また頭の中でブログ

12時間寝た。

なにか特別な事件があったわけじゃないよ。

私たちは社会に適応する努力をするだけで、エネルギーを使い果たす運命にあるじゃない?

これが通常なのよ?

日常なのよ?



でも、これは昨日、今日の話じゃない。

先週の話だよ。


そして、そのあとは、とある歯根がもーれつに痛くなって、

以前に発熱で処方されたロ○○○○でやり過ごして、

落ちついたからPCを立ちあげたら、PCもすでに末期なので、この、記入フォームには英数しか書けなくなっていて、

日常生活物資は、晴れているうちに買わなくてはいけなくて、

買ったらそのまま、体力のリミットが来て、私たちおなじみの虚脱で、寝るしか無くて。


また出勤が始まって。


歯根は毎年痛くなる。わかってる。これはいつものやつだ。

天候の変化と疲労がダブルで嵩むことで来るやつで、二週間で引いていくはず。

自閉に対応していない歯科へ行っても、回りの歯を削られて、歯石取りでも麻酔を依頼しても返事無しで

ちょびっとなにかしたらまた来週で、来週に、お仕事場で私がなにか失敗をやらかさないとは限らなくて、

通院に集中できるコンディションを約束されているかと言うと、いなくて、

それが社会で、

逆に私が、安定した業務能力と出勤を約束するべき責任があって、

しないと許されなくて。


だから身体の健康、なんて脇の問題は、

いくら私が持て余しても、人さまにはどうでもいい次元。

過去へ追いやられて。だれの目にも入らなくて。ネットに書いたとしても、在り溢れてて。

だれかがこんこんと、私のデータに無い言葉を言い聞かせてくれるわけではなく。

歯科を検索したり、交渉してくれるわけでもなく。

障害者手帳を持っていない自閉の、痛覚の過敏に対応できる歯科が、待っていれば自動的にできる約束がされるわけもなく。

だからアスペの限界で。

身体なんて、おろそかにするのは、私たちの努力ノルマでしかなくて。






だから中途診断二次障害野良当事者団という区分を思い付いた。

私たちはそこに属する。

『私たち』という表現をしても、私は、同族の存在を確認はできない。

軽度発達障害当事者同士は、コンタクトを取った時点で、戦争が始まるんだから。


病院で診断は受けたけれど、

だから、一人の思い込みの未診断ではないけれど

支援が受けられない。

医療は、社会生活が出来ない人たちの診断に、予約待ちの山を作りながらいっぱいいっぱい。

日々失敗するから謝罪しなきゃいけなくなる、嫌われる、自己肯定感が落ちたまま修復できない、

ようするに根性とか精神性の問題が、面倒くさく残っているだけの当事者を

薬も出さないで、煮詰まった時に予約無しで、繊細にケアできる機関が、近所に無いし

プライドとコンディションの問題で、医療機関にかかるために休みも取りたくない。

結果、支援が無いまま、うつ症状の予防のためにインターネットぐらいしか依存するものが無くなってしまう私たち

だからインターネットでも同族と思われる境遇の当事者らしき人はよくお見かけする気がしていて

たぶんこのかたたちにも手近な人間には会話が通じなくて

このかたたちも取り繕っていないと社会的な孤立の危険があって

そんな

今までもぐちぐち書いてきた

特性と、環境を持つ集団が

中途診断二次障害野良当事者団






といっても、野良レモンはPCが末期なんで今、依存もするどころじゃなくなっている。

今日、なんでこうしてひらがなが打てているのか、野良レモンにもよくわからない。


日々、頭の中でしか、ブログは書けていない。





もし、中途診断二次障害野良当事者団同士の、

同族への理解力と許容力があがって、コミュニケーションを取れる時代が来ても、

これからは、

それはそれで

『共謀罪』とか呼ばれる時代が来るのかな。

あの終わった掲示板を参照すれば、

私たちのレベルはいかほどのものか

『共謀罪』の目的が指すレベルの、危険な事態が起こる可能性がなにも無いのが分かりそうなものだけど。



目じゃなくて、脳の視野が狭いから、本当は、等身大としては、受け身で生きたい能力量の当事者たちだから

なにをしても、なにをやっても無理が出る結果になるだけ。

結果が出ないだけで、本当は

私たちには

なにをしても、なにをやっても、する権利も、やる権利も、全部ある。

意味もある。

でも、支援者や理解者がいないから、意味があっても、誉めてもらえないという現象が起こるだけ。

だから、誉められなくても、勝手にやってしまえばいいことってあるんだ、と発見すれば、

なにかするのは、かなり楽になる。

しかし、

当事者同士のコンタクトの場になった時に、世間から見て誉められるわけではないことをしようとする当事者は

当事者同士から見て、気になって、気になって、気になって、気になって、

その、気になる引っかかりを、どうしていいか分からないから、対処の手本が無いから

たとえパーソナリティのボーダーラインを越えることになっても、言語化して議論して、

当事者たちは議論の過食症になる。


私は考える。

くり返されてきた歴史を、どうすれば終わりに出来るのか。

議論の禁止では決して無く、自分を傷つける依存症状や、相手に攻撃が向かう戦争をどうしたら回避できるか

予防できるか。

予防には、私たちのどんな特性に、どう働きかけられれば、解決するのか。





次はここに、いつ書けるんだろうね。