誇り高く催眠術に掛かろう

炊飯器で炊けるだけのご飯を炊いて、一食分ずつ小分けにして取っておく。

これが、雑事の時間を節約して、社会参加に失敗しないように余裕を持って参加するための、

野良レモンの一つの要領である。

水を張った米を、今、炊飯してしまえば、今夜のうちに小分け作業がしてしまえる。

しかし、水に浸したての米よりも、三十分、いや一晩置いた米のほうが、炊き上がりが美味しい。

それに気づいた野良レモンは、炊飯をやめて、タイマーにしてしまった。明日にやる予定を残した。

“米がより美味しくなる”ためならば、どうして日本人は無条件に手間を掛けてしまうのだろう。





前記事で、『漠然と不幸』と書いた。どういう意味か。

幸せにはいろいろ種類があるように、不幸にも種類がある。


たとえば、衣食住がそろっていても、人間関係かなにかで、まだそろっていないものがある、不幸。

たとえば、自分自身は、欲する物が自分の望むとおりに自分の側にそろっていても、回りの人が自分にそろっているように望む物とは違う物がそろっていて、期待からはずれ、悲しませている、不幸

たとえば、自分が満たされていて、こと足りていると感じている物事によって、回りの人に負担を掛け、迷惑を掛け、苦痛を招く人になってしまうという、不幸

たとえば、逆に、周囲の人たちが完結していて満たされているかのように見えても、自分が納得しない犠牲を払って成り立っている、不幸

たとえば、人間関係の中では、立ち位置を与えてもらい、無視されてはいないが、そこで努力しても衣食住がそろわず、暮らしていけない、よって家族や福祉などに養われなくてはならない、自己実現と引き換えにせざるをえない、不幸

たとえば、人間関係の中でも認められない、立ち位置も、個性を生かした役割も無い、しかし個性や限られた特技しか使えるスキルが無く、だから努力するしかないのに、衣食住もそろわなくて、自活もかなわず、違う能力を身につけて、違う努力をするように迫られる、でも無い袖は振れない、無い能力は出てこない、追い詰められる、不幸

たとえば、衣食住も無いし、人間関係も無いし、努力したい気持も無い、不幸






だからどうしたいんですか?って、


聞きたいよね。


………説明したかっただけ。まずは説明したかっただけ。




幸せにいろんな種類があるように、

たとえば、人がかかわる幸せ、自分の中で完結する幸せ、社会的に定義されてる幸せ、

たとえば、世界中の中で、相対的にダントツに平和な先進国になっちゃってる日本にいる幸せ、

たとえば、大病になってないからまだ自覚していない健康の幸せ、たとえば、エトセトラエトセトラ……

そんなんがあるように、


でも、私たち、中途診断二次障害野良当事者団と、教育支援適用済み当事者団は、

確実に存在している。外国から『発達障害』が入ってきて、必死に情報に付いて行っても、

たとえば、社会からどつかれ、家族からは「不思議なこと言うな、狂ったこと言うな」と拒絶され、病院でも「診てません。」と言われ、

たとえば、周囲の一般の普通の人たちは勝手にいつのまにか業績を上げ友だちを増やし手品のようにいつのまにか恋愛や結婚をしていて、

たとえば、ラインとかで繋がり、リア充になり、自己実現ぽいことをやってるっぽく見えて、置いていかれて、無視されて、

こっちは悪意に解釈されて、怠けに分析されて、思い上がって傲慢ということに決定して、

二次障害にまみれ、当事者同士、憎み合いながら、人によってはリタリンや、パキシルとか、ストラテラとか、そんな薬を飲まされて

私たちが「それで次は」と聞くと、逆に社会や医療の方から、「次はだから」と聞き返される、裏切られ感もはなはだしい、気が狂いそうな扱いを受けてきた、

悲惨な歴史がある。この歴史は確かに存在している。

今が、『幸せ』部分があるからっていっても、

だからって、『不幸』部分が存在しないわけではなくて、

私たちに『不幸』部分も、確かに存在していて、放置するともっともっと『不幸』部分が増すかもしれなくて、

発達障害が大人になってから発見された、二次障害まみれの野良レモン世代たちがもっと老衰すると、

もっと捻くれて、放置された傷が悪化して、手が付けられなくなっていく。

『幸せ』部分がある暮らしをしているからって、『不幸』部分を全否定されることは、

大迷惑だ



それでも、世の中には、『不幸』部分の投影や、転化や、押し付け、依存を、やめられない人たちがいる。

野良レモンのような、“弱みのある存在”は、楽しくいじめずにはいられないオモチャだ。法で禁止するか、カメラや人間の監視を付けないと、これからも野良レモンは、社会にいる限り、社会のオモチャだ。

野良レモンは傲慢なことに決められる。意地悪ななことに決められる。謙虚さが無いことに決められる。

人を見下す性格なことに決められる。責任感も誠意も無い、社会をナメてかかっていることに決められる。

人の不幸を楽しみにして不幸を願う悪人に決められる。


だからきっと、物が無くなっても野良レモンが置き場所を変えた、ことに決められなくても、なんとなく野良レモンが責められるべきのような、優しいことを話しかけちゃいけないような、ハブキにしなきゃいけないような、

そんな空気はできあがるし、

できても、大半の一般の普通の人たちには、目立たなくて意識しないようなことでどうでもいいことで、

野良レモンは暗黙の了解をわかって、空気に従って、自分から身を引いて沈黙していなくてはならなくて、

トラブルの犯人扱いされても、違っても違わなくても、申し訳なさそうにしなくてはならないし、

怒りが抑えられない人たちがいたら、心掛けとして、進んで増長させてあげなくてはならなくて、

それが、しかるべき反省の態度




野良レモンのせいにしたいんである。


野良レモンが悪いんである。


どこかが決めてくれないから、

権力と、広報の力がある人たちが、決めてくれないから、

勝手に決められちゃったじゃないか。







「あんたなんてなにを待っても無駄だから」今日も思われている。

野良レモンたちが、助けられたい、と思っていることを勝手に推測されて、前提されて、

否定したくてたまらない人たちが、先回りをしたつもりで、野良レモンたち弱者を全否定する。

マウンティング。『優位の確認』には依存性があり、それはたとえ、しなせてもやめられない。

権威の介入が入って、中断して、距離を離さないとやめられない。


「そういうマウンティングを本当は野良レモンがやりたいんですね。やればいいじゃないですか。」とどうせ言われるんでしょう。

人生の中で数々の加害者を、観察してきた結果だ。ただの観察結果だ。分析もしたい。

学問をして、もっと分析したかった。でも私には学が無い。だから防衛も、詰めが甘い。できちゃいない。



野良レモンを悪者にしようとした時、相対的に悪い価値を決めれば、なんでも悪く決められる。

なにと相対的に?




日本の昔話の中に存在してきた、“得”を無限にむさぼる、自己愛傾向の悪役達。



スズメの舌をちょん切るお婆さんがいれば、宝を掘り出さなかった犬を叩き殺したお爺さんもいる。

拾って育てた娘に魚の脚が生えていて、絵を描いたロウソクが売れれば、もっと描くまでご飯をやらないという夫婦もいる。

捕縛された縄をほどいてくれたお婆さんを斧で殴りころしたウサギもいる。



読み聞かされてきて、勧善懲悪の情熱を掻きたてられてきた、一般の普通の子たちは、大きくなる。

そして、

知識と共に育ってきた、正義の鉄槌をくだしたい願望が、

平成の世になって、軽度発達障害傾向に転化されているんである。


  

私たちは、悪気無く産まれてきた。そこがどこかも知らないで、産まれてきた。

生きてきた。ただ、ただ、生きてきた。

日が昇ったら起きること

起きたら息苦しいこと

だからテキパキ動けないこと

倒れないように生きること

健康診断もして生きること

炭水化物と野菜と少しのたんぱく質を食べようとすること。

ただ、ただ、生きている。

  



一般のふつうの日本人たちが、テレビドラマや漫画や小説で影響されてきた、“人”の白黒の選り分け方。



お友だち仲間に入れたい人たちと、

制裁されて欲しい、腹立たしい悪役達



多くの人の意識の下のギリギリにある、“好き嫌い”感覚。

小学生レベルの“好き嫌い”。



ネットで見つけた、発達障害の居場所にエントリーしている悪者、こんなところに隠れている悪者、が、

多くの一般の普通の人たちにとっての

憎むべき怠け者。正当化する価値も無いのに自己正当化する、悪い怠け者。

そこに、野良レモンたちはヒットしている。



こうして言語化すると、とても安易な話だけど、


一般の普通の人たちの社会は、手っ取り早い思想で出来ている。

潜在的な悪意が、だから私たちに向きやすい。本当にそのきっかけは、安易で軽くて浅い。

私たちも部分によっては、軽さ薄さで、負けていないけれどね。


しかし、社会は、この安易で軽くて浅い暗示にも、簡単にかかるように私たちを誘導する。

社会の誘導に乗ることは正しいことなのだ。

それが『それって軽々しいんじゃね??』と思っても、口に出さないことが、正解、正義なのだ。

催眠術のように、悪者役を認め、引き受けるように、私たちは命じられている。

命令に従うことは、いいことなのだ

昭和の義務教育を、私たちはイイコで受けてきたのだ

だから掛かろうだれかが醒ましてくれるまで、催眠術に掛かろう

催眠術から醒める資格と価値を認めていただき、私たちを見つけていただき、

私たちに価値を見い出していただき、醒めるよう命じていただけるその日まで


誇りを持って催眠術に掛かろう