(ネタバレあるよ)ドンドンぱっ ドンドンぱっ!

ママー ディデゥント ミーン トゥ メイク ユー クライ!

ママを泣かせるつもりじゃなかったよ……『ボヘミアンラプソディー』


クイーンが実際に活動中だったころは、野良レモンは花の幼女時代真っ最中。

イギリスのクイーンなんて知らない。

アルプスのハイジのアニメなんぞが、ちょうど良かった。

ロックンロールなんて、どこか知らない世界の知らない怖い人たちがやるもんだ、ぐらいの認識だったかもしれない。

当時は言葉が分かんない歌は受け付けられなかったし、テレビに出たとしても家族でも見なかった。


クイーンねー、なにかに似てる、なにか例えるものがありそうな気がする、とは漠然と思っていたの。

振付の一つ一つが、全然チャラチャラしない。迷い無い。ブレない。

手足、身体の動かし方が、計画通りと言おうか、型があると言おうか。

ボディビルダーと正確な新体操選手をミックスして、すごく真面目、にしたような。

だからヒーロー戦隊のように、画面の中でさまになってる、と言おうか。

そう……歌舞伎?


……

改めて聴くと、綺麗だった。

綺麗なハーモニー。

ただ、ただ、もう、

綺麗な歌だった。






他の障害種の人たちの心理の発達って、全ては推察のやりようが無いんだけど、

父親の望み通りに育たなかった息子の心の傷って、

他の創作作品やアートと言われるものやネットなどで見聞きしていて、痛々し過ぎるほど痛々しく可哀想に感じることがある。

それにプラスしてLGBTQが加わると、非常に治しづらい愛着障害になるっていう。

望み通りに育たなかったとしても、どこかで父親が息子を認める、っていうプロセスを踏ませてあげないと、

母親ではこなせない役割だから

医療や支援が入ってもいいからどこかでリセットしてあげないと。

嗜癖依存による自傷や、果ては犯罪集団に所属するとかして自滅に向かっていくよ。

承認欲求が迷走し続けるよ。

他の障害種の話は、私は見聞きするしかしてあげられない。

私は、本来共感が苦手と言われるアスペ種族側の人間だ。

でも、救いようが無いほど可哀想だということは毎度、感じる。



ボヘミアンラプソディーを、字幕を目で追いながら聴いて、考えた。

ご両親がまっとうに、愛情を注いで育てたからこういう曲が書けたんじゃなかろうか。

父親の言うことを聞かなかったから、寄宿学校へ入れて、叩き直そうとしたらしい。

でも反発してどうしようもなかったらしいけど、愛情はキャッチしていたんだよね。

こういう子、育てづらいだろうな。

親御さんにとって、自分の掛けている愛情が、的確なのか、間違いなのか、答えが分からなくなりそう。

手応えとか、成果を、こういう子は大人にすぐ返せないもの。

だから大人たちも、しびれを切らして揉める。

PDCAサイクルが機能しない。

私は社会へ出てからPDCAを知らされ、叩き込まれてきた。それでもう手一杯になることがある。

他のなにかを見落として、失敗する。私はこれでもうどうしようもなくなっているのに、

PDCAを回しても、回しても、なにも返ってこない、見えてこない子育て。きっと出来ない。とても出来ないだろう。



バイ、の人たちは、男性からも女性からも、幅広くから恋愛相手を選べる。

どっちでもピンときたら好きになれてしまう。

でも、人として、人の生き方を踏み外さないで生きられるかどうか、は、

まっとうな人間らしい愛情を知っている人と恋愛するかどうか、に掛かっているものなのかな、と考えさせられた。





発達障害当事者の中でも、恋愛を断つとか、諦めている人たちはたくさんいる。

しかし、諦めていない人たちも、それなりにたくさんいるらしい。

諦めていない人たちは、大変だなと思う。

相手にチェックしなきゃならないことがたくさんある。

自分の言いたいことの理解と通訳の能力、金銭感覚、一般常識、家事能力、社会性、忍耐力、

社会と自分たちとの連絡調整役の能力、

関係性が煮詰まってきたら喧嘩しないでお医者に頼るなどの判断力、

お世話をしてほしい依存的な人たちが嗅ぎ付けて芋づる式に接近してきても、プラケーターにならず、ミュンヒハウゼンにもならず、避けられる理性の強さと自尊心の高さ、安全に逃げるための知恵、賢さ、

そんな、大量の能力を備えているかどうかをチェックしなきゃ、能力が落ちているところから崩壊と破滅がやってくる。

そんな、大量の能力を備えていたとして、コンカツ専門に扱う業種の人いわく、そんな社会適応の秀才は、早々にお相手を見つけて家庭を持ってるものだと言われているし。

仮にパートナー席が空いているのがいらっしゃったとしても、そんな、支援者のような能力の人に、料金も払わず、

ただで、なんとなくプライベートの時間にずっと自分の傍に居て、

善意と好意を根拠に固定して、独占して、面倒見れというわけで、

遊び相手して、寂しい時はカウンセラーして、忙しい時はコーチングして、体調不良時には看病して、

趣味も家事もわかちあって、旅行もして、きょうだいのように、親子のようにキャッキャウフフしてくれる立ち位置に立たせるわけね。

ネットには、何年も前から、既婚者の当事者が『自分はペットだ。愛玩動物の価値しか無いと自覚している。』と、自虐しているのを見る。

負担の分担、お返し、挽回、自分の能力の提供、お詫びや感謝を伝えるもので、相手に喜ばれるものが、なにも差し出せない欠陥を持つ宿命の私たち。

お返しなにも無いけれど

人生の全責任をよろしくね

返さないけどずっと与えてちょうだいねっ



なんというか……


途方もない話に


思えてならないんだよね……


実行している人たちはすごいよね。

まあいいけど。