私たちの努力そして一般の普通の人たちの用心 その2

これ、ネットから拾ったコピペである。それなりに有名らしい。

発達障害者の処世術

・人並みの幸せは諦める
・障害のことは人前では一切口にしない
・どちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない
・親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり搾取しようと企む性悪定型のどちらかしかいないと心得るべし
・沈黙は金以上なり
・飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない
・冗談やジョークを言わない
・口に出すのは挨拶と感謝と謝罪だけにすべし
・人前で趣味や遊びの話は絶対に口にしないこと
・雑学的な知識を人前では見せないこと
・自分の得意分野の話題になっても一切口を開かないこと
・はしゃがない。笑わない。

・「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな
・定型の言う事には必ず裏があると心得るべし
・定型=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし

・職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、一人作業が多い仕事かどうかを基準に選ぶ
・なるべく大規模な職場を選ぶこと

・人間関係はトラブルしか生まない
・人付き合いやコミュニケーション、ビジネスのハウツー本は発達障害者にとっては何の参考にもならない

・発達障害者が「馬鹿になれ」を真に受けて実行すると怒りや恨みを買うか、さらにバカにされるかしかないことを心得るべし
・絶対に自分を出さないこと
・孤立や孤独は発達障害者の運命だと思って諦めること
・他人と会話がしたいならネットの掲示板だけに留めておくこと
   



頭が下がるほど、単刀直入だ。

書き手が誰か、うやむやにできるインターネットだからこそ、ここまで具体的に書けたんだろう。

野良レモンが初心者のころには、とても欲しかった。

今でも非常に具体的で、端的なので、使える。今後も拡散される価値のある要領だと思う。

今、振り返っても、何項目かは、自分で発見してきた。間違っていなかったんだなと、確認できる。

しかし

今後も使われる価値がある、社会、ということには、人間として、憂いて良いと思う。




処世術は、自分を”抑圧”することに、最重要な優先順位を置いている。


コミニュケーションをインターネットに頼る人の人口が多いのは、たぶん関東のほうではないかと勝手に想像しているが、

関東はそんなに、隣人が自分を押し殺していてくれると好都合なメンタルをしているのだろうか

そんなに、人の”気配”は邪魔か


野良レモンは、一歩外へ出たら、会う人、会う人、みなさんの視線に応えて、

目立たない、大人しい、そこそこ善良で、良い市民、良い労働者であろうと、反射的に仮面をかぶって生きている。

追い立てられて追い立てられて、仮面を落ちないように押さえている手の感覚も無くなるほど疲労したら、休ませてほしいとは思う。

自宅から出ないで感覚と精神を休ませる。身体感覚の鈍さが危ないASDの宿命だ。

しかし、コミニュケーションは、”断絶”するものだとは思っていない。

全部を守ろうとした時、守ることそのものを一般の普通の人たちに叱っていただいた経験もしてきたからだ。

どうしてなのか、答えがわかっているわけじゃない。今でもわからない。

(処世術のルールを守っていることが自己中心なんですか)
(処世術のルールを守らない振る舞いが自己中心なんですかどっちが自己中心ですか)

今でもどっちが『性格の良い人』として正解なのかわからない。

でも、薄々思うに『自己肯定感低すぎ。卑屈もいい加減にしろ。』ともしかして言いたかったのかねえ?

ASDは、ルールが並べられた絨毯の上を日々緊張して、過集中してモデルウォークして、

バタンと倒れる運命なのだ。

しかしそこからも立ち上がって来いと、叱咤される場所に、私は生きてきた。

叱咤されるだけの答えがどこかにあり、それを言語化されたら、捕まえること。

そしたら次世代の当事者も学べるルールが、一つ増えるじゃないか。

捕まえるまでに、私も、捕まえられるだけの力を付けなければならないが。


しかし、上記の処世術は、全部ではないけれど、私なりに守っている。

たぶんそこに、一般の普通の人たちが、自然体でいられるエリアの、一線の線引きがあるからだ。

そしてその線こそが、私たち軽度当事者の目に、見えない線であるだろうから、だ。

その”線”が、言語化されて、子供にも説明できるくらい、毒が抜かれ、明確になったら、

教育支援適用済み当事者団にも、私たち中途診断二次障害野良当事者団にも、わかりやすく共有できて、学習できて、

社会で、一般の普通の人たちと関わり合いになっても、許してもらえる立ち位置に、たぶん立たせてもらえるようになるんだと想像する。

私たちがそこまで進化したら、そこでやっと”人権”が行使された生活ができている状態になるんでしょうね。

だからどうしてほしいかというと、

頭のいい、権力のある人たちに言語化してほしい。

処世術の、その訳を。


私たちは必死だ。

脅されて生きている。

学習意欲がある。

課題が私たちを日々圧迫している。

だから、解説、講義を、私たちに理解できる、必要量、してほしいんだ。

そうしたら、私たちは努力する過集中をする