メンヘラになる前にすべきこと 努力すべきこと

 過去記事で、久しぶりにメンヘラの人たちのことを多めに書いた。

しかし、確認しておくと、

ここはパソコンやスマホを扱える軽度の発達障害当事者やその関係者が見てくださっているブログであり、私が書きたいテーマも軽度当事者の世界であり、

メンヘラとは、重なり合う部分もあるが、私たちはメンヘラだけで構成されているのではない。

メンヘラ イコール 私たち ではない。

ネットにアクセスしてくる軽度当事者の中に、メンヘラ率は、圧倒的に割合は多いけど。生活に困るから、だからネットで果てしなく深く調べたくなるものなんだけどね。

でも、私の書きたいことがメンヘラに乗っ取られる必要は無いし、メンヘラに囚われるつもりも無い。

軽度当事者 イコール メンヘラ では無い。


では、メンヘラに陥っていない軽度当事者には、なにがほどこされればいいのか。

どんなコミュニケーションが取られればいいんだろう。

ここが、ネットの中ではまだまだ発展途上で、どんな場所でも主導権はメンヘラ、マウントがメンヘラに取られてしまう。

メンヘラの人たちは、攻撃性が圧倒的に強い。だから目立ってしまう。掲示板的な、コミュニケーションの場は、メンヘラ一色になりがち。

参加させてもらってるブログランキングの人たちの分から、これはと思ったブログを時々サーフィンするが、

ツイッターや、フェイスブックや、ミクシィなどもっと凄いところは凄い戦闘地域があるんだろうなー。あーヤダヤダ。

どちらかというと、自閉的に、コメントも見えなくして、籠りながら書きたい人が、ブログを使っているイメージ。趣味の報告が多い。

だから情報が少ない。

身の回りを平和にして暮らすってどんな方法を取るものなんだろう。


私たちは、自然体の素のままの自分でいると、周囲とそぐわなくなる。

でも、心と神経系が疲れた時に、お医者が指導することは、心身に負荷を掛けないこと、自然体で素のままで休息を取ること、生活形態を変えること、ばーっかり

私たちは、食べていくために、この指示は、守れない。

守れない運命なんだ。

じゃあ私たちはなにするんだ

毎日一貫した価値観で、同じことを考えて、同じ順で行動して暮らさないと、私たちは二次障害で病んで、メンヘラの仲間に入る危険な可能性なら十分に持っている。

うちの身内にも言われるが、「病んじゃダメ」「病んじゃダメ」こんな結果じゃなきゃダメ、だけじゃなくて、もう聞き飽きたから、

メンヘラにならないために、危険な目にあった時に、生活を守ったまま、なにをするのか、の情報が必要なんだよね。

『軽度当事者ならメンヘラで当たり前。メンヘラになって当たり前。』じゃなくて、メンヘラにならないように、これしなさいが、欲しい。

ねえちょうだい

必要なんだよね。

くーだーさいっ

そうじゃないと、メンヘラじゃない軽度当事者や、精神疾患症状がめでたく寛解している軽度当事者は、宙に浮くことになる。

メンヘラじゃなければ、恵まれてる軽度当事者、幸せな軽度当事者、と誤解される。私はまだそんなハイレベルな生き物になった覚えは無い。

だれもかまってあげないまま、どうかまっていいのか分からないまま、メンヘラ勢にはかまってもらう要員として狙われたまま、一般の普通の人たちには病まないかどうか見張られたまま、疑われたまま、うさん臭く思われたまま、嫌われたまま、

それでもやっぱり、人にかまわれないまま、宙に浮くことになる。


生活で気を付けることならネットにも、むかしから出ている本にも、ワケ―モンの本にも、いいこと書いてある。

でも自閉したまま出来ることばっかり





メンヘラになると、脳のニューロンとかいろいろ、稼働してる場所が何割か減ってしまう。そこまでは私ぐらいでもざっくり分かってる。

だから、減ってしまう前には、メンヘラ時よりも脳をたくさん使える。

たくさん使いながらしたいこと。危険回避、危険の解消。

私たち軽度当事者の危険とはなんだろう。

圧倒的に多いのがコミュニケーション障害なはずだ。その次に、不注意や、個々の苦手分野が続いていくと思う。


た と え ば

 つい、一般人が答えないような受け答えをしてしまう、

少しずつ変な発言をして、価値観が違うことをさらしてしまいがち、

心を許した相手には、いや許していなくても、見下す意図を盛り込んだ発言をついする、

雑学を知っている、ニュースや情報を知っていることを披露したそうに思われる物言いをする癖がある、

失敗した人間がいたら、その人を追い詰める可能性のある物言いをすることがある、

助けてくれる人間がいたら、その人を困らせる可能性のある物言いをすることがある、つまり恩を仇で返す可能性のあるやらかしをしそうになる、

自虐をしたい、落ちを付けたい、ウケたい、そんな願いをかなえようと会話の流れを変えようとしてしまう、

他人たちが会話をしていると衝動的につられて、その結果、止める、入る、入って喧嘩する、会話内容の妄想が始まり被害妄想になる、など……… 


例 だ 。

………

たぶん、こんな症状が、発達障害当事者あるあるとして、噂になることがあるだろう。

これらを自分がやらかしているかどうかは、客観視しないと難しくて気付けない。

なぜなら、親切な人がどこかから現れて、私たちに分かりやすく解説して告知してくれることは無いからだ。

私たちの大半は、そんなつもりなんて、ぜーんぜん、無いからだ。

自覚なんてあるわけない。持つつもりも無い当事者は、とても多いだろう。


だから、脳をたくさん使えるうちに、客観視、という難しい作業を自分でやっておく。


……たぶん、お医者も切り込んでく れ な い んじゃないかな。

お医者は目の前の患者の不快や病気を快適にする商売だから、一歩間違えば日本語が通じない劇薬になるかもの自己正当化すら手伝ってもらえるんじゃない

私は頼んだこと無いけど。

正当化って、私は頼んでやってもらうものじゃなくて、正当化していただくに足る、実力や価値を私が付けてから、頼まなくても人様からやっていただけるものじゃないかと思えてしょうがないので。

自分の想像の自分像だけで、破綻の無い健康が手に入るわけが無い。

不適切な特性の親や配偶者に自尊心を虐待されて自分像が壊れていたケースを除いては、お家に籠って、理想の自分像を、ふくらませて、ふくらませて、いることが快適な休養になるはずが無い。

本当は、休養とはなんたるか、からご指導して欲しいものなんだけど、私はいただけたことが無い……。




話を戻す。

客観視しているうちに、知らず知らずに、嗜癖依存にも依存していることに気づけたら、対処できるかもしれない。

ググったら一目瞭然だけど、嗜癖依存にもいろいろある。
食べ物、飲酒、ギャンブル、タトゥーなどの身体感覚、サークルクラッシャーなどの関係性操作、ホストやキャパ嬢が見せてくれる夢を信じる承認、スマホゲーム、SNSからもらえる承認etcetc………

過敏な感覚を休ませるための逃避、が、依存、になりがちなものばっかり。

病んでるつもり、が無くても、知らず知らずに病んでたかもしれないでしょ。芸能人たちの不祥事発覚、を見てると、これだった気がしてならないものがある。

回りに人はいるだろうに、だれか警告を言ってくれなかったのかな、とどまれなかったのかな、と残念に思わされる。


客観視しないと気付けない、危険な嫌われ発言は、他人様から怒られることはあっても、反省して治したら「治ったね」と、合格をくれるわけでは無い。スタートばっかりさせよってー

ゴールが無いのだ。迷惑な話だ。当事者は必死なのに。

ゴールが無いことに耐えられなければ、暴れる んじゃなくて、嗜癖依存のどれかに引き寄せられていくものなのかもしれない。

特にホストやキャパ嬢を利用できる接客のお店に行けば、合格、とか承認、がもらえるかもしれないような、錯覚は得られるかもしれないね。

でもそこにゴールがあるわけないじゃん。私たちのことなんにも知らない人たち。長所も欠点も発見してくれるわけでもなく、ましてや指摘も、指導も、合格も、くれるわけが無い人たち。

PDCAサイクルになんて絶対付き合ってくれない人たち。心の中で『面倒くせー客』などと、私たちを罵るかもしれない人たち。

私たちは仕事以外の自分のことになんて、とても4段階なんて踏んでいられない。それこそ強迫性症状が出てしまうわ。立ち止まって恐怖で先へ進めなくなってしまうかもしれない。

だから外部発注して外からコーチしてくれる人が必要なのに、偽物になんて関わり合いになってる暇は無いのだ。私たちに暇は無い。

パッと見、ビジュアルは怠けているように見える私たちだけど、そこまで暇じゃないのだ。


強迫神経症的に自己卑下するのも違う。

「わたし、なにかひどいこと言ったかもしれません。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい………」と、人と話すたびに自分を疑って掛かる段階が必要な人も中にはいるかもしれないが、無理して踏まなくてもいい段階なのではないかと思う。他人様に訂正する手間を取らせる。

自分から、自分とコミュニケーションするメリットを提供してあげられない場合は、相手にとって、手間を掛けることの利益が無い。
手間を面倒くさがる相手に当たると、否定してもらえなくて、まるで自分に有罪判決がくだされたかのような気分になる。

そんな損で、収穫の無いことは、しなくていいと思う。

ネットや他人の会話で、ガンガン会話を聞き集めれば、サンプルが積みあがっていく。

危険な嫌われ発言を、しない人になりたいから、私はテレビや映画やユーチューブで、『ぶりっ子』して好感を得ることに成功している人たちの物言いを意識して聞いていた時期があった。『ぶりっ子』を構成する構造は難しかった

そのほか、気品や教養や優しさがあって好感が集まっているらしい人たちの物言いも気にしていた。

そのほか、パッと見、乱暴でキツめで直線過ぎる物言いで、成功して好感を集めている人たちの物言いも気にしていた。こういう人たちは、"自分"を、揺るぎなく持っていないとならないから、ブレる野良レモンには難しい。それに、裏で回りの人たちに優しくしたり、なにか奢ってあげたりのフォローをしっかりするらしい。そんな行き当たりばったりっぽいこと、予定が立てづらいこと、野良レモンには難しい。
きっと住んでる次元が違うんだ。


そして私は、心のガスがますます抜けづらくなった

ルールで自分を囲い込みがちだからだよ。でもASDはルール付けして囲い込まないと、なかなか自分の力として身に付かない




しかしだからと言って、私たちはメンヘラになる運命に、ノコノコと首を突っ込んで行くのかというと、嫌がっていいと思う。

だって嫌だもの。

回りが困るもの。

メンヘラになってから、慌てて頑張らされても、承認の飢餓感にはつきまとわれるし、思考停止はするし、薬の副作用で忙しいし、

ものすごく不利になるはず。面倒くさいでしょう。

だいたいメンヘラな状態って頑張る時じゃないし。逆だし。

メンヘラ治療と、原因の探索と対処、なんでしんどい時に二倍に努力しなきゃならないの。

しんどくない時から計画的に課題を降ろして、ゴールに近づけさせなさいよ

ゴールも示さない、設定しないってどういうことよ

私たちはなんとなく黙らせて放置してれば自動的に思考や発言が矯正されていくおめでたい頭はしていないの

ちゃんと社会に通用する思考を言語化して外からインストールしなさい

私たちになにかしなさいよ

すぐには出来ない、じゃなくてすぐなにかしなさいよ

どんだけ長い月日を待たされたと思ってるの

ふざけんじゃないわよ

私たちが待ってたことをしなさいよ


……って、天に向かって怒らなきゃならなくなる。

むかしの怒りを思い出すだけでもしんどくなりそうだ。

しんどい時に怒りたくない。



全部は解決しないけれど、合格ももらえないけれど、だからスピードは上げられないけれど、

メンヘラじゃない、しんどくない、そこそこの時期には、

自分を苦しくしないために、自分の言動を、定期メンテナンスのように、振り返ってチェックしていい、と考えるんだ。

しなきゃ、じゃなくて、いい、って考えるんだ。


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