介護=日常生活の身体的困難などに対して補助等すること

久しぶりだ。昨日の寝覚めの夢た。



私は小学生で、

クラスから転校して行ってしまう男の子にお別れの手紙を書いている夢だった。

なにやってんだ。

実在の子でなくて良かったようなものの。

パラレルワールドのはるかかなたの座標の私だとしても、らしくないねぇ。

少女漫画みたいなシチュエーションじゃないか。優しいじゃないか。

男の子は繊細で、傷つきやすくて、ガラスみたいで、でも意地っ張りでっていう。


あ、ASDスペクトラムか。


頑張れよ。っていうか、お互い生きるのを頑張ろうね。生き残ろうね。って書く場面








ドンファン、ドンファン、いってたテレビが、サッカーと大雨でやっと言わなくなった。

これ普通なら、冥福を祈ることなんだろう。

祈りたくないわけじゃない。うん。

ほんとに、文字の通り、成仏したらいいと思う。いやもうするしかないんだけどね。

ご本人は、この世とおさらばするなんて、そんなつもりが無かったとしたら気の毒なことだが、

77歳、生きたほうに入るんじゃないかい

戦後の苦労をしたらしいけど、こんなにオネエチャンに手広く手を出していたんなら、

苦労の元は取ったんでないかと、田舎者の目には見えるんだけど。

ただし、人生をいつ満足するか、いつ十分だと実感するかっていうのは、

ご本人のプライベート範囲であり、主観が決めることだから、他人が言っちゃあいけないんだけどね。


ビールに白い物体が泳いでいた事態

他人が入れたのか、自分の意志なのか、

どちらにしろ、生活にそんな物騒な物が入ってくること自体、もう異常事態だった気がする。

出所が不幸なお金が集まり過ぎて、お金の怨念が家の中に住んでしまって、

妖怪が取り憑いた家と、住人になってしまっていたんだろうかね。

オネエチャンというか、奥さんは元セクシーモデルでしょう。上等なのをもらったんだから、

もう、世の中の美しい物や高額な物、きらびやかな贅沢な物をがっついて収集することからも、

引退すれば良かったのに、とも思う。

高齢になったら、全てが衰えて当たり前、強く残るものは信念を持って鍛えてきた職業技術、

そして後世に伝えた生きざま、とかモラル、とかがある人は、次世代が心から尊敬する伝説になれるんだと考える。


でも、奥さんももうお金の操り人形だし、他にもオネエチャンたちがいたらしいし、

もう、正気じゃ無かったんじゃないか。

真相がなんにしろ、ここで成仏をして、あの世の賢い人たちと”反省会”をしたらいいんじゃないかと、野良レモンは勝手な意見を持つ。





もう一人、今度はグルの教祖様があの世へ飛ばされたね。

後のことは、後のことをできる人たちがすればいいんだろう。

しかしグルも相変わらず性格悪いな。嫌がっている末娘に骨を押し付ける。いつまでも人の意志と反対のことを強制して逃げられなくして追い詰める試し行為が好きだね。

社会になじもうと人が積み重ねてきた努力を水泡にぶち壊し、逃げられなくなるのを見て、承認欲求でも満たされるんだろうね。挑戦的な挑発好きだね。やめられないんだね。

いいよ、身の安全が第一だよ。託されたんだから末娘も好きにしてやればいいんだよ。

宇宙へ飛ばすなり、海に撒くなり、被害者遺族にあげちゃう(これも困るだろうな。)なり、外国の博物館に寄付なり、を、代行して秘密裏にやってくれるところへ頼んでしまえばいい。

そういう費用のお金ぐらいは残してあげればいいのに

29歳には可哀想だ。


そして私が同情したいのは、盲学校の先生方だ。

今、特別支援学校と呼ばれる学校は、その前は養護学校と名付けられていた。

ひねくれた子を、生き方とか根本的なところで更生させられなかった、

そして犯罪者にして、刑罰に処せられてしまった、……やりきれないだろう。

盲学校の中でも、子供の障害程度はさまざまだと聞く。

片目の障害、弱視、色盲、全盲、……子供によっては勝手にヒエラルキーも感じていたかもしれない。

介助が少なくても移動できる、できないは、当人の価値、では決して無くて、

当人の身体の事情、でしかないだろう。

でも、なにかを持て余していたグルは、相手を見ながら優越をひけらかしていたという。

相手のどうしようも無い、逃げられない事情や環境に付け入って優劣を示すこと、

これはどこの文化へ行っても”卑怯”と評価される。

”卑怯者”は信者を集めた。愛情じゃなくて、服従を集めた。

服従する忠誠心たちは、集団ヒステリーモンスターに化けた。

グルはモンスターを操って、持て余していたなにかを実現しようとした。


これからの教育は、”持て余していたなにか”の言語化と、社会に適応的なほうへの誘導を、ちゃんとできるんだろうか。

実現の仕方を、間違わないように教えられるんだろうか。





介護の意味を辞書で調べる。

ようするに日常生活の身体的困難を助けてあげること。

自分でできることは自分でして、自分でできないことを補助して、力を貸してもらってする。

こうして文に書くと、シンブルなことのような気がする。

親が子供の安全を守ろうとするのは、常識的に言って、とても当然なことであろうと、

我が子を持ったことが無い野良レモンも思う。

自分の娘が、「あそぶことってあほみたい」と叩き込まれ、書かされても、危機を感じず、同調した若い母親。

自分の生活管理はもちろん、自分の気分も、自分で決められない危険な”女”を感じる。

”女”。   普段、野良レモンはあまり使わない表現だ。大抵は女性、と書いている。

自分を保護してくれない、支配してくれない、決めてくれるわけではない存在の”子供”は、いないものとしているようだ。

実際、幼い娘だけベランダに放置して、生まれたばかりの乳幼児と親子三人でお出掛けしていたらしい。新鮮で目新しくて意思表示しなくて軽くて”男”が所有欲を満たされて喜ぶおもちゃ、だけがその時に必要とされただけじゃないか。

とっかえ引っ換えする、おもちゃだ。

当人たちは、恋愛をしているつもりだったかもしれない。

でも、自分で自分にできない保護、支配、価値の決定、を介護してもらっているようじゃないか。

介護を恋愛と勘違いするな。

恋愛と介護を勘違いするな。

恋愛さえしていれば、本物の子供を、おままごとのおもちゃ扱いしても、なにしても、好きにしてもいいと考えるな。

言語道断だ。

どうしてもどうしても、自分でできないことがあるから、私たちは病院へ行ってきた。

過去にはリタリン、今、もらえる人たちはコンサータやストラテラに頼ってる。

病院に、薬に頼る。お金を出して、できないことを外へ発注する。

どうしてもどうしてもできないことは、そうするんだ。

私たちが困っていることを、そこだけ切り取って助けてくれるように、商売にしている人たちが、まだあまりにも少ないだけなんだ。



刑務所の中は、さまざまな不幸なゆきさつで、我が子に本物の愛情を持っていても、

育ててやれない人たちがきっといるだろう。

”男”も”女”も、がっつりお説教されて、しぼられてくるだろうと思いたい。





『バチェラー』って、どっかの有料契約テレビの番組なんでしょ

見てないけど想像つく。

健常者ばっかりの喧嘩でしょぬるいですねぇ。

上昇志向もりもり、広汎性トラブルメーカー引っ掻き回し系も入った身体障碍の人たちも入れてやってみてほしい。

どんだけ有名企業のボンか知らないけれど、取引先企業に、健常者と障碍者がガチ喧嘩やらされている動画を見せてみたいもんですね。

日々、私たちがどんだけ、暗黙の了解で身を引かされているか、

誘われない覚悟、疎外される予定が前提、自分の欠陥を思い知って、分不相応な振る舞いをしないことを、

無言の圧力で押し付けられているか、全国のお金持ち企業の人たちや、視聴者に見せつけてやりたいですねえ。

『障碍者雇用枠』って存在は知ってるよ。枠だけもうけて、体裁だけ作って、結局はどんだけ仲間に入れてるのかな

そんな私たちが、暗黙の遠慮を捨てたら、どんな喧嘩になるのかなぁ。

そして、無理やり”個性”と呼びながら、障碍者を取り除いて選んだ結婚

どの面さげてするんでしょうねえ。お金持ちの結婚式にぱ、お医者様とか、お金の支援している福祉事業所とかも呼ぶんでしょうか