増大される感情と、抑圧し過ぎで感知しなくなる感情

30時間以上、寝たり起きたりしていたら、久しぶりに、『疲れが取れた』感覚を感じている。

睡眠負債の方程式には、絶対まだ変更する余地がある。

方程式ガン無視して、昼間も寝ないと、野良レモンには本当の回復はやってこない。

“社会”に集中しているだけでも、野良レモンの身体感覚は、感知がオフに、後回しになってしまう。





ついでがあってアルコール依存症の資料を読み返していた。

アルコールには『感情増幅効果』と言われる作用がある。

「暗いお酒は駄目よ。明るく飲まないと」と言う一節があるのは、そのためだと思う。


それなら、二十歳になる前後に、そこも詳しく教えてくれればいいのにね。

「お酒は、飲めば自動的に楽しくなる液体ではないし、ましてや業績も上げていないのに、

他人様たちに褒められたり、恰好を付けて見せるためのものでもありません。

視床下部をゆる~くして、大脳新皮質を弱らせてしまうから、その時に持っている感情を増幅させることしかしてくれません。

社会性が試される場所に出たときに、楽しい気分を振りまくならまだしも、暗い気分や暗い行動を、

ブレーキのゆるんだ車に乗ったかのように撒き散らしてしまうことは、

周囲の人たちに多大な後始末をさせてしまうことになります。

“暗いお酒”を飲んでしまうことは、単に自分が悲しい気分で報われないまま一日終わってしまうだけではなく、

周囲の人たちにも迷惑を掛け、恥をかかせ、たとえば嘔吐物で気管を詰まらせないか心配させ、

生命の責任を背負わせ、もし暴言などを言ってしまったら第三者に謝り、体面も潰す思いをさせることなのです。

楽しい時間を台無しにする、ではおさまらず、なお余りある、負担を掛けることになるのです。

だから、自分の理性が利かなくなる飲酒量を把握し、それ以上は飲まない習慣を身に着け、

ソフトドリンクと炭水化物などのおつまみで、一刻も早くアルコールを外に排出するのが大人のたしなみです。

炭水化物は、内臓を動かす燃料になります。内臓に早く動いてもらって、アルコールを分解、排出の段階に

持って行ってもらわないと、アルコールは体外排出されません。毒性のあるアセトアルデヒドになります。」



たとえば、野良レモンが今までのつましい知識から思い付くのは、このくらいだ。

こんな少しくらいも、知識を持っていない当事者がいたら、ドシドシ投下しちゃってほしい。

教育支援適用済み当事者団の、支援者に当たる人たちなら、もっと伝わりやすい、いい言い方ができる(願わくばできてほしい。)と思うので、成人式に向けて、ガンガンいっちゃってほしい。

当事者であるからこそ、『自分の知識が足りない』自覚が、足りない。

通常の一般常識などにあることなら、リアルの現実の社会で、自分は自覚が足りない、

と思い知らされる痛い経験をするから、そこでガンガン教えれば良いだろうけれど、

世の中、酔っ払いが許される事例が多すぎる。

当事者脳は学んでしまう。『許されるのが普通なんだ。酔っぱらったらどうしようって考えるほうが考え過ぎなんだ。』

たしかにパリピがウェーイは、すごく単純だし、

印象付きやすいし、リア充っぽいし、今風っぽいし、刺激的っぽいし、アホで飛べそうで感覚共有をしやすそう。

つまり、私たち、恵まれない知的に高い軽度発達障害が、仲間に入れてもらえるという、あこがれのシチュエーションを叶えてもらいやすそうな場面に思えやすいのかもしれない。

でも、あこがれの感覚共有の前に命を失ったらいけないし、社会的立場をぶち壊してもいけない。

当たり前。

当たり前のことだけど、私たちは、常識を学ぶとき、言葉をくだいて、くだいて、くだいてもらわないと入っていかないのだ。




角界のお相撲さん同士の喧嘩の件でも、お酒を入れなければよかったのに。

食欲満たせばいいじゃん。鍋でも、デリバリーピザでも、焼き肉でも、

お金があれば寿司でも、パスタやラーメンの炭水化物でもケーキでも。食べれば良かったじゃん。

それとも大の男が複数集まるのに、酒無しでやってられるかって感じ

難しいことはわからない。ニュースで流れても、私に基礎知識が無いから、正確に理解できない。


頭のいい人たちの話を聞いていると、暴力は、世間に明るみに出やすい時代になりつつあるという。

暴力に暴力の応戦もいけないことが、基本だそうだ。

暴力の応戦を正当化すると、国家レベルの戦争が起こる危険があるからだ。

個人のトラブルが解決しない→自治体に仕返しを止められた。損をさせられた。→

→見ていた同じ地域や一族の人たちが不満をためる→ゲリラやマフィア団体が「味方してあげる。」と持ち掛ける。→

→抗争したい人たちとしたくない人たちの対立にマフィアが絡む。または自治体とゲリラが対立する。→

→ゲリラと自治体の軍隊がいつまでも紛争している。→『手伝ってあげようか?見返り頂戴ね。』と他国から応援が入る。→

→ゲリラと軍隊の戦争がいつまでも終わらない。→難民発生。食べられないから弱って抵抗できなくてゲリラに吸収される→

→いつまでも平和にならないループ。→………


小さな“正当化”論は、インターネットを駆使すればいくらでも大きく肥大させられる。


思うに、

だからこそ、

対立が小さいうちに仲裁が入って、解決しておける、社会システムが必要なのに。


人間関係に恵まれない人たち、その中でも逃げられない、逆らえない、助けてもらえない立場の人たちでも、

逃げ込める場所の整備は必要。

たとえば、甘え(親への支配をする子とか)でも、懺悔(むかし理不尽な支配したからとか)でも、償い(親不孝して好き勝手して生きてきたからとか)でも、外部と共有するには恥ずかしいことでも、

一般的には身内以外には黙っておくとされていることでも、

だからこそ抱え込まないで、外部で分担する仕組み。黙って置く理由があるとしても、

人間の身体は、働けば疲労が来て、抑圧すればリバウンドが来ますがな。老化すれば故障も増える。




私たちは、抑圧し過ぎれば身体感覚の不感知におちいり、

お酒などでリラックスさせ過ぎると、一般の普通の人たちと同じく、感情の暴走を招く危険を抱える。

この、開きすぎる、極端さ。

極端から極端の、このスペクトラムのどこにいれば、私たちは一般の普通の人たちからいつまでも構っていただけるのか。


“構って”もらう、と言っても、いつも繰り返して書いている通り、自己顕示欲や自己愛で威張るためでなく、

情報や連絡を話してもらうため。わからなくて繰り返して聞いても、無視されずに説明してもらうため。


『能力差や感情の世界には大きな宇宙のようなスペクトラムがある。でも、興味を持つのは危険なことだから、

インターネットで誘われてもフラフラ行かないこと。いつもいつも、望ましい場所にいて安定していなさい。』

など、と、ここですよ、ここが合格ですよ、と、具体的に指を差されていたら、

私たちの大半は、そこに素直にいて、必要なだけ“構って”もらってリア充して暮らすと思うんだけどね。

『行動強化』するための学問(応用行動療法とかいろいろあるよ。)から考えてもらいたい。

“構って”くれなくなったら、感情的なことは横へ置いておいたとしても、不便さ、不都合さが出てくる。

罰のように感じる。

だから、一部の当事者たちは、フラフラ出歩いたり、嗜癖依存にはまったり、二次障害を悪化させて、

適応障害に突入していく。