アイ ハブゥァ アポー. アイ ドント ノウ スネーク.

マクドナルドのアップルパイ、行くたびに食べようか、迷う。

若い頃は食べていた。ごろごろリンゴがなんとも言えずいいし、ビタミンを摂ったような気になる。

でもね、角が固い。端も固い。買いたては熱い。冷ましてから食べると固いところがやっぱり固い。

固くないアップルパイを探すと、生活範囲のパン屋やケーキ屋にあるんである。

探す気になればいくつもある。

熱いパイを、筒状の紙容器からつまみ出し、パイくずをポロポロさせるのではなく、

皿に乗せて、フォークで私は食べたいらしい。

私は悠長だ。

そんな幸せな環境に、食については幸せな環境に、住んでいる。



エデンの園は、労働しなくても食べられた。そのへんに食べ物がなってた。

寒さに悩まずにいて良かった。

考え事に悩まずにいて良かった。

裸で良かった。

たぶん”出す”物もそのへんにしといて良かったのかもしれない。

なんでも、そのへん。移動しなくていい。考察しなくていい。意思も持たなくていい。

つまり受け身の幸せが確保されていたのだ。

神様の支援した楽園、という、ゆる~~い構造化をされた箱の中で、幸せに自閉していて良かったのだろう。

なんで箱の外で暮らしているんだ

気が付いたら、リンゴを食べた後で、知能指数が付いていて、学力も自我も自己顕示欲も自意識も欲求も、

苦悩を呼ぶものを、ぜ~~んぶ持っていた、そして近くに人々がいて、なんかずっと責められる、

イブにとってアダムのような、アダムにとってイブのような、寂しさを埋める相方もいないじゃんよ、

それが私たち、中途診断二次障害野良当事者団だ。

知らないよ。ヘビの誘いに乗った記憶なんて無いから。両親の言うことを、聞いていたつもりなんだよう。

物心付いたら勝手にこうなってたんだよう。

でもなんか知らないけれど、まるで能動的にヘビの誘いに乗ったかのように、自己責任を責められ続ける。

野良レモンは、自分の中に、そんな屈辱感が常にあり、

どう操縦するべきなのか、どう言語化するものなのかを、探している。




最近、ちょっとずつだけど『食』について、珍しい経験が起きている。

まあその、私の運のリズムや波長で、そんな時期なのかもしれない、と思い、あまり気にしないようにしている。

その一つ、カルピスバター。

今まで読んできた情報では、「そのまま一本食いをしても後悔しない美味しさ」だという噂。

興味はあったが、野良レモンには縁が無い食材、通販をしてまでは買わない食材だと思っていた。

出会えた。

1000円ちょっとの、業務用の小さなやつ。

興味津々で、小さく切り取って、食べてみたさ。

うん………美味しい。でも、高級アイスじゃないよ。一本食い、丸齧りはしたくないよ。

うん……感動しまくるほど、美味、では、………うん………

近い美味しさのバター、もうちょっと安い値段で、あるよ。そのへんの近くではないけれど。

狙って出かけていくくらいの距離はあるけれど。

野良レモンは、地域特産品に、それなりに恵まれた土地に住んでいる。




この間、ワイドショーで、ワッと沸いて、サーッと静まった(表面上)話題。

自分のブログに、付き纏いファンの迷惑さをアイドルが綴った。我慢の限界。気の毒。

アイドルグループの、たしかドラムも叩く人。

追い詰められていたんだろう。

あそこは、後輩アイドルが精神的疾患で休業が増えている。

ペイペイの若者がストレスを書くと、取り返しがつかないことになるかもしれないから、

大物がちゃんと伝わる言葉で、代表して書いてしまえばいいんだって。いいぞやっちゃえ。

いっそ労働組合でも、作ってみたらいいんだ。

病気にならずに、健康な生活を取り戻すことを願う。



最近の記事で(ドンドンぱっ。)触れた、『ボヘミアンラプソディー』

映画の影響で、ユーチューブにはクイーン情報が溢れて読み切れないでいる。

前にも書いたが、だいたい、おおざっぱに、クイーンが始まった時代に、野良レモンは生まれてきた。

クイーンメンバーは、私の父親と、だいたい、おおざっぱに、同年代。

この四十年間前後、乳幼児の育て方にはあんな説、こんな説、いろいろ出てきていた。

抱き癖付けたら依存的性格になるとか、人工栄養(粉ミルク)だとか、母乳だとか、おしゃぶりがどうのとか、添い寝はありとか、外国は出産後から別室とか………

……時代ごとに見聞きしてきたが、結局一貫しなくて、うるさいぐらいのものなんだ、という感想を持った。

今ほど詳細で根拠の取れた情報はまだ出回っていなかった。

この野良レモンが、本の通りに、理想通りに育つわけなんか無い

父親は、激しく終わらない夜泣きの私を抱えて散歩、夜風に当たらせて気分転換を図ろうとしたそうだ。

「なんでご近所に聞かせなきゃならないのよ。」後年、母がぼやく。

母はどうしていたのかというと、読者で子育て経験者がいらっしゃれば当然分かってもらえると思うが、きっとそれまでの疲れが限界に来て、気絶のように寝落ちするしか無かったんだと思う。可哀想。

私はと言えば、記憶には無いけれど、泣きたいんだから好きなだけ泣かせろや、なんか分かんないこと促すんじゃねえ的なことでも思っていたんだろうか
いやまだそこまでの自我も意志も無い。

そんな時代に、地球の斜め裏側のイギリスでは、クイーンが始動した。

ドラマー、ロジャーは女子にモテモテだったそうな。もう取っかえ引っかえ、ウハウハ、イケイケのよう。うん、画像見てると、分かる気がする。可愛い。

メンバーたち、教養もあるから、落ち着ける。フレディが理解を得にくいマイノリティな成育歴や気質を抱えていても、それはそれ、これはこれ、で受け止められる。

Sunnyつよいきもち・つよいあいを出した記事でも触れた、一般の普通の健康的な友情の、うらやましさを感じるよ。

ともかくメンバーたちには人生のバブルが来ていたらしい。

バブッても、バブッても、受け止め切れず、なにかが食い違う感触を感じたであろう、孤独なフレディ。

野良レモンがピンポンパンやハイジにはまっていた日本は、ロッキード事件とか、きんぱち先生とか、竹の子族とか、そんなのが出てきていた。

トイレがボットンなのは、当たり前たと信じていた世界があった。

そのころ、クイーンは何回か日本に来たそうな。日本のファンの騒ぎ方に、引くぐらい驚いたらしい。知らないなあ。

野良レモンが中学生になるころには、学生運動や集団で結束した校内暴力みたいのは、衰退していった。

ビートたけし、ドリフ、光ゲンジ、なんかが出てきていた。周りにはロックを聞いている人はいなかった。野良レモンにも、そんな不良っぽいもの、まだ敷居が高かった。

きちっとした物事を、ディスって笑う時代、チャラチャラ、キラキラしてればいいよ、素敵なことだよ、と奨励される時代になっていった。

高校、バンドブームが来た。このへんでクイーンが揉めたのかもしれないが、知らない。

音楽のPVというものがなかなか楽しいものであることを野良レモンは知った。でも私が乳幼児の昔から、作られていたものだったのは、知らなかった。

楽曲のこだわりに反対されても辛い、独立して製作して、賛成されても辛い。

アートなことの制作過程は、不勉強で知らないが、メンバーで意見しあって、揉めあって作った物が、結局はいい物が出来ていたと、フレディが感じたということなのだろうか。

有意義に、目的に向かって意見し合うこと、揉め合うこと、これに、過敏反応を持っていたり、正確なキャッチを出来なかったり、時間が飛ぶような疲労を覚えるASDスペクトラムの野良レモンは、ちょっと他人事には思えなかった。

そして、野良レモンは成人して労働者になる。

トレンディードラマの主題歌にクイーンが使われて、存在を思い出した。ああ、そんな人いたんだ。たくましい体格の人だな。昔の映像だろうに、なんか画質きれいだな。

読み物でもちょっとずつ聞きかじった。そしてすぐ忘れた。

野良レモンの脳細胞のバブルが来る。『発達障害』の言葉を知ったのだ。読書、診断、当事者集団への入会、携帯電話やパソコンを持つ。

バブッても、バブッても、空振りする苦悩が続いた。診断前からの苦悩の終わりを目指して、でも全然終わりが見えなくなった。

当事者集団の、意識高い人たちの、抽象的なメッセージに、野良レモンは命懸けで付いていった。

寝食を削っても、脳細胞を何度もオーバーヒートさせても、人生を掛けて、救済の可能性を掛けて、従順に、忠誠を誓って私は走り続けた。だから今でも、叩き込んで焼き付けたキャッチフレーズのように、再燃する。

分かってて努力しないのは自分のせいだと。時間外出勤も、仕事への意識があるならやるものなんだとか。思うだけでなくて努力を実行することはできるんだとか、しないのは自分が悪いとか、甘えている人が書いた話はなにを書いてもなんとも思わないとか……

なにか読めたら、反射的に頭の中に叩き込まなければならないと、野良レモンは自分に叩き込んでいた。反射の反応は、今でも私の記憶によみがえる。立派な依存症。お医者が治せない、手の施しようが無い依存症。

たぶんこの頃、フレディは天に召されたのかも。

よくある大病の父親の看病に、母親は明け暮れる。総合の大病院の受付に間に合うように支度を整え、一緒に医師の話を聞く。指示を覚える。並行して家事もする。父親の仕事筋関係の奥様達とお付き合いする。親戚たちからの問い合わせに気遣いして気遣いして、対応する。

その合間に、娘の野良レモンが転勤の引っ越しのプレッシャーと、不可能な作業量で大騒ぎする。

全国の仲間が仲間と進む壮大で刺激的な自己実現のBGMとして、当事者仲間の戦意高揚に、気まぐれで楽しく利用 し て い た だ い た 野良レモン。

現実の作業がなにも進まない恐怖とストレスに歯を食い縛った。

父親の手術、回復、出勤、そこまで漕ぎつけた母親が、違う大病を患う。

野良レモン、手も足も出ない。

母親も手術、回復。野良レモン、自分の精神状態と生活しづらさと労働者ストレスのコントロールが自分でも出来ず、当事者お仲間の伝手を待ってもなにも頼る場所が示されず、精神不安定。

社会のご都合、動いている空気に従うためなら、自分の気持ちも、実行能力の限界もいくらでも撤回、訂正して、上書きすることは日常茶飯事。
社会適応という、非常に平凡で普通のことを、過集中する生活が変わらない。
プツン……と意識が切れて放心するまでやめられない。

何回目かの転勤。311震災で、脳がフリーズ。

そこからまた月日が経ち、野良レモンがあの掲示板に参加したり、このブログを始めたりする。また父親が大病発覚。母親の全力の看病が始まる。野良レモン、空気。忙しさの大波が去る。母親、老衰。

これが、結婚ですよ。

最後まで人生を付き合う、結婚の一事例ですよ。すごいと思いますもん。可哀想。だ か ら 感謝していますけどね。

アイドルに付き纏う人たちは、ワンナイトで納得できるメンヘラ気味さんや変態さんはさておいて、多くがたぶん、行く先は結婚したいんじゃないかと思う。

した結果が、責任や義務が、無限大ですよ。
一般的な労働者を定年退職した、平凡な父親、付いてきた母親、世話だけ掛けて、正体は複雑極まりない軽度発達障害の娘は、大変な時に空気、そうでも無い時はランダムにメンヘラ。

背負えますか

アイドルの人生はもっと忙しそうですぜ。一般庶民とは荷物のケタが違うんじゃないですか

娘が頼れない。終活を意識した親は、少しずつ物を捨てている。でもきついそうだ。そうこうしていると、また胆振震災。私のざまは過去記事のとおり。

そんな今、ボヘミアンラプソディーの映画が出来た。

ブライアンとロジャー、頭髪状態は正反対、でも隠さない、ありのままの境地の元気で生き生きした、お爺ちゃんになった。

なにが言いたいかというと、これが現実なのだ。
(言うの下手だと思う。ごめんね。ゲンゴカー修行が足りないよ。)

「私、これに賭けるわ 命懸けで付いていくの」そう願った存在は、ことごとく諸行無常に、終わってしまった。

アイドルも、こうなのだ。お爺ちゃんなのだ。でも、私、このお二人のお爺ちゃんも、いい人そうで、好き。