それでもグレーゾーンははめ込まれていく

前ふり、すごい悩んでいたんだぞ

腰がそこそこ治ってきた話とか、

ずっと前に下書きを書いた映画の話しとか、

ワケ―モンの軽度当事者本を読み終わったから、ブログを少しずつ読んでる感想とか、

もっとのどかで、夏が近づく八十八夜に窓や車から見える景色がすっかり深い緑になっていて郊外の牧場では仔馬が寝てる季節、から感じる文を書きたかったんだ。




でも、またいたましい事件が起きた。

今回の犯人は、社会から“いない人”とされていた、社会から引き籠っていた人。

50代なら、老年期目前だ。

野良レモンは、以前の、障害者施設の事件の犯人に向かって持ったような怒りは持てない。

『せっかく社会に関わっていたのに、教育も受けられたのに、疑問が湧いたなら近くの人間と言葉で衝突でも摩擦でも、起こせば良かったんだ。
そこをさぼって自説の城に籠って、乗り移られたのなんだの言って、行動に移すことが間違いだったんだ。』

たぶん、だいたいこんなことを書いていたんだろう。

過去記事を探すのはやめました。

手を抜けることは抜かないと、パソコンの前に座る時間が延びて、腰に来るので。


50代。しかし、そんな鉄仮面を被されたような疎外された人生だったら、年相応の心情を持てていたかどうかもあやしい。

その前に、精神的にも、知的にも、育っていない箇所は存分にあったかもしれない。


だから、『あれも悪かったこれも悪かったこういうこともこんなことも悪かった』という気にはまだなれない。


私たち自閉スペクトラムだって、スペクトラムの重さによっては、教育に恵まれたとしてもどうしようも無い目隠しを被されて生かされてしまう。認知の限界だ。

そこに実在する社会が見えない、その辛さなら、わからないでもないから。

鉄仮面は、人に外してもらえば、外れる。

外側に被された鉄仮面ではなく、自閉スペクトラムは、脳の中に認知のシェルターが出来上がっている。

小さな小さな格子窓から、外界の世界が見える。感じる。

心地いい。その他なんて知らないもん。こだわる。

横断歩道の白線を踏むと心地いい、タブレットで永遠にゲームをし続けたい、スナック菓子、鉄道、爪齧り、毛髪抜き、睡眠、飛び跳ね、癇癪……無限の時間、好きなことをさせて欲しいと、望む者もいる。

しかし、シェルターの壁は、少しずつ崩れる可能性がある。

ネットや本の随所で書かれる説。発達障害も発達する。

身体が育つ。視野が広がる。記憶力が増す。知識と知識が連結し出す。感情が豊富に湧く。

外界のだれかがタイミングをとらえる。
『シェルターにヒビが入りましたよ
『今だ崩そう』何人もの人の手が掛けられる。

話しかけ、聞かせて、見せて、誉めて、実感させる。休ませて、またトライを繰り返す。

外界からの診断と、支援と、教育で、シェルターは少しずつ崩れる。


社会的に許容されないことが、徐々に、徐々に、許容されることへ移動していくこともあるという。

小さな格子窓から見える世界で、齧ったり、抜いたり、自分を傷つけていた行動も、たとえばプラモデルを作る行動に移行できるかもしれない。

小さな格子窓から見える世界で、弱者に向かって暴れずにはいられなかった行動も、たとえばプールで無我の境地で泳いで発散した後、ジャンクフードで満たして、DVDレンタル店に寄って、帰宅して昼寝して、DVDを観る、ような、びっちりした予定を毎週組むことで、だんだん減っていくかもしれない。無くなっていくかもしれない。

※鉄仮面、って言われてもわからんわという人は『仮面の男』参照ね。


やったことはいけない。許されない。

しかし、社会がこうして、疎外された人を疎外されたまま、排除して、排除して、排除して来て、こういう事件が起こり、社会全体は、なんとなく慌てている。

しかしどうせ慌てても、国は動ける人手もお金も足りない。

児童虐待対策の組織が作られて動き出したばかりだ。

息切れするだろう。

たかが知れてるかもしれない。

でも遺族の悲しみは計り知れない。

テレビやネットから見えてくる話としては、社会と断絶して引き籠っている人を引き籠ったままにせず、外へ連れ出そう、という方向の話をしゃべっている人たちが見受けられる。

たぶん、そういう動きは、国全体でなんとなく出てくるだろう。遅いですよね。

取り返しのつかないことが起こってから。遅いですよね。



つまり

これからの一般の普通の人たちは、

“変わった人達”が否応なく家から連れ出されてくる時代になっていくので、

2~3種類の軽度発達障害、もしくは偏った人の面倒を見るように求められる時代になっていく。

問題児が一人、とか、攻撃ターゲットが一人、ではなくなっていく

適応力が低くてスペクトラムが重度の人たちは、福祉機関に通う。

ニーズが多様化しているから、どこにでも入れるとは言えなくなっていく。もう今も言えない。

そうでもない、グレーゾーンたちは、どしどし一般の普通の社会にはめ込まれていく。



軽度発達障害が「あわわわわ 」とパニくる。

ASDスペクトラム傾向が「先パ~イ、また太ってきましたね 」となど空気を凍らせる語りをする。

正義の制裁の血が騒ぐASDスペクトラム/虐待被害経験者が目を付けて、ラインを駆使したり噂を広める。


特定の特徴を持った者が不利に労働しなくてはならない仕組みが暗黙に作られていく繰り返しを防ぐためには、

軽度発達障害には得意分野だけの仕事を与えて、努力してやり切ったら誉めなきゃならないし、

ASDスペクトラム傾向がお気楽に思ったことを口から連発していたら、上下関係への気遣いやビジネスマナーを学んでくるように、外注して外部の学習機関に放り込んで分かるまで説明してもらわなくてはならないし、

正義の制裁の血が騒ぐASDスペクトラム/虐待被害経験者がキーッ と、変わった人達にアレルギー反応を起こしていたら、まあまあまあとなだめながらアレルゲンの無い環境へ移さなくてはならない。


こうもネットやラインなどのコミニュケーションツールが使いやすくなっては、我慢や忍耐では解決しない。

しかし今の実態は、人と人の関係性で仕事が割り振られる余裕は無く、仕事の内容の適性で人が割り振られるしか無い、寿司詰めの状態の企業が多いらしい。

人手不足、という表現では足りない。

即戦力不足、賃金不足、ということになるんだと思う。



正義の制裁の血が騒ぐASDスペクトラム/虐待被害経験者に、高い学力と専門知識や特殊技能があれば、

そういう人にしか割り振れない役職に付けるしかないし、役職の周辺に単純作業のサポートの必要が発生すれば、

軽度発達障害や経験の浅いASDスペクトラムを配置するしか無かったりするだろう。

実際は、3人どころじゃなく、こういうのが4人も5人も集まってしまったら、一人一人を説き伏せて指導する余力は、

日本企業にあるのだろうか。

無いと困るけど


アダルトチルドレンのピエロタイプが、軽度発達障害の根も葉も無い噂を広めたり、冤罪を吹っ掛けたり、集団リンチの空気を煽って、

正義の制裁の血が騒ぐASDスペクトラム/虐待被害経験者のご機嫌を取り、

虐待の興奮の薬物中毒漬けにしておく能力があるとする。

ASDの孤立型傾向も、アダルトチルドレンの危機回避に長けたタイプの者たちも、

恐い人に軽度発達障害を差し出しておくことで自分に敵意が向けられないので、安全な立ち位置でいられる。

軽度発達障害が物理的な限界や精神的な限界を発しそうになったら、ここぞとばかりに自分たちも自分の人生の傷や、挫折、承認欲求の不満、自己否定感を嘆いて、嘆いて、泣いて、泣いて、被害者の合唱をする。

そうでもしとけば、面倒くさい権力者たちは、きっかけを作った軽度発達障害に向かって「黙れ」と言ってくれるか、

「クビ」と言って、表面的な鎮静化を図ってくれるんだろう。

お手軽で、手っ取り早いでしょうね。

アダルトチルドレンの言動って、結局は大人の生産性を破壊に向かわせやすいんだもの。

アダルトチルドレンの人たちの世界観は、権力を持った独裁者に支配されながら、生産を破壊される繰り返しで世界はできているから。

試し行為しても安全なポジションを確保しながら、生産できる人の足を引っ張って承認欲求を満たすことにしか思考の力が流れて行かないでしょ。

こうして、歪んだ労働環境は継続していきやすいし、人、個人を個別指導して正さない限り、解体してもいくらでも、歪んだ集団を再生しやすくなるんだと考える。



こんな即戦力不足、賃金不足日本の社会に、試験で学力条件をクリアした教育支援適用済み当事者団の新人や若者たちが、

人を信じます 自分を信じます 前を向いて、自分を肯定しながら明るく笑顔で怖がらないで積極的にコミュして社会人しまーす と、

ピュアピュア にキラキラ 大量に集団で出てきたら、適応できるんですかね

この子たちも戦力にしないと、私たちの老後に、税金を納めてくれる人たちは、いなくなっちゃうんだけどねぇ……。


グレーゾーンは、社会にはめ込まれていく。

社会に引っ張り出され、はめ込まれていく。


だから、私たちが、主張もしながらはまって見せて、

折り合いを付けながらはめ込まれる前例をいくつもいくつも、作り続けなければならない。

前例をたくさん作らないと、いじめ合いに慣れた一般の普通の人たちが、懲りもせず、わかんないままに、どうでもいいままに、

いつまでもグレーゾーンを追い詰め続け、逃げ出すしかなくなるまで、苦しめ続けるからだ。




でも、理不尽を、我慢しない、忍耐しない生き方は、だんだん世界に共有されつつある。

だから歴史の果てに追いやられそうな個人や人種の言い分を我慢せず、

自己主張が溢れ、蒸し返され、紛争が絶えず、難民が出続けるひどい事態になっているが。

新しい世代の教育が、整って、ちゃんとされれば、世代が入れ替わった時、

新しい、折り合い方が、発明されるかもしれないのだ。

自己都合を叶えるだけ、が、人が人生でやることじゃないって、

多くの人たちが解かってきていると思いたい。