スイカ&緑茶 他

小さなドジを踏んでいる。

カットフルーツが手に入った。これは幸運である。スイカだ。

世の自然の生き物たちが芽吹き、活気づいてくるこの春に、値段が高いはずの夏の食べ物が手に入るなんて、ラッキーである。

しかし、お供に一緒に飲んだのが、すぐ手近にあった、ペットボトルの緑茶。

なにがドジだったのか、そろそろわかるだろうか







……

……

利尿作用 × 利尿作用 の摂取をしたんである。

お手洗いが近くて、作文に集中できないよ




上記は、数ある軽度当事者たちが人生でしてきたミスから見たら、非常に軽く、笑い飛ばせ、

取るに足らない小ささのミスである。

これが、サラリーマンの休日の、なんも考えないでした、些細な食べ合わせのミスどころではなく、

たとえば、薬の飲み合わせのミス、

子供を育てる時に、信じて、一生懸命本など読みこんで取り入れた、子育て論のミス、

だったりした日にゃー、取り返しがつかなくなることがある。


一般の普通の人たちなら、近くの人たちに聞いたり、スマホで調べたら

問題の正体や、解決策が、わかるだろう。

人間関係が危険になるような長時間、聞かなくても、短時間で、わかるだろう。


教育支援適用済み当事者団として、正規の支援先から支援を受けている当事者たちなら、

当然、支援者たちから支援を受けられる。


しかし、軽度当事者の野良レモンたちなら、短時間の説明では、下手すると、なにもわからないまま、収穫の無いまま、になる危険がある。

一般の普通の近くの人たち、の説明は、一般の皆様たちの気分として、打ち切りたくなったら、打ち切って終わりなので、

なにも疑問が解決されないまま、問題がそのままのまま、になる危険が大きい。


発達障害を知る前の、若い野良レモンの日常は、そんな問題や悩みの山の中に住んでいた。

今でもその当時の感情を思い出す。そして非常に不快な気分になる。でも思い出す。この悔しさは忘れない。


家族は、今でも、私が踏んできたプロセスをちゃんとはわかっていない。

若いころ、あらゆる不調を探るために、日数を使って、距離の移動をして、お金を掛けて、動き回って診断と助言と治療、をもらわなければならなかったため、

隠すことは非常に不自然な状態になった。それに、人間として道に逸れたことをしているわけでは無し、

逆に人間の道に戻ってくるための行動をしていたので、制御することは不便このうえ無かったので、

いわゆるカミングアウトをしたことがあった。はいはいと、受け入れてはもらえた。

でもやっぱり、わかんないみたい。

社会へ出ました、辛かった、生活をきちんとして、自分の仕事について勉強をして、工夫を自分で思い付いて、解決する、

それが普通によくある、平凡なプロセスであるものだ、そういうものなんだ、世の中そうなんだ、


なんかよくわからないものにのめり込むのは、やっぱり間違っている、と言いたいんだそうだ。

私のプロセスは、のめり込んでいたのか


二十年近く前、私が必死になっていたのは認める。

私一人で、家族に説明するのは、荷が重かった。

この重い荷物を、やっぱり野良レモンは運びきれていなかったのか。

私は、家族のもとへ、説明してくれる人を、だれ一人、連れてこれなかった。

だから、私のあらゆる複雑な不具合を、説明してわかってもらう説明責任は、私一人が背負ってこなすしか、選択肢は無かったのである。

私の説明は、不十分であり、伝わっていなかったのか。

これ以上、責任を背負うのは、もう限界を超えている。私の説明能力では、もう伝わらない。

家族はそんなこと望んではいないが、責任を果たせない以上、私は家族と縁でも切ってしまうしかないのか




で、突然ぶち込むが、アドラー心理学という心理学があるそうだ。

これに騙される人もいるという。

だから慎重に読んだほうが良い。だからリンクにもあえてグーグル検索画面を載せた。

興味がある人は、良さそうなのをご自分で選んでもらうのがいいと考えた。

野良レモンの印象は、『自己完結、自己解決の確実で丁寧な方法の学問』に見えた。

この学問から出てた手段の一つが、自助グループ、というやり方らしい。

個人のエゴを叶えることに重きを置くのではなく、集団の中の自分のこなせることは何か、を理解することが優先される。舵をそういう方向へ切っていく。

アリ


アリには、働くアリと、休むアリが、一定割合で存在するらしい。

この、休むアリ、がいる理由を理解していないと、もしこれが人間の感情付きの世界なら。

休むアリが攻撃や疎外対象になったり、ラインで吊るし上げられて、エサをもらえなくなったり、

合コンに出られなくなったりして、非リア充とバ〇にされたりして、非常に不快な思いを抱える事態になるだろう。

そして心因の病気を患って、喧嘩したり、裁判をしたり、休むアリの中でヒエラルキーが出来て、集団脱走したりとか、そんな事件に発展するかもしれない。

それもこれも、“補欠”を常に確保するシステムになっているようだ、ということを学習して理解していないから起こる。

女王アリは、たぶん、仮に人間の感情付きだったとしても、そんな内部崩壊は望んじゃいない。

優秀な女王アリならたぶん、教育システムも作って、勤務交代制とか、シフト制とかも作って、平等に休めるように、整備に努めるだろう。

しかし、本物のアリはそうもいかないから、“本能”というソフトが始めから体に設置されていて、働くアリと休むアリに自動的に別れている。

それぞれがそれぞれ、自由に自律して動いているので、教育の必要は無い。でも、集団生活の規律が、ちゃんと成立してしまう。

アリの世界の理解は、これで合っているだろうか

人間も、基本こうしましょう、他人や、同調圧力とは、適度な距離を保つ、自己コントロール力を持ちましょう、という考え方が、アドラー心理学、で合っているだろうか


「わかってんなら人に聞くなようざいよ」という感想もありだろう。

しかしそういう感想に従ったり、振り回される云われも無い、という私の言い分もできあがるだろう。

私たち軽度当事者は、思うが儘、自由に行動してしまうと、知りもしなかった世の中の暗黙のルールを無意識に破ったり、

悪意無く失敗して、物や秩序を破壊したり、他人や組織に迷惑を掛ける。

だから、私たちには、知らなかった常識や知識を教わることと、肯定してもらう、ことの二つが、支援のセットでされるニーズを持つ。


なんとか心理学とか、そういう歴史の古いものは、一般の普通の人たちが病んだ時に適用されることがふさわしい。

私たちは、まるまる鵜呑みにしやすい特性も持っている。

だからこそ、各心理学の習得の前に、順番の一番目として、発達障害の診断と教育、支援が必要なのだ。

順番を間違えて生きてしまった野良レモンたちは、“本能ソフト”が正常にインストールされていない。

たぶん、アリの世界でも、役に立たない人員になり、謝りながらエサにありつく生き方しかできないんだろう。

だからー、わかってるからー、謝るだけだと警察も学校もいらないって侮辱されるばっかりだからー、

わからないことを教えてくれる場所を増やして頂戴って、たしか、大人数の発達障害当事者が、ずっと国に訴え続けてきたはずなんだけどな。

教えてくれる場、無いわけじゃないよ。発達障害支援センターの存在は知ってる。

全然足りないよね。何年も何年もどんだけ予約待ち。

待って待ったすえの助言が、解決じゃなくて、おおらかな見守り、だけ、だったりとかして……



話を戻す。

アドラー心理学の解釈として、たとえば、むやみに誉めないとか、そんなのがあるらしいが、鵜呑みにしてはいけない。

『誉める』方法を使う時に、「人を誉めるワタシが好きなのウフ」というエゴで誉めるんじゃなく、

どこの方向へ向かって誘導していくか、目的を持って教えて、有効なら時に誉めて、承認して信頼関係を適度に保って行くことで、結果が出るんじゃないの




世の中、資産運用詐欺、という犯罪があるらしい。

要は『資産、増えますよ』と誘われて、根こそぎ取られてしまうものらしい。

目的が達成されない時に、目的が達成されないことに不満を持つんじゃなくて、

不満を感じる自分になにか不健康な認識があったり、改善しなくてはならない性格があるかもしれないから、

自分自身の中から原因を探しましょう、と、やられたりして、煙に巻かれたりして、言いくるめられ、時間を稼がれたりするものなのだろうか

よく知らないけど。

家族は、野良レモンがこういうのに引っかからないかも、心配なんだそうだ。

いやいやいや……性質が違うでしょ。一緒にされたら迷惑だ。


野良レモンはなにを気を付けたらいいんでしょうね

お仕事一筋に引き籠っていても、ASDスペクトラムの数々の認知の間違いに縛られて、身動き取れなくなるし、

だから「私、間違ってないかな間違ってないかな合ってるかなその根拠はどこかな」と、聞く人間を、

合法的で安全なところから探そうとしたら、人間覚醒剤が作動するし、

それか、先方のほうで勝手に逃げだしたり、いなくなったりするし。


まず、与えられるのを当てにしないで、目的を言語化して自分で持つこと、

目的が達せられなかったら、いつまで待つかは、聞かないで自分で決めて、地の果てでも追いかけて、原因を明らかにするまで、先方の言うことは聞かない、

このくらい強い姿勢を持つように心掛けたらいいのかな。

いつでも、いつも、だれにでもこういう性格してたら、ただの性格のきつい人になっちゃうじゃん。

困っても人に助けてもらえないよ。

受動の、本能的には本当は主体性の無い、野良レモンには、やっぱり負担しか見えてきません。