見えないパーティーピーポー

うたた寝したときの夢。

     

調理前のブロッコリーに、長い髪の毛が一本

からみついていたんだよね。


     


それだけ。

たぶん私のなんだろうけど、汚いよなーって、ちょっとショックな夢で。

今、冷蔵庫にはブロッコリーは入っていない。





前記事のコピーです。

例文
『野良レモンってちゃんと休んでる野良レモン走り回るけど、〇〇さんよりもどうせ出来ないし、●●くんよりも下だし、△△さんに迷惑かけ続けてたし、……いじめてないよー。優しくしてきたしー。▲▲さんよりもとうとう役に立たなかったけど、ご飯食べる時間をあいつもらってたよね。ご飯食べてたよね。ね~ね~ご飯食べてたよね~。みんなの情けあってご飯食べさせていただいていたっていうことなのにさー、みんなの配慮じゃん。いーや、ご飯抜けばいいのにとか思ってないからね。あたし思ってないよー』

『野良レモンは皆と話してるかな。自分から話して行ってる野良レモンは結局年下の▽▽さんにも◎◎さんにもリーダーさせて、負担掛けて抜かされてたけど、□□くんも野良レモンを助けてあげてたんだよね災難だったっていう見方もあるかもしれないけど、そういう経験はいつか自分の実力になるものだからね野良レモンものうのうと働いてるじゃないかって誰か、■■さんも◇◇くんも言ってるかもしれないし、そう思ってもいいけど、……思ってないいや嘘だよね。可哀想だよね。年上に向かったらそう言うしかないよね。偉いよ。真面目な態度だね。野良レモンは皆いい人に恵まれてるよね。』 

はい問題です。
上記の陰口があったことがわかったら、野良レモンは安心して感謝すればいいのでしょうか。
それともその逆でしょうか。

割と簡単ですね。インターネットしている人たちなら、文をよく読み返すことで、野良レモンが、一見、優しく扱われながら、全力でディスられているのがわかりますよね。



ここに、もっとこだわった話。

 「野良レモンは悪の元凶。」 「野良レモンに配慮しようね。」 「野良レモンは悪の元凶。」 「皆も自分を労わることを忘れちゃ駄目だよ。」「野良レモンは悪の元凶。」 「お互い様だから手伝ってあげるね。」「野良レモンは悪の元凶。」 「野良レモンもどこの役にも立たなかったけどどうやら努力していたみたいだね。」「野良レモンは悪の元凶。」 「皆自分を許しながら働かないと大変だよね。だから人にも優しくできる職場になるんだよね。」「野良レモンは悪の元凶。」 「野良レモンも働ける職場って意識高いじゃん。さすが。」「野良レモンは悪の元凶。」 「野良レモンを見捨てちゃ駄目だよ。」「野良レモンは悪の元凶」……

この繰り返しを日ごろからやって広めておけば、サブリミナル効果とは言えなくても、

野良レモンが大多数を不幸にしているイメージが、なんとなく刷り込まれるじゃん。

日ごろ、追い詰められながら過酷に働く労働者ならだれもが言われたら嬉しい言葉を織り交ぜながら、

一般論や、自己アピール、業務の受注、発注、提案や依頼の承諾、反論の撤回、妥協、道徳や、癒しや、受容や他者肯定や、助言や救助や配慮や仲裁、

円滑なコミニュケーションを生む言葉を親切に織り交ぜながら、

ディスりに賛同するように、暗黙の脅迫に使いながら、野良レモンをディスることで、非常にカモフラージュしやすくなり、

たとえば障碍者枠で働いている人や病気や介護で残業に支障が出ているような、世間にハンディと認められているわかりやすい一般の普通の人と比べても

何年も長期にわたって軽度当事者はリンチに掛けやすくなるんですよね。

自己責任がどこからなのか、どこから自分が悪いのか、軽度当事者はまだまだ曖昧ですから。

だから多数のみんなで”軽度当事者の悪さ”を共有するじゃん。

それが暗黙の了解になるじゃん。いつしかいつもの日常になって、なんも考えなくなるじゃん。


たとえば大災害とか感染難病の流行とかで、ビジネスが順調に進まなくなって、ピンチになるじゃん。ストレスたまるじゃん。

そんな時にいつの間にか自動的に日ごろの恨みが軽度当事者に向かって爆発するように、肩身が狭くなるシステムが作れるんですぜ。

野良レモンはこういうのを”時限爆弾”と呼んでいる。

野良レモンだって軽度当事者で、“ほんまもん”のハンディを持ってるわけ。

でも軽度だろうが関係ない。勝ち目は無い(そもそも勝ち負けの勝負してませんけどね。)。

さらに加害者がもし可愛いイケメンや可愛い美女だった日には、みんな、話しかけられて悪い気はしない確率がぐっとあがる。
信用されやすい。人が寄ってきやすい。
だからいっぱい活動できるんである。
悪の元凶裁判パーティーの広報活動がいっぱいできる。

幸いにして……今までの人生の、私の回りのイケメンや美女は、違うことにお忙しかったみたいで……

うんきっとフツメン……まあいいか。


たいして組織の利益に損害を作っていなかったとしても、大多数に弁解が通じなくなった”嫌われ者”という

曖昧な罪人は、歴史が示してきたように

慈善家の先生でも磔にもなり、
祖国が侵略され両親嫁息子が捕虜、奴隷になり、
ただのお姫様もギロチンに掛けられ、
知識や信念がマニアックな個性派は魔女裁判の水槽に沈められる。

着火した『反感』は、炎上して止まらなくなるのが、人類の特性。

おかしいね。歴史から学んで、人類は戦争をしなくなってきたはずなんだけど。結局まだやめない気らしい。


とろくさい鈍い弱者を踏み台にして、楽しいリンチイベントやファイトクラブを作りたい個人の欲望と戦う戦争は、

とても言語化しづらい。見えづらいし、面倒くさくて、無いものとされるから、水面下にまだ沈んでいる。

一般の普通の人たちも、時には被害者たちも、そういうのどこにでもあるよねっ などの言葉で、悩み相談を打ち切り合いながら、言語化があきらめられていく。

被害に遭ってきたASDの一部が、よくネットで書かれている『遠回しに言うよりも面と向かって嫌いと言われたほうがわかりやすいのにっ』などと言う原因になる。

で、リアルの現実では吐き出しどころが無くて、反撃が不可能で、ネットでたくさん会話してくれる人とか、『さもあなたが被害に遭ったように見せかけていますが、それは全部あなたがわたしたちにしたいと思っているんですね。』と投影の冤罪を作ってみたりとか、どこか間違った相手に言い放って噛み付いてしまうことがある。
事例はいくつもある。

リアルの現実ですぐに解雇されるとか、すぐに暴力振るわれるとか、そういう派手な問題にもなりづらい。

“時限爆弾”は、根回しを溜めて溜めて爆発するもんなんだけどねえ。

学者とか、頭のいい人たちに、対抗の仕方とかまとめてほしい。マニュアルにして教えて欲しい。

でもASDはじめ軽度当事者に使えて、かつ戦えるものを作ってくれる人はいない。
……放置ー…。

楽しいリンチイベントやファイトクラブを作りたい個人のパーティータイムは、平成の終わり掛けの現代でも、まだ続いている。

一般の普通の社会で、結局甘やかされている、パーティーピーポー。



この時代に、私たちはなにを立証したいのか、を考える。

勝てなくても、立証。”私たち”という人間を、立証。

私はいつも考えている。

そのために、言語性能力優位の当事者は、日ごろから自主的に”へ理屈”の能力を磨くしかないし、

野良レモンは滅多にうまくいかない、動作性能力優位の当事者は、特性として、本能的行動をするときに、まず動いてしまうんだから、
どう動いたら”伝達力”が生じるのか、”伝達力”のある動き方を研究開発するんだろうし、

それと、それでもコミニュケーション不成立だった時のために、”処世術”なども参考にしながら、

謝意はあることを周囲に伝えられる、テンプレーション?のような言葉を数で勝負で、身に着けて、

決してお察しを待ってばかりいるわけではないことを証明するしかない、んじゃないだろうか。

ちなみに、言語性能力優位なら、やる気があれば、場数を繰り返すことで、謝意を伝える言い方はそれなりに身に付く。



そんな課題が見えてくると、恋愛や結婚のような、我慢や妥協や犠牲の多い、ハードルの高い、難しいことをして脱線している場合じゃ無い!って立ち位置が、見えてくるはずだよ。

サスケ並みに、無理難題が、次から次へ待っているようなミッションだよあれは。

結婚なんかして、関わり合いになる親戚が二倍に増えたりなんかしたら、開けた蓋の中からどんなのが飛び出してくるかわかんないんだからね。

でも、すごろくのように、駒が進んでいくと、自己の価値がどんどんわかっていくゲームは、中毒性があるらしく、やめられなくなるのかもしれない。だから私は、中毒物質には怖くて手を出さない。

手を出さないがために、世間の広さを知れなくてもいい、それが私の宿命だと思っている。