増大される感情と、抑圧し過ぎで感知しなくなる感情その2

鏡よ、鏡よ、鏡さん。

社会にナメられ、国にナメられている中途診断二次障害野良当事者団に、ふさわしい努力を、野良レモンは努力できていますか

『怠け者で、世の中を舐めていて、自己中心で、自己愛で、すぐキレて、普通そうな顔しやがって、役立たずで、使えない。』と、認定されている中途診断二次障害野良当事者団に、ふさわしい、謝罪と取り繕いの努力を、野良レモンはできていますか

可愛くして、従順にして、慎ましくして、引っ込みじあんに振舞って、目立たなく、おしとやかにして、

「いつもだれにでも気持ち良く振舞ういい人だよね。だれも悪く思う人いないよね。」と噂にしてもらうことを目指し、

お気遣いをして、おくゆかしくして、一歩でも何歩でも引いて、自己主張をしないで、自分の意志を持たないで、

人の言うとおりにして、人の言うとおりに思って、好意的にして、でも出しゃばらないようにして、

不安げにして、話の聞き役に回り、話し役からは身を引いて、謙虚にして謙遜して、自信無さげにして、

肩身を狭くする態度で暮らすよう、目指さなきゃならない、当事者群は、だぁ~れ


……

……

……

定期的にかまさないと、禁断症状でさ。日常生活のなんでもない場面で、文面が頭の中にずっとちらつくんだよね。

そのくらい徹底して『だれにでも良く思われる』ことを目指しているキャラ、を自分に強いているつもりなんだけどね。




SNS自殺勧誘サイト事件について、過去記事で、『実行』に負けた、という書き方で書いていた。

しかし、書いた当人の私が、一体、なんの負け感覚なのか、正体がよく分からなかった。

が、

社会への発信力、ということではないかと、思っている。

たしかに、やっちまった結果が結果なので、問答無用な状態である。


これから、世の中では、じさつ予防の法的な整備とか、自治体への働き掛けとか、調査とか、

聞き取りを集めてデータを作るとか、たぶんそんな具体的な動きが出てくるのかもしれない。

なにしたらいいか、学者やお医者を集めて、意見を吸い上げるのかもしれない。


“人間関係に恵まれない人たち”が日々、何千人と、知恵をしぼって、頭を悩ませて、

ブログやツイッターやミクシィやフェイスブックやユーチューブに、渾身の文を載せて発信しても、

指一本、動かしてもらえることの無かった偉い賢い人たちが、これからしぶしぶ動き出すのかもしれないわけだ。

そんな想像をすると、日々コツコツと一般の普通の人たちの生き方を自分に強制してきた野良レモンは、

たしかに、無性に、腹が立つ。


正直者がバ〇を見る社会にしてしまうと、損をするのは私たち世代だ。

若者や子供たちが、税金や社会保険料を払わなくなり、私たちは老後を暮らせなくなる。


私たちは、社会が間違っていることを自分たちの手で、直すことはなかなかできない。

だから選挙もなかなか投票率は伸びない。

しかしだからといって、間違っている社会でも、自分の手で壊したらいけない。

過激な言葉を使いこなせるのは、それなりの肩書と、教養と、才能と、タイミングと、信念と、計算力を持った権力者だろう。じゃないと、理想に反して実際は、たいして現実に響かない。 「〇〇党をぶっ壊せー」壊れなかったねー。「排除します。」残念でしたね。それなりに精鋭を残したのに。力を蓄えてください。オリンピックが終わってからが、次の勝負時になるんじゃないですか?

響かなければ言った気がしない。負け犬の遠吠えのような気もするだろう。

しかし、破壊を実行に移したらいけなくて、それは教育者が上手に教えてほしいことは、過去記事に書いた。

自己破壊は、精神的な観念上の世界でされることであって、物理的にやっちゃってはいけないのだ。


怒りを書くなとは言わない。

言うもんじゃないと思う。インターネットが無かった、紙を使う言論のころから、多数の、天才秀才たちが、

言論の自由のために闘ってきた。


怒りに任せて書いておしまい、じゃなく、怒りに至る経緯や、怒らざるを得ない理由や、

もしあるなら、あるべき目標や、理想などの持論も書くべきだと思う。

感情も書いていいけど、意見も書く。

そこで、ロムする人たちの視点も広がり、もっと多角的な意見が生まれ、意見が集まることで、意見が成長し、

その意見には"説得力"も、付いてくるはずなのだ。

ほらシンゴジラでも言ってたじゃん。ブレーンは多いほうがいいよねって。




感情のスペクトラムは、宇宙のように広大で、天国と地獄のような極端な開きはあると思う。

だから人類は、そこから神話を思い付いたり、学問や文化を進化させてこれたんだと思う。

しかしその広大さ、豊かさも、文や絵や言動など、目に見える形にしないと、

ただの自閉的な自己世界で、独り籠ってジェットコースターしているだけの危ないやつ、でしかなくなる。

「寂しくて籠れないどんな気分が出てきても構って肯定して優しく受容して誉めていつまでも共感して敬って攻撃しても束縛しても甘やかしてー

と、全肯定を求めても無理ー 成功なんてするわけないことは、ネット、書籍の数々のボーダーライン障害の前例が示しているとおりだ。

だから受容して肯定してもらえとは言えないよ。しかし、目に見える文や絵や言動にして記録することはできる、と言いたいのだ。



目に見える形、がたくさん、見本として記録に残ることで、

『わたしはこの広大なスペクトラムの中のどこにいればいいのどこにいれば構ってもらえるの

の不安や疑問に、少しでもたくさん、答えられる可能性が上がる、のではないかと想像する。

だから、目に見える文や絵や言動の記録、をたくさんたくわえて見せてくれる専門機関がほしい。有志の当事者がボランティアとかで始めてももう無理。

仲良くできない。悪意無く傷つけ合ってしまう。コミニュケーションがすれ違ってしまう。歯車が食い違っていても気づかない。ミスしてしまう。喧嘩してしまう。決裂してしまう。

……そして、この想像、専門機関ができてほしい想像が当たっているかどうか、当事者たちは、目に見える文や絵や言動に基づいた実行をしに、

リアルの現実に、インターネットに、出てくればいいし、見て、聞いて、吸収して、調査してくれればいいんだと思う。

もちろん、それが答え、ではなくて、通過点として。