欠点 その2

8月に書いた、下書きが出てきた。

有料契約チャンネルテレビ番組情報からだ。野良レモンは契約していないけれど、宣伝はいつの間にか飛び込んでくるものだ。

『あなたから人権を切除します』

空気のようにそこにあると思っていると、過激な思想を持った権力者が突然国を占拠し、独裁を始める……

油断しきって、守る努力も、取り返す方法もなにも取らないでいると、〇カにされたように簡単に奪われてしまうもの。

しかし、8月終戦記念日と言うことで、ネットで平和を願う話を読んでいると、

そもそも人権と言うものが、空気のように当たり前に存在しなければならないものである、ということを思い出させられる。

私たちは、忘れている。

インターネットが便利過ぎて刺激的過ぎて、ラインやiパッとなども便利過ぎて、満足することを忘れるほど、忙しい。

忙しいということは、時間が無いということ。熟考する時間が無い。自然と、考えや感情が浅くなる。

考えや感情が浅くなると、人は軽率な欲望に走りやすくなる。アクセルを踏みたくなる。一時停止を見逃す。早く着きたい。面倒ごとは無視したい。赤信号の点滅を、通り過ぎてから気付く。

アドレナリンが出る。怒り出す。客観視が弱る。理性が弱る。

文明の利器に囲まれ、進化したはずの人間は、エゴに向かって退化を始めてしまうことがある。

熟考出来なくなるかもしれないピンチ、は嫌いだ。野良レモンは今まで数々のピンチを喰らってきた。『発達障害』を知らなかった年数が長すぎたため、ピンチの避け方を知らない。

だから、熟考しないと、私は自分の人権すらも守れない。

他人様に簡単にハイジャックのように占拠されてしまうからだ。

だから他の軽度当事者が熟考できなくなってしまいそうなシチュエーションも、心配になる。

客観視や想像力を失いそうな、パニックの気配がうかがえると、心配になる。

それが若者や子供だと、もっと心配になる。脳が柔らかいうちに、思考を深め、自尊心をバランス良く持つ訓練を、支援者に付いてもらって繰り返し繰り返ししたほうがいいであろう年頃だからだ。スタミナもあるはずだ。疲れも回復しやすいかもしれない。太っても痩せ直しやすいはずだ。

歳を取ってからだと、本当にきつい。

情報や前例がたくさんある今、年若い者たちがしないともったいない気がしてしょうがない。




“いつも誰かのせいにして、混乱するだけの人間”

という言葉を思い出した。

人が、人に、関わることを自分で決めるシチュエーションとは、どういう時に発生するものなんだろう。

全部、敵。

一般の普通の人たちも、ネットやリアルで出会える軽度当事者も、そもそも全部敵。

そういう認知が世の中に存在する。あの掲示板の中からも、その前からも、存在した。

だれかターゲットへの当てつけや、見せつけが出来るシチュエーションじゃないと、見せかけでも共感ぽい、協調っぽい言葉を言おうとも思わない心理状態。

自閉の特性を基礎に、自己や他者を肯定するように学べる環境が当事者のスペクトラムに必要なだけ整わないと、

全員ではないが、こうなる事例はよくある。今までもお会いした。お会いした。

他者と共同できた、と認識できる認識力が、想定敵を攻撃する時じゃないと働かないから、

自己確認をしたい無限の欲求を満たす唯一の方法として、やめられない止まらない。

計画的にターゲットを陥れられる計算が成り立たない環境に住み、陥れ方が、計算能力を伴うなど難しくて分からなくなる知的能力だと、

協調性が無いことを、隠す隠し方も分からなくなるので、反抗挑戦性障害、と呼ばれる症状を子供時代から出すこともあるらしい。

他者と一緒に、特定の敵をいじめる能力があるなら、とりあえず「こいつ協調能力がなんにも無いの ダセえー 」とならないよう、恥ずかしいことがばれないように、隠せるからだ。

隠せる方法やシチュエーションは、無いと生きられない依存対象であり、いじめが楽しくなればいじめ行為は嗜癖依存にも昇格することもある。

悪化した嗜癖依存の行き着く先は、脳内物質を出すシステムを変異させ病気にする、麻薬中毒だ。


麻薬 野良レモンです。

野良レモンの見えないところのメールなり、ラインなり、アカウント付きコミニュティなりで、

きっとなにがなんでも野良レモンの思想や、思い付きや人格を、違う角度から批判する言葉が作られ続けている。

自身を“麻薬”定義した、しかも星の数ほどある無料ブログ上でした事実を、

どんな恥ずかしい視点から書き起こしてやろうかと、戦っている人たちがいる。

さしづめ、『悦に入って他人を不快にする自己責任をどう捉えているのか、他人事ながら人格を疑いたいところだが、どうでもいい話だ、いつまでも無意味な感情を勝手に書いていればいい』とかなんとかそんな方向で文をひねっているかもしれない。いやもっと奇抜で想像を超えるかもしれない。

一対一の感情の応酬に終始したがる。いつまでも一対一で向かい合い続けて欲しい、いや、捕らわれ続けて支配されていろ、逃げようとしてみろよォラ抵抗しろよ早くしろよ絶対しろよテメエナメんなよ という執着がなせるわざですね。

そしてなにがなんでも野良レモンは自己責任にされ恥をかかされる表現をされて迫害され、ネットの小さな仲良し集団のイメージの中で、想像上の悪人収容所に拘束されるのだ。

小さな悪人収容所の中でいくら苦しみを忍耐しても、私たちをナメて掛かった社会にはなにも響かない。

小さな悪人収容所でなくて、問題は社会にある大きな悪人収容所だ。

リタリンでほそぼそと繋がっていた医療福祉との関係をぶった切り、依存の人たちと一緒くたにして、正義の制裁を受けたかのような、悪者のようなイメージを前提にして、社会に私たちを捨てさせた勢力だ。

私たちの扱いづらさをいいことに、コンサータを解禁にした今でも、私たちを掘り出しもしない、呼び掛けもしない、心理学の心得がある人を配置した救済場所も用意しない、私たちが追い詰められて働くためにしているクローズ(発達障害をまるで無いかのように内緒にすること)の上にのうのうと胡坐をかく、賢い、偉い人たちだ。


私たちは一般の普通の人たち相手に、全員から良く思われることを目指した努力をすることを前提としないと生かしてもらえない。

まず、変わったところがある、というだけで、他人様の目に付きやすくなる。変わっていることは、気になるものだ。

しかも一般の普通の人達よりもその個性が劣っている、ということが、他者から見えてしまうと、目につく。どうしても気になる。

ひどいと反抗的な裏の人柄があるのだろうかと疑惑を持たれる。裏切られたような感情が湧く人たちもどうしても、いる。

本来の本分を忘れて、攻撃物質が湧き始める人たちを量産する。これが、麻薬作用だと野良レモンは考える。

だから私たちは疑惑を晴らして、コミニュケーションを取り続けるための、取り繕いという努力をする。無理な努力目標を全力で目指し、擦り切れても摩耗しても、抱え込んで見せないで隠す。

これを一生 通常運転でしてろと暗黙に望まれるのである。

でも全員から良く思われることは無理。分かってる。無理って分かってる。

本物の友情や信頼関係ではなく、世間で“人と仲良くできてる人”、“信頼関係を築けている社会性のある人”がするであろうと言われていることをマニュアルのように羅列して、全部にこだわって機械的にこなし、全部こなせている人、という既成事実を作り続けているだけの、マシーンであろう。人間じゃない。

だってー、人間として生きられないんだもの。

望ましい見栄えの既成事実を作り続けること、これが至上に素晴らしく、正しく、一般の普通の人たち全てが目指すことでなければならない、などと、間違った認知を持つ当事者もいる。

異性に評価されて恋愛や結婚をしてもらえるとまで勘違いしている者たちもいる(お金の多さや外見の優秀さとは別)。

でも、違うものは違う。

野良レモンも努力ノルマとしてこだわっているだけであって、こうすることが私という人間性の評価に繋がるなんて、恐ろしくてとても思えない。

これが、私たちの嫌われる可能性のあるところで、無理する事実そのものが、悪意や身勝手なエゴに見られることが多々あるんである。

人間性がありのまま評価されるところで働けばいいのに、どうしてそうしないの って、脅されたって、私たちだって、とっくのむかしに模索してきたんだ。

ウインドウズ98とかそのあたりだろうか、その後だろうか、日本に『発達障害』の言葉が入り、気付いたパイオニアの当事者たちは、安定剤を飲みながら、DVを拒否し、離婚などしながら、本当にわずかなネットの窓口で意見交換をしようとしてきた。

意見交換が意見交換のまま、理想の出し合いで終わってしまうため、何十年経って今に至っている。

その間、どこのだれが雇用先と生計のための収入と保険証などを用意する方法を教えてくれた

みんな自分で賄おうとしたんだよ。それか、精神疾患治療の助成金を自分で交渉したり、せっかく自立したプライドを曲げて親に頭を下げたり、無しで我慢したんだよ 

軽度当事者の集団の世界になぐさめを求めても、関係性こそが麻薬になってしまいがちだよね。

本来、”なぐさめ”という言葉が指す作業を、だれも出来なくなるように、受けられなくなるようにしか、パワーバランスが働かなくなっていくからだ。

関係が出来たお相手をどう攻略してマウントを取るかが、二次障害の至上のゲームになってしまい、ゲームを他人が止めると正気を失って暴れるものなので、存在していた集団ごと潰すまで自傷他傷を伴う喧嘩が繰り返される。

そんな個人と個人、個人と集団を繋ぐインターネットは、ゲームセンターと化す。

ゲームセンターがいかに健康被害をもたらすものなのか、お医者は重視しない。

ゲームセンターの中に依存しながら、自分が医療にも社会にも放置されていることを忘れて、思い出さないように自分をごまかしている人たちがいることをいいことに、個人対個人の世界に溺れている軽度当事者たちを、医療は、

いないことにできる。



話を元に戻す。

中途診断二次障害野良当事者団が一般の普通の社会と関わるということは、普通の現場に、無理して自分をねじこむことである。

だから、だれでも全ての人に良く思われないと、自分に見えていないミスに気付かせてもらえないし、後始末の仕方を教えてもらえないし、許容してもらえない。

そこにすでに無理は生じている。

教育支援適用済み当事者団は、作業所や障碍者雇用枠で働く。すでにミスを想定して予防した業務形態や、ミスへの動揺も想定内にした支援体制を組んだ環境である。こんな環境からは、中途診断二次障害野良当事者団は、どういう基準か、はじかれる人種であるし、

あえて、ミスが起こりえない単純作業がある職種を選んでも、適性が無い。

知的に高い仕事をして、問題発生、どうしようどうしよう、問題発生、どうしようどうしよう、問題発生、どうしようどうしよう、をやっていないと、精神症状が限界を超えてしまう人種なのである。

もちろん、ストレスやプレッシャーも時間が飛ぶような疲労を呼ぶ。

しかし知的な高さに見合った業務を、たとえ戸惑いながらでもしないと、人を巻き込む精神症状を起こす生き物なのである。

だから、ねじこんでいる。

本当の私の顔に仮面を被ることに対して、”心を開く”大好きな人種の人たちが気付いて、目の敵にしてきた。

能力が伴っていなければ、心を開いた態度の責任を取れるわけが無いだろうが。

心だけ開いて生産出来てお給料をもらえて貯金出来て生計が成り立つ仕事じゃない。という言い分も、発言も許されない。

この現実の表現は、ネットの当事者にだけ、読み取ってもらえる文になるだろう。


しかし、一般の普通の人たちの感覚になると、「自分勝手言うんじゃねえエゴイストどっか消えろ」という言い分も成立してしまうのである。

それに対して、中立が使命であるお医者は、一般的に、なにも言えなくなる。(最近はなにか言ってくれるのかどうか、知らないよ。)

こうして私たちの社会的孤立は、成り立っている。

中途診断二次障害野良当事者団の、ねじこみの窮屈さ、苦しさ、これは、社会的にまだ認知されていない。

だから、性格が受け身で、他者に「言っていいよ。分かってるよ。」と言ってもらわないと怯えて、言葉の組み立ても始められないスペクトラムの当事者は、どこにも吐き出せずに抱え込んで、うつになる。

うつ。抑うつ。

こう、十年以上も当事者関わりのネットを見続けていると、時に、見慣れそうになるが、結構、生命にかかわる重病だということは認識している。

危険の淵に立っている当事者は、やむなく、ネットに流れ着く。

そこでの選択、これも、ネットを使っているうちに、必要に迫られて自分で覚えた。選択をすることとして、

危険の淵から、少しでも自分を立て直そう、基礎的なことを学ぼう、と入ってくるはずなのに、
学びとして使う人と、

危険の淵から救済を、おんぶに抱っこで、全体重を掛けて要求する人に別れてしまう。

教育支援適用済み当事者団も混在している。

支援をすでに受けられていても、支援が肌に合わない悩みでネットがやめられない人もいるし、嗜癖依存として注意喚起(甘え、八つ当たり、問題行動の行動化など)をするために利用する者もいる。


ネットの接続が自己決定なのは正論だけれど、自分で関わることを、落ち着いて、理性的に、判断できるほど、

余裕をもって決められている人はどのくらいの割合でいるのだろう。

私は分からない。

だから、私は、会った人がネット利用中も不安定なのは、仕方が無いと思うことがある。

問題は、私を振り回すかどうか、は気になるんだよ。

軽度当事者は極端だ。

ちゃんと時々、関係性のチェックを設けないと、すぐに小学生並みの上下関係の罠にはまる。

ヒエラルキーの上か、下か。集団の中の格付けの上か、下か。だれの派閥でだれの味方で共通敵はだれか。

DVしても、リンチしても、脅迫して主従関係にしてもいいような錯覚がしてくるかもしれない。

パワーバトル、よくあるあるの、良くない癖だ。

ネットに繋いでいない時も、心臓がバクバクするだろうし、物忘れに拍車がかかるだろうし、眠れなくなるだろうし、生活の優先順位、人生の優先順位が変わる危険がある。

だから野良レモンはもともと意識高い系(厳密に選ぶけど)だいすきだった。

観点の持ち方も、言葉の組み立て方も、状況の客観視の仕方も整理の仕方も、なーんにも分からないから、上手にやってくれて、教えてくれて、賞賛してくれそうな気がするじゃないか。

気、がね。


リアルの現実の悩みのために、ネットを使ってる。なんでネットの悩みを増やして、大事にしなきゃならない

ネットの悩み相談を大事にしたら、生活費をもらえて貯金もできて保険証ももらえる職業にしてくれるならまだしも。

そうじゃない。

だから、ネットにアクセスすることが自己責任と解釈されるなら、DVを我慢するのではなく、

ネットから逃げなければならなくなる。

リアルの現実が荒れて疲れるから、ネットで休む目的もあるのに。

接続料金には、一つだけじゃない、複数の目的を込めて払う自由がユーザーにはある。

好感度を気遣いで死守しつつ、分からないことを教わりつつ、自分が人間関係のどこの分子を構成しているのかを、日々、ビリビリして確認するリアルの現実の生活は、自分の正気がどこにあるか分からなくなる。

これを見失ったときに、精神疾患になるんだと思っている。

私、正しいかな

正しい 正しい 私、正しいかなぁ

ブレた“自分”は、環境を整備しないと、回復しない。

見ず知らずの人に真正面から聞かないよ。

自分で”自分”の確認方法を模索しているつもりなのに、特定の方法を自信満々にやっている、こいつ不愉快だ、と断定されたと、感じると、私は否定したくなる。

だったらネットは、嗜癖依存として注意喚起する人たちばっかりが使えばいいのか

違う悩み方をする者は、目障りで投影したくてムカつくから叩き潰せばいいのか

という話になる。そうじゃない。

人が、人に、関わることを自分で決めるシチュエーション、これは、使いようによっては、脅迫に変貌する可能性もある。

自分で決めればなにしてもいいのか、徒党を組んでもいいのか、挑発してもいいのか

謝ったら許すものだと暗黙のルール付けをして、それからは被害者が加害者を許さないことを恫喝することも自由にするのか

追い出されたくなければ受け止めて忍耐して、犯罪被害経験者に奴隷として共依存しなさいと言われたら、はい、としなければならないのか。犯罪被害経験者は好きなだけトランス状態で暴力をふるえる楽園に依存すればいいのか。

暴力被害に麻痺して、万が一、リアルの住居も近ければ、聞き出されても抵抗できなくなればいいのか、押しかけられて犯罪に合っても、思考停止してボケーっと放心して、「エエット………」とモゴモゴしてしまえばいいのか。

極端な私たちだから、起こらないとは断言できない。

そして年若い者が、読んで、刺激に中毒になって、熟考しないまま極端に真似して。

そう考えると、野良レモンは、「関わると決めたから」ではなく、もうちょっと違う判断基準や、価値観で、行動したい。



外国人労働者の人たちの、裁判の報道を見た。

考えさせられましたよ。

私たち中途診断二次障害野良当事者団も、いつか未来は一般の普通の就労の場でいい加減、周囲に調子こかれ、ナメられ、

リアルやラインなどのコミュニケーションツールのハラスメントが過ぎて解雇の危険にさらされた時に、

”すみません、すみません、と謝罪しながら、資料によくある自己努力を続けて上の判定を待つ”か、

“弁護士を付けて裁判の場にのぞむか”かの、二択を選ばなければならない日が来るかもしれない。

そういう日に備えて、いかに、

『ねじこみながら無理して社会に就労していること』を、正当化できるか、の説得力を付けなければならないんじゃないかと思うんだけど。

今はまだ、社会にも医療にも福祉にも、対応力が付いていない。

だから私たちを守り切れない。

面倒見切れない。

手の打ち方が分からない。

「お薬出す 」「薬は 薬は 話は終わり 」で、病気になるまで具体的な治療の見通しも、指示もなにも無しで放置し、”具体的な生き方の相談になんて乗らないからね。”という無言の圧を掛けられ続ける運命なんだ。

だから、現在はまだ、裁判を計画しても、過去記事で角界の例を出したように、「もうやめてぇー 喧嘩はもう終わりー 」と、仲裁者がいっぱい入って、圧力を掛けて、法の勝負を打ち切りにしてしまうのが関の山だと想像する。

だれも前例作ってないもの。根拠を探しようもないから、想像するしかないけれど。

それでも、ネット時代なので、発達障害の症状は障害未満の偏った人達に、これからますます共有される。

いじめ方、が、上達していく可能性がある。

特に私たち中年たちは、70歳まで働かされる可能性を背負わされてしまった。

老化による記憶力や思考力の低下、体力の低下など、老化の弱みにも付け込めるし、

工夫や努力でカバーしないと生産を出せない軽度発達障害特性も、いくらでも弱みとして扱える。

長所を生かして発揮して、迷惑かけた分を挽回しよう、というよくあるキャッチフレーズも、苦手ではない仕事を禁止してできなくしてしまう手もあるだろうし、メモ禁止だって、自宅へのデータ持ち帰り禁止だって、日本はやろうと思えばできる。
カバーしてくれる温かいチームがいても、残業禁止を命令すれば、協力を禁止することになるので全然機能しなくなってしまう。

普通の人の普通の手順の普通の進め方じゃないと絶対ダメ、だれだれさんやだれだれさんやだれだれさんみたいにどうして普通に振舞えないの、どうして普通に働かないの、で囲って、固めてしまえば、私たちは簡単に機能停止する。

原因自分で調べているの 原因あるのにここで働き続けるの みんなに対してどう思っているの なんとも思ってないの どう責任取るの 分からないことは聞いて調べてこないの みんなを〇カにしてるの ひどいわね 調べたら一番最善な行動が分からなければならないのにみんなを犠牲にしながら調べないで居座るの 積み上げた迷惑をどう思っているの 大人でしょ みんながどんなに苦しみながら仲いい振りしてくれてるか、分かっていないんでしょ 信じていたんでしょ 優しいから無理して騙してくれたんだよ そこまでひどい犠牲を払わせたのがあなたなんだよ 分かってる………

例文はいくらでも想定できますがな。

当事者に悪意があることを前提に決めつけ、自主退職しか答えが無いシチュエーションを組み立てれば、なんとでもなるんです。

一般の普通の人たち側に、言語能力がちょっと高い権力者がいればすぐシナリオが出てきますがな。

そして、インターネットで当事者同士が「時代が進んでも、健常者の言うことってむかしからいっつも同じだねえ。」と、つぶやき合って、ぐだぐだするんだろう。諦めるんだろう。

もし分かってて、けし掛けられているとしたら

わざと、故意に面白がって、ゲームにして、陰険に囲って固めてきているとしたら

それは無知ではなく、私たちへの攻撃であると思う。

私たちは反論しなければならなくなると考える。

その前提の、私たち中途診断二次障害野良当事者団の存在の正当化を、社会に聞く耳持ってもらえるように、伝わるように、仲間内だけではなく社会に通用する文に、組み立てる必要があるし、

組み立て作業も今からどこか頭のいい人たちで始まっててくれないと、偉い人たちはだれもやってくれないと、思うんだけどねえ。