私たちだけの社交辞令? とりあえず”卑下”

むかし、『言葉狩り』という言葉があった。

エキセントリックさや、卑猥さや犯罪くささなどが漂ってきそうな特定の言葉と、言った人を挙げて、過剰反応して世間で責めるという現象だ。

インターネットが進化することで、悪い言葉はもっと溢れ、出回ってしまった。

動画も一緒に出回ることで、姑息なユーザーは妄想を膨らませ、アフェリエイトなど得るために根も葉も無いことを書き逃げできるようになった。

アスペなど特定の人達や、特定の人、その家族や過去に繋がっていた人たちを、やる気になれば狩れるようになった。

『言葉』だけではなく、『人間』ごと狩れるようになった。

狩るターゲットにされ、攻撃されたときに、私たち軽度発達障害はどう振舞っていいのかわからない。



過去の時代は、もっと敗者復活がイメージしやすかった気がする。

昭和……ではない、もっと“恥”の概念が強かった気がする……国内に楽観がはびこっていた平成始め、だろうか。

それが不能になり、引き籠りやメンタルを病む人が増えた。何故か。

野良レモンは、終身雇用制度が崩れたからだと考える。

崩れることで、実際に身の回りに人生を失った人が大量発生したかと言うと、そんな気はしない。

しかし、リアルの現実で自分の目に見える人たちの過半数が平穏に労働して生計を立てられていたとしても、

競争に負けやすい私たちのような弱者たちは、

動揺をする。

備えようの無いトラブルが来るかもしれないこと、自分が喰らうかもしれないことをイメージだけはするように、

情報過多の日常の中で、調教されてしまうのではと考えている。

陥れられることに私たちが怯え、動揺すると、そのざまを感知した、偏った人達が、アドレナリンを出し、興奮し、

性癖のように攻撃態勢を取ってロックオンしてくるんである。

なんで興奮してロックオンしてくるのか。

私たち、自閉傾向にとって、何年たっても謎であり、恐怖である現象だが、

偏った人達の満たされない、優位を試したい願望や、過去の気に入らない経験のリベンジへの欲求や無限の麻薬、承認欲求が高まることで、

観念の遊びが増幅され、衝動に繋がっているのではと思う。

そろそろなんの話が展開しているのか、難しく感じる人が出てくると思うけどごめんね。

『人』がそこに存在しているだけで、正気を失って反応してしまう、アレルギーのような反応ではないかと野良レモンは考えている。

頭の中の妄想の炎上が、今は、インターネットの中にぶち込むと本当に炎上してくれる時代なのである。

私たち、ちょっと違っただけの『人』が、麻薬として使われる危険のある時代なのではと、怯える。



私たちと一般の普通の人たちには、数ある違いがある。

そのうちの一つ、

私たちだけの社交辞令 とりあえずの”卑下”がある。

どっちのせいか分からないハプニングが発生したら、とりあえず「私なにかやらかしただろうか。だったらごめんね。」と言う“保険”がある。

自分のミスが発覚した後でも、口を利いてもらうためだ。そのための“保険”だ。

なぜ私たちだけ、なのか。

手帳を持って継続した福祉支援を受けている人たちは、堂々と自分の人権を行使しているので、へりくだらなくていいのである。礼儀正しさは社会性として前提にしたうえで。


でも、私たちは、基本、正体が難しすぎて人にはわからない。

わからないんだと思う。

だってパニック時さえ収まれば、どこまでも普通に働いているし、ミスをするメンタルリズムの時期もあるけど、限りなく減っていく時期もあるから『頑張れば普通にやれるじゃないの。怠け者。ただの努力不足よ。』と、腹を立てる自由が、

一般の普通の人たちだれにでもにあるんである。

突き詰めると、カミングアウトしても、耳を貸してもらえない。野良レモン、ほぼこの状態。

腹は立てられるけど、理解はされない。これが中途診断二次障害野良当事者団が受ける仕打ちなんだ。

ただし、一般になじんで働ける普通の人に見える、という特徴は、心ある人からは、かばってもらったり、フォローを受けられる要素になることもある。

あくまで、”なることもある”という可能性込みの言い方だけども。


そんなとき、野良レモンがフォローを受けるさまを、第三者も見ている。
フォローしてくれる人も、記憶してる。

そんなとき、もし私が「(こっちの落ち度の指摘は)もういいから。」とそっぽを向いたりとかしてみなさいよ。

もしそこに、組織と協調できなくて輪に入れない戦力外の人がもう一人いたとして、そういう人相手に態度を変えて、ぞんざいにしてみなさいよ。

みっともないことはなはだしい

野良レモン、自分の立場をわきまえてないの って思われるんだろうな。

ゾッとする。

野良レモンはそう、察しを付けてきた。

実は、ネットの軽度当事者の人達でも、こういうことはなんとなく分かっている人は多い。だから893が発生する。

仲裁力があるお仲間も、バックに守ってくれる支援者も無いまま、プライドを自分で崩してへりくだって協調する努力をさせておいてから、

過去の恥を持ち出したり、過去の言動を恥に仕立て上げたりしてぶちまけ、ぶち壊す快感は、中毒になる癒しなのかもしれないね。


どのくらい我慢すればだれから見ても不自然じゃないのか、ハラスメントにはどのくらいで怒り出せばいいのか、

分からなくてたまらないから探りながら聞く努力を、ぶち壊す快感は、中毒になる癒しなのかもしれないね。

だから野良レモンは、分からなかったので、リアルの現実限定でとりあえず従順に謝り続けることがある。
ハラスメントしている人にハラスメントしている自覚を持たせないで、時に調子づかせ、第三者の目にも耳にも入るようにすることで、他のだれかが裁き始めてくれるまで待ってしまう癖がある。

ゴールは、裁判だと考える。第三者に怒られるので、ゴールに着いたことは無いんだけどね。

迷惑だろうね。分かってます。私、異分子ですよ。

だって二十年近く前に、リタリンも医療からの指示も指導も無しに丸腰で放り出された難民だもの。やり方、どうせめちゃくちゃですよ。

中途診断二次障害野良当事者団が一般社会で長く働いてしまうと、

一概に言えないぐらい、整理しきれないぐらい、あらゆる個性の人と接することになる。

もちろん、悪い人ばかりが寄ってくる当事者もたくさんいる。(大きなつづら小さなつづらシンデレラ参照してね。)

しかし、頭の下がる人にも何人も出会い、
でも長い年月が経って年賀状を切られて、でも老衰などで体力がきつくなったのか、見限られたのかどうかも、さっぱり分からないまま(老衰や病気だと、非常に迷惑だから、深追いしたらいけないんだよね。少なくともうちの身内たちの常識では。)だったりする。

だから、軽度当事者が、必ずしも虐待ばかりされるわけではないことも身をもって知った。

ただし、どこまで思い返しても、人さまから構っていただける分量は、一般の普通の人サイズなのだと思う。

それで足りないのも、また、軽度当事者の実態なんだと思う。

嫌われてないのかな。真実は果てしないグレーゾーンに飲まれていく。それが私たちにはとても負担。疲れる。

足りないものは、足りないんだから、外注で補いたいんだと、国に意思表示は、しなきゃいけないんだと考える。




たとえば少年少女のデートが終わって「さようなら また来週ね 」という場面があったら。

健常な人は「さようなら また来週も遊ぼうね 気を付けて帰ってね 」などと言って、

楽しかった感情を共有して、来週も会いたい意志を言葉にして、お相手の気持ちを承認して、めでたくコミニュケーションを終われるんだろう。

しかし、そこで、

(どうして『帰るの嫌だわ。どうしてあっさりさようならって言うの 私のこと嫌い 来週会えなかったらしんじゃおうかな』って寂しがらないのかな。でも寂しがったら寂しがったで、重くて面倒くさい。でも寂しがってくれないと不安でたまらない。でも本当に寂しがられたら重くてウザいんだろうな でも重くて苦しいことを伝えたら振られる確定だけど、そこまでの軽い愛しか無い女子相手なんて、ボクのプライドが許せないんだけど、重くても負担だし、でも失って非リア充になるつもりは無い。ボクの不安の元は彼女であり、ボクの不幸の元は彼女だ。ボクに謝らないならせめてもっと感謝すればいいのに、女子は自分の自我ばっかり大事にして、『さようなら 』とかあっさり自己完結しやがって、正体は自己中心なエゴイストなんじゃないか )

などとグズグズ不安が湧いてきて、情緒不安定になる場合、

そういう病んだ気質の人達なら、支援を必要としているかもしれないね。


過去の記事にも今まで書いたことがあるはずだけど、知能指数の分布グラフ、検査を受けたことのある軽度当事者の人達なら多くが見たことがあるかもしれない。

あの山の高い頂点が、一番人数が多い、平均値100の値。

世間が、”支援をしてあげたい人たち”として認識してくれるのは、

山の中腹からふもとに向かう坂道の人たちであるんだけども、

ここに住む人たちは、多くの言葉を使うと返って消化しきれなくって混乱するから、

書店で売ってる本で紹介されているように、マナー、話題選び、距離、割り勘の場面、門限などを全部決めて、SSTに近いルールを敷いてあげることで、

かなりが安定した関係を続けることができる。

お別れする場合も、損失を最小限に抑えられているであろう。


しかし、現在、迷える難民として、ネットをあさったり、お酒を飲めるお店や、出会い系やコンカツにお金を割く人たちは、もっと山の近く、山の頂上、または頂上の向こうの世界に住んでいる人たちもたくさん存在している。

上記のようにグズグズしたときに、

「しっかりしろ いい年してそんなんじゃどうしようもないぞ 」と、背中をパーン されるような、

具体性の欠片も無い励ましで、ハッ と立ち直れるなら、健康な健常者。

なにを言われているかさっぱり分からなくて、相談するのを諦めて家へ悩みを持ち帰ってまだ悩み続けて具合が悪くなるのが、

発達障害支援センターに掛かる該当者ではないかと、野良レモンは見当を付けている。

多くの言葉と長めの説明が必要な時に、そこらへんの草、じゃなくてそこらへんの他人様が、分かるまで教えてくれなければ、頼りはネットか、センターしか無いのではないだろうか。

でもネットに頼ると、出会い系の経験者に簡単に出会えてしまうだろうから、影響される危険がある。(コンカツ会社の偉い怖いお姉さんのような、面倒見の良さそうな人に直接ご指導願うのも一つの道だよね。)

お酒を飲ませてくれるお店の人達には言うまでも無くカモにされるでしょ。

支援センターがパンパンなのは知っている。
でも確実で安全なプロがいるのはやっぱりここなんじゃないだろうか。

仮に、仕事を休まなかったとしても、社会的に取り繕えたとしても、運転免許や各種免許が取れたとしても、

結婚して家庭を持って、授かった子供が、自分の想定通りの性格をしていなかった場合、

外に相談できないから、限界が来て虐待するかもしれないじゃないか。

だったら、独身時から支援を経験だけはするとか、細くでいいから繋がっておくとか、したほうがいい。

もちろん、医療支援側にも、全国の迷える軽度発達障害グレーゾーン難民を受け止められるだけのキャパと支援力を用意していただかなくてはならないけれど。

SSTなどで紹介されているルールが、なぜベストな関係性を作る方法なのか、成り立ちを教わらなければ分からない時に、

センターなど医療支援先じゃないと、多くの言葉と長めの説明で聞けないでしょう。


未来に出会うかもしれない架空のお相手の性格の良さ、などに過度な期待をしてはいけない。

その期待は恐ろしいことになる。

愛着障害の治療を期待してしまう。支援も期待してしまう。 も期待してしまう。理想像のの中には、肝心なお相手の人格がいなくなってしまう。

お酒を飲ませてくれるお店に、はまってカモにされる人が出るのは、プロが”自分”を隠して、プロのアメムチで接客してくれるからだよ。
だっていくら賞賛されても、いくら話が合って盛り上がった気がしても、お付き合いしてもらえないんだよ。
せいぜい「明日も来店してね」ってラインとか入るんでしょうほら、照準はお金に合わせて狙ってる。

過度な期待、そのものが、もう現実に生きていない妄想になってしまう。

妄想は、だれも止めてくれなければ、常時頭がいっぱいになって、各種依存症に繋がる危険があるのだ。