教育支援適用済み当事者団と、中途診断二次障害野良当事者団

赤○団。白○団。………違うよ

野良レモンの、はた迷惑な造語だよ。




骨組みとしてメモだけ取って置いたけど、やっと肉付けする。
でも、自分の文章表現力にはまだまだ不足がある。自己満足にはほど遠い。ほんと、頭がパンッパンに膨れて破裂しそうな感じがするわ。





軽度発達障害当事者は、喧嘩しそうな人と、生活の場所を分けてはもらえない。

知的障害をあわせ持つ者や、スペクトラム的に重度な者との差は、ここに出てしまう。

能力的に、我慢を期待され、成長と適応を期待され、待たれてしまうから。



教育支援適用済み当事者団は、仮に喧嘩をやめられないとしても、喧嘩をするかしないか人にチェックしてもらえる。

支援者一人では余してしまっても、事態が悪化すれば他の関係者に助けを求められる。

なにより、人に「いい人でいてくれてありがとう。これからもお願いします。」と願われながら、“見られる”という形が取れることで、効果を出せる当事者は多いのではないかと推測する。

言葉に出して言われなくても、求められている社会性を当事者は感じ取っていけるようになる確率はかなり高い。


中途診断二次障害野良当事者団は喧嘩をやめなくていい共依存関係にどっぷり浸っていようが、そこから出たい意志があろうが、

周囲にとってはどっちでもどーでもいい。

ほんとうは、当事者達は、自己責任を分かった上で喧騒と憎み合いの実行者に身を置いているわけではなく、

他に、快適な人間関係を知らないから、頭が混乱した時にすぐお手軽に絡んで構ってもらえる人間関係が他に無いから、

依存するしかすることがない、場合が多いはずなんだけど、

知らない物を与えてももらえないし、教えてももらえない。

周囲にとってはどっちでもどーでもいい。

一般の普通の周囲の人たちは、当事者から迷惑を掛けられた時だけ、ブチ切れてくる。
これが常識の範囲の反応なのだ。


だから、当事者も当然、知らない物を探しにも行かない。認知の不足。不足と、不足による歪み。

探しに行った上で、それでも憎み合いの人間関係にいたい、という意志を持ってしまう場合もあるだろうが、

憎み合いの人間関係から出たい、と願うことを選択しても、今の福祉システムでは、当事者達の人間関係にまで介入する権力を持っていない。

エベレストを登るような悲壮な覚悟でエネルギーを総動員して診察に望んでも、

収穫は何も得られないまま、

医師からなにか指導してもらえるような質問も上手にできないまま、

察してももらえないまま、帰路に着く。

どんなに危ない局面に置かれても、周囲に居るのは一般の普通の人たち分の分量の観察力しか持っていない、

一般の普通の人たちでしか無いからだ。





『自然発生的な協力集団、目的を同じくする者たちが自主的な結束した集団。』

世の中、救済の方法が無い困難を抱えた被害者が一定数出ると、こういう集団が出来るものらしい。

病院の医療訴訟などなら、よく知られている。



しかし、野良レモンたち中途診断二次障害野良当事者団は、
結束する能力そのものが無い。だから作れない。

まるで飼い主かのような権力者に、追いすがるか、問い詰めるか、崇めるか、憎むか、因縁を付けるか、

極端な感情と依存心を持つ能力しかないし、

そこを抑圧すると、自律神経系を壊す犠牲を払い、

なおかつ、同胞である当事者から見ても、目障りで違和感を招く存在になると言う形で、

社会集団の中でも犠牲を払う。

そこに焦点を当ててくれる支援先を、探しても私はまだ見つけられていない。

教育支援適用済み当事者団と一緒の学びの場では、野良レモンたちはきっと逃げ出したくなる。

権威ある指導者からの指示に、素直に、ねじれず、従い、不安定でも管理方法があるように生育しているのが、

教育支援適用済み当事者団で、


たぶん、

教育支援適用済み当事者団よりも、一般の普通の人たちの言動を、広くバラエティーに覚えていて、

人に疑いを持つ時も教育支援適用済み当事者団よりは柔軟に、

想像、想定が出来、競争や復讐にも臨機応変に打つ手を考えられるように生育しているのが、

中途診断二次障害野良当事者団、のような気がする。

天念のまま傷つけられながら育ち、ASDサイズの教育はされていない素材。

いじめと喧嘩と復讐ばっかり、能力が肥大してしまう。だってだれも守ってくれなかったもの。

他の能力も欲しかった、って何年も言ってきたじゃん。好きでこんなに偏ったんじゃない。

………という感じのボロボロの心因症の天念素材。



一方教育支援適用済み当事者団の、二次障害は用意された環境で極力押さえられ、困った時は相談する、頼る、聞いてもらう、が身に付く。

天の啓示を待つ、いたいけで、従順で、問題を起こす前に指導者の後ろに身を隠せる、出しゃばらない子羊。

櫛とハサミで、限界まで美しくトリミングされた子羊。

不安定でも用意されたアイテムをお守りにし、思考も葛藤もやめられ、忍耐も周囲の応援を受け、賞賛が約束され、

支援者から裏切られる可能性を考えず、信じ従うことが訓練され、それが正しい正義として生きている。


いいよね、私が親や身内だったとして、こう育った子ができたら、嬉しいかもしれないもの。

ほめやすいもの。


ただし、進学とか、就職とか結婚、引越し、新しい環境で、もまれなければならなくなった時、

だれかが彼ら彼女らに、びっちり密着をして、思考の面倒を見なければならない。

迷いは言語化し、フラッシュバックには気晴らしを提供し、混乱は聞き出し、傾聴し、予定は整理して、優先順位の付け方を点検し、良くないところは修正し、指導し、選択させ、決定させる。

次は実行するかどうかの面倒も見る。

不貞腐れても、逃走、脱走しても受容され、許され、家族等の関係者にも福祉側から目を配られ、

家族がカサンドラになっても相談が受け付けられ、治療先も紹介され、どれだけこじれても、

離散や刃傷沙汰にならないための手立てを考える責任者がだれか付く。記録される。



それなら中途診断二次障害野良当事者団のほうがたぶん、繊細なかじ取りが無くても、見通しも立っていなくても、時が来ればエンジンを掛けて、やみくもに進み出せる。

手を掛けなくても、放置しても、いつの間にか野生動物のように生きていられたりする。

しかし、放置し過ぎると、二次障害をやらかしている。

喧嘩したり、解雇されたり、借金したり、病気になったり、裏切られたり、騙されたり、依存したり、行き当たりばったりな、自業自得をやらかして、くじける。不貞腐れる。

努力は評価されないし、たらい回しどころか、たらいにも乗せられない。

責任も問い詰められる。弁解が通じない。通訳も仲裁者もいない。

努力は評価されないし近くに居る関係者の視界にも入れてもらえず、歪んで解釈され、利用され、

現実には成り立たない、まぼろしの“反省と改心”を求められる。

社会的信用と立場を自分から能動的に破壊していることが前提の、敵認定を、周囲からされる。



こっち側も、そのまま放置しっぱなしではなく、支援指導してほしいと、あれもこれもじゃなくしぼって、望んでいかなくてはならない、と。

それでもロム読者も、第三者も、教育支援適用済み当事者団と、中途診断二次障害野良当事者団とを、ごっちゃに混乱し続けると思うが、

まったく別もんなんですよ、

見捨てられているんですよ、救済してください、と。

ほんとはそう望まなくてはならないのではないか、という自己主張を、

野良レモンは整理して作り上げようとしている。



でもなかなか言語化が難しい。頭が破裂しそうになっても、妖怪ゲンゴカーとはまだ縁が切れない。