『だれにでも良く思われる』目標を立てさせられる宿命

新しいランキングサイトを使わせていただいて、

最近の記事も読み返して、

新しいランキングサイトから、まったく新しい方が、「初めまして」って来ていただいても

『だれにでも良く思われること』のこだわりについて、あんまり解説してないな、

わかりづらいな、と思った。

無くなったあの掲示板からきた方たちは、多少の経緯の記憶をお持ちいただいていたとしても。


『だれにでも良く思われること』とは、一般的には不可能、とされていることである。

心理学な感じのコラムを書けるライターさんも、

社会で生きるノウハウとかマナーとか書いているライターさんも、

無理。と断言しているのは野良レモンも知っている。

しかし、私たち中途診断二次障害野良当事者団は、

支援者にも恵まれず、わからないことの説明が無いまま人々に放置される運命だ。

一般の普通の人たちに、わからないことは聞かなければ、義務を果たせない。

しかし、いくら切実でも、自分の都合で人に質問をするくせに、

自尊心を傷付けられたり、疎外されたと感じたときに、文句を付けていたら、

第三者から見たら、態度を矛盾させていることになる。

態度が矛盾する人間は、気持ち悪いし、人間性を信じたくなくなるし、相手にしたくなくなるし、

危険で触りたくなくなる。

そういう情報は、一般の普通の人々の口から口へ広まる。

一般の普通の人たちの性格にもさまざまあるので、

『一般の普通の人たちスペクトラム』という造語を作り、記事にもしている。


口から口へ広まった結果、私たちは孤立して、共同体やお仕事場で義務を果たせなくなり、

解雇という結果にたどり着く。

全国の当事者がたどりついてきた、人生の挫折のきっかけだ。


中途診断二次障害野良当事者団は、

解雇離婚などの、人生の挫折のきっかけをくらっても、

発達障害を理解する専門家からの福祉的支援を、受けられない事情を抱える当事者たちを指す。


過疎的地域だったり、そういう地方の地域の人間たち、時にはお医者すらもが、

発達障害特有の不便苦痛に対して、理解も想像力もなんも働かない人たちばかりがいたり、なにかする権限無かったり、

労働や家族や経済や自身の問題などで、そこからなにも動き出せない事情のある当事者たちを指す、

野良レモンが勝手に作った造語だ。


私たちは、リタリン問題で処方停止になったさいに、医療との薄いつながりすらも、

完全に失くしてしまった。

お医者を通じて、なにか新しい情報をもらったり、海外で開発されていたという噂のリタリンパッチなどが

できあがったら知らされたりとか、自尊心の持ち方を訓練してもらったりとか、

そんなチャンスが、私たちにはまったく無くなってしまった。

発達障害支援センターには、今日も明日も明後日も、予約待ちの行列ができている。

気持ちのハードルが高く、デリケートな私たちに、もう勇気は残ってないよ。

玄関をピンポンして、人が説得してくれて、車に乗せて連れて行ってくれないと、

お医者に失望した記憶がいつもいつもよみがえり続ける、頭の弱い私たちには無理である。


そこまで追い詰められている私たち。

生きていく選択をしたがために、社会で、人の言うことを聞かなければならないという義務を背負う。

しかし言われたことの意味がわからなかったり、

5W1Hが不正確だった場合、私たちは正解を一人で、負担なく察することができない。

理解に苦しみながら、人に教わらなければならない。

しかし、一般の普通の人たちは、教えてあげてもいい気分になった時だけ、教えることが多い。

しかし私たちの脳は、相手の都合お構いなく、何回でも聞かないと、わからないものはわからない。

ここでもう、無理な話なのである。

しかし私たち当事者は、物心ついた時から悲痛に、「もう無理もう無理
と騒ぎ続けてきた。

あらゆる人々から、相手にされなかったよね。


しかし、無理と証明されてきたものでも、社会が、私たちの訴えに、耳を貸すことをやめたのだ。


「しかし」の山。

否定の山。

自分を否定し、経緯を否定し、周囲を否定する、そして解決策も見い出せないザマは、

同族嫌悪を持つ当事者から見たら、特に、卑しく、見苦しく、憎しみが止まらない。


しかし私たちを突き放し、傍観することをそもそも決めてきたのは、社会なのだ。

だから、無理強いと、知っていながら『だれにでも良く思われること』を目指す、宿命を私たちは

押し付けられたのだ。強制させられているのだ。


人と協調しない人間は、見苦しい。

一般の普通の人たちだけでなく、意識高い当事者たちも、『人と協調しない悪人だ。』と見定めた者には

全力の敵意を向け、正義の制裁と攻撃が止まらなくなる。

人に良く思われる努力をしないということは、集団リンチの刑に値する、罪悪に決めつけられやすい。

あの掲示板も、だいたいそんな経緯があって、管理人さんの管理の限界を迎え閉められてしまった。

ログは今でも取ってあり、読むだけ可能になっている。


そういう経験を積んでいだ野良レモンは、すでに社会適応というものを、自分を大切にしないノルマを課し続けることだ、

と、悟っていた。

あの掲示板に参加する前から、漠然とそんな仮説を持っていた。


自分を大切にしないで、なにをするかと言えば『だれにでも良く思われる』目標に向かって走り、

わからないことを教えてもらいたいときに備え続ける、消耗戦を続けることであったのだ。

そうして、社会から、衣食住ネット接続料を賄う、お金を恵んでいただき続け、

生きる責任を果たす、見苦しくて見苦しくて、人から見たら腹立たしいざまを、さらさせられているのだ。


過去記事『わたしだって受け身がいいのに』

ここの後半を参照してもらえると、くどくどと書いてある。