たぶん知的な指数に相応な仕事をしないとしんじゃう

某クーポン券を、また無駄にしていた。

使いたかったのにぃー

ASDの風上にも置けない失敗だって、前回反省したじゃないか

使用期限の日にちは、胆振東部地震の約一週間後か……

だから頭がシェイクされてヒューズがぶっ飛んだのか

いやいやだからって

自分が気を付ければ、あの金額分の消費が出来たのに。

気を付けることに疲れてくる。

こうして自分に負けたまま歳を取っていく感触を、味合わされている。



「言われた」ことに反応して怒るアスペがいる。

私も社会へ出たばかり、診断も受けていない、発達障害の言葉も知らない頃にそんな頃があった。

頭に入力される準備もできていない言葉を受け付けられない。
心から、心を込めて、他人様の言葉を聞いて、おしとやかに、忠誠心を込めて、頭に入力して、いい子に暮らす暮らしを頑張って貫こうとか、そんな思考をしていた。


しかし情報も広まった現在は、

一つ覚えのように怒るのではなく、

「なにを放ったらかしにしてしまったのか」を

着目すべきかもしれない。


しかし、私たちが口を開いて指摘を発言しても、

私たちが私たちなので、相手にされない。

しかし、反応が無いからと言って、着目をやめてしまうと、

私たちが無視されてナメられてきた歴史を繰り返すしか無い。

着目だけでもし続けることが、意味があること。

「なんで自分の意志に自信持たないんだよ」と近くの周辺の人たちに怒られるかもしれない。

自信を付ける場所がどこにも無かったんっすよ

一般の普通の人たちにも、医療支援にも、どっちにも突き放されたら他にはもう無いでしょ。

ネットで出会う軽度当事者の人たちには口を利くだけでも、条件反射のように中毒症状が発生されて炎上されてしまうし。

人と協調してなにかやることで、関わり合いになった人達みんなで不幸になる経験しかできなかったからですよ。




反応にどこまでも手抜き無くこだわり続けることで、

正義の徹底を発動してしまい、

一般の人たちが集団で「もうやめてー争いやめてー」とストップを掛けてくることがある。

たとえば若い力士さんの訴訟撤回の件ね。

ストップが本当に正しいことなのかどうかは分からない。

思えば、昭和の時代は日本でもそんな力は今より働いた気がする。

子供同士の喧嘩でも、決着が付かなくても「もうやめてー」と、第三者は止めるものだった気がする。

そんな民意が、海外にはまだ残っているということなのだろうか。

しかし、日本は、『事なかれ』を発動し過ぎたために、いじめじさつなり、悲惨な事件が起き過ぎている。

これらの反省の一つとして、大人の世界、神聖な格闘技の世界から正していかなければならない、という責任のような意識があるであろうことも、野良レモンはとてもうなずけるのだ。

つまりは

もう二度と、日本国内で外国人たちの馴れ合いや上下意識や慣習や付き合いが

当たり前のように横行して日本人たちでも放任してしまう、ことが無くなれば、目的は果たされるわけだけど。

日本国内の力士たちを、モンゴルの世論でもコントロールできる成功経験をしてしまうと、

果たしてどうなのかな。

でも、そういうつもりじゃないよ、コントロールなんて誤解だよ、と、日本語が使いこなせる人たちがちゃんとしゃべってくれれば、

この先の展開も悪くはならないと思うんだけど。


とにかく、元親方さんは『先生』と呼ばれる仕事がとても合う気はする。

政治家が適性あるかは知らない。上下関係とか、慣習とか、また疲れるよ。

大学や私立の学校の、好きにさせてくれる特別配慮付きの先生がいいと思うんだ。




話を戻す。

私たちも、なにか訴えても、訴えを取り下げさせられたり、ストップされたり、まるまる無視などをされてきた。

しかし、それまで訴えていた内容をまるごと引っ込める、のではなく、

自分で着目してきた意味を持っているなら、それに基づいて

違う働き掛け方法が無いか考えることもできる。

ASDは、極論に陥りやすい。

訴えが却下されたら、従順過ぎて、瞬時に奴隷か家畜に戻れる極端さを持つ者もいる。

そうではない、ことを言いたいが、野良レモンのしょぼい語彙じゃ、難しいね。




私のASDの血でも騒いでいるんだろうか。

ソロキャンプの人達や車中泊の人たちのユーチューブを見ることがある。

お見事な手さばきとか、限られた空間を合理的に要領良く温かくする知恵とか、

素晴らしいと、見惚れる。

キャンプで手間を掛けて黙々と頑張ることは、ほぼすべて自分の感覚を満たすことに尽きる。

火を安全に起こさないと食べ物が温められない。

温かい食べ物を食べて温かく寝ないと、自分が快適ではなくなるし、健康が危険にさらされる。

ASDを持つ当事者たちが、日々悩まされることは、こういう、

自分の都合に一心不乱に集中する生活が送れないことであるのではないか。

感覚なんて、一般の普通の人とはどうせ違うんである。

同じことにこだわれなくても、自分は自分だから仕方がない。

自分が気の済むように、自分の脳が快適に暮らせるようになりたい、に尽きるのではないだろうか。


しかし、手慣れたキャンパーたちの技術は素晴らしい。わくわくする。

自分の身の回りを限られた道具で、暮らせる空間にしてしまう。

知識と、実践練習を積んだからだ。

私に同じことをして暮らせと言われたら、できない。

作業に24時間では足りなくなる。文明の利器が欲しくなる。

だから社会適応をして、お金を稼がなくてはならなくなるのだ。


頑張っても社会適応が出来ない、または社会から望まれる適応ができなければ、

お金を支給することは当然でないのかと思うんだけどね。

しかも60まで労働したら、人間の宿命として当然、衰えるんだ。

社会から望まれるだけの労働力を提供できなくて、当たり前なんだけど。




たとえだれにもプログラムしてもらえていない危険な自動走行システムASDであっても、

こうしてパソコンを操作できている知的に標準以上の当事者が、

日々、全国で支援に付いていけなくなり、挫折している。

そう、極論を言うなら、

知的に高い仕事をしないとしんじゃう。

知的な高さがある軽度当事者は、高さに見合った仕事をしないと、

逃げ出してしまって、生計を失ってしまう。


ネットに上がっている種々の打ち明け話を読むと、いくつもそんな実例に出会う。

現状は、引き籠りになるしかない当事者たちがネット書き込みの主力を担っている、からそう見えるのかもしれないけれど、

引き籠りが望ましくないことは一般人も当事者もだれもが知っていること。



未プログラムの危険な自動走行システムASDの私たちは、

診断と支援指導無しで社会に放り出されると、多種多様な不適応を起こす。

愛着障害を起こしている。一般常識とその成り立ちを分かっていない。対人の距離感を分かっていない。

業務一つの成立のさせ方を分かっていない。適度な質問をして共同で業務を成立させるさせ方を分かっていない。

上から教わるのではなく対等に相談し合いながら成立させるさせ方を分かっていない。

自分がアイデアを持っていても人に伝えて、意見をもらいながら修正して成立させるさせ方を分かっていない。

成立しなくても出た結果に妥協する方法を知らない。

信頼関係で構ってもらう方法を知らない。だからパワーでマウントを取る幼児並みの方法しかしか生き残る方程式を知らないけれど、正義感との矛盾に挟まれて行動にも移せない。なにも動き出せない。

思い付きを無責任にしゃべっては正反対の結果を自分で招いて信用を失う。

反応すべき状況と反応すべきでない状況をプログラムしていなければ、外から煽られるとすぐクラッシュする。

嫉妬する。不安に煽られる。

狼狽えに気付かれ、煽りをしたい性癖の変態たちに目を付けられ引き寄せてしまう。悪人に仕立て上げられる。クラッシュする。

被害妄想ばかりがプログラムに書き込まれていく。

書き込みが増えることに批判ばかりされ、インターネットが悪いなど言われるが、修正をだれも施せない。

プログラムをASDに施したことが無い人にどうしたらいいか質問をしても、どう答えたらいいか分からない、あなたの頭がおかしいと怒られる。

それでも、

知的な高さに見合った業務で悩み、

どうしようどうしようどうしようと聞いたら答えをもらい、考察の組み立て方をインストールされ、

パニックにもフラッシュバックにも難しい知的な解説と分析となだめの言葉をもらい、

難しい問題で答えをもらい難しい問題で答えをもらい難しい問題で答えをもらい、しないとしんじゃうのだ。



箸袋に割り箸を一日入れてるような支援を受けたら、

潜在している知的能力が心身を蝕み、逃げ出すしかなくなるのだ。

軽度ASDスペクトラム全員では無いけれど。

逃げ出して、取り残されていく。

見捨てられていく。

 だ

 か

 ら

手近な隣人で手に負えない、まかなえない支援は、外部から補ってほしい、介入して欲しい、

国が準備してくれないとどこもできない、

そのへんの一般人の片手間の善意だけじゃもう回らないんだって

野良レモンもネットで言っているんだけど。

ネットにすがる人たちも、そういう動機で始めた人たちが少なくないんじゃないかと

思うんだけどなあ。