちは、社会で扱いづらいから、

根本原因を無視した悪循環コミニュケーションの過食嘔吐、を好きなだけして、

時間を潰して、勝手に歳を取っていけば ということなのだろうか


ものすごく非合理的な、精神力の無駄遣い、忍耐力の無駄遣いをやっているということを、

認知療法のように、話し合って、根本原因を悟らせてくれる、

そんな乗り越え方が必要なんじゃないかと、何年も前の過去には私もコメ欄で話しかけたこともあった。

もし、野良レモンがそんなチャンスに恵まれたら、喜んで喰いつくのになー。



都会のネット中毒の人達で、

「年収1000万円企業就労、待ってても女の子が吸い寄せられてくる、彼女ができる。」

まるでお経のような、決まりきった記号で、理想の幸せを定義している人達がいる。

企業に吸い寄せられてくる女の子なんて、企業、という記号にしか興味が無い。

女の子は奢ってもらったり、お金をもらえたら、「嬉しい 」と喜びながら、

「終電だからさようならー 」と立ち去っていく。女の子の友達とのラインには「今日の"パパ"つまんなかった」とでも書かれるんだろうか 

女の子から認められる人間的魅力が無ければ、女の子からは、人格を軽視された扱いを受ける危険がある。

自分、という人間の承認が、いつまで待ってももらえないとか、自分の価値観や希望するコミュニケーションを、いつまで待っても伝えられないし、聞かれないし、ついには癒されない最期を迎えてしまうかもしれない、という危険を察知する想像力が、なぜ働かないんだろう。

つまり、自分がなんの恩恵を受けられれば満たされるのか、そこから分かっていないんだろうか

自分の気持ちを、想像できないんだろうか

自分はどんな順番でなにが欲しいのか、想像して察知できないんだろうか

たしかに、人から教えてもらうものでは、ないんだろうなあ。


  

喧嘩を済ませると、感想を「スッキリした 」と表現する種の人たちがいる。

「スッキリ」する人が、一般の普通の人なら、その人はただの恐いもの知らずだよ。真似できないよ。

「スッキリ」する人が軽度当事者だと、違ってくるような気がしている。

過去記事でいう「解決していないことを、解決したことに強引に結論付けようとして」の、認識の修正の命令であったなら、

その喧嘩は、非常に自己都合中心な主張をしてしまう危険がある。そりゃ、スッキリするさ。後ろ向きな考え事を打ち切って、ケリ付けて、次の欲求に向かって進み、健康になれるんだ。いいなあ、健康


だから、もしも私が、抑圧していたことをぶちまけて発散した言動を取ったとしても、

「スッキリした 」という表現は使わない。

怖くて怖くて怖くて 使えない。

通常、私たちは、弱点を突かれて、侮辱を受けたり、損をさせられても、言い分を抑圧して溜め込むことが多い。

ただし、弱点を持っていること自体が、集団で生産する際に、犯罪に認定されてしまうことがあるので、

『弱点を持って社会参加 = 犯罪』 を償うために、解雇されることにならないように、

前もって常日頃から低姿勢で社会へ出る。

それでも生産にとってとても損なことや、整合性が無いことがまかり通りそうになったら、

それが私の弱点も、生産性低下に加担していたとしても、これ以上生産を失わないために、

話し合いを試みることはある。

ぶちまけて発散。見掛けとしてはそう見える言動を、きっと私はしてしまうんだろう。恥ずかしいことだ。

やることは、生産に向けて、阻害していたものを修正することだ。しかも私も所属しながらだ。

危険な橋を渡ることではある。それでも言いたいことを全部は言わず、飲み込みながらだ。

私たちの苦手とする種の対話だ。

自分の気が済むことに焦点を置かず、生産をより確実に確保できるための方法を優先して発言し、返されたことには極力共感を交えながら、返答する。

並行して、私が解雇されないことも前提にして対話する。

しかし、解雇されるのかされないのか、白黒つけるよう迫る言い方は使わない。

こーんなにストレス溜まる話し合い方は、ない。平常時の日常会話ではとてもしたくない。できない。

こーんな対話の仕方は、たまに集中してするだけでもう手いっぱいだ

だから、爽快感とか、スッキリ感は、基本、私は無い。


もしも、こんな平々凡々なサラリーマンで、太めでぬるいキャラの私に向けて、

明らかに悪意を持って意図的に陥れようとする人間がいたならば、

方法は分からないけれど、

やったことを、白日の下にさらしてやるとか、やり込めてやるならば、

スッキリもするかもしれないけどねえ。私が生息しているのは、そんな喧嘩が成立する場所でもないのよ~。

なんというか、

なにが成立しているのか、なんの成立が足りないのかも、判明したのかどうかも、時々分からなくなって、

私の認識が迷子になるの……。

足りないものも足りないこともいっぱいあるんだけどね、足りないものは、だれが、いつ、どう補うんですか……。

だから、ライン、しない。

情報の力が強力すぎて、迷子が迷子のままでも、なんだかみんなでとても充足したことになったかのような”空気様”ができあがりそうだから。それに私が耐えられないかもしれないから。

こういうところが、私のHSP/HSSチックなところなのかもしれないねぇ。

迷子は、辛いね。


ひねくれ者当事者 適応の道

最近のユーチューブの広告、飽きているが、ふと思った。

炭でシュクベンがさらい出せるなら、調理中に焦げたオコゲでも出ないのか、と。

私はいろいろ焦がす。親に怒られてきた。芋、玉葱、目玉焼きの端、ご飯、麺類………


健康にいい物でも食べ過ぎると体を壊す危険がある。

穀類、糖類過剰は、糖尿病、メタボ、

肉類過剰は血管壁にコレステロールをこびり付かせる。エコノミー症候群や脳梗塞、

野菜類過剰は例を聞かないけど、偏って野菜ばかり食べることで貧血の可能性はある。貧血はうつに似た症状を起こす。



人格“肯定”も、今は私には足りないが、過剰摂取すると、果たして中毒症状を起こすんだろうか

”人気””名声””注目””関心””愛情”を、求め続けた歴史上の偉人たちが陥った最期をユーチューブで見ていて、ふと不安がよぎった。

世の中にはまだまだ私の知らない病気が隠されている。ブレイクの時を待っている。



『アリー/スター誕生』を見た。自宅じゃなかったため、ほとんど音声が聞こえない環境だったが、ストーリーは分かった。

ガガちゃんは凄いな~。

思い付きの才能、形にしてしまう才能は凄い。これは時々休まないと、身体が持たないだろうな。

映画の後半からは、アルコール中毒の人がたどる、破滅的で悲しい末路が入ってくる。



地球上には生物としての違いを持った男女がいる。

これは人類誕生からの周知の事実。

それらがどうして、カップリング不成立が日本中で当たり前に起こるようになったのか。


ただし、ニャンコも杓子も当たり前にではない。

複数の種類に事情は分かれる。野良レモンたち、健康上の事情などでコミュ不成立で不可能になった者たち。

常識も経済力も発育も教養もそろって、仕事に追われて限られた時間内でコミニュケーションしたとしてもちゃんと信頼関係を確立させられるのでカップル成立できる選ばれし人たち

マイルドヤンキーなど、地元が作ってきてくれた”空気様”に守られて、コミュニケーションが中途半端でも雑でも破綻せずに関係を継続できるからなんとかなっちゃってカップル成立させてる人たち

たぶん、ざっくりと三種類に分類されるのではと考えてきた。


この三種類に該当しない者、したくない者、勝手に分けるなと言いたい者もやればできるじゃないか、すればいいじゃないか、という主張もあるかもしれないね。

人に選んでもらえない条件をいくつも持っている……たとえばヘビースモーカーで、借金があって、他人の立場や感情への共感が出来なくて攻撃的な性格で、掃除も自炊も出来なくて、努力は嫌いで、メンヘラで、すでに40代で……などの者だって、
選ばれし人たちからも、モテたっていいじゃないか、天に一物もニ物も与えられた選ばれし才覚の人たちからも、モテたっていいじゃないか、悲観的な思い込みをやめればいいじゃないか、という奇跡のような、自己正当化な権利も主張したいかもしれないね。

でも、

自他の境界線がぐちゃぐちゃになって不安定になっている者は、自分の境界線を持つ者と一緒に過ごすと、確実に負担を掛けてしまう。

どっちが立場上、上になっても。



運転する人はご存知だと思いますが、運転しながら、右カーブを曲がるとき、中央の白線を内側に向かって越えたら、本当はダメですよね。

でも、周囲に対向車がいなければ、本当は内側に向かってはみ出すと、楽、なんですよね。曲がる角度が大きくできて、スピードも落とさなくていいから、楽チンなんです。でもその程度の理由では、やっぱりダメですけれど。

ルールを守って、中央の白線からはみ出さないことを、みんながベストを尽くして守ることで、対向車の立場で、カーブですれ違う時も、私たちは安心してすれ違えます。

自分も安全、あなたも安全、を確保することで、理屈の上では、みんなが安全、になります。

だから、

自分だけが楽チンをする、自分に優しくする、自分が中央の白線を超えて右カーブを曲がる時は対向車が来たらダメ、察していなくなってくれなきゃダメじゃないか、そして他の人たちは当然ルール守らなきゃダメ、という理屈は、通常は通りませんよね。

でも、精神的に自他の境界線がぐちゃぐちゃで不安定になっている人、というのは、たまに自分ルールを敷いてしまい、追い詰められてスイッチが入ると、

精神的な世界の、はみ出した線の向こうにいた人に向かって、悲しい爆発をすることがあるのです。



野良レモンたち軽度当事者や、ほか、統合失調症や、アル中に代表される、物理的に体内もやられちゃっているなどのメンタルの事情を抱えていると、

自分自身が踏まえられる自他の境界線も、日替わりで、グラグラ不安定に揺れたりする。


過集中を求められる仕事を長時間せざるをえなかった後は虚脱で、

たとえ近くの人間や生き物がどんなに空腹でも、問題を抱えていても、自然災害でペット小屋の中がジャブジャブで不衛生でも、鎖につながれたままのペットが散歩不足で抑うつやノイローゼ気味でも、
人間が構ってもらえなくて尊重された安心感を得られる環境でなくて泣いてても、明らかに健康を害してても、それ以上は頭が回らない。(例だよ。私はペットも植物も人もなにも飼ってないからね。)

それでもたとえば3日も引きこもって寝てれば、さあスマホでレシピを探してまともな食事を作りましょうって再起動できるし、

問題を抱えている人への返答の仕方が、ASD特性ゆえによく分からなかったとしても、ネットで調べて、最善の、傷つけない返答をしようとして再起動出来るし、

再起動したらペット小屋をよく見て、どうやって乾かそうかなとか、コンクリブロックで底上げしようかなとか、スロープも作るかなとか、濡れた部品を買い替えようかなとか、考え始めるし、

鎖よりもっと長いロープを買って、人のいない合法の場所で存分に走らせてあげようとか、たぶん思い付く。

知能指数の数字が、ある程度さえあれば、思い付くんである。

しかし、手 遅 れ になってからさ

どうしてすぐにやってあげないの  病気が進んじゃうじゃない この子が待ってる相手は野良レモンしかいないのに

3日も周囲を無視して放置したら、人の心はとっくに離れているし、生き物も体のどこかに炎症を起こして病んでしまうだろう。

過去に、野良レモンが文章上で殴られる被害を受けてから、「人間は日々変わるから楽しいんだ、変化を受け入れて楽しまなくてはならないんだ」と、ネットで出会った方にドヤっていただいた経験もしましたが、

関係が手遅れになった状況を、野良レモンはとても楽しめない。

被害者側として、人から裏切られ、傷つけられたと感じる思いをしたら、野良レモンは壊れるし、

もし、加害者側として、人をシャットアウトして、無視して放置する側になったらと、想像するだけでも、野良レモンはどうしたらいいのか分からない。楽しんで欲しくない。共依存したくない。人間もペットも健康でいられる位置に収まってて欲しい。どうしたらいいのか教えてくれる専門機関になるものは、欲しくてもまだできていない。

ASDとして気持ちが収まらないから、解決されていないことを解決されたことに強引に結論付けようとして、
『言い直せ あなたの感覚は私にとって間違ってる あなたの感情も私にとって間違ってる 世間一般に頑張るべきこととされていることは頑張れ 私が困ることは認めない あなたは私を困らせてはいけない 修正しなさい 』と、
私の自己肯定に都合のいいように、反省や償いを迫るハラスメントをする気にもなれない。

したら楽チンだよ、と人は言う。

手っ取り早くて、楽チン。目先の、楽チン。楽チンをすると自己正当化が出来て、健康。

境界線の修正、そして振り回し。

でもこれは身近な人間やペットの仕事じゃない。

人は目先のパンだけで生きるものではない。

私も安全、あなたも安全、だからみんなが安全、が望ましいんだと分かっているなら、どうしたらそこに向かえるのか、をまわりに問われてきた。だから今でも私は悩む。

想念の悪循環を打ち切って、自己正当化の収まりどころを見つけて、健康にしてもらう役割は、外部の支援機関だ。

まだ存在していない、いつ出来るか、いつ野良レモンが現実に掛かれるのかも分からない、理想の、幻の支援機関で解決してもらう仕事だ。

なので、リアルの現実では野良レモンはなんにもしないんだ。


私たちの脳の構造については、数々のネットサイトが解説しているので、私が頑張って書く必要は無いと思う。

タスクが少ない。インターネットのウインドウが不要な分までいくつも開くような思考方法じゃないと、指定の作業ができない、脳波が遅い、だから過重な負荷がかかると一般の普通の人たちより早く疲労がetcetc………。


これらの事情が、私たちには当たり前の前提になり過ぎて、問いただされもしない。話題にもならない。

一般の普通の人たちには、「テレビでやってたかもしれないけれど目に見えないし、よく分からないから、気にならないし、なんとなく本人さえ努力すればいいことに思える」だろうから、問いただされもしない。話題にもならない。

お医者が一般の普通の人たちを呼び出しして、私たちの脳の仕組みと配慮の仕方を解説してあげたら、配慮する気になるかもしれないけれど、配慮に掛かる手間が面倒くさければ、原因を作った軽度当事者が罰されて解雇や左遷をしてしまえば表面的なお手軽な解決を出来てしまうので、問いただされもしない。話題にもならなくなる。

そのまま話が進むから、諦めて、『知能指数の数字はある。でも行動できない。でも人が気にかかる。文を書いてしまう。ゲンゴカーを走らせてしまう。でも傷つく。でも引き籠らない。社会へ出ていくけどでも挽回するでも無い。でも自尊心を病む。でも外には出て行くから曖昧な返事をしてゴジラを上陸させてしまう……』などの、数々のトラブルを私たちは引き起こす。

『でも、でも、でも、でも………』と言いつつ、引き起こす。

自業自得、なのは解っているけれど、厳密に言うと自業自得とも言い切れない。

だって他人の心情も、事情も、ASDは一般の普通の人たちほど鮮明に見えないんだもの。

見えない物を見るメガネも無いし、見るために近づく望遠鏡も無い。解説してくれる翻訳機も無い。見えないのに。

ハンディを補完する道具も支援も無い。見えないのに。



はみ出した線の向こう側に、迷惑を掛けないための努力も、責任も、今のところ全部が軽度当事者任せ

孤独な軽度当事者に、丸投げされている。

だから、軽度当事者は、始めから車に乗らない(社会に出ない)予防策を取るよう、暗に脅される。

そのいっぽうで、社会に出て人とコミュニケーションを取り、自己開示を楽しむようプレッシャーも掛けられる。生きればお金も減っていく。

たまに、線をはみ出る私たち。常時じゃなく、時々、うっかりはみ出る私たち。

はみ出るルートでしか前へ進めない時、どこに助けを求めたらいいの ?

だれに「困った 」と知らせればいいの



ストレスのガスは抜けませんよ。伸びたゴムもゆるめられません。

私たちは、一般の普通の人たちよりも、過剰な特性だからです。

まわりの人たちに問いかける。ね、私たちうっとおしいでしょう ストレスが膨らんで、膨らんで膨らんでいくよ

爆発しないように、嗜癖依存を投げ与えればいいのかな

大食いする食べ物を与えて眠くしてノルアドレナリンを強制的に抑え込んで、太らせ続けるかな

お酒を与えるかな ギャンブルでも与えるかな パソコンかスマホと回線接続代を与えてネット依存にするかな

さあ病気は病気だから病気になったら治してもらおうかな 病院探してね予約取ってね付き添ってね


これ全国で実行できますか。現実的に、今、実行できますか。


まわりの人 の立場の人たちに聞きたい。

全部受け止められる

おんぶ求めていい

背負ってもらえるの

それか、確実におんぶしてくれる人のところへ手を引いて連れて行ってくれるの


現実的に、今、用意して実行してくれますか


………

だから、私たちは『でも、でも、でも、でも、でも、でも………』を、365日繰り返す、一人で抱え込む、人から距離を置く、ひねくれたメンタルを持ってしまう。

ひねくれ者はどうやって適応したらいいか、じゃなくて、

社会に適応したくてたまらないから、努力のプロセスの結果として、ひねくれさせられてしまっているんだ。



………助けてよ。

社会へ出ていくこと。支度をして外へ出ていくこと。

社会へ出ていくこと。支度をして外へ出ていくこと。

否定されるかもしれなくて、構えて、失敗しないか自分を常に疑って掛かって、外面もたもって、行って来た社会。

ハズレが出るルーレット。

ルーレットを心を込めて一生懸命回して帰ってくる社会適応。

そんな記憶からまだ切り替わっていない時に、

私生活で人と会ったり、目新しい物を見たとしても、見えたもの、見えたもの、全部否定してしまうじゃん。

私は、その切り替わりがひどく難しい。

長いと、二日間寝続けて切り替える必要がある時もある。

そんな脳なのに無理をすると、代表的なのが こんな失敗もする。

脳波が遅めのため、情報処理や反応の収束に時間はかかる。

でも、なにか失敗をやらかしたとき、周囲がまだ私を許す気になれないのに、私一人がエヘラエヘラ呑気に切り替わってしまう無様をしてしまうよりは、マシである。


利害を共有して共働する行動をする周囲は、私にとって裁判官である。感情的に、私を許してフォローするかどうか、私がフォローしてもらう価値を得られる好感度を感じてもらえるかどうかを、決める人たちである。

誰かと一緒にいるだけでも、私はなにかしら助けていただかないと、無事に目的が果たせないからだ。


だから私は過敏をやめられない。自意識過剰もやめられない。神経質に警戒することもやめられない。


だから私は、独りでは気分転換を日常で回して行けない。

もう20代から、自力の自給自足には限界を感じていた。

これこそ有料でもいいから外部発注をするものではないかと言いたかったので、その前振りとして、リアルの現実やネットで、軽度当事者の人たちと多くの会話をしてきた。賛同を得たかった。

話が本題に入る前に、多くの当事者の人たちが黙り込んだり、違う話ばかりを返してきたり、私に違う話ばかりを期待して来たり、期待がかなわないと逃げて行ったりした。


だから私は軽度当事者の人たちに、理想のプロフェッショナルの支援や治療を私にしてくれとは言ってない

書き方がまだ下手なんだろう。

ご自分に支援や治療を頼まれたと思って断ってくる人や、お説教をしようとする人にもお会いした。違うのに…

私の文をそもそも読み取っていただけず、自己紹介をしながら私に甘やかしや治療を一方的に迫り続ける人もいらっしゃった。違うのに…

当事者同士でも手が回らないから、負担が重くて無理なケースも多々あるから、外部に頼めるように、軽度の支援や治療をするプロフェッショナルな役職が出来て欲しいよねって、言いたくて、賛同して欲しかったのに。

医療側で、『軽度が駆け込んでいい支援者ですよ。でも保険が利くまでは有料ね 』って、広告出して、セッティングしてくれたら、なけなしの貯蓄を握りしめて、のこのこ出掛けて行く気持ちはあったんだよ私って、書き続けてもう20年……


支援に恵まれないまま大人になった軽度当事者が、人格や人生を “肯定” して欲しいって需要は、深刻なはずなんだけど

「要らないの  」と、ネットを見てると時々、突っ込みたくなる。


私が聞きたい話や、察して欲しい話を、私に解る物言いで、長めの時間を掛けて話してくれるプロフェッショナルには、まだお会いしていない。

どこかにいらっしゃるのかもしれないが、いないわけではないのかもしれないが、私はまだ見つけられていない。



『発達障害の処世術』に、100点のための解説を付けるとしたら

そういえばあったんだよね。『発達障害の処世術』って、ここのブログにもあげたことがあったもの。

もろもろのテーマで頭がいっぱいになって忘れかけてた。

他にも、20代から私が影響されてきた処世するルールはいろいろあった。

キャッシュでいいから掘り返そうとしたけど、残っていないんだよね。

でも、そんな処世のルールを読んできた全国の軽度当事者たちが、間違っていようがいまいが、自分を責めて、嫌って、卑下して、憎んで、出会った当事者仲間と議論し合って、社会をサバイバルしてきた。

ひどく端的に書いてあるけど、それは長文を読めない特性の当事者向けには仕方が無いと私も思う。

ただ、もっと具体的に砕かないと100点は目指せない。(100点の解説は主に ここ と、 ここ の過去記事ね。)




発達障害者の処世術

・人並みの幸せは諦める

社会に生きている以上、『人並みの幸せ』情報は山のように入ってきて、どれが本来の人並みの幸せかが分からなくなる。
人やネットに振り回されないように、旅行をして日本の隅から隅まで見てみて、物理的に不便そうな場所でも、笑顔で凄く人柄がよさそうな人たちがいる村とか見たり、映画を見たりして、自分なりの幸せ観を探してもいいかもしれない。
受け身でいても講義して教えてくれそうな、あやしいセミナーなどは頼らなくていいと思う。ただの一般の普通のなんとなくネガティブな人向けの話しだったら、私たちにはフィットしない。私たちはなんとなくな連中とは次元が違う
諦めるのはありだとしても、不幸オーラを出し過ぎても良くない。
仕事場や友達など近くの隣人が幸せになって、その勢いで責められることはあるかもしれない。
障害をカミングアウトしていたり、障害者枠就労なら、「諦めていますので。」とだけ、微笑んで言うのはありかもしれない。
のちのち、日常で受ける配慮内容とも、バランスが取れる謙遜だろうからだ。
カミングアウトも、障害者枠でも無いのなら、「こんな自分にもありがとうございます。」と小さい声で言って、仕事なら仕事、飲みの席ならお酌や取り分け、注文取りに回って切り上げる手もある。責められても、お相手なりのお世辞や、社交辞令扱いに、無理やり切り替えてしまう手は、野良レモンもよく使う。


・障害のことは人前では一切口にしない

周囲が聞きたくない単語は、極力言わないことを、気遣いとしてする。
たとえば「こうこう、こんな機能をやってくれる、とりあえず使いやすいやつをエクセルでチャチャッと作ってくれる? すぐにね~」みたいな、半年勉強しないと無理な仕事を期待されたら、「苦手」という単語を使って、受けないで、断る。代わりの仕事を、申し出てでも受けたりして、"ここから先のレベルの仕事は本当にできない"ことを、態度と行動でも知らせる。専門的用語が駆使される仕事は、たとえ請け負ったとしても用語が外国語並みにわからないものはわからないので、そこから調べているうちに膨大な時間がたつからだ。
放置しても周囲が慌てる事態になるし、悪意で軽度当事者に負荷を掛けたい者がいたとしても、組織で働いている以上は、いつまでも途中経過も結果も出せない人間の存在は不思議に感じられるはずなので、"一人で意固地に抱え込んでいる"形に思われないように、周囲には、途中経過なり、わからないことの質問なりを根気よく続けることで、一定以上のレベルの仕事はだんだん振られなくなる、ことが多い。無くなることはないのが、私も恐怖ですよ。


・どちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない

仕方なく悪い結果を出しに社会へ出ているようなもの、と考えた時期が私にもありました。
良い結果は出せないんだもの。
でも社会には出なくてはならないんだもの。
この苦しさを、医療も福祉も察して欲しいよね。


・親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり搾取しようと企む性悪定型のどちらかしかいないと心得るべし

つまりは、私たちの弱みをわかった上で親しげに近づいてくる人は、私たちに一定の態度を取るように試したり、命令や、脅迫をしているんだと解釈してきた。つまりその一定ラインさえクリアすれば、あとはどーでもいい関係性であるので、まったく関わらない選択もありである。
あえてぶりっ子して下出に出て、なにか脅しを掛けてくるか待ってみる、探りの方法もあるが、本当に振ってもなにも出て来なければ、ただの い い 人 なこともあるので、それからは根性がひねくれてしまった野良レモンの教師とすべく、礼儀正しく接するように気を付ける。

・沈黙は金以上なり

お酒の席なら、しやべりたい人だらけなので、黙って笑っている、で平和に済むことが多い。仕事の席なら意見や質問は用意して、言わなければ許されない空気になったら言わないと、やる気を疑われる。そこは学生時代と同じかもしれない。
ただ、ADHD気質が強いと、自分、自分、としゃしゃり出ていないとメンタルを壊す可能性がありそうだから、私生活で出せる場を見つけられるよう、ネットで情報収集するのは必要かもしれないね。


・飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない

野良レモンは、普段は身近な業務で手いっぱいになると、宴席でしか連絡が取れない人、という人がたまに発生してしまうので、便利だから出ている。ご飯を食べて栄養を付けられるしね。でも、気後れして、連絡取りたかった人ともやっぱりしゃべれない、出来上がって酔っ払いに昇進していらっしゃってやっぱりしゃべれないことも多々あり。お酒が入る席では100点は目指せないらしい。食べて、注いで、取り分けて、微笑んでいればいい場合に出る。体調不良は当然休むよ。

・冗談やジョークを言わない

ジョークの作り方が、非常に難しかった。しかし、野良レモンは若い頃に模範になる人に恵まれてしまったため、少々のジョークなら作成することを覚えてしまったので、本当にたまに言っている。ウケることはある。ありがたいことだ。ウケてくれる人には自分なりに優しくしている。

・口に出すのは挨拶と感謝と謝罪だけにすべし

そうしていた時期はあった。怒られた。
ネットでは、挨拶感謝謝罪相槌以外の話を語ると、怒られた場もいくつもありました。ネットはなんのために回線料払って使っているのかと思い、私を雇ってもいない人にいいようにされるためではないので、反動が来て反撃するようになってしまい、整合性のある文の作り方も学ぶ必要性を感じて、学びながら今に至ります。
ようは、周囲が語りたそうなら私が口を閉じるし、みんなで悩む問題で、私も蚊帳の外ではないので、なにか言わないと進展しないなら、「ね~。」でいいから、言うことはある。働いて生計を立てている以上、全部で役には立てなくても、蚊帳の外では、ないでしょう。
『野良レモンは蚊帳の外気分で働いている』ことに決めつけたい人たちがいたとしても、「ね~。」は、やめない。会話の下で陰湿な戦いをしてしまうと、私たちは身体ごとストレスに弱いので、心因症状が出てくる。出たら病院には行って、上の立場の人にしおらしく報告はする。

・人前で趣味や遊びの話は絶対に口にしないこと

社交辞令的として、言わなければならない時、怒られなくても、答えないと傷つかれてしまう時なんかには「映画なら見ますね~」などという、無難な答えなら用意しておくよ。

・雑学的な知識を人前では見せないこと

ただし、知識を披露したくてたまらない人は世の中、いるので、感心して欲しそうなところでは、控えめに感心してあげる。
感心して欲しそうなポイントは、もし自分も雑学をかじっていれば、なんとなくわかってきちゃうのかもしれない。
雑学、とくに栄養の知識は全人類共通なので、出して良くないことはあまり無いが、問題は出し方で、いかに控えめに謙虚に出すか、引っ張り出されて、引っ張り出された時に、恥ずかしがりながら出すか、で、可愛らしさすら演出できる。
野良レモンは出来ているとは思えないが、出来ている人はすごいなーと感心している。


・自分の得意分野の話題になっても一切口を開かないこと

ただし、同じ得意分野の人がいたら、いつか話を聞かせてもらう日のために、礼儀正しくしておく。味方になってくれそうな人であれば、語り出したときに、賛同して、賞賛して、拍手して、聞く価値はある。仲良くしてくれるかもしれないでしょ。

・はしゃがない。笑わない。

基本、微笑み。歯茎をぐいぐい出してまで笑わないものだって、大人の女性のたしなみとして聞いたことがある。
一般の普通の場所では無理だから、もっとむかし、20年近く前は、発達障害当事者の人たちと、もっと成功体験を積み重ねて、関係を築いてはしゃぎたいと、ギンギンに願っていたものだった。


・「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな

社交辞令の考え方を応用する。答えを用意しておけば、アレンジしながら使えるが、肉体労働の場所か、ホワイト労働の場所かでも違うような気がするから、正解文は出せない。
これも一定ラインの言動を要求されているわけだから、その一定ラインとはなにかを、周囲を見て探る。笑顔だけでいい場合もあるし。
時に、「自分」とは意見の衝突とか、喧嘩とかを指されている時もある。
なんか熱い理想像とか持っていて、それに賛同されない時に、反発しなさいということなのかもしれないが、無いものは無いので、無いものは無いと、野良レモンは丁寧に、恥ずかしそうに、繰り返してきた。
「自分」が無いことが恥ずかしいことというよりは、「自分の熱い理想や目標」が無いことが悪い、と、指されていることがより具体的になって行くからだ。具体的になっても、無いものは無いけれど。


・定型の言う事には必ず裏があると心得るべし

裏もそうだけど、圧倒的に言葉が足りない。表現力も、想像力も、私たちへのお察しも足りない。だから、私たちから察する、作業に疲れ果て、私たちはメンタルを病んだり、診断を求めて重い腰を上げて通院したりするのだ。

・定型=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし

これもよく観察していると、言葉が足りないのももちろん、気分が激しく変わる、そのまま言っちゃう、という特徴でもある。そして、一般の普通の人たちの多くが、天才的に見えるほどに、はいはいと上手に合わせられるのだ。
だから、された指示は全部記録して、それが矛盾していても、「求められていることが出来なくて申し訳ありません。」と謝る。
なぜなら、求められている態度は、指示を正確にこなすことではなく、「求められていることが出来ない人」のキャラらしい態度であるからだ。そういう登場人物の役割に決められているからだ。
決められた役割はだれかがストップしてくれるまでする。なぜならそれもサラリーが出るお仕事だからだ。
だから、なんとなくやめさせられた時は、なぜやめさせられたのかもさかのぼって追及して調べることがある。サラリーにつながる生産とは、基本は、一貫した価値観とルールから出た指示に従ってされると考えているからだ。
なぜ変更した 一度決められたルールを事前に告知も説明も無しに変えられることがどんなに動揺と混乱を招くのか。
 

・職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、一人作業が多い仕事かどうかを基準に選ぶ

野良レモンが子供の時に聞きたかった。でも、独り暮らしが出来るお給料がどうかも私には大事。

・なるべく大規模な職場を選ぶこと

いくつもある小チームの中で、回して配置してもらえるから。

・人間関係はトラブルしか生まない

でもサラリーになる、と思うと、研究する気につながる。

・人付き合いやコミュニケーション、ビジネスのハウツー本は発達障害者にとっては何の参考にもならない

一般の普通の人たち向けに作ってあるからだ。
私たち向けに書かれたものを読む。
同じ故郷の星出身の人たちが書いたと思える本を読めばいい。


・発達障害者が「馬鹿になれ」を真に受けて実行すると怒りや恨みを買うか、さらにバカにされるかしかないことを心得るべし

だから、「〇カ」の振りを求められているんだと理解する。そのとおりにするかどうかは、選択の問題だ。
世界平和や倫理に反する話、差別に賛同する話などを、〇カの振りしてエヘラエヘラ聞く必要は無いから、その場を離れたり、帰ったりして良しと野良レモンは考えている。
飲みの席の一発芸的な物は、できない若者がこれから増えてくるから、断りたければ断る者が優勢になって行くと読んでいる。


・絶対に自分を出さないこと

ただ、たとえば一発芸てきにイナバウアーが出来たとして、やった後のフォローができるかどうか、なんだと考える。
褒められていい気にならずに、ペコペコお礼を言って、もうしない、恥ずかしがりを貫けるかどうか。
世の中には、貫くことで、コミニュケーションをしてもらえた、と認識して納得した気になる人たちもいるらしいから。
芸を持っていないなら、しない、出さない、で貫くで、私はぜんぜんいいと思う。
その場合、頭をわざわざユルくする理由が見つからないので、お酒も飲まなくていいのではと、個人的に思っているんだけどね。


・孤立や孤独は発達障害者の運命だと思って諦めること

もっと言うと、孤立や孤独が、業務に響かないか、サラリーに直結するかどうかで、プレッシャーはぜんぜん違ってくる。
サラリーに響かない職種になら、これは言えるのかもしれないね。


・他人と会話がしたいならネットの掲示板だけに留めておくこと

個人的には、ネットでもお相手の素性も、価値観もわからないし、逃げられるので、満たされませんけどね。





他にも、20代から私が影響されてきた処世するルールはいろいろあった。

キャッシュでいいから掘り返そうとしたけど、残っていないんだよね。

お友だちと楽しく集まって、パーティーして、最新のショッピングスポットやイベントに出歩いて、

インスタ中毒の人たちの作る世界のようにキラキラ派手に目立てるくらい、頑張らないとダメとか、

遅れは努力で取り戻して、我慢してみんなの言うことを聞かないと、努力してるって認めないとか、謙虚じゃないとダメとか、

突き詰めるとそういう目標を持たないとダメって、示されたと、私が思わされた教えが、無かったわけではないんだよね。

どこ行ったんだろ……

リタリンと同じで、指導を取り下げるなら取り下げるで、根拠を示して、否定して、私たちの頭の中から一旦リセットしてから、

次の情報をインストールし直して、入れ直してから、賞賛して褒めてくれないと。

頭の中からまだ消えないんだよね~。ね~。




軽度当事者の悩みは大きく二つに分かれる。機能面とメンタル面だ。他、雑談一つ

造語 ケロ忘れ

ポットに水を足すつもりでケロ忘れ、そのまま空焚き事件してしまったよ

自動的に湧かし機能が切れてくれて、助かったけど。

真夏と真冬は危険だ。

家の中で歩き回るだけで、次々とものをケロ忘れしていく。
反省を込めて、ケロ忘れ と呼ぼう

真冬でも野良レモンは忘れるんだよ。

寒いと、暖房とネットの前にずっと座っていたくて、身体が要求するから、思考が引っ張られて弱ってしまう。

で、たまに水分不足になる。

真夏は、書くまでもなく、皆さんご存知のとおりだから、水分不足になりそうになる。



舞妓さんだっけ

美しさを保つために、内臓を冷やしたらいけないから、冷たい物は飲まない、食べないものらしい。

いやいやいやいや無理

熱中症になる






私はどうして軽度当事者の人たちと対話を諦めたのだろうか、と時々、思い返しておさらいをする。

おさらい無しだと、どこかのネットの誘い文句にふらふらと騙されるかもしれないじゃないか。

私は、こうしてブログを振り返ると、自分の意見も言いたいし、賛成票が欲しいし、他人さまのご意見に意見もしたいし、掘り下げたいし、議論したいし、
知識や発想力に狭さがあると自覚してるので、もっと新しい斬新な考え方や知識も欲しい。軽度発達障害の診察診療治療の情報も欲しかった。

そもそもこれらを満たせる人には、リアルの現実の当事者集会でもお会いできたこと無いし、

いらっしゃるのかもしれないけど、探してるつもりでも会話が聞こえてこなかったし、

私と同じ、話し掛けられ待ち、がほとんどであった。

私はリアルの現実の行動には、命懸け、と言っていい気持ちで、人生を賭けて行く。

公共交通機関を使うので、初めて行く場所で迷うし、間違うし、あると思っていた道が無いとか、線路の向こうへ渡る方法が無いとか、迷ったけど後戻りしないって決断をしたのに、結局戻らさせると屈辱的な気がする。

人に道を聞いても、場所によっては「ちょっと行ったとこ。すぐそこ。あんまり歩かない。」なはずなのに、信じたらごっそり歩かされて、

一般の丈夫なリア充と、不注意持ちで平面地図に弱い自分の能力の落差を思い知らされ、なんの罰なのかを考えさせられることもある。

はて、なんの罪状の罰なんだろう

疲れ方も、今思い出しても半端じゃない。だから、期待したことの空振りがあまりに続きそうになると、怒り出すかもしれない。

それは良くない、と判断したら、足は遠のく。


ネットでは、私が欲しい形の対話を探していると、対話相手を他の人が盗って行こうとしたり、対話相手に他の人たちから連絡が入ったりしたらしい。

他の人から盗られない限られた特性の人たちは、注意が逸れやすく、衝動性もお強いと見えて、私の前からいなくなった。

だから、”信頼関係を築く”ということそのものが、ネットでは不可能らしく、

ネットでお友達を作って、かつ長く続く関係づくりができる人はいるんだろうけど、私には適性が無いのかもしれないと考えるようになった。


それで、あの掲示板では、独りの吐き出しと、新しい知識を得ることを主にしようとしたけれど、

弱虫め自己主張せよ

不快。不合格。言い直せ

殴られ続けろそして許せ


で、スケープゴート指定され、命令され、あの掲示板自体が終わってしまった。


つまり、軽度発達障害当事者とは、もとから劣っていて、飢えていて、カモとして付け込みやすくなければ許さない、

理性や判断力があってはならない、メンヘラでなければリンチしてやる、という結論しか見えてこない。

私が、当事者の人たちをナメて掛かっていようが、ナメてなんていなくても、警戒する知恵があったとしても、

どっちでも、

軽度発達障害当事者は、軽度発達障害当事者を見つけた、というそれだけでもう、飛び掛かって攻撃する時代になってきたんだ、ということが分かってきた。


いったいなにがこんな時代を作ったんだろうか。

個人個人の気持ちを思いやるテレビ、ネット、その中でもSNSが増えすぎて、自分を憐れむことが、たくさんの人に日常化しているのだろうか。

ストレスが無い状態。夜中でも空いてるコンビニ、開発されて、すごく座り心地のいい都市間高速バスや、JR、車で乗り付けるだけでレジャーが一日まかなえ、
場所によっては車中泊もできる道の駅、それらが、自然災害の後でもサクサク開店して営業してくれるありがたさ。

便利過ぎ。当たり前。もっともっと

逆に、都会では、便利さに慣れ過ぎて、営業してても気に食わないことがあるとネットで炎上させたり、問い合わせフォームからクレーム入れることが、当たり前に日常化しているのだろうか

ここからは、野良レモンは都会人ではないので分からない。

企業の人たちは、脅されるようにビクビクして営業しているのだろうか

お客さんに美味しい物を食べて欲しい、癒しのひと時を得られる場所にしたい、と願っていても、

どういうつもりだ説明しろ

言い直し もっと上層部に言いつけるぞ

こんな店もう用無しだ 潰れてしまえ 傷ついた 客を傷つけた店だ 訴えてやる 消費者の権利


と、わああ わああ とヒステリーを起こしても、どこまでも許される社会の構造になってしまっているんだろうか


企業はヒステリーをぶつけるために存在しているみたいだ。

いや企業は生産をして私たちは消費者で消費は消費であって、消費でしかないはずなんだけど。

冬でも南日本の野菜は、北日本に運ばれてくるから、北日本でも消費できて、健康を保てるんだよ。

そうじゃなくて、物流が通っているのは当たり前で、やりたい人が勝手にやってるだけで、でも自分は満たされなくて可哀想だから、だから喧嘩ふっかけて良し、と思っているのだろうか。

満たされて当たり前だしもっともっと満たして欲しい、可哀想がって欲しい、次はどんな方法で満たしてくれるの、ストレス溜まる という人が大勢、ネットに粘着して、全国で煽っているのだろうか。

それおかしい。冬でも野菜食べたい。高いから回数が減るけど、体には必要だ。だから、ありがたい。

物流は野菜(だけじゃないよ。)のためにある。モンスターの自己愛を満たすためでは無いはずだ。

物流も、交通の便も、治安も、ありがたいのに。


便利過ぎて、便利過ぎて、

世の中全部の企業も産業もシステムも今すぐ自己愛を満たしてくれて当たり前でしょ、奴隷は早くかしづきなさい、平然ととぼけやがって、

ぶっ壊してやる、

とでも思い込んで憎悪して脅迫する時代、になってしまったんだろうか。


一番上の、国政の場にいる人たちから受けた屈辱は、野良レモンは忘れない。

でも、現場で肉体労働している人たちは当然、別ですよ。ありがたいことですよ。

そんな労働でこの国、安全な国は、できているんですよ。

そのはずなのに。



こう見ると、ネットを多く使う人たちの中には、喧嘩が日常化してしまった人たちもいるらしいので、

ネットがやめられないことで、喧嘩もやめられないので、喧嘩の中毒者がいるんだということらしい。


だから、むかしの野良レモンたち、コミニュケーションを求めて最後にたどり着いた軽度当事者たちも、

次々にカモにされていき、傷つくしかない。

病院は結論としては「薬 薬 薬 薬 」で、終わってるし。

薬で自己肯定感は回復するか 20年近く振り回されて、「回復しない 」という結論しか出ない。

精神の安定とか、肯定感とか、そういうものは、

野良レモンのプロセスとか、価値観とか、ウィスクRのバランスとかを全部分かっている人が、野良レモンを知った上で100点をくださって共感していただかないと、達成、獲得した気になるわけがない。


生活は困る。たしかに困る。

生活や仕事の困難を解決する助言をして、やれやれと切り上げちゃうお医者もいらっしゃるかもしれないが、

困っているのは物理的な生活だけじゃない。

メンタルの問題にだけ助言して、肯定して、やれやれと切り上げちゃうお医者も同様だ。

おそらく、私たち当事者の多くが掛かっている医療者、支援者は、どっちかしか構ってくれないだろう。

片方だけじゃ、解決しない。安心しない。

物理的な生活でも、メンタルでも、両方なのに。


そういう話題で、ネットの軽度当事者とはもっと意見交換したかった。

勝つとか負けるとかの次元じゃないはずだ。

ネットの世界には私より、頭のいい人が山のようにいるはずなのに。


認めさせる”空気様” 他、雑談一つ

お仕事場の上履きが、ふと汚いんじゃないかと思い立って、裏側をよく見たら、ゴミと一緒に緑色がパラパラと混じってた。

大きな物を差し出したり、受け取ったり、する時に外靴に履き替えないで、玄関をチョロチョロしてしまう。

業務連絡を聞く時によく聞こえない時、でも聞こえた振りしたくない時は、お相手を呼ばずに(呼んでも聞こえていただけない人たちもいらっしゃるし。)玄関へ、私がチョロチョロ上履きで出ていく。

外靴に履き替えられるほど、野良レモンはテキパキしていないのだよ

ゴミを取った後、一日よく考えた。

ゴミの中には土が混じっていた。土の中には草木の種が入っていて、この暑さで発芽したんだー




昨今の、不祥事の当事者の模範的な振る舞いは、まず罪状を認めさせる、ことにあるのかな。

昭和はもっとテキトーだったのにな。

有名人、すぐ記者会見を開く。ユーチューバーも謝罪動画をあげる。

いいんだけどさ。

いいんだけど。

ネットなりテレビなり、視聴者総裁判官な空気を感じていて。

社会の沢山の人たちが不満で、裁きたくて、批評したくて、荒らしたくて。

そんな風潮に、あまり深く考えず、乗ってもいいのかもしれないけれど、私は時々、そんな気になれないことがある。

社会の不満は、有名人を叩くことじゃなくて、やっぱり政治や、経済を回している人たちの姿勢などに、改善を求めるものではないかと思う。

ニャンコも杓子も、疑いを掛けられたら

『認めろ 』『認めろ 』『違うなら釈明しろ 』『議論しろ 出てこい 』『論破 はい認めない 言い直せ 』

と、騒ぎにできるので、いかにも『売られた喧嘩は買え 冤罪とか知らねぇから買え 』と、命令されているみたいだ。

闇営業問題は、かなり稼げている人たちがしたことで、たしかに反省の必要がある。

しかし、営業先がオレオレ詐欺をした団体であることは、数年後に分かったことであるのに、

“空気様”の空気が、オレオレ詐欺犯罪をした犯人たちの悪意と、営業しに行った芸人たちの意欲を、“同一視”する

集団ヒステリー状態になっている気がしてしまうこともある。

芸人さんたちを束ねる上の人たちは、そんな気配を感じたのだろうか だから会見を遅らせ、黙らせる判断をしたのだろうか

でも、だからってパワハラで黙らせるのも間違いなので、今の、ベテランの芸人さんたちが体制入れ替えのために動いているのも、ありだと思う。


話は横に逸れるが、最近お亡くなりになった、Jお爺ちゃんのやり方はうまいと思う。

母親のように受け止め、引き出し、励まし、ご飯を炊いて食べさせ続けたそうだよね。

アイドルという仕事が、演じて、演じて、どんなに自我が育ってきても、どんなに青年として成長しても、自己を隠して演じ続けなければならないという現実も、

ご飯に支えられて、そういうものかと適応していけた可愛い少年たちは多いんじゃないかと。



しかし、これらはの上の世界に住む人たちの話しである。

せいぜい、無料のツイッターとかラインとかする庶民の話しで、ニャンコも杓子も、疑いを掛けられたら

『認めろ 』『認めろ 』『違うなら釈明しろ 』『議論しろ 出てこい 』『論破 はい認めない 言い直せ 』

と、騒ぎになるのは場所が違う。

『小説を盗んだ』と言われたら、謝るのか

違う

無罪は無罪だ と言うところから始まるだろう


過去記事の通り、野良レモンはむかし、盗んだ側、の疑いを掛けられたことがある。

疑われたままは、私の社会的信用にかかわる。
一度疑ってかかってきた者が、『野良レモンは制裁を受けろ 』と思い込んだまま、どこに広めて回ったか。

噂を聞いた人たちはだれで、いつ、どこに、どんな言い方でラインなどで更に広めたか。

本当は野良レモンはまだまだ追及して回ってもいいのにと思っているし、喰って掛かってもいいとさえ思う。

盗まれた側、ではない。

盗んだ側、疑いだ。

でも、疑いを掛けられたことで、雀の涙のように浅い、生きるための命綱の社会的信用を盗まれたと考えている。

追い掛け回してでも取り返したい気持ちだけは変わらない。方法が分からない。



話を戻す。

それでも多勢の側が『認めろ 』と、もし、喰い下がってくるなら、一般的には、両者の距離を離す対策が取られる。

(野良レモンなんか、物騒なこと言ってないのに、疑問が解決されるのを待っているだけで、あらゆる人が逃げて行ったんですぜ。ひどいわ )

それでも言い掛かりが止まらなければ、一般的には物理的に距離を離したり、隔離をする。

DV配偶者から、弱い方や子供を離す場合は、弱者の方が被害者だが、DV側に病識が無いので、

仕方が無いからすごい手間を掛けて弱者が逃げ出して、シェルターに隠れる。

しかし、泣き寝入りかと言うとそうとは限らず、ケースによっては慰謝料が取れるはず。

……という一般常識なら知っている。

(野良レモンは、一般常識を常識と知っているばかりに、野良レモンを敵視した人たちが、賛同者を集めた体を取って、数の圧力を掛けたり、『自己責任』など言葉の操作のうえで卑しくて無様な加害者のように仕立て上げ、加害者ということにする、という辱めを受ける経験をした。
用無し洋梨野良レモンが、自分の意見、という穢れたものを持てなくなればいいんだろうが、病院と言う場所や、社会が、一般庶民が自覚症状や自分の意見などを持っていることが前提で回っているので、そこから変えてもらわないと、野良レモンはビクとも動けない。動けないものは動けない。
病院の職員たちに口で言わなくても察してもらえるように、テレパシー能力を付けてもらうとか、すごいAIがお察しを付けてくれるようになるとか、自治体の公務員たちにもテレパシー能力やAIを導入してくれれば、野良レモンはたしかにアホになるかもしれないねぇ。)


仲裁者、という役職が出来て、進化してくればいいのに、と思う。

この国の喧嘩の当事者たちは、もう自分たちの良識とか知恵で、穏便に平等に解決する能力が育たない時代になって行くんじゃないだろうか。

喧嘩の切り上げ方は、一般の普通の子たちなら保育園から小学校までで習得するものだ。それ以降もやってるのは、発達がエラーを起こしている種族に他ならない。私たちの種族の次世代たちだ。たとえ成績が良くても支援センターへ引き連れて行かなければならない。

もちろん、私たち、軽度当事者は不利になりがちだから、仲裁者は、私たちの知識も身に着けた人たちであって欲しい。

一度容疑が上がって騒ぎになったら、私たちはのちのちも好かれなくなる危険をはらむ。

もちろん私と言う人間を探ろうとしてくれる人間もいたにはいたが、私に100点の合格や肯定はくれなかった。私にそれだけの力が無かったからだ。

多くは、”モブ”には毎度おなじみの、着かず離れずって態度を取ってくる。一度騒ぎになって、疑わしい人間は、近づかない方が増し、な姿勢なんだろう。

どうやって遅れを取り戻せと。どうやって好感を取り戻せと。分からない情報はだれにどう聞けと。

そうやって私たちはまだまだ困り続けるし、挫折した敗者の意識を溜め続ける当事者も、全国でまだまだ苦しみ続けるぞ。

それがまた二次障害を生むし、次の喧嘩や次の問題を生み続けるぞ。


理性の無い喧嘩をする国。幼稚な国。

というのは極論に飛び過ぎだろうか。

そのまえに、大学とか、ある程度フリーそうな場所で、「自分はいったいなにが欲しいのか。どんな夢があるのか 」

を、若者に向き合わせて欲しい。

小中高は………大事だけど、狭い教室で押し込められて、それでも他人に反感持たない持たれないで一日終わるだけでも、よく頑張っているよと言っていいのかもしれない。

ずっとずっと前、去年の記事にもたしか書いたけど、もう夜の時間帯に、映画を観に子供たちがキャッキャしていた。

部活動休ませたれよ と書いたはず。


もっと自由なキャンパスで、自己内観をさせることでたとえば「人とのコミュだけが欲しいわけじゃないんだ に映った自分も大好きなんだ 」と悟れば、他人に頭に来た瞬間も、そこに戻れる。

そして、数少ない他人に映すだけだと煮詰まるから、たとえばユーチューバーになろう、とか思えれば、

なり方を調べることで、社会の需要も学べるだろう。(一時的な衝動なら、顔はさらすんじゃないよ。お面をかぶりなさいよ。社会的立場って言うのは自分だけのものじゃない、家族も探されるし、将来配偶者や我が子にも迷惑掛けるかもしれないんだよ。)

社会の需要を学ぶことで、他者を察する訓練になるし、共感の訓練になる。

どんな仕事に就く時にも、きっと生きてくる知識のはず



もっと自由なキャンパスで、受動型に自己内観をさせる。

えーっと……、えーっと、えっと、えとすいません、自分の意思、とか、なんか穢らわしい、のかな……って……
わたしが、なんか言ったら、怒られる、ような……って感じ……決めるのとか、こわい……し、…あーすいません…
だれかの……言う通りで、いいかなって……えーっと、いいんです……わたしなんか……えつと、…んー…
うまく言えないから……、えーっと、ごめんなさい……

……野良レモンも、ほんとは自然体はこっちなんですよ。えーっと、の受動タイプなんですよ。信 じ て ね。


だから、意思とか持たされるの本当はきついし、持った意思の責任取らされるのも正直、とってもきつい。

ハラスメント暴走兵器製造機なんですよね。

あらゆる加害欲求を持った、共感性が欠除したボーダーラインの侵略者たちを受動は、

ポカンと見逃し、聞き逃し、調子こかせ、スイッチを入れ、増長させ、愛想笑いで黙認し、肯定されたと勘違いさせ、暴走させる。

受動タイプ当人に攻撃が向けば攻撃されるし、受動タイプの回りにたまたまいただけの一般人にも欲求が向けば、

サークルクラッシャーなども製造するかもしれない。

ハラスメント暴走兵器製造機は、そう自覚するように指導をされないと、気付かない。指導が怖くて、逃げやすい。

から来たゴジラに「日本に上陸していーい 」と聞かれても断れなくて、目先の会話を平和に曖昧にして、逃げたい。

他人さまからの要望の気配を感じただけでも、いとも簡単に思考停止しますからね。もう無意識です。

学習の方法は、覚醒したゴジラを何匹も増長させ続け、キャンパスを叩き壊して破壊させ、キャンパスをいくつも廃墟にして犠牲にすることかな。

こんなにたくさん壊された廃墟って、もしかしてわたしが自分の意思を決めないことで出来たのかな と、悟りに至る可能性は高まるかもしれない。

社会の需要を学ぶことで、他者を察する訓練になるし、共感の訓練になる。

どんな仕事に就く時にも、きっと生きてくる知識のはず。

(うんでも受動は難しいけどね。今度こそは増長しない人に依存して付いて回りたいなって方向に行きがちだし。
野良レモンは勉強したいって言う欲求も同時にあったからエネルギーを依存には優先しなかったけど。
ほんとは実際に特定の、いなくならない人に付いて歩いたほうが、メンタルの深刻な爆発はわりとしない。
もともと自身の能動的な機能に自信が無いから、他人さまに代行してもらうと安心感が違う
それに、野良レモンにとっては優柔不断も一生懸命やるものであるから、そうして平和で曖昧に謙虚にした努力が評価されなかったことには、今でも納得がいかないくらいこだわる。矛盾だね~。若い頃から優柔不断の副作用も知ってはいるのに。『模範的で好かれる優柔不断』の評価も100点が欲しかったんでしょうね。諦められませんねぇ。
でも自分も潰さない。生きていかなくちゃならないでしょ。)

一般の普通のいわゆる正社員の仕事で、

経験を積んできた野良レモンたちが100点を取ること。

軽度当事者なりに、障害者雇用じゃなくても、仕方なく許されるために、

“仕事での苦手がある人にふさわしい下出に出る立ち振る舞い”で100点、

“自分で対策をしてもミスが防げなくて周囲もフォローに限界が来た困った人”らしくふさわしくして100点、

“暗黙のうちに一人前面をしない出しゃばらないことを了解している”らしく調子に乗らない、でも自分の意見は必要に応じて持っておくことで100点、

こうして100点模範ケースを積み重ね、本当はどこかに実績を集めておければいいんだけど。


障害者枠雇用対象では無かったり、家族が許さないとか、プライドが許さなくて障碍者枠を使えなくても、

一般の普通の社会で、なんとなく勝ち組になってリア充になることしかイメージできない若い当事者は、

当然そうはいかないので、挫折して引き籠ったり、二次障害が悪化する危険がある。

そういう、状況の悪化に、はまるかもしれない。

そういう若者に、「一般枠、諦めない 」「リア充、諦めない 」「恋愛や結婚諦めない 」と、示したうえで、

100点


を取る項目を、必須科目として並べる。

100点クリアすることで、雇用し続けてもらえる確率が、かなり上がる時代が来て欲しい。


なんとなく勝ち組、なんとなくリア充、の、想像力に乏しい若者当事者の想像していることとはどんなことか。

私の想像だけど、非常に狭い世界で、キラキラしたインスタや漫画やテレビに載ってるような生き方、

それか、一番身近な、親の人生丸パクリ人生コース、

だけしか、

イメージの引き出しには入っていないんじゃないだろうか。

学校で講義されたとしても、単語でしか入ってなくて、イメージでは分からないだろうし、そもそも登校していないかもしれないし。

もしかすると力関係でマウントを取ることばかりを、キラキラすることとしてイメージしているのかもしれないし。

そこを矯正すれば、選択肢はぐっと広がるのかもしれないし。


……キラキラは、しませんよ。

でも、働けます。雇用し続けてもらえます。正しく適切に下出に出ることを身に着ければ、お金がもらえます。

ただし、一般の普通の人たちの中なので、言われることはよく分からないし、決して快適ではありませんけどね。

メンタルが病まないように、つまらなさを克服するサポートをしてくれるところは、フリーダイヤルに電話すれば、各都道府県の最短距離のサポートスクールを紹介しますよ……


……そんな、『100点』が集まったノウハウが、

ワケ―モンの本のように面白くなくても、全国から集まったら、使えるのにね。

サポートスクールみたいなのも欲しい。プライド傷つけずに行けるところ。肯定されて帰って来れるところ。

私生活のアフターファイブや休日の使い方で、嗜癖依存に陥らないで、生活の用事も回して疲労を取って、自尊心も満足させられるようになる相談口も欲しい。時間の使い方とメンタルのなだめ方は下手だから。

周囲が、私たちを働かせてくれるくらい、”出来た”人間が過半数だと、恵まれてるけど、かなわなくて頭が上がらなくなるから、私たちの自尊心が自動回復しづらくなる。
でも”出来てない”人間が多くても、私たちの自尊心は大きな損傷を受けます…。
"出来た"人間と"出来てない"人間が混在しても、"出来てない"人間に、私たちが卑屈になるまで煽られるので、私たちの自尊心は大きな損傷を受けます。

チヤホヤされても解決しないんです。もし、歓楽街の、別世界のような場所にお金を使いに行ったとしても、テーマパークで優しい着ぐるみに投げキッスしてもらったとしても、それも違うんです。(楽しそうだけどねー。)

宇宙人は、地球環境では傷を負ってしまうの。地球の企業の"空気様"、いわゆる一般の普通の"部族"で負った傷は、ふるさとの星に帰った環境で治療されたいの。


そうですねあとは、冤罪やブラック労働や各種ハラスメントに対応できるよう、専属弁護士にもいて欲しい。



もし全国からノウハウが集まっても、今の現状では結局、だれが取りまとめても、喧嘩になるんでしょうけどね。