HSS/HSP 悶々と

HSS/HSPという特性  分類分け  があるそうだ。

どんな哲学をほどこしても、

自分の感情処理を自前の脳機能で自分でできる構造になっていないということ


だから抑うつの要因が溜まり続けるわけだから、

機能障害っちゃあ機能障害だと思えてきた。

定期的に外注して滞留物、”う〇こ” を取り除かなくては本当は潰れてしまうんだけどね。

野良レモンだってピュアなままで歳を取りたいけれど、自分を歪ませたり、ねじこんだりを、

他人様たちに歓迎されないままする必要に迫られてる。

迫られるから、逃げ出すんじゃなくて、無理してやっている。

診断されたことは無い。

私にふさわしい診断名なら、私からお医者に確認しなくても、お医者から私に伝えられるものだろうに、

だれもなにも私に指示しないので、私に該当するかどうかは分からない。

しかし客観的に見て、平和で平凡に人と関わる毎日が過ぎていくだけでも、無理がかさんでいくリスクを負っているのである。私もそう感じている。


……という内容が当たっているとしても、

一般の普通の世間様たちから見たメンヘルは、ひとくくりにして 甘え に見える現実。



病巣をちゃんと狙った治療を受けたいんだけどね。

滞留物 、”う〇こ” を狙って対話で取り除くんじゃなくて、

お酒や嗜好で誤魔化す、ということが世間一般で勧められ過ぎている。

むかし、お医者にも勧められたもの。

しかし、誤魔化しの行く先には、各種依存物質や行為、の麻薬依存しか無いことが私たちは分かってきている。

中毒、の生き方は選択したくない。


過去に研修としてアンガーマネジメントの資料に目を通したことがある。

書いてあることを全部実行すると、

私は常にフラットな気分で何割かほんわかぼんやりして脱力していなければならない。

怒りに直結する記憶のデータが、すぐに出てこなくなるようにするのだ。

これをもっとずっと過去、お医者やネットに相談すると、該当する薬はルボックスらしいのよね。

記憶が出てこなくなる。でも記憶を失うわけでなく、

対話してくれる人がいて、責任の無い、遊びの話し合いをしてヒントとかもらえれば思い出せるようだ。

仕事ができなくなるでしょうが


トラブルは診察室で起こってるんじゃない

現場で起こってるんだ



遊びで出勤はしていない


私は結局、薬は使えなかった。



私は、私という者を知った上で否定して来ない、そして私が待っていたら”正当化”を確実にしてくれる人の治療を受ける意志がありますよー。

私たちのことを、私のことを知りもしないで、私がうるさくなりそうだから耐えかねて仕方なく、しぶしぶ相手するような、

私に輪を掛けたような受け身で無責任で優柔不断な人に、”う〇こ” 処理を頼むほど、

私は自分を安売りしません。


さて

こんな御大層なことを、

特技が無くて、平凡で、能力もパッとしなくて、人に話を聞いてもらえる才能もプロフィールも無い野良レモンが言っていることの、イメージはいかがだろうか


野良レモンですよ。


野 良 レ モ ン が書いていますよ


不快でございましょうか


だから、平凡な庶民の中の中途診断二次障害野良当事者団が、地方に至るまで人権を守られる援助を受ける権利、というものは、

こういう見栄えの悪さで、

繰り返し無視され、放置され、棄てられているんだよね。

『関わることを決めたのは自分。だから自分が悪い。』という言葉が挙げられたことがあった。

社会と関わって生きることを、確かに野良レモンも自己決定して生きている。

しかし、自己決定した自己責任として、虐待されても無給で被害を引き受けましょう、リンチされても自分の人権を守ることも放棄しましょう、危険から逃げてはいけません、野良レモンは親しみたい時に親しみ殴りたい時に殴りまた親しむために利用したい物体だから、役割を自覚して、共依存して奴隷になることも自分で決めてあげましょう、と言われて従ってしまえば、

『では、もう書くなと言っているよなもの』どころではなくて、
軽度当事者は奴隷の役割として挑発に乗ってあげてSNS依存になってころされてあげて役割を全うしてあげなくてはならなくなります。

私たちは関わり合い続けるために、二次障害の気分障害を正当化して、衝動が強まった時にはお互いにころし合いまでし合わなくちゃいけないのでしょうか。


自分たちでも自分たちを、虐待している現実を、作り出しているとも言えるんじゃないだろうか。

でもアクリルガラスの向こう側を知ろうとしないと、この特性の客観視も、お相手のことも、しいては自分のことも、なぁんにも分からないんですけどね。

でも

社会そのものが私たちには麻薬です。


一般の普通の社会に出ても、学校や労働現場で私たちは、周囲の人たちのアドレナリンに点火します。

迎え打たなければなりません。生きるためです。

つまり本分以外のことを考え始めなくてはなりません。

それは長期にわたるので二次障害として、危ないドラッグのような作用を起こします。

高まってはダウンして、補充して、副作用(たぶん認知の歪み)が出て、また高まってはダウンして、補充して、副作用の責任を問い詰められる展開が、繰り返されます。一貫しません。

自分を回復させる予定が立たないので、生活の中のなにかがおろそかになっていきます。


一般の普通の人とも、ネットの軽度当事者とも、だれとでもそれは起こします。


だから、『社会』全部ひっくるめて、私たちには麻薬なのです。


手伝ってもらって回復しなければならないのに、手伝い依頼場所がどこにも無いのです。


共助、自助、当事者会、いろいろな表現のされ方があって、野良レモン、どれの書き方がいいのか分からない。

こうして見ると私たちの特性はとても特殊だ。

だれかが元気になることで、だれかが不幸になる。

私たちには私たちの集まり方があるはず。まだだれもそれを見つけていない。