UMA、戦う。

前記事から。“悩み”じゃない、ポエム。

ではなんでこんな表現をされてしまう事態が発生したのか。

まだ考えたかった。


老若男女かんけいなく、

『こんな自分になりたいな』という理想の自分像がある場合。

それを協力せずに邪魔してくる存在がいたら、

『本当はこうしてほしいのにな。』という願望を深層で持つとする。

『アタシに結婚を申し込む前に、もっと何回も赤いバラの花束を持ってきて懇願してほしいのに。望まれて望まれて望まれて回りからもここまで望まれる価値あるアテクシを注目されて、仕方なく言われたとおりになってやるストーリーじゃないと許せないけど、この辺で手を打たないとアタシも年を取ってしまうしな……』
『企画が成功したら回りはもっと自分を賞賛してほしいし、感心してほしいし、尊敬してほしいし、騒いでほしいのに。騒ぎにならないと目立たないし、目立たないと女子社員からモテないし……』
『ワタシの育てる子供は、ワタシのために特別な子じゃなくちゃいけないじゃないの。誉めなくても忠誠心でワタシに付いてこなくてはならないし、教えなくてもいつの間にか常識や知識を覚えていなくては認めないし、ワタシの体面を補強し完成させるためにも、世界中で一番ワタシを慕って崇拝していなくては許さない。ワタシは優秀で模範的な母親になるんだから。私がなにもしなくても言わなくても子供が優秀な結果を出せばいい。そのために日ごろから全否定して鍛えてあげているのよ。この子はワタシの期待に応える。ワタシの人生の不足をこの子の優秀さで浄化してもらわなくては割に合わない。産んでやった恩を必ず返してくれるはず。産んでやったと言うことはそれだけ尊いことなのよ
『クラスの〇〇ちゃんがもっと失敗をやらかしてくれたら、クラスが毎日〇〇ちゃんを責めてくれるし、ボクはいじめられないから楽に学校通えるし、悪いのは〇〇ちゃんになったら、学校の先生から、ボクも悪者扱いされないし、毎日平和に暮らせるはず……ボクの毎日が面白おかしくないのは、〇〇ちゃんが悪いんだ。新しいゲームを買ってもらえなくても、課金を許してもらえなくても、塾の模試の結果が悪くても、カツカレーのカツがボクのだけ小さくても〇〇ちゃんが悪いんだ。見えないところで殴ってやるからな。殴っても潰しても〇〇ちゃんはボクのこと優しい気持ちで許さなくっちゃ駄目なんだからな。学級会でも普段から許しましょうって話し合いしてるし、クラスのみんなもボクの味方なんだからな

口に出さないで、思うだけの、叶わない願望が、もしもあったとする。

願望が叶わないのはどうしてなのかな、間違ってるのにな、こんなはずじゃないのにな、こうであってはいけないのにな、黙ってても回りは察して協力してくれないのかな、ほしいのにな、

深層意識に、いわゆる“困り感”を持つ。とする。


しかし、協力せずに邪魔する存在が、もし子供であったなら。

プライドの高い、でも能力増強の能力がたいして無い『ワタシ』さんのような人の子であったなら。

一般常識としては、子供は弱者なので、自分の社会的立ち位置を自分ではどうにもできないので、

大人が、子供の適性や求めや成長に応じて合わせてあげる義務が発生する。

したがって大人の『ワタシ』には、周囲が気を遣ったり合わせてくれなくなる事態が発生する。

『うちの子が間違ってるのにな、ネットで会う優しい他人にわたしに味方してもらおう、うちの子を批判してもらって、わたしを正当化してもらって、うちの子が思い通りにならない責任を、あわよくば代わりに取ってくれないかな。』

もしもここまで、かかわった人たちを、自己利益に誘導する姿勢が言語化されて、見えて、

場合によっては、小さな嘘を織り交ぜてアピールしながら子供が悪いイメージへ誘導される姿勢まで、ここまで明らかに見えたら、

やっと『それは“悩み”じゃない。自己愛のために子供を集団でやっつけろっていうのか。ひどいぞ。』と断定する段階に入っていいのかもしれない。

しかし、あの掲示板でもない限り、そこまで時間をかけてじっくり聞き取り調査をするのは、ネットの無料の場所では、非常に難しい。



実際に、子供などが、反抗挑戦性障害など持っていた場合は、反社会的行動の責めを負わされるのはたいていは保護者である。

そういう子は障害に至るまでの先天的特性とか、経緯とかもあったのかもしれないが、

なんらかの一種のコミニュケーション障害により、

本来ならコミニュケーションして生存欲求を満たすための欲求を伝えなければならない時に、背を向けて破壊行為をしたり、欲求を伝える相手の利益や安全を害してしまうよう、

反射的に動いてしまう、のではないだろうかと、

野良レモンは、ネットの中のブログなどいろいろ読みながら、憶測している。


利益や安全、をもっと詳しく記すなら、

伝達相手の社会的信用とか、関係が繋がっている人間たちとの協力関係も破壊。

もし支援者が複数いたら、支援者同士の協力関係も、疾病箇所があったらそういう弱点も破壊、

という伝達方法なのではないだろうか。

通常なら、自分を保護して援助してくれる人間が孤立したり、窮地に立たされることは、とても危ない。自分も一緒にピンチに立たされる、と危険を感じるのが普通なのだろう。

でも、そういう危険を回避する反応が出来ない。

伝達内容をお察ししてくれと いや無理。察してほしい要求を言葉にも出さないでそれは無理。

通常の発達のプロセスなら、甘えが通用してこなくなった時点で、甘えと言う手段を使うことを、多くはやめていく。

そして、機能不全家庭とかなら、言っても通じない、察してももらえないことで、内側にこもるなどの選択を、精神はしていく。
そして思春期に爆発、しかし外部の人間と関わり合うことや、家庭と関わり合い直すことで、多くは落ち着いていく、というような流れが多い。

反抗挑戦性障害は、脱線したとしても発達を元に戻そうとすれば戻る所が、戻らないのではないだろうか。

仮に環境に恵まれて脱線しないようにしたとしても、恵まれなくて脱線したとしても、伝達方法が”破壊”から戻らない。

満たされずにグレたメンヘラの子がよくする試し行為を、どうしてしているのか、なにを求めてしているのかもわからなくなっても、やめられずにエスカレートしてしまうよう。

ということではないかと、野良レモンはいろいろ読んで解釈してきている。




そうなの

そこまでわかるなら、子供側に問題や対処の難しい特性があるのなら、悩みは子供のせいではあるけれど、

ならなおさら、相談者の保護者が責められることではなく、親子の間に入ってくれるプロを勧める件であろう。

保護者がくじけないように、ネットの人たちは基本、励ましてあげるものではないかと思う。


保護者に原因がある場合で考えられることと、
子供に原因がある場合で考えられること。

両方ある。

世の中には両方に原因があるケースも、たぶんあるだろう。

過去の記事でも書いたけど、親子の片方の動作指数が高かったり、もう片方は言語指数が高かったりすると、コミニュケーションは非常に難しくなる。

そういうケースもあるかもしれないね。調べないと分からないけど。調べてわかったとしても、解決方法は、仲介者を間に入れて、通訳し合って歩み寄るのが一番だと野良レモンは考えるし。

しかし、ネットでは、どれなのか結局わからないんだから、『わかるところへ行って、わかるまで調べましょう。わかるところへ行けなかったら、連れて行ってくださいと、人に頼みましょう。』と伝え続けるのが一番の早道なのではないか、としか思えないよ。




私たちは子供のころから、わからない世の中のルールがいっぱいある。

答えはとても欲しい。

だからあらゆる二次障害になってきた。

私たちの多くは、真面目に素直に大人の言うことに従おうとしてきた。

それでも、障害名が判明しなかったがために、多くが、依頼心のせい、心が弱いせい、自分に甘いせい、自己中心なせい、大人に甘え過ぎなせい、にされ、評価されなかった。

私たちに伝わる伝達の仕方を、関わってきた大人たちが誰も発見してくれなかった。

だから私たちには伝わらなかった。

だから私たちは大人になってから、自分で出た社会の中で、発達障害が知らされる時代がやっと来て、自分で自分の正体を知ることになった。


反抗をやめられないこの子たちにも、この子たちに伝わる伝え方、わからないことの答えの伝え方がどこかにあるだろう。

でもこの答えを、反抗挑戦性障害の子供に、心を込めて伝えようとか、優しさや愛や誠意で伝えようとか、そういう理想で保護者側を煽る場合があるらしい。

でもそれも無理。

もっと可哀想なのは、お医者や専門機関が「優しくしましょう。」ってだけ言うケースがあるようだが。
なに、家や人間を破壊するのを待って措置入院や逮捕されてしまうのがふさわしいの

そういうつもりじゃなくても、そうとしか聞こえないですよ。

本人は(もっと破壊したら察してくれるかな。)という夢を見ているのかもしれないが、夢想を治療しないまま長期にわたって過剰にし過ぎて、違う疾患になる前に、

確実に治療してコミニュケーションしてくれる治療機関につなげるものだと思う。


であれば責めるのは、保護者でなく、応用行動療法とか、コミニュケーション障害を治す手立てに早く導けない教育環境であろう。



脱線する。

ちなみに、野良レモンはネットを手に入れてから、”自称”反抗挑戦性障害の、ASDスペクトラムや、ADHD当事者らしき人の書き込みを複数、拝見してくる機会があった。

喧嘩すると止まらないから、自分は反抗挑戦性障害も併発しているんだろうとか、

おそらくそういう予測の下での“自称”なんだろうが、そのうちの多くは違うんじゃないだろうかと、野良レモンは考える。

ASDにもADHDにも、正義感の強い人は多い。正しくあるべきもの、ないものが、気になって気になってしょうがなくなる人が多い。

たぶん、白黒思考の過集中。

怒ったとしても、リアルの現実なら話せばわかる部類の人たちだと思う。

ネットだと、炎上はもちろん血の制裁もすれば寝食を削った命懸けのレスなどで絶対の服従をしたり、忠誠を誓ったり、投影や嫉妬や憎悪や執念が極端に渦巻く。

リアルの現実なら、時間を置いたり、話し上手な人が話してあげたり、順を追って、噛み砕いて具体的に、尊重して肯定してあげながら、ASDは正当化してあげながら、ADHDは賞賛しながら話すならば、かなりがわかるのではないかと……ああ、面倒くさいね~。

白黒思考の過集中をしがちな当事者たちは、反抗挑戦性障害とは違ったとしても、充分、二次障害で壊れる素養は持っていると思うよ。医療はかかるものだと思う。薬飲んでいる人、いっぱいいたもの。

でも、野良レモンの書くことは、所詮、無責任です。

正確に知りたい人は、正確に診断してくれる場所へ行っていただかないと。



話を戻す。

中には、保護者も子供も、家族過半数が、なんらかの発達障害で構成されているケースもある。

こういう場合は、野良レモンは、基本、だれかが支援者とつながれないならば、個々がばらけて生活して、相互に悪い循環に陥らないようにしたり、個々で支援を支援場所に求めるしかないと考える。


しかし、あの掲示板でもない限り、そこまで時間をかけてじっくり聞き取り調査をするのは、ネットの無料の場所では、

非常に難しい。

だから、悩みのスレを立てた人に向かって、初対面で『それは“悩み”じゃない。』と断定することはできない、と野良レモンは意見を持つ。


断定するのなら、想像で補うのではなく、文の中からでも、突っ込む根拠を探し出してから、だと思う。



なんで野良レモンは、目先の問題じゃない想像上のことにさえも、蒸し返してこだわるのか。

野良レモンは 教育支援適用済み当事者団じゃないから。

中途診断二次障害野良当事者団だから。

圧倒的多数の一般の普通の人たちと生きていくしか許されないから。

もし脱落したら、自己責任で野垂れじにしなくてはならないからさ。

野良レモンが軽度当事者であるという個人的な事情も、そのハンディも、圧倒的多数の人たちからは見えないし、

「私、できないことがあるんです。」と仮に言葉に出して言ったとしても、だれも聞きたくもないし、

内情を把握したくも無いし、どうしたらいいか教えたくもない、

わかんなくてうるさいから目の前から消えていなくなってほしい人間、にしかならせてもらえない、からである。


わかんないくせに、リアルの現実でもネットでもあらゆる人たちが野良レモンを憶測する。妄想する。

面白くて興味ある憶測は、ラインなどで広められる。

野良レモンへの敵意が煽られ、働きづらくなる可能性を山のように背負っている。

陥れられる可能性も、詐欺される可能性も、この障害は背負う。



就労するときは一般の普通の人たち扱い。病院に掛かったら障害者。でも障害者からリタリン取り上げたら、議員活動をして目立った実績になって、メディアに名前が出て、知名度上がって、カコいいサクセスストーリー。

実際に当事者が困ってる、プライドを血を流す思いで抑圧して病院に掛かっても解決しない困難も、

無視して放っとく自由のある権力者が、世界各地にいる。

煙に巻いた、私たち当事者の一部がじさつしたしたいの山の上にのし上がり、万歳をもらい、花を付けて頭を下げる秀才たちがいる。

私たちから、正規雇用すら奪うアイデアを出せるレベルの秀才たち。

抽象的に、かつ細かく規則を作ることで、私たちを脅すことができる。

救わない。目立って名前とイメージを売るための捨て駒にする。脅す。叩き落す。

違法なリタリン中毒たちからリタリンを取り上げたという正義のヒーローを実行するために、

細々と使っていた本物の発達障害者たちからも取り上げ、お医者にルールを作って押さえ、捨て駒にした。

代わりの支援指導も用意せずに、見捨てた。

中途半端な弱者の、使い道。

私たち中途半端な弱者は、それまで手に手を取り合ってしていた支援を欲しがる努力が、

将来へのかすかな希望が、

醜い自己愛のエゴ、反抗的な我が侭に化けた。

福祉は、障害は本人が悪いわけじゃないよと言う。一方で、相談する先、する先は、一般の普通の組織で労働しているなら自己責任で協調して適応しないんですか、どうしてしないんですか、知りませんよ、助けませんよ、赤ちゃんですか、身体障害見えないじゃないですか、怠け者ですよ、”悩み”扱いしませんからね、勝手に自滅するならどうぞ、はいどうぞ、早く早く、はい我が侭のエゴですね、福祉支援はどこも忙しくて予約がいっぱい、国民全員生きるのに必死なんですよ、回りの人の事情や気持ちを考えない自己中心主義者は邪魔ですどこかへお帰りください、と言う。または、沈黙し、お察しさせ、暗黙の中にただよわす。

……リタリン停止後のこの国は、相談したとしてもこういうスタンスで、私たちを放置することが自治体の業務になった。


自己中心主義者、そう扱われることはすでに私たち当事者たちはわかってた

だから多くの当事者たちが、細やかな支援の無い病院からでも妥協してリタリンをもらってきたじゃないか。日陰の身に甘んじてきたじゃないか。

日陰の身の人間のことなんて、権力者は見てない。見ないから、いないということになった。


私たちは、いない。


だから、生きてもしんでも、そもそもなにも起こっていない想像上の人種たちになった。UMAになった。

そして権力者たちは支持を求め、投票を求める歴史を繰り返す。



話を戻す。

なんで野良レモンは、目先の問題じゃない想像上のことにさえも、蒸し返してこだわるのか。

私たちは戦わないと生きていけないからである。

戦い方がわからないけれど、戦わないと、社会はリタリン初め、あらゆる既得権を、人権を、私たちから取り上げることが自由にできるからである。